「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

常陸山谷右衛門の誕生地と宝鏡院不動尊。

2021年07月10日 21時25分51秒 | 水戸今と昔
常陸山谷右衛門の誕生地と宝鏡院不動尊。







生誕地の近く、第19代横綱・常陸山谷右衛門の像と小公園
明治7年 (1874) -大正 11 年 (1922)



水戸城下絵図・天保12(1841)年以降/「宝鏡院」前の「市毛」が生家。
この辺りは那珂川の水運の河岸が多く船番所も設けられていた。
河道の改修や築堤などでかなり変わっている。
小山から水戸までの鉄道が明治22年(1889)に開通し、翌年には那珂川の船運と結ぶ河岸(那珂川貨物駅)まで伸びた。

常陸山谷右衛門は旧水戸藩士・市毛高成の長男として宝鏡院門前町(現・水戸市城東)に生まれた。本名は市毛谷。
水戸中学校(現・水戸一高)に入学するも,父の船運事業の失敗により3年で退学し上京。
明治 23 年(1890),出羽ノ海運右衛門(先代常陸山虎吉)に弟子入り。同 27 年 (1894),西幕下に上がり四股名を「常陸山」に改める。
同 36 年(1903)に横綱となり,以後,大正3年(1914)の引退まで,「心技体」三拍子揃った横綱として,梅ヶ谷とともに活躍し相撲人気を高めた。
引退後は国技館の再建などに取り組むと共に,相撲協会の発展に尽くし,近
代相撲の基礎を築きあげ明治の角聖”とうたわれた。



城下絵図の「島河岸」の現在の通り。
左手の角から2軒目辺りが生家跡となる。
右側の奥が「宝鏡院不動尊」だが、現在の敷地はかなり狭くなっている。



この路地の突き当りに「宝鏡院不動尊」。



不動尊を象徴する剣をかたどった碑と簡素なお堂があるだけ。

宝鏡院は如意山大幢寺と号し、佐竹13代の義人が祈願所として天神林村(常陸太田市)に建立。天正19年(1591)に佐竹義宣の水戸入城に伴って杉山に移された。
それ以後は衰運し、戦災で焼失後に再建されたお堂が名残だ。



「旧町名宝鏡院門前」の碑
佐竹が秋田に移されたのち、水戸徳川家も祈願所としたが、天保14年(1843)九代藩主斉昭の天保の改革で処分を受け、住持は隠居となり、寺宝などは常葉村の神崎寺に移された。
昭和9年に「宝鏡院門前」となり昭和45年に城東1丁目となった。

*今日はMLBエンジェルスの大谷翔平が33号のホームランを打った。
オールスターでの投打にわたる活躍が見られるのかと期待は大きい。
大相撲名古屋場所は白鵬・照ノ富士が7連勝、白鵬と翔猿は間合いを取って立ったまま見合う珍しい一番だった。
両国と違って「謎のご婦人」の姿が見られないが残念。
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