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後藤清一作の「沈思光」と「塔」

2021年07月13日 09時56分36秒 | 彫刻家 後藤清一
後藤清一作の「沈思光」と「塔」



「沈思光」像高12㎝(昭和15年・1940)

彫刻家・後藤清一は若くして親鸞に帰依し、仏教書を熟読する生活だったので数多くの仏像が生まれている。
仏の存在を信じていたので、教義に固まった仏像より、心のうちに在る仏の姿を形にしたので観音像、弥勒像とはっきり分かるもあるが、何とも決め難い像もある。
「沈思光」は後藤の造語で、右足を立膝して座し、右手を頬に当てて思惟の相をしている。



「塔」像高11㎝(昭和19年・1944)
左手に塔を掲げ持つ、童顔の座像。

「沈思光」と「塔」共に小品で、仏壇に納めて拝むというより、座右において語りかけられる、心の優しい仏様という感じがする。
何れも小品で愛らしい顔とポーズで、親しみやすい姿なので人気が高い。
後藤のブロンズは3点くらいが限度として作られたが、この2点に関してはかなりの数が造られた。



「誕生仏」(木彫・像高48.5㎝・1940年)
釈迦が誕生したとき、右手で天を指し、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と唱えたという姿をかたどった像。
「誕生仏」は「沈思光」「塔」と同時代に作られた。
何れも童顔で単純化された白鳳期の仏像を連想させる。



この誕生仏のブロンズの作品ともなり、後に北鎌倉・東慶寺の水月堂に安置された。
「水月堂」祭壇。
中央の円窓に「水月観音菩薩半跏像」。左に「南無仏太子」(聖徳太子の二歳像)。
右に「誕生仏」「水月」の扁額は鈴木大拙の書。

●東新宿に在った加賀・前田家別邸の持仏堂を昭和34年に東慶寺の水月堂として移築・再建された際に祀られた。
鎌倉時代の「水月観音菩薩半跏像」の脇侍として遜色ない姿だ。
生前の後藤清一に憧れた私にとって、この堂に詣でるために東慶寺を訪れるのが喜びだ。
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