安比高原ペンションビレッジ@八幡平市

小岩井農場から約1時間で安比高原に。
ホテルの予約していないが、今度は、安比グランドのタワーに泊まってみたいと思っていた。
高原に聳える19階建ては安比の象徴だ。


しかし、春田さんが「昨晩、盛岡に泊まったので何も用意はないが、今晩、食事に来ませんか」との誘いを受けたので、3年前と同じ、ペンション「ウィングライト」に泊まることにした。
「7時頃にお出かけ下さい」とのこと。
時間は未だ5時、ペンション街を散歩してみることに。
安比高原はスキー場、ゴルフ場や牧場さらにはテニスなど四季を通して多くの観光客が訪れるリゾート地。
今はシーズンオフと云うこともあって静かだった。



花々が咲きそろったペンションが在れば廃墟となった所も有る。
春田さんの実家が所有していた敷地のアパートを改装して、フランス料理店「シェ・ジャニー」を開店したのは1969年。
内臓料理やフランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時の日本で初登場の料理は大人気を博し、連日、予約で満席という状況が続いた。 夫婦二人で始めた店は、従業員も10人以上となり野球チームが出来るほどとなった。
1980年代になると、世はグルメブーム。 沢山の料理評論家も登場し食べ歩きの番組等も多くなった。 舌より頭で味わい薀蓄を傾ける人が多くなり、レストラン営業に疑問を感じ、廃業し田舎に移住する考えを固めた。
毎週のように物件を探しに地方へ出掛けた。
営業後の賄の時間、見てきた物件の感想を従業員や仲間に話すことから判断し、本気であることは、誰にも分かった。
当時、熱中していたスキーが出来ることを第一条件に、関東甲信越さらには東北まで幅広く選択した。
その結果、1981年 に開業した安比高原スキー場に移住することに決めた。
1986年、渋谷を売り払って、スキー場に隣接したペンションビレッジの一区画を購入し木造2階建ての住居を建設し移転した。
この出来事は波紋を呼んだ。 40代半ば、働き盛りなのに引退しての田舎暮らし。
先駆けた考えだったが、理解でき得る人は少なかった。
東京に居れば、社会的な名声や経済的には恵まれたかもしれないが、家族とのふれあいや、自分の楽しみを優先することは出来ない。
移転した頃から、安比高原スキー場は急速に拡大し、蔵王と並び東北を代表するリゾートとなった。
首都圏でウサギのマークと「APPI」と書いたシールを張った車は、ファッショナブルで人気を博した。
冬はスキー、春は山菜取り、夏はイワナやヤマベ等の渓流釣り。
趣味のために一日の殆どを費やした。
移住後、地元の人達との交流で冬場の狩猟に魅せられ、猟銃免許を取得したことで、さらなる世界が広がった。

1997年「シェ・ジャニー」を再開するまでの約10年間、地元との交流は地域の人にとって刺激的だったし、春田さんにとっても新たな食材との出会い新境地が開かれた、と解釈している。

小岩井農場から約1時間で安比高原に。
ホテルの予約していないが、今度は、安比グランドのタワーに泊まってみたいと思っていた。
高原に聳える19階建ては安比の象徴だ。


しかし、春田さんが「昨晩、盛岡に泊まったので何も用意はないが、今晩、食事に来ませんか」との誘いを受けたので、3年前と同じ、ペンション「ウィングライト」に泊まることにした。
「7時頃にお出かけ下さい」とのこと。
時間は未だ5時、ペンション街を散歩してみることに。
安比高原はスキー場、ゴルフ場や牧場さらにはテニスなど四季を通して多くの観光客が訪れるリゾート地。
今はシーズンオフと云うこともあって静かだった。



花々が咲きそろったペンションが在れば廃墟となった所も有る。
春田さんの実家が所有していた敷地のアパートを改装して、フランス料理店「シェ・ジャニー」を開店したのは1969年。
内臓料理やフランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時の日本で初登場の料理は大人気を博し、連日、予約で満席という状況が続いた。 夫婦二人で始めた店は、従業員も10人以上となり野球チームが出来るほどとなった。
1980年代になると、世はグルメブーム。 沢山の料理評論家も登場し食べ歩きの番組等も多くなった。 舌より頭で味わい薀蓄を傾ける人が多くなり、レストラン営業に疑問を感じ、廃業し田舎に移住する考えを固めた。
毎週のように物件を探しに地方へ出掛けた。
営業後の賄の時間、見てきた物件の感想を従業員や仲間に話すことから判断し、本気であることは、誰にも分かった。
当時、熱中していたスキーが出来ることを第一条件に、関東甲信越さらには東北まで幅広く選択した。
その結果、1981年 に開業した安比高原スキー場に移住することに決めた。
1986年、渋谷を売り払って、スキー場に隣接したペンションビレッジの一区画を購入し木造2階建ての住居を建設し移転した。
この出来事は波紋を呼んだ。 40代半ば、働き盛りなのに引退しての田舎暮らし。
先駆けた考えだったが、理解でき得る人は少なかった。
東京に居れば、社会的な名声や経済的には恵まれたかもしれないが、家族とのふれあいや、自分の楽しみを優先することは出来ない。
移転した頃から、安比高原スキー場は急速に拡大し、蔵王と並び東北を代表するリゾートとなった。
首都圏でウサギのマークと「APPI」と書いたシールを張った車は、ファッショナブルで人気を博した。
冬はスキー、春は山菜取り、夏はイワナやヤマベ等の渓流釣り。
趣味のために一日の殆どを費やした。
移住後、地元の人達との交流で冬場の狩猟に魅せられ、猟銃免許を取得したことで、さらなる世界が広がった。

1997年「シェ・ジャニー」を再開するまでの約10年間、地元との交流は地域の人にとって刺激的だったし、春田さんにとっても新たな食材との出会い新境地が開かれた、と解釈している。