「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

三溪園@横浜市中区本牧三之谷

2015年10月03日 20時34分04秒 | 庭園
三溪園@横浜市中区本牧三之谷


(大池と旧燈明寺三重塔)

「三溪園」は生糸貿易により財を成した実業家・原三溪(1868~1939)によって、明治39年(1906年)に公開された日本庭園。
東京湾を望む横浜の東南部、本牧に広がる敷地に約20年をかけ完成したもので、18万平方mという広大な園内には、京都や鎌倉などから移築された歴史的価値の高い建造物(重要文化財含む)が数多く配置されている。
三溪が存命中は新進芸術家の育成と支援の場ともなり、近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれている。

広大な敷地に約20年をかけて造成したという、熱意と構想の大きさ。
明治の人ならではの気宇壮大を感じる。

歴史的価値の高い建造物(重要文化財含む)が数多く配置されているが、開園時の建造物で第二次大戦で焼失した建物もかなりある。
全てが失われていない姿を想像すれば見事なものだ。
それだけの財力は生糸貿易によるから、生糸は明治時代に一大産業でそれによって日本の発展がなされたことを知る。





旧燈明寺三重塔【重要文化財】1457年(康正3年)。
園内のほぼ全域から、その姿を見ることができる三重塔は三溪園を象徴する建物。 三溪園には、1914年(大正3年)に移築された。





旧東慶寺仏殿【重要文化財】江戸時代初期
鎌倉の東慶寺にあった仏殿で1907年(明治40年)に移築された。
禅宗様の特色を色濃く残す数少ない建物。







旧矢箆原家住宅【重要文化財】1750年頃(宝暦年間)。
大きな茅葺屋根が印象的な合掌造の民家。
岐阜県大野郡荘川村岩瀬(白川郷)にあったが、ダム建設により三溪園に寄贈されることになり、1960年(昭和35年)に移築された。

萱葺き屋根と木材の保護のため一年中火を絶やさない。
煙が防虫の役目を果たす。

室内の花を活ける・囲炉裏の碑を絶やさない・清掃・案内などの作業はボランテア活動によってなされているとのことだ。

大池と旧燈明寺三重塔





鶴翔閣(旧原家住宅) 
1902年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりとした。
広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成される。



臨春閣 【重要文化財指定】 1649年(慶安2年)



松風閣
海側の小高い丘に建つ展望台。
戦前は洋風の別荘の様な建築が在ったが戦災で焼失。
現在は、近くに展望台がある。
ここから風景、今や石油タンクが林立するが、当時は素晴らしい海岸線を望めたであろう。

紹介した建物は全体の半分位。
何度かに分けて観て丁度と云う感じだ。
四季折々楽しめる庭園だ。
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波乱万丈の氷川丸@山下公園地先

2015年10月03日 10時06分30秒 | 博物館
波乱万丈の氷川丸@山下公園地先





昭和34(1959)年、氷川丸に乗船しアメリカに留学するT君を見送りにご家族と一緒に横浜に来たのは、今から56年前のことだ。
氷川丸は翌年の1960(昭和35)年には引退しているから、ほぼ最後の航海に近い。
船の寿命は約20年といわれ、1930(昭和5)年に竣工し、すでに船齢30年を経て、スクラップにされても不思議ではなかった氷川丸だったが、横浜港開港100年という節目に合わせ、新たに建設されるマリンタワーと共に港町横浜のシンボルとして生き続けることになった。

氷川丸は山下公園のシンボルのようで、目にはするが、乗船して内部を見てみようとは思わなかった。







2008年「日本郵船氷川丸」博物館としてリニュアールオープンした。



受付の脇には、日比野克彦さん制作の「段ボールの氷川丸」がお迎え。

パネル等で歴史を紹介。

1930年、三菱重工業横浜製作所で生まれた氷川丸は、総トン数1万1622トン、全長163.3メートル、船幅20.12メートル、船速18.21ノットという、当時の造船技術の粋を集めた、最新鋭の貨客船だった。

*大洗~苫小牧の大型フェリーが大洗港に停泊しているのを見慣れた目では、随分小さな船、これで太平洋を航行するのはさぞ揺れたことだろう、等と思っていたが、乗船してみると大きく感じられた。

氷川丸は日本郵船の太平洋横断シアトル航路の貨客船として就航した。
太平洋戦争中は、日本海軍に徴用されて主に南方での病院船として用いられ、終戦後は復員輸送のための引き揚げ船の役目を担った。

1953(昭和28)年には11年ぶりにシアトル航路に復帰。
引退までに太平洋横断254回、船客数2万5千余名を越えた。







2008年のリニュアールにより一等食堂・一等社交室・一等客室などが当初の姿に復元された。



エンジンの音が聞こえてきそうな機関室。

現在の大型豪華客船とは比べようはないだろうが、材料の鉄はイギリスから、エンジンはデンマーク製、内装デザインはフランス製と贅を尽くした。
デザインやインテリアはアール・デコを基調とした。

海外留学が珍しい時代に高校生で留学し、東大を卒業後商社に勤務、ニューヨーク・モスクワに勤務したのち子会社に出向、出張先のロンドンで客死したT
君。「何れ一緒に旅しよう」と話したこともある。

波乱万丈の昭和を生き抜いた「氷川丸」に乗船し、亡きT君の思い出がよみがえった。
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