山田寺跡@桜井市山田
東京藝術大学大学美術館で11月24日まで開催された「興福寺仏頭展」。
白鳳の笑みを充分に拝見することが出来た。
この仏頭は、大化の改新で名高い蘇我倉山田石川麻呂が、641年に建設をはじめた山田寺の本尊として678年(天武天皇7)に鋳造された丈六仏像。
この像の故里を拝見したいと山田寺跡に。
(跡地の脇に小さなお堂が建っている)
飛鳥の中心部を西に望む丘陵に立地し、塔、金堂、講堂跡の土壇や礎石が良好に保存されている。
本格的な発掘調査は1976年(昭和51)に開始され、南から南門、中門、塔、講堂が一直線上に配列された伽藍(がらん)であることが判明した。
1982年の発掘調査によって、その東回廊が、倒れた状態で地中に埋もれているのが見つかった。
1,000年もの間、地中に眠っていた建築部材は、脆くこわれやすくなっており、保存処理に、14年という歳月がついやされた。
これらは、山田寺跡から歩いて10分足らずの「飛鳥資料館」に展示されている。
飛鳥の文化財を調査・研究する「奈良文化財研究所」の展示施設で、昭和50(1975)年に開設された。
沢山の出土遺物や模造品が展示されており、飛鳥の田園風景の地下には、「日本書紀」に記された世界が、時を止めたまま埋もれていることが良く分かる。
山田寺の屋根に葺かれていた瓦は、「単弁単子葉」と言う独特の紋様。
東京藝術大学大学美術館で11月24日まで開催された「興福寺仏頭展」。
白鳳の笑みを充分に拝見することが出来た。
この仏頭は、大化の改新で名高い蘇我倉山田石川麻呂が、641年に建設をはじめた山田寺の本尊として678年(天武天皇7)に鋳造された丈六仏像。
この像の故里を拝見したいと山田寺跡に。
(跡地の脇に小さなお堂が建っている)
飛鳥の中心部を西に望む丘陵に立地し、塔、金堂、講堂跡の土壇や礎石が良好に保存されている。
本格的な発掘調査は1976年(昭和51)に開始され、南から南門、中門、塔、講堂が一直線上に配列された伽藍(がらん)であることが判明した。
1982年の発掘調査によって、その東回廊が、倒れた状態で地中に埋もれているのが見つかった。
1,000年もの間、地中に眠っていた建築部材は、脆くこわれやすくなっており、保存処理に、14年という歳月がついやされた。
これらは、山田寺跡から歩いて10分足らずの「飛鳥資料館」に展示されている。
飛鳥の文化財を調査・研究する「奈良文化財研究所」の展示施設で、昭和50(1975)年に開設された。
沢山の出土遺物や模造品が展示されており、飛鳥の田園風景の地下には、「日本書紀」に記された世界が、時を止めたまま埋もれていることが良く分かる。
山田寺の屋根に葺かれていた瓦は、「単弁単子葉」と言う独特の紋様。