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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

日光東照宮

2020年09月11日 21時20分39秒 | 
日光東照宮



8月下旬から9月の上旬にかけて、中学・高校時代を共にした3人で2泊3日の旅をするのが恒例となっている。
今年は四国か淡路島辺りを候補としていたが、新型コロナウイルス感染症の蔓延で見送った。
昨年(2019)の「日光の旅」の記録が未だ出来ていない。
1年遅れたので記憶はあいまい、写真を基に雑駁な思い出を。

徳川家康がまつられた「日光東照宮」の拝観券売り場。
1年前は大混雑だったが、コロナ禍の今年はどうか?



「日光山輪王寺」
創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。
国宝、重要文化財など多数の文化財を所有し、徳川家光を祀った大猷院霊廟や本堂である三仏堂などの古建築も多い。
日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれるのは明治初年の神仏分離令以後のこと。
大半の観光客は「輪王寺」を拝観せず「東照宮」へ向かう人が多い。
今回の我々もそうだった。(僕は何年か前に一度拝観した。)



世界遺産「日光山内の社寺」案内図



東照宮の入り口に聳える「五重塔」
最初の五重塔は、慶安3年(1650)に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進したが、文化12年(1815)に焼失した。
その後、文政元年(1818)に十代藩主酒井忠進が再建したのが現在の五重塔。
高さは36m。



現在の社殿群は、そのほとんどが寛永13年3代将軍家光による「寛永の大造替」で建て替えられた。
境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並ぶ。



神厩舎・三猿。
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩。
昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、
中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が有名。



「陽明門」前の三爺。



2017年3月に平成の大修理を終えた日光東照宮・陽明門。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。



唐門
全体が胡粉で白く塗られ、細かい彫刻がほどこされている。
奥が、本殿と拝殿。

神輿舎
源頼朝、徳川家康、豊臣秀吉の神輿が収められている。



本地堂の「鳴龍」
Tさんは高校時代に父親と一緒に日光を訪ね、本地堂の天井に描かれた「鳴龍」の音に感激したことが、大学で音響工学を学ぼうとしたきっかけだったのこと。
本地堂は1961年の火災で焼失し、現在のものは再建されたもの。
(Tさんが訪れた時は焼失前ということになる。)

トロイ遺跡@トルコ

2020年05月13日 12時38分11秒 | 
トロイ遺跡@トルコ










小~中学の頃、畑から出土する縄文土器の破片集めや、古切手集めなどに興味を持った。


中学か高校生の頃、シュリーマン(1822-1890)の自伝『古代への情熱』《岩波文庫》を読み、彼のような人生を送れたらと思ったことが有る、遠い過去の記憶。




同じ頃に、アメリカ映画「トロイのヘレン」(1955年)を見た。
当時は、ギリシャ・ローマ・エジプトなど、古代史の世界を映画化した作品が多かったようにも思う。




『古代への情熱』シュリーマン・関楠生訳(新潮文庫・平成15年)。




写真や図版も挿入されているので、岩波文庫で読んだときよりは分かり易い。
しかし、ギリシャ神話やギリシャ・ローマの歴史を知らないのだから、漠然と「トロイ」という名に憧れていただけなのだろう。

2008年に阪急交通社のパンフレットで「トルコ・ギリシャ」の旅を見つけた。
これまでシルクロード西へと向かい、敦煌・ウイグルなど未だのところも多いがウズベキスタンまでは行ったが、シルクロードの出発点・到達点で東西文明の交差点であるトルコと西洋文化の原点のギリシャへの旅。










12年前のことで、資料や写真も無くなってしまった。
前日に訪ねた「エフェンス遺跡」の印象があまりにも、大きく、見事だった。

シュリーマンは既に伝説の人。
評価はまちまちで考古学に詳しくなかったとか、10ヶ国語程度をこなしたのは虚偽だった。
など自伝にまつわる事項の真実は疑問視される事もあるようだ。
しかし、ホメロスの『イーリアス』『オデッセイ』の物語からギリシャに先立つミュケナイ文明の存在を明らかにした。
ミケーネ、トロイの発掘は偉大な素人と呼ばれようと、素直に評価して夢を持たせたままが良い。

この地に初めて集落が出来たのが、紀元前3000年ごろ。
以降、繁栄と没落を繰り返し、アレキサンダー大王もアテナ神殿を奉納した。
長期に渡って繁栄したので、遺跡は9層に分類されている。
トロイの戦い(紀元前12~11世紀)は第7層といわれている。
古代、間際まで来ていた海岸線は、はるか彼方だ。













旅は行く前の準備・旅の途中の様々な出来事・戻って時間を経過した頃に観る映像や書物に依って旅衣を反芻する愉しみがある。
大きな旅、日常生活の中でご近所歩きの小さな旅まで、全てが楽しい。

湯河原温泉@神奈川県足柄下郡湯河原町

2019年08月30日 23時54分47秒 | 
湯河原温泉@神奈川県足柄下郡湯河原町

森永博志さんが湯河原温泉の老舗「きび餅」の元祖・小梅堂の和菓子文化と百年にならんとする店の建築を紹介するお手伝いを始めた、と聞き湯河原に。



JR湯河原駅、



駅前の広場には大屋根の蓋い、天井からミストが散布されていた。
フリーのWi-Fiが使用可。



駅舎の一画に「観光案内所」。



手荷物預かり・レンタサイクル・土産品販売、住民票などの諸証明書の交付まで。
観光客と住民向けのサービスの複合施設。
水戸駅の観光案内所は少し貧弱、参考にしてもらいたいと思った。



足湯ならぬ「手湯」の無料施設。
さすが、温泉の街。

駅から温泉街の中心まで、約3㎞、バスで15分位。

湯河原温泉は万葉集に「足柄の土肥の河内に出ずる湯の 世にもたよらに子ろが言はなくに」と詠まれているという。



藤木川の流れに沿った温泉街の概略図。

修善寺温泉より規模は小さいが、似た雰囲気がある。

温泉街の中央の「観光会館」の一画に観光案内所が在る。
水戸市も街中に「観光案内所」が必要なことは当然で、三菱UFJ銀行の跡地建物は最適と思う。
予算がネックにしても、実現出来ないものか。



道路を挟んで、老舗にふさわしい風格ある店構えが「きび餅」の元祖・小梅堂。
1階の店舗の他に2階には贅を尽くした部屋が沢山あるとのこと。
何れ、公開を含め愉しいことを検討中らしい。



情緒ある路地に、温泉旅館が連なる。



風格ある木造建築の高級旅館。



日帰り温泉、足湯、などの温泉施設も。

万葉公園には足だけの温泉施設「独歩の湯」などユニークな癒しの泉。





「町立湯河原美術館」
老舗旅館を改装し湯河原にゆかりあった竹内栖鳳や洋画家・安井曾太郎、三宅克己などの作品を集めた美術館。
  


「湯河原芸妓屋組合」の看板。
湯河原には芸妓さんが健在のようです。



隣の真鶴町の半島の岬には「中川一政美術館」(2013年訪問)も在る。



さらに先隣りのJR東海道線唯一の無人駅「根府川駅」で下車すれば写真家で現代美術作家の杉本博司が手がける複合文化施設「小田原文化財団 江之浦測候所」が2017年にオープンした。
予約制なので訪問は叶っていないが、足を運びたい場所。

湯河原には元首相・細川護熙の自邸「不東庵」が在る。
晴耕雨読の文人生活を楽しんでおられるようで、陶芸作品や書作品が発表される機会も多い。

文人墨客や画家を魅了した湯河原への興味は尽きない。

小梅堂のきび餅@湯河原温泉

2019年08月20日 07時44分08秒 | 
小梅堂のきび餅@湯河原温泉








森永博志さんが湯河原温泉の老舗「きび餅」の元祖・小梅堂の伝統ある和菓子文化と百年にならんとする建築空間を紹介する仕事のお手伝いを始めたと聞き、どの様な店かと思っていた。

森永さんが単行本で紹介した店や人物を訪ね歩いてきた。
そこからの波紋も愉しい。

18日に大佛茶廊閉店に伴う什器のガレージセールの予定を急遽変更、湯河原まで足を伸ばし帰途に鎌倉とした。

温泉街のほぼ中央、老舗にふさわしい風格ある店構え。





元祖・きび餅は、きび粉と白玉でつくった餅にきなこをかけたお菓



きび餅のみならず、かるかん饅頭・二色団子など多くの和菓子を手作りしている。

保存料は使用しないので、甘味や塩味は濃い目である。



図らずも、四代目店主の小松健樹さんがおられた。

小松さんは森永さん著作『ONE PLUS ONE』(2009年刊)にも登場している。
当時は渋谷109に「LOVE BOAT」展開、社会現象ともなるギャルファッションの草分けだった。

森永さんの知り合いです、と名乗ったので、忙しい時間帯にもかかわらず相手をして下さった。

森永さんの協力で「小梅堂」の歴史や文化を伝える小冊子を刊行しようと目論んでおられるようで、宮大工の匠の技に満ちた二階座敷も公開したいとのこと。
万葉集に詠われ、文豪墨客に愛された湯河原温泉の魅力を伝える一翼を担う覚悟だ。



売り場の一画に冷たいお茶も用意されている。
湯河原観光の手土産は「小梅堂」の和菓子が定番。

「聴水庵・まえぐら」@常陸大宮市長倉

2019年07月10日 09時25分51秒 | 
「聴水庵・まえぐら」@常陸大宮市長倉





水戸藩時代の川番所を改修した「聴水庵・まえぐら」
川番所とは聞きなれない名前だが、川を上下する人や物を見張った関所。
当時の物流は水路が主だったから水運の要所に設けた。
ここは、郷士待遇の塙家が務めていた。





今は常陸大宮市だが、旧・御前山村長倉は「関東の嵐山」を望む景勝の地。
那珂川に張り出した岬状の突端、上流から下流までよく見渡せる。
崖の上で、川面までの高低差もかなりある。
対岸までの川幅は広い。
雨模様でアユ釣りの船影は見えなかった。



階段や石垣など幕末から明治にかけての隆盛と匠の技を感じる。





和種から洋花まで、屋敷内のあちらこちらと沢山の花々が植えられている。



那珂の清流を背にした番屋の室内。
山本さんが持参の携帯型電熱鍋で、肉や野菜を焼きながらの昼食。
食材は途中のスーパーで調達。



元「旅ブラ」という旅行会を主宰し、今は「さわやか交通」つくば営業所の山本 哲士さん。
同じく「さわやか交通」水戸営業所の髙木昌樹さんは〈いばらき観光マイスターS級〉の認定を所持している。
「さわやか交通」はタクシー業務だが、個人・グループの貸し切り観光の利用者が多い。
ドライバーが親切という評判だ。



山本さんとの縁で偶々同行した3人だが「サントピア水戸」8階のサウスコアでのコンサートなど、共通する街ネタで盛り上がった。

運転は酒を飲まない山本さん任せ、高木さんと小生は昼酒を。
爽快な川風が吹き抜ける眺めの良い部屋で、時空を超えたご機嫌なひと時を過ごした。
山本さん、高木さん有難う御座いました。

天然記念物の大鷲を観察に@東茨城郡茨城町網掛「網掛公園」

2019年02月19日 20時25分29秒 | 
天然記念物の大鷲を観察に@東茨城郡茨城町網掛「網掛公園」








2015年、国際的に重要な湿地の保全を目指す「ラムサール条約」に登録された涸沼は水鳥の聖地であり猛禽類の楽園である。
特に、1月から春一番が吹く3月中旬頃まで、越冬のため国の天然記念物であり絶滅危惧種のオオワシがシベリアから飛来する。
関東近辺では涸沼を含め、3か所とか。

「Tabiぶら企画室」の2019年の第1弾は「春待つオオワシと初恋の味」
オオワシ観察の案内役が栗田健史さんと聞き及び、めったにない機会と参加した。栗田さんの探鳥歴は長く、鳴き声だけで名前が分かってしまう達人。
旅ブラでお会いしてから、ご一緒するのを楽しみにしている。


集合場所の「網掛公園」は、県道に入口の案内板が無いにも関わらず、駐車場には茨城ナンバー以外の車の多いにびっくりした。



「親沢の鼻」と向かい合う「弁天の鼻」につくられた公園。



白鳥やバンなどの水鳥が長閑に。

この日(2月16日)は風もなく穏やかな春の日差しは4月の陽気。



湖畔の堤防には長尺の望遠レンズをセットした探鳥マニアがズラリと並んでいる。

展望櫓の上から眺めたが、肉眼での目視は出来ない。



栗田さんの望遠鏡で木の上の大鷹に焦点を当て、辛うじて見ることが出来た。

上昇気流を上手くとらえて飛び立つらしく、観察時は動く様子なし。
とは言え、確認できたことで大満足。

後の情報では、間もなく飛び立ったとのことだ。
終日、観察を続ければ見られる可能性はある。




2016年2月21日(栗田健史さん撮影)

『涸沼に1996年から飛来しているオオワシ、今年で23年連続の飛来。
オオワシは日本で一番大きなワシで全長♂88㎝、♀102㎝。
翼開帳220-250㎝。猛禽類の特徴としてメスが大きい。
寿命は丸山動物園の人工的環境で52歳(推定)野生では20~25年と言われる。

成鳥には5,6年かかるとし、涸沼に姿を現したときは既に成鳥。
もう30歳前後?いつまで元気な姿を見せてくれるか心配です』
(栗田さん資料からの抜粋)


いわき市の平(たいら)@福島県いわき市

2019年01月28日 18時02分05秒 | 
いわき市の平(たいら)@福島県いわき市



富岡の「東京電力廃炉資料館」を訪ねる前に、いわき市の平(たいら)の街が懐かしくなり「JRいわき駅」で途中下車し、駅の周辺を散策した。





駅から国道方面を望む。
右手が2007年にオープンした「いわき駅前再開発ビル」
百貨店「大黒屋」跡地の公共・商業施設の複合ビル。
いわき駅と2階部分がペデストリアンデッキで接続されている。



今は亡きQさんの生家、パチンコ屋さんに貸していた。
パチンコ屋は既に閉店した感じだ。
かって、奥には帰郷時の自宅もあった。
今は誰の所有か?
漫画とjazzが好きだったQさんが亡くなって30年を越えた。
仕事・住まいは水戸でも故郷を愛し街や友人を誇りにしていた。

浜通りと呼ばれる「磐城」と「水戸」は交通の流れにより繋がりは強い。
磐城を故郷とする先輩たちもが多く、話題になることもあって「平」に立ち寄りたくなるのかもしれない。



舗道に彫刻作品が。
「いわき市立美術館は」地方の美術館としてユニークな活動をしいる。
アートの在る街を目指しているのか。



Qさんが案内してくれた石蔵をリノベした「ジャズ喫茶」、内装の斬新さに驚いた。
今は経営者も変わり、レストラン喫茶として営業中だった。





そこに連なる蔵を「百澤通り」として再開発され商店街に。



明治時代は砂糖商の店舗と蔵だった、との説明版が。

この前の通りが明治頃から昭和にかけての「浜通り」で目抜き通り。
多くの老舗が軒を並べた面影が残る。





明治か大正の袖蔵が付いたレンガ作りの見事な蔵と店。
ここは知人の親類の大きな金物店で、何度か訪ねたが今では他人の所有に。
人も物も時代と共に変わってゆく。

いわき湯本温泉@福島県いわき市

2019年01月27日 20時53分19秒 | 
いわき湯本温泉@福島県いわき市



JR常磐線「湯本駅」駅前のブロンズ像。

駅前から温泉街に通じる道に9体のブロンズ像が設置されている。
どの様な趣旨で設置したのかは不明。




歴史の古い温泉で、古くはこの地を「佐波古」と呼んだ。
「三函(さわこ)の湯」とも呼び有馬・道後と共に「日本三古泉」のひとつと称している。












駅前を含め数か所の「足湯」は無料で利用できる。



野口雨情童話館
野口雨情は北茨城の出身で磐城の人ではないが、病気療養のためにこの湯本温泉を訪れたことに由来する記念館。
残念ながら、この日は休館日だった。

市営の共同浴場が3軒在る。



その中の「さはこの湯」は20年ほど前に建てられた。
江戸時代末期の建築様式を再現した建物。
入浴料は200円だった。
42度以上の熱さだろうか肩迄入れなかったが、入浴後は気分爽快だった。



「さはこの湯」前のお寺は「温泉山・惣善寺」

駅前から山側に、温泉通り沿いに温泉街が広がる。
往時の賑わいは感じられない。



有名温泉旅館の1つ。

江戸時代には陸前浜街道唯一の温泉宿場町として非常に栄えた。



道路標識には水戸城下まで20里と記されてあった。




往時の賑わいの絵図。




温泉神社
古くは、佐波古神社とも呼ばれた湯本温泉のシンボル的な神社。

駅に近い所のカレー屋さんで遅めの昼食。




ラムのカレーがあった。
特大のナンもとても美味しかった。




インドカレーの店は、大体がバングラデッシュかネパール人。
開店したばかりらしいが、ネパール人とのこと。



駅に近い共同浴場「みゆきの湯」
こちらは炭鉱の町として栄えていたころのレンガ工場をイメージした建物。
介護浴室もあるとのことだ。


●いわき湯本温泉「スパリゾートハワイアンズ」は、日本を代表する温泉テーマパークだ。50年間の開業時は「常磐ハワイアンセンター」その頃に、一度訪れたことがある。


ホルモン料理「第一亭」@横浜市中区日ノ出町1-20

2019年01月24日 19時09分23秒 | 
ホルモン料理「第一亭」@横浜市中区日ノ出町1-20



2年前にFさんご夫妻から、横浜・野毛の「食べ物横丁」の屋台風のフランス料理屋に招かれご馳走になった。

桜木町から山側に徒歩で10分足らずだが、第二次世界大戦終結直後に伊勢佐木町や港湾施設など、横浜市の中心部の大半が進駐軍に接収されていた時代でも、野毛は日本人街の中心として機能していた名残で、今でもレトロな飲食街が広がっていた。

以来、横浜に行けば立ち寄るようになった。

鎌倉の大佛茶廊~東慶寺を巡っての帰途、桜木町で下車し大通りを京急の「日の出町駅」方面へと歩いてみた。





野毛の端っこ、日ノ出町駅に近い路地に「台湾料理・第一亭」の暖簾と看板。



「第一亭・ホルモン料理・豚足・豚耳・豚舌・豚頭肉」の立て看板。

モツ料理大好き人間にとっては絶好の店。
牛タンならず豚タン、というのも好奇心を煽られる。

暖簾の前に待つ人がいたが、並んでも入りたい。
さほど待たずに、入店できた。



広くはないが、カウンターとテーブル席と小上がりの昔ながらの中華店。



豚舌。
豚のタンを、じっくりと茹で上げてあるのでとても柔らか。
歯ごたえある牛タンとはまるで異なる。
粗く切ったネギとニンニクの効いたピリ辛味噌が添えてある。



チート(豚胃)のしょうが炒め。
豚の胃袋を細切り生姜とともに塩味で炒めてある。
これも柔らかな食感、水溶き片栗粉でトロミを付けてある。
ご飯の上にのせれば、あんかけ丼ぶり。



パタン(つけ麺)
茹で麺を冷水で洗い、ゴマ油で和えた平打ち中太麺にニンニク、刻みネギ、香菜が盛られ、醤油スープに浸けて食べる。

何れも、ニンニクがタップリと効いている。

3皿食べて十二分に満足、食べ過ぎの感あり。

桜木町迄の帰り道は路地裏を探検。



舗道まで広がる立ち飲み屋も多い。



イギリス風なパブもある。



マグロや魚をウリの店も。



ジャズの街としても知られ、jazz喫茶も多い。



オールナイトのピンク映画館が2館併存している。



ソープランドも3軒くらい目にした。

飲み屋・食べ物や・ピンク等が混然一体として存在するディープな街だ。


深大寺の釈迦如来倚像@東京都調布市

2018年09月24日 21時16分35秒 | 
深大寺の釈迦如来倚像@東京都調布市



●平成27年7月18日~9月23日に奈良博で開催された「白鳳展」には全国の「白鳳仏」が参集し白鳳時代の素晴らしさを体感できた。

関東からは深大寺と龍角寺の白鳳仏も出展されたが、どのような場所に在るのかも知りたかった。
龍角寺は2017年5月の「旅ブラ」で訪問したが、深大寺は未だであった。
本年7月24日に深大寺を訪れた。少しばかり時間が経ってしまったが。思い出しながらの訪問記。



三鷹駅からバスで深大寺に向かったが、吉祥寺の方が便利だった。



「深大寺そば」で有名な参道。



山門
元禄8年(1695年)に建てられた深大寺で最も古い建造物。

深大寺には著名な歌人や俳人の碑が沢山在る。



清水 比庵(しみず ひあん、1883年(明治16年) - 1975年(昭和50年)
歌人・書家・画家・政治家と多才な方だった。この方の作品は、川又南岳さん宅で初めて拝見した。



本堂



本坊・旧庫裡。
茅葺で江戸時代の建物に感じた。



釈迦堂。
ここに安置されているが、耐火建築の収蔵庫を兼ねている。





銅造釈迦如来倚像。
1909年(明治42年)に元三大師堂の壇の下から発見された。
像高(坐高)60.6センチ、全高83.5センチ。
童児の様に可憐で、眉から鼻に連なる線は清々しい。
後藤清一さんの仏像なども、白鳳仏の影響を感じる。



関東地方の白鳳仏として、龍角寺(千葉県印旛郡栄町竜角寺239)の薬師如来の仏頭も共通の要素がある。

2017年5月の「旅ブラ」で龍角寺を訪れた時の堂宇を思い浮かべた。
山田寺式の創建当時の瓦も素晴らしかった。



深大寺は湧水の多い国分寺崖線の崖面に抱かれるように立地し、現在でも境内に複数の湧水源をもつ。

崖線の上に深大寺の墓所が在る。



安東 次男【1919年(大正8年) - 2002年(平成14年)】の墓。
日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家・俳号は流火艸堂。





古美術蒐集家でもあり『古美術拾遺亦楽』(新潮社、1974年)
骨董に入門当時、この本から影響を受けたので、思い出が多い。

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」@兵庫県立美術館

2018年09月22日 06時02分09秒 | 
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」@兵庫県立美術館



2002年に開館した兵庫県立美術館。
北側の正門は改築中で、南側からの入場口へ迂回。



海に接するなぎさ公園に面して、南側の入り口。



石段を背に、ヤノベケンジが制作した高さ約6メートルの少女のオブジェ「サン・シスター」が立っている。

ヤノベケンジが原発事故からの復興を願い製作した防護服姿の子ども像「サン・チャイルド」が設置された福島市は風評被害を増長すると撤去することになった。と最近報じられたが、何故なのか?理解に苦しむ。













今回はディエゴ・ベラスケス(1599-1660年)の作品7点を軸に、17世紀絵画の傑作など61点を含む70点(うち9点は資料)が展示されていた。
国立西洋美術館 (東京・上野公園)での開催に次いでの移動展、上野で見逃したのを神戸で見ることが出来た。



バリアフリーが重要視される点から言えば、展示空間と移動の動線に関し、幾らか難ありと感じた。

●台風20号の影響でスカイマークが欠航となったので、急遽、夕方の新幹線で戻ることに変更したので神戸市内を貸自転車で巡ることとなった。
予定の通りに進まないのが旅の楽しさだ。

ーーー





●サグラダ ファミリア教会・グエル公園などガウディの建築物を見たいと、2010年にスペインに旅した。
プラド美術館と近くのソフィア王妃芸術センターも観はしたのだが、

三十三間堂(蓮華王院本堂)@京都市東山区

2018年09月20日 18時16分30秒 | 
三十三間堂(蓮華王院本堂)@京都市東山区





京博の「平成知新館」の拝観がやっと実現した。
道路を挟んだ三十三間堂の諸仏『風神と雷神は左右が入れ替わり二十八部衆像も13体が改名され、配置順も変わる「平成の大再編」となった』が7月に報じられたばかりだ。



三十三間堂(蓮華王院本堂)は後白河上皇のため平安末期に創建された寺院の本堂。桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備されたという。

洛中の建物の中では大報恩寺本堂に次いで古く、鎌倉時代にまで遡る建物はこの2棟のみという歴史的な建造物なのだが暫くご無沙汰している。
台風の影響を心配したが、この時点では風雨は収まっているので拝観することに。

三十三間堂には1001体の千手観音立像が安置されているが、笠間時朝が建長5年(1253年)と文永元年(1264年)に寄進した千手観音(120号像・169号像)が鎌倉時代のもので寄進者が確実に判明しているのはこの2体だけ。
という因縁もある、今回、何処に安置されているのか探したが確認は出来なかったのは残念。





築地塀(太閤塀)(重要文化財)- 桃山時代。
豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀、現境内の南端を区切る。
方広寺大仏殿が創建された時、蓮華王院も方広寺の境内に含まれたため、その工事に伴って築造された。当時の寺域の広大さがうかがえる。



南大門
豊臣秀吉が建立した方広寺の南門を、その子豊臣秀頼が現在の位置に移築した。


京都国立博物館「爺3人・紀伊半島1周の旅」其の9

2018年09月19日 09時16分47秒 | 
京都国立博物館「爺3人・紀伊半島1周の旅」其の9



宮内省内匠寮技師片山東熊設計の旧・帝国京都博物館本館の明治古都館(旧称・本館)。

念願であった「MIHO MUSEUM」の見学を終えて、今回の3人旅の解散地点、京都に向かう。
台風の影響を考慮し、予定を前倒ししたので京都には4時前に着きそうだ。
そこで、京都国立博物館の前まで送ってもらって、そこで散会することに。

大阪を出て2泊3日、約700㎞の伊勢半島周遊の旅も無事完結。
Tさんは大阪に、Fさんは新幹線で新横浜に、僕は「京博」を観てのち宿泊地の神戸に向かう。
お二方が交代で運転してくれたので、僕は坐ったまま。
お陰様で、楽しい旅でした。





2013年に竣工した「平成知新館」は初めての入館。
5年以上訪れていない、ということだ。

明治古都館は特別展示館として利用され、平成知新館は平常展示、として利用される。

今回は特別展は開催されていないので、平成知新館の平常展示。





3階 陶磁 考古
2階 絵巻 仏画 中世絵画 近世絵画 中国絵画
1階 彫刻 特別展示室 書跡 染織 金工 漆工

3階建て、展示空間も広くなったので部門ごとに分けられて見易い展示ではあるが、何故か物足りなさもあった。





旧・常設展示の入り口に在った、山上鎭夫さん旧蔵「農夫埴輪」
が考古部門の埴輪として唯1点展示されていたのは懐かしく、嬉しかった。

1時間足らずで、館内を概観しただけではあったが「平成知新館」を観ることが出来たのは幸いだった。

伊勢神宮内宮参拝「爺3人・紀伊半島1周の旅」其の8

2018年09月17日 20時12分36秒 | 
伊勢神宮内宮参拝「爺3人・紀伊半島1周の旅」其の8



宇治橋の大鳥居の前で。

台風20号(関西地方に大きな被害をもたらした21号の約1週間前に上陸)の北上に追われるように、串本から那智の滝を拝観し伊勢神宮の内宮に向かった。



手水舎・御手洗場。
伊勢神宮の手水舎は別格ですね。



あらゆる柱に榊が供えられているのは、伊勢神宮ならでは、なのでしょう。





皇大神宮・内宮、





「おはらい町」。
伊勢神宮・内宮前の門前町が「おはらい町」
宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800m の美しい石畳の門前町。
伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねる。



「おかげ横丁」
「おはらい町」の中間地点に、伊勢名物・赤福餅が1993年(平成5年)に大正時代頃の建物などを移築し作り上げた人工的な町だが、昔から存在していたかのようだ。
伊勢特有の町並みである妻入の建物や伊勢河崎の蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築した28の建造物群が並ぶ。

台風の影響が出ないうちにと、残念ながら外宮参拝をショートカット。

今年の3月、念願かなって訪れた外宮前のフランス料理店「ボンヴィヴァン」にも立ち寄りたいと考えていたのだが。

本日の宿、鳥羽に。



伊勢湾の中だから、穏やかに見えた。



車中やホテル着後、風雨が強いところもあったが、さほどの影響がなかったのは幸いだった。

「大佛茶廊」野尻 芳英さん@鎌倉市雪ノ下1-11-22

2018年09月14日 17時08分04秒 | 
「大佛茶廊」野尻 芳英さん@鎌倉市雪ノ下1-11-22





ストレイシープの世田さんの紹介で、昨年3月に鎌倉の「大佛茶廊」を訪ねた。



茅葺屋根の数寄屋建築と四季の草花の植えられた庭園。
室内の調度をはじめ隅々まで行き届いたサービス。
古都・鎌倉にふさわしい茶店として魅せられた。



「大佛茶廊」の営業時間は、土日祝日の 正午前より日没まで。
従って、鎌倉訪問は茶廊の営業日時が主で、茶廊の前後に鎌倉を観光する
様になった。

今回は、開店前に長谷寺を拝観した後の11時半に訪問した。

築100年の古民家風な数寄屋建築の佇まいに身を置く優雅なひととき。

各所に生けられた野の花を拝見できるのも嬉しい。

庭で或いは室内で、抹茶や珈琲・紅茶などが提供される。

若干のアルコールもメニューに。



地ビール「鎌倉ビール」の新ブランド。
「大仏(だいぶつ)」と読み「大佛(おさらぎ)」ではありません。

オーナーの野尻芳英さんのお話を伺うのも楽しみの一つ。
野尻さんは、大佛次郎(1897年 - 1973年・本名は野尻 清彦)のお孫さん。
本業はコピーライターなど広告業界だが、服飾業界にも幅広い人脈を持ち、メンズ・ウエアのご意見番として原稿執筆など幅広い活躍をされている。



世界中のダンディを撮り続けているアメリカの女性写真家の写真集に、昨年登場した。お洒落が身に着いているお方である。



メニューにはないが、試作品のコーヒーウオッカのカクテル。
珈琲豆から自家製作したリキュールを使用してある。



ガラスケースの中には作家として、時には、鎌倉の景観保護に尽力した大佛次郎の写真や資料などが展示されてある。

横浜の「港の見える丘公園」には「大佛次郎記念館」が在る。
横浜市に寄贈された、図書約36,000冊・雑誌約58,000冊特別資料(自筆原稿・自筆資料・書簡等)。
美術、台本や地図等の関連資料、遺品など約17,000点が常設、或いは企画として展示される。





「I Love スポーツ。大佛次郎 ~スポーツマン作家 10のストーリー」展
2018年7月14日(土)~ 11月11日(日)。