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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「古道具・坂田」坂田和實さん

2013年04月15日 21時09分25秒 | Weblog
「古道具・坂田」坂田和實さん

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JR目白駅から徒歩5分、目白通りの1本裏の住宅街にひっそりと存在する「古道具・坂田」骨董店或いは古美術店の類だが、そう呼ぶのも適切でなく店主の言う「古道具屋」で良いのかもしれない。

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1973年の開店当時から一部の人達には絶大な人気を博してきたが「芸術新潮」の連載が『ひとりよがりのものさし』(2003年・新潮社)として刊行されて多くの人達に知られるようになった。
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2012年10月3日 ~11月25日 に渋谷区立松濤美術館で開催された「特別展 古道具、その行き先-坂田和實の40年-」は幅広い人たちの共感をよんだ。
特に若い男女のカップル、或いは、若い女性のグループが目立ち、現代美術の展覧会の様な雰囲気だった。

この展覧会は過去40年に渡って坂田さんが販売した品々を収集家から借り出して構成されたもの。
日本はもとよりヨーロッパ・アジア・アフリカ・南米などでつくられた道具や器、人びとの生活のなかで使い込まれ、愛でられた品々。
割れたり欠けたり、壊れて捨てられてしまった品でも拾い上げて美しさを見出す。『美』とは存在するのではなく、見いだすことを体感できた。

松濤美術館での展覧会から約半年、久し振りに「古道具・坂田」を訪ねた。

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入口の白のヤマブキ。


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何時も変わらぬ自然体の坂田さん。(写真が良く撮れなくて申し訳ありません)
こちらの質問に誠実に答えて下さる。

展覧会の感想として、白井晟一設計の松濤美術館の展示空間と展示品がベストマッチであったこと、古美術に縁のなさそうな人達が多かったことなどを述べたが、坂田さんにとっても予想外なことが多かったようだ。

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店内の展示品。

坂田さんが見出したような、人それぞれの『美の物差し』が既定の美の基準を変えるのは嬉しいことだ。




鯉とうなぎの「まるます家」@北区赤羽1-17

2013年04月12日 21時13分42秒 | Weblog
鯉とうなぎの「まるます家」@北区赤羽1-17

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今回の上京では、今まで気になっていた居酒屋に行くことが出来た。
門仲の「魚三酒場」は午後4時開店で即満席、とメニューの豊富さと「何故、自宅で調理するより安いの」と思うほどの安値に驚いた。

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翌日、訪ねた「鯉とうなぎの・まるます家」は早朝7時から営業しており、常時、満員との話。JR赤羽駅の近く「1番街」と言う商店街の角店。
赤羽は交通の要所で乗降客が多く町工場も多い土地柄。

「鯉とうなぎ」などの川魚料理が売り物でナマズなどのメニューもあるという。

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夕方近い時間に訪れた。
隙間の狭い、縦長コの字のカウンターの作りは「魚三酒場」と同様。
この様なカウンター構成は多くの居酒屋に共通している。

その狭い空間で、店員さんが素早く、多くの注文に対応する。
鯉とうなぎが看板だが、ウナギの値上がりは激しい。
この店は原価ギリギリで提供しているようでかなり安い。

今回は食べなかったが、ナマズと共に次回は試したい。

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鯉のあらい、一般的な酢味噌で。
熱燗は、居酒屋の定番ガラスのコップで

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ドジョウの玉子とじ、ごぼうと三つ葉の味と香り。ごはんがほしい。

川魚料理が看板だが、その他のメニューもどっさり。
壁面に沢山の短冊状の御品書きが並び、何にしようか迷う。

「魚三酒場」と共通する雰囲気だ。
人口の多い都会だから可能な、価格と品数。

この様な店は、空いた席に座って一人のみが良いが、友人と一緒ならば、品数を頼める良さがある。
ここもまた、水戸に有ったらいいのに、と思える店だった。



朝日書店@江東区富岡1~5~5

2013年04月12日 13時59分39秒 | Weblog
朝日書店@江東区富岡1~5~5

魚三酒場は4時から開くが、開店前から並ばないとは入れない、と聞いていた。
富岡八幡、深川不動を参拝して3時前に店頭に至ったが、さすがに行列はない。

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隣に雑誌を並べた、何の変哲もない古書店が在ったので時間つぶしと思って入ってみた。
入ってみれば、明るい店内にずらり並ぶ雑誌や古書。
深川関連の書籍や船舶に関するものも揃えてあり、さすがに土地ならではの店。

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古い木版画や美術工芸、趣味、サブカルチャー、歴史書まで幅広く書棚に並んでいる。
ブックオフなどが普及して、古書が安価で手に入る様になったが、種類が限られているようで、若い人向けが多く中高年向けが少なくかんじる。
雑誌も豊富で、「芸術新潮」と「クウネル」のバックナンバー2冊を購入。

店員さんに、「隣の酒場来たが時間が早いので、入った」と話すと「そのような方も多いです」とのことだった。

レシートには「朝日書店」江東区富岡1~5~5とあったので、この辺、通称は門前仲町・「門仲」だが町名は富岡と知った。富岡八幡宮のおひざもとだから当然と云えば当然、

見ている内に時間が過ぎ「魚三酒場」への客の行列が出来た。
慌てて、最後尾に並んだが、その後も延々と続く。

居酒屋の脇に古書店、或いは、昔ながらの喫茶店。。
東京ならでは、だろうが、水戸にもほしい。


魚三酒場@門前仲町

2013年04月11日 19時22分44秒 | Weblog
魚三酒場@門前仲町

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繁盛している居酒屋は沢山あるだろうが、午後4時の開店前に何十人もが列をなし、開店と同時に満席。
という店は、ザラには無いだろう。
しかも、四階建ての全てのフロアー総勢100人以上か。
3階・4階は座敷で、下町散歩の打ち上げとしても利用されるらしく、団体さんが目立つ。

「魚三」という名前から推して、魚屋さんが経営しているのだろう。

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壁面にお品書きが下がっているが、種類が豊富でめっぽう安い。

先ずは、飲み物の注文を聞き、それから肴を注文。

先ずは瓶ビール。

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天然鯛の尾頭付きの刺身が600円程度、だった。
ビールはアサヒ、日本酒は「金亀」一銘柄のみ。

カウンターの中は人一人が通るスペースのみ。
その間を、忙しく店員さんが注文を聞き、届ける。
口が悪く愛想も無いが、親しみを感じる人柄のおば様。

毎日通う常連客が多いらしい。

わざわざ行く価値のある居酒屋であることは間違いなしだ。

『裸の島』新藤兼人監督@東京国立近代美術館フィルムセンター

2013年04月10日 19時05分54秒 | Weblog
裸の島@東京国立近代美術館フィルムセンター

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水戸芸術館の『お昼にちょっとクラッシック』に登場した御喜美江・アコーディオンコンサート。
単純なメロディーだが、心にしみる曲が演奏された。
新藤兼人監督の映画『裸の島」のテーマで林光の作曲とのことだった。



都内散歩の途中、国立近代美術館フィルムセンターでこの日(4月9日)午後7時から上映されることを知った。
井戸もなく、よその島まで水汲みにゆく瀬戸内海の離れ島に住む一家の物語。
全編、台詞なしで、単純なメロディーの繰り替えし。
音楽が重要な役割を果たしている。
殿山泰司、乙羽信子が夫婦で男の子二人の家族。
役者が演じているいるが、ドキュメンタリーのようだ。
題名の『裸の島』とはまさしく何もない島。
1960年の制作だが、当時の生活が偲ばれる。
確かに貧しい生活だが、誰もが似たような状況でもあった。
哀しい結末を迎えるが、これまた誰しもあり得ること。
コンサートで聞いた楽曲を、本編で観ることが出来た。
生きるとは何かを考える機会となった。

松本山雅FC戦 @ケーズデンキスタジアム水戸

2013年04月07日 11時37分17秒 | Weblog
松本山雅FC戦 @ケーズデンキスタジアム水戸


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今シーズンの初戦に勝利した柱谷監督率いる水戸ホーリーホック。
その後、勝ちゲームはなく6節はアウェーで福岡と対戦し1-1の引き分けだった。
6節終了時点で1勝3分け2敗の16位と低迷している。

今日(4月7日の7節)は松本山雅を迎えてのホームゲーム。
開幕以来、私ごとと試合日程が重なって、今シーズン初めての観戦となる。
低気圧の通過で強風が吹いているが、上位進出に向け、圧倒する試合であることを願って応援したい。

*残念でしたが1-2で負けました。
悪天候のためか入場者は2,513人、松本山雅FCのサポーターが多く、気合も入っていました。
水戸は本間幸司選手の欠場が響いてます。


『小さき 愛らしきもの』田島充著 生活の友社

2013年04月06日 00時40分34秒 | Weblog
『小さき 愛らしきもの』田島充著 生活の友社

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店頭の蹲に活けられた花と、ケースの中の信楽の五輪の塔。

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六本木ピラミデビル(東京都港区六本木6-6-9)2階・ロンドンギャラリーで開催された、展覧会の内容を伝えた本。
日本、中国、韓国。そして、陶磁器、工芸、絵画、彫刻などの様々な作品150点以上を網羅してある。

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手のひらの上で楽しめる小品の素晴らしさ、力強さが堪能できる。
大きいがゆえに貴いとは限らない。

何点かの素晴らしい作品に出会えた展覧会だった、
買えそうな値段ではないだろう、が残念ではあったが。

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ロンドンギャラリーの展示品ではないが、私の、ガラクタコレクション。
像高5㎝のハッダの仏頭。



貝母(バイモ)と漢時代の俑

2013年04月05日 22時44分58秒 | Weblog
貝母(バイモ)と漢時代の俑

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器は幕末の瀬戸の徳利と漢時代の俑。
俑の台座は、中国に行った際に拾ったセン(石偏に專だが変換出ない)

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葉は細長く、先端は巻きひげ状になる貝母 (バイモ)が咲き初めた。
中国原産で日本には薬用植物として入り、鱗茎を咳止めや、止血・解熱などの薬用に利用されたとのこと。
我が家には何時渡来したか知らないが、毎年可憐な花を咲かせる。

茶花として使われると云うが、一日花で、命は短い。
もったいないので、切り花にして活けた。



山上鎮夫さんの心象風景

2013年03月31日 21時30分13秒 | Weblog
山上鎮夫さんの心象風景

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水戸市内は、開花してから寒さが戻ったおかげで、桜が長持ちしている。
日曜とあって、冬並みの気温に関わらず千波湖畔を始め見所は多くに人で賑わっている。
ソメイヨシノの華やかさは認めるが、間もなく咲き始める山桜。
木々の芽吹きの合間に、山桜が咲く姿は真に美しい。
水戸市内の千波湖の南側の千波台地、逆川流域の山桜と新緑のコントラストは大好きな風景だ。
この風景は、山上さんが好んで描かれた水墨画を思い出す。
眼科医で古美術のコレクターでもあった山上鎮夫(1897-1993)さん。
ご自分のコレクションを『古陶小集』(昭和37年、1962)として出版しているが、自然を愛し、クラッシック音楽が大好きで、俳句も作られた。
『樹木曼陀羅』と題された句集も編まれたが、樹木の一つ一つに仏性が宿っている、と考えていられたのだろう。

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生前に山上さんの油絵や墨絵や鉛筆のデッサンを託された。
四季折々、山野を歩いた際のスケッチや、それを基に描いた心象風景。
新緑や紅葉の季節に取り出しては、自然を愛した山上さんを偲ぶ。

今日(3月31日)、 昨年5月に吉田秀和さんが死去して以来、空席となっていた水戸芸術館館長に小澤征爾さんが4月1日付で就任するとの発表を聞いた。


山居の細川護煕展@アートフェアー東京2013

2013年03月23日 21時30分36秒 | Weblog

「山居の細川護煕」展@アートフェア東京2013

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昨日、見逃してしまった「山居の細川護煕」展を見るため、今日もアートフェア東京2013の会場に足を運んだ。
2011 年 10 月 9 日(日)~2012 年 1 月 9 日に菊池寛実記念・智美術館で開催された「 胸中の山水 細川護煕展」を観た。
勿論、肥後細川家の第18代当主で元総理大臣、というレッテルや先入観念に洗脳されているのを割り引いても、素人離れした陶芸や書作品に心を打たれ、現代に生きる文人と感じた。

週刊誌連載の中国漢詩紀行などを読んでも、政治の世界よりも文人としての生き方が似合う方との感は強い。

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「 胸中の山水展」の展示が今回より充実していたとは思ったが、今回は移動・組み立て式で簡素な茶室や書斎を思わせる空間など、日常の暮らしを偲べる興味深い展示が在った。
この日は在庵していなかった、この場でお茶をたてることもしたらしい。

「美術を日常に」をテーマに構成された特別企画とのことだが、細川護煕氏の「美的生活」の一端を見ることが出来た。


「博物館でお花見を」@東京国立博物館

2013年03月19日 13時37分09秒 | Weblog
「博物館でお花見を」@東京国立博物館

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気温20度以上で初夏の陽気。
上野のお山の桜が一気に開きました。今週の末が見頃でしょうか。

東京国立博物館は恒例企画の「博物館でお花見を」。
本館の桜にちなんだ作品の展示。

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「吉野山図屏風」渡辺始興筆 江戸時代・18世紀 

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「色絵桜樹図透鉢」仁阿弥道八作 江戸時代・19世紀

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「飛鳥山の花見」鳥居清長筆 江戸時代・18世紀

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国宝・「花下遊楽図屏風」 狩野長信筆 江戸時代・17世紀

庭園開放(2013年3月9日~4月14日)

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オオシマザクラ


QOLって?

2013年03月18日 12時51分13秒 | Weblog
QOLって?

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つい最近「QOL」なる言葉を知った。

英:語の「quality of life」(クオリティ・オブ・ライフ)で一般的には、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念。

QOLの「幸福」とは、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。

またQOLには国家の発展、個人の人権・自由が保障されている度合い、居住の快適さとの関連性も指摘される。

「医療上におけるクオリティ・オブ・ライフ」が問題のようで、長期療養を要する疾患、ならびに消耗の激しい疾患や進行性の疾患では、いたずらな延命治療、患者への侵襲が激しい治療を継続することによって、患者が自らの理想とする生き方、もしくは社会的にみて「人間らしい生活」と考える生活が実現できないことが自覚された。
このような状況を「QOL (生活の質)が低下する」と呼んでいる。

以上は「ウィキペディア」からの知識だが、幅広い問題を含んでいる。
毎日を何気なく過ごしてしまっているが、生かされている有り難、命の大切さ、感謝の気持ちを忘れないことが大切と、あらためて思った。


寒蘭の鉢 @中西陶房・笠間市笠間2192-15

2013年03月05日 23時23分51秒 | Weblog
寒蘭の鉢 @中西陶房・笠間市笠間2192-15 

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中学・高校時代の同級生T君は大阪に転居したが、50年以上の交友が続いている。
先週末に来水し、笠間に行きたいとのこと。
彼の趣味は「寒蘭」の栽培と鑑賞で、自宅に温室を設け数百鉢を育てている。

水墨画に描かれる草木の代表を四君子と呼ぶが、蘭・竹・菊・梅のことで、蘭は、ほのかな香りと気品を愛でるが、特にスー?した葉の姿がポイントらしい。
「春蘭」は水戸周辺の野山にも自生しているので知っていたが、「寒蘭」は四国や九州など温暖な地に育つとのことで、全く知らなかった。

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栽培するには植木鉢が必要だが、笠間は「蘭鉢」の産地として有名と知らされた。
春蘭の鉢は丈が短く、寒蘭の鉢は丈が長いと云う事も知った。

以前は、笠間の陶房の多くが制作していたらしいが、現在は少なくなったようだ。彼は来る前に「中西陶房」に発注済で、今回は出来上がりを確認し、受け取りに来たのに同行した次第。

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中西陶房のご主人は三代目で73歳とのことだから、笠間では古窯であろう。
屈託ない職人の明るさを持ち合わせている方だった。

笠間焼には「蘭鉢」と言う特産品が有ることを知って、嬉しくなった。


みち

2013年03月03日 21時49分47秒 | Weblog
みち

みち


ホーリーホックの歩んでいく後ろに確固たる道を作っていく。もう一つに、『道(どう)』があります。柱谷監督の3年目、『サッカー道』を極めて、素晴らしいサッカーを展開します。さらに『未知』。J2でJ1経験の無い最古参のチームになりました。今シーズンこそは、J1という未知の旅を実現させたいと思います。
J1という険しい目標に挑戦するためにも、「サッカー道」ともいうべき、サッカーの本質を追究しながら、未知の世界に挑む「道程・みちのり」を、今年のスローガンとしました。

ホーリホックのHPより転載、

音楽評論家・矢澤 孝樹さん

2013年03月02日 00時11分05秒 | Weblog
音楽評論家・矢澤 孝樹さん

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第27回水戸映画祭で上映された、「オープニング・ナイト」の上映に先立ち元・水戸芸術館音楽部門主任学芸員であった矢澤孝樹さんがジョン・カサヴェテス監督と「オープニング・ナイト」の見所などを話された。
矢澤さんは家庭の事情で実家のニューロン製菓の経営に携わるため水戸芸を辞されたが、水戸の人達に愛された学芸員であった。
仕事の傍ら音楽評論・映画評論家として活躍されているのは嬉しい。
2月16日のプレトークについて、矢澤さんの記事がFBに投稿されいたので転載させて頂くことにした。


第27回水戸映画祭に出演し、ジョン・カサヴェテス監督『オープニング・ナイト』のプレトークをしてまいりました。NPO法人シネマパンチの皆さん、水戸芸術館の皆さん、そしてご来場くださった皆さん、本当にありがとうございます。上映終了まで誰も席を立つことなく、終わった後に深い衝撃と感動が客席を包んでいるのが、共に客席にいる僕にもしっかり伝わってきた。何回もこの種の企画をやったので、客席の「空気」がわかるのだ。ああ、皆さんカサヴェテスの強烈な引力にとらえられている。息を呑むように画面を見つめ、その世界の住人となっている。それが場内の闇を通しても濃密な手ごたえでしっかり伝わってくる。その媒介役を務めることができた幸せをひしひしと感じる。これまでの僕の『オープニング・ナイト』鑑賞体験の中でも、もっとも感動的な時間だったことは間違いない。

 終映後、多くの方々が、口々に熱気あふれる感想を直接聞かせてくださった。「矢澤さんのプレトークだけ聞いて帰ろうと思ったけれど、結局最後まで観ちゃったよ、いやあすごい映画だね」とおっしゃってくださった方もいた。ああ、やっぱりやってよかった。カサヴェテス監督、あなたの映画の力は世紀を超えた日本でも確実に多くの人々に伝わっていますよ。あなたの映画に打ちのめされて20年、ささやかながらようやくオフィシャルな形であなたの映画を伝える役を果たせたことで、「カサヴェテス組」の遠い遠い末席に加わることができたと、僭越ながら誇りに思ってもよろしいでしょうか?

 それにしても、プレトーク20分はやはり短かったな。機関銃のようにしゃべりまくったけれど、最後の方で尺が足りなくなり(だいたい僕は脱線が多すぎるんだ、サム・ショウがマリリン・モンローのスカートが風でまくり上がる有名なポートレイト撮った話とか省けよな~)、駆け足になってしまったのは相変らずの矢澤です。

 実はFBに、きのう話したことを全文再現してアップしようと思い実際書き始めていたのだけれど、前半は伝記的事実の話も多いので、ここに上げる意味が見出しにくく、なにより良くも悪くもプレトークで爆発させていた熱量を再現することがどうもできないので、最後、時間が足りなくて端折ってしゃべった部分をもう少し詳しく書いておく。

 カサヴェテス映画の「計算」と「即興」と「俳優との極限的に深く激しいセッション」の化学反応によって生まれるドキュメンタリーのようなリアリティが、「演劇」という設定によっていっそう複雑で高いレヴェルに到達したのが『オープニング・ナイト』なのだ、と思う。主人公の大女優マートルが、そして演出家も共演者も潜在的に抱いている「老い」への恐れが、それをテーマにした戯曲を上演することによって顕在化し、登場人物たちを追いつめてゆく。登場人物たちが「演ずる」舞台、彼女たちの映画内における「現実の」生、それを演ずる俳優の生(なま)の身体、この3つの層が、「老い」への恐怖と格闘する姿を通じ軋みをたててぶつかり合い、互いの境界線を壊してゆく(実はマートルの幻想という別の層もあり、それが映画内の現実をいっそう複雑にしている)。その尋常ならざる熱量と巧緻にして大胆な仕掛けが、スクリーンと鑑賞者の間の壁までも溶解させ、観客という第4の層である僕たちを巻き込んでゆく。僕たちはそこから逃れる事ができず、映画の中を終始吹き荒れる感情の暴風雨の中を共に生きることを課せられる。『オープニング・ナイト』とは、そういう映画なのだ。

 そして僕たちは、この映画の4つの層の境界線が完全に破壊される驚異のクライマックスにおいて気づくのだ、僕たちの生もまた、与えられた役割を生きることを課せられた「舞台」なのではないかと。その役割の意味は容易に見つからず、だからこそ人は苦しみ悩むのだが、それでもその役割に正面からぶつかり、格闘することでしか道は拓けないのだと。『オープニング・ナイト』は演劇の製作という過程を描くことで、それをメタファーとして僕たちに伝えてくれているのだろうか。いやメタファーというにはそれはあまりに熱く激しく、冷静に観察することを決して許さない。僕らがこの映画から何かを得るためには、「学ぶ」のではなく、「体験」するしかないのだ。

 とはいえ、回を重ねるごとに、この映画に張り巡らされた緻密な計算と登場人物に割り当てられた役割の意味、それを一点の曖昧さもなく描く正確な叙述力に、驚嘆するばかりだ。今回も観ていて新たな発見がいくつもあった。たとえばマートルの幻想に登場する事故死した17歳の少女が「好きだ」という音楽は、すでに映画の冒頭のマートルへのサイン責めのシーンで(正確には、「まだ生きている」彼女の登場と共に)すでに鳴っている、とか。そして、鑑賞の回数を重ね、映画の細部まで観られるようになってあらためて素晴らしいと感じられるのは、この映画ではすべての登場人物(小道具係からメーキャップ係まで)に「役割」が与えられており、彼らが輝く瞬間が分け隔てなく用意されているということだ。登場人物の誰もがいとおしい。(ようやくここに来て、ついにこの言葉を解禁するのだけれど)それをカサヴェテスの人間への「愛」と呼ばずしてなんと呼ぶ?

 この映画が観る者に課すあらゆる困難を超えて、その「愛」がきのうの場内にすべからく沁み渡ったことを。終映後に起こった控え目な拍手は、映画の衝撃の大きさが直接的に支配する空間の中で、その「愛」がしっかりと受け止められていたことの証明だと信じたい。