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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

福岡市美術館 @福岡市大濠公園

2013年07月09日 09時27分07秒 | Weblog
福岡市美術館 松永記念室

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散歩やジョギングを楽しむ市民の姿を見かける大濠公園は、水戸千波湖畔を思わせる公園で、城跡や日本庭園も近い。
傍らの福岡市美術館は前川國男が設計し、1979年に開館た外壁がレンガの瀟洒な美術館。
近代現代美術に加え、諸外国に開けた土地柄を反映し、東洋の古美術を多数所蔵している。
ミロやダリ、シャガール、ウォホールなど20世紀を代表する作家の作品を始め、郷里出身の 坂本繁二郎、青木繁などの作品まで幅が広い。

1階の「松永記念室」は「電力王」・「電力の鬼」と言われた長崎出身の実業家・松永 安左エ門(1875-1971)のコレクションの記念展示室。
耳庵(じあん)号し、美術コレクター、茶人としても知られた。

戦前に収集したものは昭和23年に東京国立博物館に一括寄贈した。
そのご、蒐集を再開し、小田原に財団法人松永記念館において公開た。
松永翁の歿後、財団の解散に伴って昭和55年に福岡市美術館をはじめとする幾つかの公共施設に寄贈された。

総数が何点かは分からないが、今回40点位が展示されていた。

竊曲文簋 1口 青銅製 鉢 西周時代中期 
緑釉獣環鍾 1口 陶器 壺 漢時代
壺形土器(重要文化財) 1個 弥生時代・前 100~後100年頃
台付子持装飾壺(重要美術品)1個 陶器  古墳時代
猿投灰釉壺(重要文化財) 1口平安時代・9世紀
木造風神像1躯 桧材 寄木造 鎌倉時代 立像
火舎香炉 1口藤原時代(嘉応二年) 青銅製鍍金 盤
影青刻花文鉢1口 磁器 鉢 北宋時代
など。
こじんまりした部屋で、静かに名品と対峙できること素晴らしい。


九州国立博物館@福岡県太宰府市

2013年07月05日 14時04分00秒 | Weblog
九州国立博物館@福岡県太宰府市

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日本で四番目となる国立博物館「九州国立博物館」が開館したのは2005年10月16日。太宰府天満宮裏の同宮所有の丘陵地に建設された。
遡ること100年以上前に岡倉天心は、古来から外交の要の九州に注目し、歴史討究のための九州博物館の必要性を主張していた。
その願いが、やっと実現したということになる。

100年以上の歴史を誇る東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対し、九州国立博物館は歴史系博物館として設立されたのも天心の考えと同じで、天心の先見性に脱帽だ。

博物館へは天満宮境内の一角から、山腹を刳り貫いたエスカレーターで登る。七色で彩れた近未来調のトンネルを抜ければ、ガラス張りの博物館が目に入る。160m×80mの長方形で蒲鉾型、屋根は流線型のフォルム。
サッカー場が一面すっぽり入るほどの広さで、一番高いところで36m、地下2階で地上5階とのことだ。
さすが100年ぶりに誕生した国立博物館といえよう。

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1階にエントランスホールと288席のホールがある。
2階に学芸エリア、収蔵庫、修復所など館の中枢部門。
3階は床面積約1500平方メートル・天井高7mの展示室。この日は7月9日から開催される「中国 王朝の至宝」展の準備中。
4階は「文化交流展示室」、常設展示室で、床面積約3900平方メートルの広さ、対外文化交流を通史で展示し、定期的に入れ替えが行われる。
「縄文人、海へ」「海・森・火山」「アジアの民族造形」「稲づくりから国づくり」「倭人伝の世界」「にぎやかな古墳のまつり」「遣唐使の時代」などのテーマごとに展示されていた。

僕が一番興味を持ったのは、九州陶磁の華-田中丸コレクション-

柿右衛門や鍋島などの肥前磁器を中心に、名品の数々を紹介されていた。
九州ならではのコレクションであろう。「田中丸」と言う方を存じ上げないのが、立派なコレクションだった。

最近の美術館や博物館は照明や展示方法に工夫が凝らされて、とても見やすい。
主に4階の展示を見ただけだが、充分に満足できた。


太宰府天満宮

2013年07月04日 21時14分27秒 | Weblog
太宰府天満宮

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福岡の旅から戻って、間もなく1週間。
3泊4日の短い滞在だったが、朝から夜まで歩き回り、門司と大宰府までの日帰り小旅行などもあり、旅の記録は半分にも到達していない。

大宰府には西鉄の天神駅から二日市を経由して太宰府駅に行く。

以前は水戸在住で、福岡に戻られたMさんが大宰府の近所にお住まい、旅に行く前から連絡をとって、再会の約束が出来た。
Mさんとは同じスポーツクラブで、クラブ内の英会話レッスンも一緒だった。
振り返ってみれば5年振り、月日の移ろいは早い。
とはいえ、時折メールを交換しているので、一寸だけ会わなかったと言う感じだった。

天満宮は学問の神様・菅原道真を祀っている。
901年、右大臣から突如大宰府の役人に左遷された道真は、2年後に失意のうちにこの地で亡くなった。その墓の上に建てられたのが天満宮といわれる。

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この地はクスの大木が多い。
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本殿への参道は心字池の太鼓橋を渡って行く。
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楼門
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拝殿・右手前に飛梅。
大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先の梅に対して「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌った、ことによる。

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拝殿

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太宰府名物の「梅ヶ枝餅」
表参道から境内の奥まで、いたるところに茶屋がある。
お詣りし、茶屋で餅を食べ茶を飲みながら、水戸のことなどを話す。

宝物殿
国宝の「翰苑 巻第三十」を蔵するが、摸本が展示されていた。



『没後十年 深作欣二展』@水戸市見和図書館

2013年07月03日 21時53分31秒 | Weblog
『没後十年 深作欣二展』@水戸市見和図書館

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深作 欣二 (1930年(昭和5年)7月3日 - 2003年(平成15年)1月12日) は、水戸出身の映画監督で脚本家。
『仁義なき戦いシリーズ』が有名なため暴力的な描写が多く、偏見を持たれることがあるが、旧制中学時代の戦争体験が大きく影響している、
「暴力を描くことで暴力を否定しよう」という考えが根底にあり、決して暴力を肯定していたわけではない。
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今日7月3日は誕生日であり、存命なら83歳になる。
11歳若年の我々が、辛うじて戦争体験者。
映画の奥に在る、戦争と言う大暴力を考える機会でもある。

遺品は水戸市立図書館に寄贈されたが、中央図書館・見和図書館で常時展示されているのは、僅かな品々のみだ。

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7月2日~15日迄、見和図書館のホールにおいて『没後十年 深作欣二展』が開催されている。

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遺族が寄贈した品に加え、映画ファンの矢田部智章さんのコレクションを加えた展示がなされている。


鉄道マニアには・九州鉄道記念館

2013年07月02日 23時34分23秒 | Weblog
鉄道マニアには・九州鉄道記念館@北九州市門司区

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門司の旅の締めくくりは、門司港駅に隣接した九州鉄道記念館へ。
現在の門司港駅は元の門司駅で、九州の鉄道の起点だった。
旧九州鉄道の本社として建てられた赤レンガが「九州鉄道記念館」として平成15年に開館した。
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中央ゲートを入ると、縦長に8両の展示されている。
門司港運転区と地続きなので保存車両との一体感がある。

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クハ481-603号 交流直流両用特急形電車。
常磐線の特急もこれとほぼ同じ形式が走っていました。

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59634号
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キハ0741号

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2階展示室から1階展示室を望む。
レンガの外観を生かし、構造上はしっかりとした物に補強されています。
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明治時代の客車と駅弁売り。

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ヘッドマーク

鉄道マニアではありませんが、大宮の「鉄道博物館」には孫のお付き合いで3度行きました。
赤レンガの本館と、隣の門司港運転区や保存車両との組み合わせで雰囲気良く楽しめます。
敷地はゆとりがありそうですから、保存車両の充実を計ればさらに見応えがあると感じました。



出光佐三と出光美術館

2013年07月01日 20時30分10秒 | Weblog
出光美術館(門司)@北九州市門司港レトロ地区

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博多からJR鹿児島本線で約1時間、門司港駅に着く。
今では北九州市門司区であるが、関門トンネルが開通するまで九州の鉄道の玄関口であり、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わった。

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駅舎は国の重要文化財に指定されている。(現在駅舎は改修工事中)

近代は石炭の積み出しや貿易の中継基地としての港湾都市として栄えた土地だが新幹線や高速道の整備などにより本流の地位を失い衰退した。

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しかし1988年(昭和63年)から整備を開始、明治・大正の建築群を生かした、門司港レトロ地区として観光客を集めるようになった。
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レンタサイクルを借りて。

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先ずは「出光美術館(門司)」へ

出光美術館は、出光興産創業者である出光佐三(1885-1981)が長年に亘り収集した美術品を展示するため、1966年(昭和41年)東京に開館した。
帝国劇場、ならびに出光興産本社が入居する帝劇ビルの9階にあり、館内ロビーからは皇居外苑が一望できる素晴らしいところ。
収集品は日本・東洋の古美術が中心で、日本や中国の絵画、書跡、陶磁などが系統的に収集されている。
板谷波山の蒐集でも日本一で、波山の後援者でもあった。
中国陶磁の発掘調査などにも協力し、全世界に渡る陶磁器の破片の蒐集を誰でも見ることが出来る。
また、ジョルジュ・ルオー、サム・フランシスなどの西洋近現代美術の収集も有名である。
開館後も収集を継続しており、1983年には国宝の『伴大納言絵巻』を購入し、話題になった。とにかく、個人美術館として群を抜いている。

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「出光美術館(門司)」出光興産発祥の地、門司に平成12年(2000)、出光コレクションを展示する美術館と開館した。
建物は大正期に建てられた出光興産の資材備蓄庫を改装・増築したもの。
エントランスロビー・展示室・創業者、出光美術館の創設者である出光佐三の生涯の軌跡を紹介する「出光史料館(門司)」の三部となっている。

エントラスロビーにはサム・フランシスの大作がずらり。
フレッドのために 1949年、グランド・ローズ 1951年、コンポジション 1951-52年、ブライト・リング♯2 1968年コーラル・ブランチ 1971年。

出光は出張先で偶然見かけたサム・フランシスの作品を気に入り、つてを頼って作家との交流が始まり、後援したことにより多くの作品を所蔵しているが。毎シーズン5~6枚展示返している。

企画展示室は「青木木米と三代 山田常山 ―煎茶陶芸の系譜」
江戸時代後期に花開いた、急須を中心とする煎茶陶芸はいまでも生活に使われている。最近、ペットボトルで飲む方が増えているのは残念だが。

江戸の文人・青木木米(1767~1833)の煎茶具と木米の後継者ともいえる、急須の人間国宝・三代山田常山(1924~2005)の代表作が展示されている。
細工のち密さと遊び心がいっぱいの愛らしい煎茶道具は真に楽しい。
質量ともに素晴らしい展示であった。

資料館はパネルなどで生涯を辿っているが、不屈の精神で事業を貫き、社員こそ宝として解雇しない大家族主義。
世界の石油を支配する大手国際石油資本に対抗し、自前の生産や輸入、精製を手掛けるなどの民族主義。
故里の門司に美術館分館の開設。

出光興産一社提供で現在も続く『題名のない音楽会』は、佐三の「芸術に中断は無い」との考えに基づき、番組途中でCMを入れない構成となり、現在もその精神は守られている。

偉大な人間像を簡単には語りつくせないだろうが、出光佐三と日章丸事件をモデルとした経済小説「海賊とよばれた男」(百田尚樹著)は2013年本屋大賞の受賞作となりベストセラーとなっている。

今回の旅で「出光美術館(門司)」を訪ねることが出来たことを嬉しく思う。



川端飢人地蔵@福岡市博多区中洲

2013年06月30日 19時36分40秒 | Weblog
川端飢人地蔵@福岡市博多区中洲

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福岡市の中心を流れる那珂川。
奇しくも水戸市を流れる那珂川と名前は同じ。
河口の手前に中洲が形成され、「中洲」と呼ばれる飲食街だ。
昼は静かだが、夜になれば歓楽街に一変する。
20数年前、友人たちとのグループ旅行で日常生活とは縁のない「クラブ」と呼ばれるところに入店した。
銀座並みの雰囲気を味わったことは、今も記憶の底に在る。

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ともかく、那珂川の川端の一部は柳並木となっているが、その一角に二階建ての建物の1階に「川端飢人地蔵」が祀られ、花と線香が手向けられていた。
地元の人達が、次々と訪れていた。

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堂内の由来書きには、
享保の飢饉の犠牲者は、九州は筑前の国だけでも9万6千人が亡くなった。
博多の人口、男11,054人、女8,462人、合計19、516人の内、三分の一の約6千人が死亡したとされている。
その餓死・病死し行き倒れになった人たちを、埋葬して、地蔵を建て手厚く弔った飢人地蔵のひとつだとのこと。

不景気といわれる時代だが、幸いなことに、大量の餓死者が出る時代ではない。
その時代の悲惨さを忘れずに、お祀りすることは大切なことだ。

博多の人達が、当たり前のこととして日常の生活に溶け込んでいることに、驚き、自分の暮らしにそれらが欠けていることを猛省した次第。


ガンバ大阪に負戦なれど、10025人。</

2013年06月16日 04時08分09秒 | Weblog
ガンバ大阪に負戦なれど、10025人。

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水戸ホーリーホックが、首位で5連勝中のガンバ大阪を迎えたJ2第19節。
ほぼ満員ともいえる10025人の観客を集めた。

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スコア―ボードとスタンドはFBの沼田さんの写真から。

シュートが枠を捉え、決める時に決めた大阪に、さすがと思う面はあったが、選手は走りぬき、最後まできれることはなかった。
結果は負けだったが、大勢の観客は満足だったろう。
心配された天気は、試合前に小雨がぱらついた程度で、試合は進行した。

駐車場など交通機関の心配もあったが、シャトルバスの運行などにより、通常と変わらぬ状況で「やれば出来るじゃん」と言う感じで今後の運営にも見通しが立った。

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試合前のスタジアム周辺はガンバのサポーターと水戸のサポーターが混在。
さすが首位、ガンバのサポーターが目につき、アウェイで来たチームの中で、これまでで一番多かったと感じた。
ガンバさん有難う!と感謝したい。

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茨城グルメ、にガンバのサポーターも満足したろうし、僕は大阪のタコ焼きと水戸のコーヒー牛乳を味わった、

ガンバのサポーターの応援は、さすがに水戸より格上。
数ではホームの水戸が上回ったが、まとまりを見せる応援は明らかに水戸を勝っていた。この辺は水戸の今後の課題。
しかし、水戸もシーズンごとに良くなっている。

今日の試合は、今後の水戸に明るい見通しをもたらした。



ようこそガンバ大阪@ケーズデンキスタジアム水戸

2013年06月15日 15時12分28秒 | Weblog
ようこそガンバ大阪@ケーズデンキスタジアム水戸

ガンバ

水戸ホーリーホックは今日(18日)18:00から首位のガンバ大阪を迎えてのホームゲーム。
多くのガンバのサポーターが来水されるだろう。
見かけた際は、『いらっしゃい』とおもてなしの心で接したい。
空模様が気になるが、大雨と云うことはなさそう。

J2順位表、首位はガンバ大阪で水戸は13位。
J2のホームゲームの観客平均は6,409人だが、水戸は4,000人で17位。

スタジアムへの交通渋滞が心配されるが、なるべく公共交通機関を利用したい。

『県庁バスターミナル』発着・『茨城県護国神社前』発着・『市民球場前バス停』発着の無料シャトルバスも運行される。

僕は今から、『茨城県護国神社前』からの無料シャトルバスでスタジアムに。

今日の試合は、格上のガンバに挑むが、応援の人数や気迫で負けたくはない。
見応えのある好ゲームを期待したい。


雨の「徳川ミュージアム」@水戸市見川

2013年06月13日 23時35分44秒 | Weblog
雨の「徳川ミュージアム」@水戸市見川

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台風崩れの低気圧で雨の日が2日続いた。
しばらく雨が降らなかったから、正しく、恵みの雨で、田圃や野菜畑は一息つけることだろう。

「雨に唄えば」と言うミュージカルの名作があるが、街中でなく雨に濡れた緑は好いもので、昨日と今日は雨の中を散歩した。

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『常磐公園攬勝図誌.』松平俊雄(明治18・1885年)緑ヶ丘「旧・高枕亭」の辺りが現在の「水戸徳川博物館」

桜の時期が良かったので、梅雨らしい日も如何?と徳川ミュージアムに。
入館しなくとも、芝生の庭が一望に見渡せるカフェ「ガーデンテラス」
軽食と抹茶やコーヒーなどが楽しめる。

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リンゴのパイ、クリームあんみつ、白玉入りを。
とにかく、広々とした庭がご馳走です。

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喫茶室の隣に小さな展示室、
パネル展示だが徳川家康秘伝の薬「烏犀圓」と云うのがあった。
棗の様な薬壺に入っていた秘伝の薬で、分析結果は和漢の生薬50種類以上が入っていたらしい。不老長寿の最高級品でしょう。
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カフェの奥には和風の庭園の中に、茶室「得月亭」。
楓が多いので、秋の紅葉の時期に再訪したい。
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駐車場には電気自動車の充電設備がありました。
1時間で100円だそうです。
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敷地の際に『斉昭公御手植えの、烈公梅』
偕楽園でも見たことも無いほどの巨木で貫録十分、ちょっと驚きました

「佐竹律香 シャンソンコンサート」@京都府文化芸術会館

2013年05月30日 21時40分44秒 | Weblog
「佐竹律香 シャンソンコンサート」@京都府文化芸術会館

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高校時代からの友人Fさんから「シャンソンコンサートの裏方を担うので、京都までお出かけになりませんか、たまにはシャンソンもいいでしょう。T君もお誘いしました」との知らせ。「前日には、大阪で飲りましょう」とも付け加えられていた。大阪在住のTさんと、3人で旧交を温めることと相い成った。

1950年代、菅原洋一や岸洋子がデビューした頃は加藤登紀子が東大在学中にシャンソンコンクールで優勝し、話題となった時代で、シャンソン喫茶や酒場も結構あった。
僕はモダンジャズと呼ばれた「ジャズ喫茶」に入り浸っていたが、シャンソンが好きな友人の影響もあって銀座の日航ホテルの地下やお茶の水の「シャンソン喫茶」(今は「シャンソニエ」と云う様だが)に行く機会もあった。

5月24日(金)会場は京都府文化芸術会館、16:00開場18:30開演。
「佐竹律香 シャンソンコンサート」―シャンソンとショパンの調べー

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ロビーには沢山の生花が飾られ、お客様には着物姿も多く舞妓さんの姿も見かけた。いかにもシャンソンコンサートらしい華やかなドレス姿のご婦人方、京都のセレブが集合と言った感もした。

会場は500人たらずのホールで、ステージと客席の距離が少ないので、シャンソンの様に語りかける演奏には最適な会場。
京都府開庁100周年を記念して1970年に開館した文化施設とのことで、椅子の間隔などに問題はあるが、聞きやすく観易いホール。

第一部は『パリの空の下』と題し、「青いジャヴァ」「パリの空の下」がアコーデオンの演奏と共に、典型的なシャンソン。キーボード・アコーデオン、ヴァイオリン、ベース、ドラムのバックバンドの息もあっている。
「不思議ね」「愛の流れの中に」「バラの咲く庭」「いつ帰ってくるの」と続く。

佐竹律香さんは、響きが良く美しい歌声、スタイル良くて美人である。
更に、曲の合間の語りが上品で楽しい。
シャンソンは歌と共に「かたり」が重要だ。

続いて、ピアニストの吉岡由衣さん登場。
吉岡さんは1991年生まれ、現在ドイツのハノーバー音楽大学の学生でパリの音楽院にも在籍している若手ピアニスト。
ショパンの「ノクターン嬰ハ短調(遺作)」「革命のエチュード 作品10-12」が演奏された。
確かに、コンサートのサブタイトルは―シャンソンとショパンの調べ―となっている。シャンソンとショパン何の関連があるのだろうと感じたが、「ショパンの生き様は正しくシャンソンと同じ」佐竹さんの話しに納得した。

ステージ背後のスクリーンにはパリの風景やショパン、ジョルジョサンドなど歌や曲に関連する映像が映し出され、演奏を盛り上げる。

15分の休憩後「パリ・パナム」「アトリエ」「雨」「雨だれ前奏曲」「スカーフ」「愛遥かに」「ピアノソナタ第3番(第1.第4楽章)「愛の賛歌」が演奏された。
どれも一度は耳にしたことがある、親しみやすい曲だった。

佐竹律香さんは京都出身で、高校生の時にお母様の勧めでシャンソン歌手管美紗緒に師事、1984年に上京御後、「銀巴里」「蟻ん子」にレギュラー出演、その後4年間のアメリカ生活。子育ての休業期間を経て2009年に復帰。

子育て後のカムバックで現在50代であろうが、若々しく魅力的、故郷・京都のコンサートを懐かしく楽しまれている感じを受けた。

後で知ったが、佐竹さんは京都の老舗料理屋「M吉」のお嬢さんらしい。
京都の雅が身に付いた方であった。


第28回アルベトレッペサロン@水戸国際交流会館

2013年05月22日 08時23分23秒 | Weblog
第28回アルベトレッペサロン@水戸国際交流会館

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5月21日.午後6時30分から第28回アルベトレッペサロンが開催された。
今回のゲストは文化メデァワークスのアートディレクター佐藤正和さん。
デザインを通して「魅力ある茨城」を作る提案をしている。
今、最も元気のいいデザイナーだ。

自己紹介で、食べることが好きで自家菜園もしているので、食に関心が強い。従って、茨城産の食に関するデザインに関わることが多い、とのこと。
デザインの楽しさ・デザイナー心得などについて、自分の扱った案件についてパワーポイントを駆使して説明された。
デザインに携わっている人や学生などが多かったようだが、実例をあげての解説は大いに参考になったであろう。

山本 恵さん倉田 稔之さんが中心となって「アルベトレッペサロン」は運営されている。今回で28回目、毎回異なる分野のゲストの話を聞く。
開催はFB(フェイスブック)を通して連絡され、興味や都合がつくときに出席すればOK、で縛りが無いのが《自由なサロン》で良い。
会名は、「有るべ・採れっぺ」と言う茨城弁を「アルベ・トレッペ」と洒落たわけで、茨城の良さを知ってもらおうとするグループ。

地に着いた地味な活動こそ、永続的な発展に通じる。
震災後、一発屋的な発想のイベントが多いなか、貴重な団体だ。
今後のさらなる発展を願っている。
主催の皆様ご苦労様です


「天礼寸己(てれすこ)八笑」(片岡洋一作 (M30号)

2013年05月21日 13時32分17秒 | Weblog
「天礼寸己(てれすこ)八笑」(片岡洋一作 (M30号)

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茨城県民文化センター展示室で「51回二科茨城支部展」が20日まで開催された。
最終日は2時までと知らず、3時頃に着いたので観られなかった。

東郷青児が会長の時代は派手なパフォーマンスなどで大変な勢いだった。
「二科会」と云えば、洒落た人達と作品を思い浮かべた。
土浦出身の吉田正雄さんは正しく、二科の申し子と言う感じであったが、惜しむらくは、若くして亡くなった。

水戸在住の片岡洋一さんはその様なタイプとは異なり、江戸時代の浮世絵師、と言う感じがする。洋画家ではあるが見るものすべてを墨絵で描く。更に、紀行文や随筆も書く。まさに、筆の立つ人、といえる。
惜しむらくは、10年以上前に脳梗塞になり半身不随となってしまった。
今でも、リハビリを兼ね左手で鉛筆画は毎日描いておられるようだ。

この絵の題は「天礼寸己(てれすこ)」。
「てれすこ」とは、落語の演目の一つ、または、「てれすこ」に登場する架空の生物で魚類の一種と思われる。「 てれすこ」を乾燥させたものを「すてれんきょう」と呼ぶ。
それを織り込み、『東海道中膝栗毛』でお馴染みの、弥次さん喜多さんの珍道中を映画化し2007年(平成19年)公開された。
弥次さんには、昨年12月に亡くなった十八代目中村勘三郎、喜多さんには柄本明を配し、一緒に旅する花魁に小泉今日子という異色の顔合わせの時代劇。
テレビ放送で見たが、芸達者な三人が繰り広げた喜劇だった。

「てれすこ」を「天礼寸己」と万葉仮名にしたのは片岡さんなららではのこと。「一竿斎」と自称したほどの釣り好きだが、釣った魚を描くと、魚の専門家から“どうのこうの”と云われるのにこたえるのが面倒で、魚を全て「「天礼寸己(てれすこ)」とよんだ。画題は「天礼寸己八笑」八匹の魚が笑っている。何を・何に対して笑っているのかは、観る方の想像にお任せ。


「広隆寺の弥勒菩薩」 森嶋正浩作

2013年05月21日 09時09分10秒 | Weblog
「広隆寺の弥勒菩薩」 森嶋正浩作

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23日から2泊3日の大阪と京都への旅。
高校時代の友人Fさんは鎌倉在住のヴィデオ制作者、退職後は、アルバイト的に仕事を受けている。
京都で開催されるシャンソンコンサートの撮影を依頼されたのを機に。同級生で大阪在住のTさんと3人で、大阪で杯を傾けようとの相談がまとまった。
高校卒業後50年以上経つも、何かと会う機会があるのは、郷里が水戸ゆえだ。

京都行きを前にして「弥勒菩薩像」が手に入った。

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色紙の裏には「弥勒菩薩像」(広隆寺)、昭和37年12月森嶋正浩と書かれてある。
森嶋正浩は大正12年生まれ、一水会に所属した洋画家。中村彝に学んだ鈴木良三に師事した。最近名前を聞かないが存命などだろうか。

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広隆寺には「宝冠弥勒」「宝髻弥勒」と通称する2体の弥勒菩薩半跏像があり 、誰もが憧れる仏像で、ともに国宝に指定されている。
宝冠弥勒像は日本の古代の仏像としては他に例のない アカマツ材で、作風は新羅風が強く、朝鮮半島から伝来した像であるとする説が有力だ。
切れ長の目や鼻筋のラインが簡潔で美しく、少しうつむき加減に思索にふける様子からは口元に穏やかな微笑みを浮かべているように見える。

久し振りに広隆寺に詣で「弥勒菩薩像」を拝観したいところだが、宿泊は大阪に決めてしまった。四天王寺と「大阪市立博物館」中国石仏の《山口コレクション》を観てこようと思っている。


どなたの作か、分かります?

2013年05月20日 21時14分00秒 | Weblog
どなたの作か、分かります?

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たまたま縁があって、写真の様な彫刻作品が手に入った(30×25×25)。
ステンレス板の上に、青銅の円錐が据えられ、その上に玉状の雲の様なものが付いているが、アルチンボルドの顏、或いはアンパンマンを思い浮かべた。

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大分異なる連想だが、とにかく、観飽きない。


彫刻に詳しい友人に訊いたら「良く分かりませんが、関根伸夫あたりの時代の作家じゃないですか、作品のマケットかもしれませんね」とのことだ。

【関根伸夫(せきね のぶお、1942年9月12日 - )は埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれの現代美術家、彫刻家。多摩美術大学客員教授。】

関根伸夫ではないだろうが、確かに、1960年~70年代頃の匂いはする。
これを大きくして野外彫刻は面白いかもしれない。

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作品裏側のサインは「JE」の様にも「H」にも見え、書きぶりは外人の様にも思える。

この作者、どなたなのか、分かる方いらっしゃいますか?