goo blog サービス終了のお知らせ 

「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

福地靖さん戯画集・其の二

2020年02月19日 09時10分12秒 | 人と作品
福地靖さん戯画集・其の二







詩集や句集などの表紙なども多数手がけた。




風景画。




やさしさを感じる人物のイラスト。




植物などのイラストも描いた。




「寒林」と号した時期もある。



時にはエゴンシーレの自画像のごとき作品も。

水戸市泉町の「雑貨と珈琲の店・たけうち」で2月21日(金)・24日(月)・25日(火)の3日間の16:30~19:00に福地靖さんと網代茂さんを語る会が開かれる。
期間中の店内に福地靖さんの作品が展示される。

参加は無料だが、飲み物代は各自でお支払いください。

大佛次郎『天皇の世紀』1555回の軌跡@大佛次郎記念館

2018年12月25日 23時56分52秒 | 人と作品
大佛次郎『天皇の世紀』1555回の軌跡@大佛次郎記念館









平成30年も残り僅かとなった。
来年には平成天皇が譲位され,新たな年号となる。
今年は明治150年となるが、明治100年の企画として朝日新聞に連載が始まった大佛次郎『天皇の世紀』の執筆開始から50年。



後に明治天皇となる祐宮の誕生から始まり、ペリーの黒船来航から戊辰戦争に至るまでの激動の幕末維新の時代を膨大な歴史資料を駆使して描いたノンフィクション。
著者の病気のため第1555回をもって休載となった著者の渾身の作品。







得てして、この時代を描く小説は旧幕府側か新政府側か、どちらかに肩入れ・思い入れをしてしまうことが多いが、大佛は是は是、非は非と、両者を平等・公正に扱っている。
司馬遼太郎のような著者の感情移入もあまりなく、抑制の利いた筆致はできるだけ歴史を客観的に見ようという著者の姿勢だ。

著者は明治天皇についても当然に言及するつもりであったに違いないが、それも果たされぬままで、著者の死が惜しまれてならない。
病気で入退院を繰り返しながら作品に取り組んだ6年半に及ぶ。





歴史の舞台となった日本各地を訪れ、約1000点に及ぶ資料に依拠しながら執筆を進めた収集品などが展示されてある。

水戸藩関連では、尊皇攘夷思想の基となった会沢正志斎の『新論』。



徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した『大日本史』



1871年史上初めての人民自治を実現したパリ・コミューンの歴史的経緯を、克明に調査し現地を踏査してまとめた一大叙事詩である『パリ燃ゆ』の原稿など。



自宅の書斎を復元した部屋。




鎌倉の自然保護のため、イギリスのナショナルトラストに習った組織を立ち上げた日本の創始者でもあった。



こよなく猫を愛した。





水戸からの訪問者と知った学芸員が、天狗党の悲劇を題材とした長編小説『夕顔小路』を読むことを勧めてくれた。
200頁にわたる大著だ。後日、県立図書館で借りて読むことにする。

時代小説『鞍馬天狗』で有名な大佛次郎だが、幅広く多くの著作がある。


渾身の大作『天皇の世紀』は明治天皇に関することで、今上天皇の話ではないが、奇しくも「天皇誕生日」の訪問は新たな課題を背負った感じがした。

北沢努展「森に棲む 2018」@ギャラリーしえる

2018年11月30日 23時54分27秒 | 人と作品
北沢努展「森に棲む 2018」@ギャラリーしえる
11月27日~12月2日






雑木林に囲まれた「ギャラリーしえる」に自生したかのようだ。


水戸在住の彫刻家・北沢努さんの「森に棲む」シリーズ。











木の自然な形態を人体に採り入れブロンズや石膏で作られた作品は、自然と共生している。

「森に棲む」は2011年の「UBEビエンナーレ(現代日本彫刻展)」で“宇部マテリアルズ賞”を受賞した時から始まった。

「UBEビエンナーレ」は日本で最も歴史と伝統のある彫刻展で、新進作家の登竜門と云われる。
世界中から応募があるから難関だが、自然と一体化した「森に棲む」は歩みだした。
授賞以降どのように展開するか興味を持って観てきたが、着実に進化している。







どの様な木を選ぶかがポイントだが、かなり大きな素材を使用している。



作品の設計図ともいえる、デッサンも何点か展示されている。
このデッサンも立体と異なった魅力がある。



12月2日(日)11時から14時まで「錫の箸置き&ペーパーウェイト」のワークショップ(参加定員10名)が開催される。


呉夏枝(オ・ハジ)さん@雑貨とコーヒー「たけうち」

2018年10月04日 01時04分11秒 | 人と作品
呉夏枝(オ・ハジ)さん@雑貨とコーヒー「たけうち」



染織、刺繍、編む、結ぶなどの技法をつかって美術作品を制作している呉夏枝(オ・ハジ)さんは1976年大阪府生まれ、オーストラリアのシドニー在住。




金沢21世紀美術館が企画した、東アジア文化都市2018金沢「変容する家」展
(9月15日~11月4日)には日中韓の美術家22組が出品している。



出品作家の一人、呉夏枝(オ・ハジ)さんが水戸に立ち寄られ、お話しする機会を得た。

呉夏枝(オ・ハジ)さんは
1976年大阪府生まれ、現在はオーストラリアのシドニー在住。
民俗/族衣装を象徴や記号的にとらえるのではなく、第二の皮膚としてとらえ、自ら染め、織り、仕立てるなどして作品を制作。
近年では、織物や、編み物を記憶や時間が織込まれたメタファーとしてとらえ、織りものをほぐすことで織込まれなかったもの、言葉として表れなかったもの--「沈黙の記憶」--を顕在化しようとするインスタレーションや、音声や写真を使った作品なども展開している。


衣服や織りの行為を通して無名の女性たちの、語られなかった歴史や時間を浮き彫りにする視点をもった作品を制作するのは難しい行為だ。

「女は三界に家無し」と言われた時代でも離婚に際し、着物は無条件に女性の所有、と認められたのはその製作過程に於いて大きく関わっていたことによる。
衣服が生活の多くを占めていた時代でもあった。

言葉にすれば堅い話に聞こえるが、人生の大半を糸偏の業界で過ごした私にとって、幕末から明治・大正・昭和を振り返る楽しい時間であった。

約1時間、老人(年の差35歳)の繰り言にお付き合い頂き有り難う御座いました。 

森永博志さんバースデーイブナイト@南青山レッドシューズ

2018年01月28日 08時03分41秒 | 人と作品
森永博志さんバースデーイブナイト@南青山レッドシューズ







1月20日午後8時から、南青山のレッドシューズで68歳を迎える森永博志さんの誕生パーテーが開かれた。

《今月は、レッドシューズにとって最重要人物である「レッドシューズの逆襲」の著者・森永博志氏の68回目の誕生日。
「第3土ヨー日」はバースデーイブという事で、スペシャルな夜になりそう。
森永氏の盟友、ヒステリックグラマーデザイナー北村信彦氏をゲストに迎え、ロックンロール談義とお互いが作詞したものを交えた和モノDJバトルで、華を咲かせてくれます。
レッドシューズファミリーで、森永さんのバースデーをお祝いしましょう!!
友川カズキライブは、またもや延期となりました。
果たして実現するのか…》(Red ShoesのHPより)

2年後に「古希(70歳)」を迎えるとあってか、永遠のロック少年・森永さんも期するところがあったのか、紙に書いたステートメントを朗読。






ゲストに迎えたヒステリックグラマーデザイナーの北村信彦氏に何故ファッション業界を目指したのか、デザインや商品に関して等の考えなどについての質問やロックンロール談義。



1974年にユリ・ゲラーが話題にった当時、全国で見出された、いわゆる「超能力少年・少女」たちの一人、森永さんとは昔からの知り合いの清田 益章氏が登場した。念力や踊りと祈りを合わせた「おのり」、など霊に関する話など。





更には、スプーン曲げ以上のパフォーマンス、スプーンを破断させた。

この類を信じない人もいるが、僕は信じる方で断裂の断面を見ても折り曲げたり切断しておく、の様なトリックは全く感じなかった。



岐阜の山中で密教法具を手にし、滝に打たれながら修行するVTRも流されたが、常人では不可能と思える集中力を感じた。

その上に、アカペラで自作のロックを歌った。
ロック歌手としてレコードを発売した実績があるとのことだが、確かに様になっていた。



次に「J・エルヴィス・シンガーの森 泰仁氏が登場。
15歳で高校を中退後、エルヴィスプレスリーに憧れ、苦難の末に26歳でメンフィスのプレスリーコンテストで優勝した。
「そっくりさん」ではなく、プレスリーの魂を歌う。この態度は終始一貫していることが言葉の端端から伝わった。
《彼の人生については森永博志著「続・ドロップアウトのえらい人」(2005年・東京書籍)の156頁から176頁に記載されている》



これまた森永さんの知り合いの女性のベリーダンス。
プロのダンサーかどうかは分からないが、妖艶でした。



誕生を祝し多くの方々が参加し、場内は満杯だった。



女性のファンも沢山、森永さんの人柄の良さが分かる。

著名な方もいらっしたらしいが、僕が分らない。
過激な体を張った芸で有名な「電撃ネットワーク」の南部 虎弾氏はその風貌で分かったが、ごくごく静かに飲んでいた。



「漫画 君たちはどう生きるか」吉野源三郎(著),‎ 羽賀翔一 (イラスト)が何百万部のベストセラーで話題だが、羽賀翔一氏もいたようだが。

友人たちの多彩な出し物が終わって森永さんと北村信彦氏の「和モノ」DJバトル。
森永さんの意向で「和モノ」のロック、と云うことらしい。
お二方ともプロの歌手に歌詞を提供しているようで、それらの楽曲も披露したようだ。

お二人のDJに合わせ、僕も調子に乗ってダンスをしてしまった。

なんやかんやで24時。
バースデイケーキのロウソクを灯して「ハッピーバースデイ・森永さん」の合唱で一応のお開きと云うことに。



記念の写真を北村氏と。

この様な場に慣れない僕も、十二分に楽しみました。

森永博志オリジナルT@芝浦アトリエ

2017年09月22日 14時40分38秒 | 人と作品
森永博志オリジナルT@芝浦アトリエ



南青山「レッドシューズ」の《森永博志presents 「第3土ヨー日」》
いくつかのライブのメインは「スマートソウルコネクション」。

終電の都合で早めに退散するので、森永さんに詫びたら「ラストまで見て、アトリエに泊まれば」と云う有難いお言葉。
せっかくの機会、全てを見ることが出来た。

終演時に、オーナーの門野久志さんとも話すことが出来た。
この方も森永さんと同じ、信念が強く自由な感性の持ち主らしい。

この日は、台風の影響で客は少なく、早め、と云っても0時過ぎでライブは終了した。

森永さんのアトリエは芝浦とのこと。
到着したのは、タワーマンションの44階の南西の角部屋。





レインボーブリッジが目の前。

今風のドラマなどに登場する景色そのままだ。





広いリビングルーム。

何坪あるのか?見当も着かないが少なくとも30坪(100㎡)以上は有りそう。



別な部屋にはジュークボックスまで有る。
絵空事でなく、現実に優雅な生活を送っている人が居るものだ。




ジャケットの様に見える、Tシャツが掛かっていた。(この写真は翌朝)


昨夜、アトリエに使用している部屋には制作中或いは完成品のTシャツやジーンズなどを沢山拝見した。




森永さんが本に掲載しているコラージュを布地で再現した感じだ。
殆どが手作業、ステッチなども手刺しで、手造り感が満載。
全てが一品ものだ。
価格が幾らかは、聞き洩らしたが、かなりの金額なのだろう。



写真を撮るのを忘れて拝見していた。
撮り逃がしたのが残念だったが、似ている作品が森永さんのHPに在ったのでコピーして掲載。

文筆家・編集者、或いはプロジューサーとして活躍されているが、Tシャツ・ジーンズなどの制作にも稀なる才能があるのに感心した。

アート作品としても充分成り立つ。

仮眠をして後、机の上に謝辞を記して退室した。
この日は森永さん静岡でのイベントに出掛けるとのことだった。


こまつ座「円生と志ん生」@紀伊國屋サザンシアター

2017年09月19日 21時50分59秒 | 人と作品
こまつ座「円生と志ん生」@紀伊國屋サザンシアター



娯楽が多様化している時代だが、僕の小学生の頃はラジオ放送、少し遅れてテレビの時代となったにしても柳家金語楼・エノケン・ロッパの喜劇、広沢虎造の浪曲、幾らか長じて志ん生の落語などにも魅了された。



この芝居は「円生と志ん生」共に「昭和の名人」といわれた噺家の物語。
2人が満州慰問の途中で終戦を迎え、大連に六百日も押し留められたときの話で、詳しい資料が残っているわけではなさそうなのだが「井上ひさし」の脚本によって上演されることになった。




2005年の初演、07年の再演に引き続き、鵜山仁が演出 を手がけ、今回は大森博史(三遊亭円生)とラサール石井(古今亭志ん生)虚実交えながら描いた音楽喜劇。

主演の二人が正に「円生」と「志ん生」を彷彿させる。
今回の芝居で知っていたのは、ラサール石井だけと云う芝居音痴だったので
大森博史の「円生」は、このような役者を当てたと納得してしまった。
勿論、ラサール石井の「志ん生」も良く、2人のコンビぶりが楽しめた。

志ん生は円生よりも十歳年上で、酒飲みで若い頃から出来不出来にムラがあるという評判。
円生は普段、酒も煙草もやらず高座でも姿勢はきちんとしている真面目な人。
話しは分かりやすかったが、四角四面で面白みに欠けていた。
芸風がまるで違えば性格も対称的な二人。
努力家タイプと天才肌という、よくあるコンビである。
だが、円生は常に志ん生を「兄さん」として立てて、助けていた。



大空ゆうひ、前田亜季、太田緑ロランス、池谷のぶえ、の4人の女優陣は、1人で何役もこなす大活躍だったが、歌って踊って、さすが舞台女優だ。

劇は「朴勝哲」の生のピアノ演奏で進行するが、こまつ座の芝居に何度も出演しているらしく息はピッタリ。

更に、ブロードウェイのミュージカルの曲も使われ、ダンスも唄も様になって楽しかった。

「町はずれの廃屋」、喫茶店の「コロンバン」、最後の「修道院のもの干場」
等、後半部分が特に良かった。

幕間を挟んで約3時間、楽しい時間を過ごさせてもらった。
勿論、戦中戦後の話で、重く考えさせられる部分もありました。

この機会を与えてくれたこ「まつ座」制作の長山 泰久さん有難うございました。


森永博志presents 「第3土ヨー日」@南青山「レッドシューズ」

2017年09月14日 00時33分23秒 | 人と作品
森永博志presents 「第3土ヨー日」@南青山「レッドシューズ」



SNSは思わぬ方と知り合いになることがあり、世界が広がる。



Facebookでつながったアッシュ 青木岳明さんが『One plus one 』(森永博志 著 A-Works 2009)に掲載されているのを知った。

『ひとりじゃなく、そこに相棒がいて、
信頼しあえる絆があれば、
すべてのことはうまくいく、と』

有名人から市井の人々まで。
一般的に名が知られていない方々でもその世界では著名と云う方も。
全ては人間的な魅力による。
世俗に背を向けた異端児も多い。

著者の森永は1950年生まれ。
創刊当時の『POPEYE』『月刊PLAYBOY』『BRUTUS』で特集記事を担当していた編集者・作家であるが、いまだに長髪のロッカーで、カウンターカルチャーの伝道者であり続けている。

著作も多いのだがその中の



『ドロップアウトのえらいひと』(1995年・東京書籍)
『ドロップアウトのえらいひと 続』(2005年 東京書籍 )



『アイランド・トリップ・ノート』 (2004年 A-Works )
『ドロップアウトのえらいひと~島に渡る~』( 2011年SDP )

等を読んだ。
世の中に抗って、自分の好きな道に転じた人達の生き方、「自由に生きよう」とするライフスタイルに憧れる。


毎月、第三土曜日に南青山「レッドシューズ」で森永博志がプロジュースするイベントが開催されることを知った。
「レッドシューズ」は森永の著作に何度も登場するライブハウス(伝説的な店らしいが、良く分からない)

9月16日が第三土曜日なので、行くことにした。
午後7時から翌朝の4時まで、盛り上がるのは真夜中過ぎだろうが、帰りの電車を考えれば7時から2時間程度しかいられない。
その間に森永博志氏が登場するかは分からないが、とにかくその空間に居たい。
顔を拝見し、幾らかでも話が出来ること、更には店の雰囲気を愉しめれば、と期待している。

当日の内容は、
【BAND 】
スマートソウルコネクション
小林ハルカ
hooch
【DJ 】
UFO a.k.a トキタユウホ
DJ TOYO-P(from JVC FORCE)
森永博志
[LIVE DRAWING】
早乙女道春


「大佛次郎記念館」大佛次郎を歩く其の5

2017年03月29日 15時46分53秒 | 人と作品
「大佛次郎記念館」大佛次郎を歩く其の5





「港の見える丘公園」は「山下公園」と並んで横浜を代表する公園で横浜港を見渡す高台に位置する。

1948年にヒットした流行歌『港が見える丘』にちなんで命名された公園は1962年に開園した。この曲を御存じの方も少なくなりつつある。
♪°あなたと二人で来た丘は/港が見える丘/色あせた桜唯一つ/淋しく咲いていた、、、とあるように静かな場所だったらしい。
僕が、何十年か前に訪れた時も、これ程整備されていなかった。



公園の一角に「大佛次郎の記念館」が在る。

横浜に生まれた大佛次郎(1897-1973)の没後、遺族から蔵書や遺品の寄贈を受けて、1978年(昭和53)に大佛次郎記念館が開館した。




大正時代から昭和にかけて、絶大な人気を誇った大佛次郎の業績と生涯を紹介する記念館には、約7万点の所蔵品。

内訳は、図書約36,000冊・雑誌約58,000冊特別資料(自筆原稿・自筆資料・書簡等)美術、台本や地図等の関連資料、遺品等 約17,000点。




《ロマン・ロラン生誕150周年記念「大佛次郎のフランス」展》が開催されていた。

ロマン・ロラン(1866-1944)の生誕150年を記念し、大佛次郎とロマン・ロラン、さらにはフランスとの関わりをたどる展覧会。








大佛次郎は「思想的に傾倒し影響を受けた」と後に記すほど、ロマン・ロラン作品の熱心な読者だった。高等学校時代にフランス語を選択したことでフランス文学や歴史への関心が大きく広がり、やがて大佛文学を支えるバックボーンの一つとなった。




『鞍馬天狗』のシリーズなどの歴史小説が多い。



大の猫好きとして知られている。



『パリ燃ゆ』
1871年3月26日、民衆の蜂起によって誕生した〈パリ・コミューン〉を題材とした傑作ノンフィクション。



再現された書斎。




出版された書籍の数々。



水戸黄門や幕末の水戸に関する著書も多い。

ライフワーク『天皇の世紀』に至る軌跡が紹介されてある。

『天皇の世紀』は絶筆となった未完の」大作。
この本を精読すれば大佛作品が理解できるように思う。
今日、明治維新を振り返ることは大きな意義があるように思える。


●『天皇の世紀』はテレビドラマとしても放送された。
1972年10月1日から1973年3月25日まではテレビドキュメンタリーとして朝日放送制作(当時TBS系列)で放送されたシリーズ全26話が「YouTube」にアップされている。
ドキュメンタリーという体裁であるが、一部は再現ドラマ的演出を加え、ロケーションでは現代の町中に、物語が描かれた当時の雰囲気を再現したユニークな演出。(音楽:冨田勲、タイトル画:中川一政、レポーター:伊丹十三。)

『私は「天皇の世紀」のテレビ映画をなるべくドキュメンタリーの方向に
持って行っていただきたいとお願いしました。』との大佛のコメントを肉声と字幕にて第1話冒頭に表示されており、本を読むのとは異なった趣で、面白かった。


中澤敦子さん@「シャンソンカフェ・ルーブル」

2017年03月24日 09時05分43秒 | 人と作品
中澤敦子さん@「シャンソンカフェ・ルーブル」





2017年4月からスタートするNHK連続テレビ小説は『ひよっこ』。
茨城県の北西部が舞台で常陸太田市や常陸大宮市、久慈郡大子町などがロケ地になる事が予想される。
ヒロインには朝ドラ『あまちゃん』で大ブレイクを果たし、2015年には女性芸能人のCMランキングで2位に入るなど、様々なジャンルで目覚ましい活躍をしている有村架純さんが選ばれ、大きな話題になっている。

1964年、東京オリンピックが始まる年、茨城県の大農家に生まれた17歳の谷田部みね子(有村架純)からスタートするらしい。
茨城が舞台とあって、重要なポイントが『いばらき弁』。

方言指導のスタッフとしてオーデションで選ばれたのが中澤敦子さん。
1941年水戸生まれ、ストーリーとほぼ同じ時代を歩んできた。
役者稼業だが、4年前から本拠地を故郷の水戸に移し、「シャンソンカフェ・ルーブル」のオーナーとなった。


店は泉町1-2-26、作田ビルの2階。
僕も幾らかシャンソンに興味有りなので、お茶飲みに伺っていたが近頃は休みの日が多かった。



偶々、前を通りがかったら店頭を掃除中。
仕事で東京から戻ったところで、今からオープンとのことで話を伺った
『朝ドラの仕事で不在が多いようだ』との噂話は事実だった。

放送開始前、進行中の話ゆえに詳しいことは話せないこともあろう。
とにかく、標準語の脚本を茨城弁に書き直し、テープに吹き込み役者さんがそれで覚える、と言う段取りらしい。
ストーリーに現実感を与える「茨城弁」は大切。
今では、住民の全てが「正調・水戸弁、茨城弁」を話せない時代。
本番では、どの様に仕上がっているのか?放送開始が待ち遠しい。

久し振りの店内を改めて見渡せば。





「パリ万博ポスター」ボナール作。



タナグラ人形と木内克作のテラコッタ像の飾られた棚。
*タナグラ人形はギリシアのタナグラ (Tanagra) で紀元前4世紀後半から作られたテラコッタの人形)
*木内克(きのうち よし、1892年 - 1977年)は、水戸市出身の彫刻家。

何れの品も新橋の「シャンソンカフェ・ルーブル」在ったものだ。

先代のママが亡くなった後、中澤さんが2代目を継ぎ営業。
水戸に移住に際し、持ち帰った思い出の品々。



1988年3月・当時のルーブルを報じた「読売新聞」

話しをしていて、お互いに1941年12月18日生まれ、と知った。
自分と同じ生年月日の出会ったのは初めてだ。

朝ドラの放送は半年間、収録済は、三分の一らしい。
収録が終了し、完全に店に復帰したらまた伺いたい。

夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。

2017年01月17日 22時47分52秒 | 人と作品
夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。



水戸市泉町のアートセンター「タキタ」1階奥の「ギャラリー」を覗いたら夏目漱石が菊池謙二郎に宛てた手紙の額装が展示されていた。


大正4年9月30日
牛込区早稲田南町7番地より水戸市上梅香7番地、菊池謙二郎宛て。

拝復いつもご無沙汰をしてゐます近頃講演は殆んど遣らぬ事自然なつて仕舞ました是は小生の無精と時間がないのと夫を知つて頼む人が来なくなったからです先年も謝絶今度もお断りでは甚だ済みませんが右の譯で中々遠方へ出かける勇気も余裕も時間も根も有りませんからどうぞご勘弁をねがひます小生は旅行をするといつでも病気をします今春も京都に行って寝ましたまあ廃人の部に属すべき人間です不取敢御返事迄 匆々不一
九月盡
                  夏目金之助
  菊池謙二郎様
       座下

(勿論、手紙文は縦書きで、当時の習慣で句読点はない。漢字は旧字を使用しているがパソコンには無い文字もあるので、当用漢字を使用してある)

『漱石全集』には菊池謙二郎宛ての手紙は7通おさめられているが、この手紙は大正4年9月30日。1916年(大正5年)12月9日に夏目漱石は死去しているので約1年前、漱石最晩年のことだ。
当時、菊池謙二郎は水中(現・水戸一高)の校長であったから、学生に対する講演を漱石に依頼した。体調不良ゆえにことわっているが、旧友からの依頼ゆえ丁寧な断りをしたためた。

明治の文豪・夏目漱石を知らない人はいないだろうが、水戸出身で東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった菊池 謙二郎)については知らない方も多いように思うので、この書簡の紹介と菊池謙二郎について簡単に記す。

菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖・枳殻(きこく)庵。

東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった。
藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。

1895年(明治28年)28才という若さで、旧制津山中学校の校長に就任。
何校かの校長を経た後に1908年(明治41年)旧制水戸中学校の校長に就任し、13年間近く勤めた。
その間、校是「至誠一貫」「堅忍力行」や校歌などを制定し、現在の水戸一の礎を創った人物。
当時の校是や校歌が現在も使用されていることは驚異的だ。
《小生も卒業生の端くれだが、唱和し、斉唱した》
因みに校歌の1番は
旭輝く日の本の 光栄(はえ)ある今日のそのもと は義人烈士の功績(いさおし)ぞ 忠孝仁義の大道を 貫く至誠あるならば 天地も為に動きなん
*明治41年(校長:菊池謙二郎),10月に校歌の歌詞を生徒から募集したが,1.2等に該当するものがありませんでした。そこで改めて職員から作品を募集し,古賀快象作の今日の校歌が生まれ,11月11日に発表された。現在のものと,若干「行変え」や「仮名ふり」などが違うだけで,現在まで歌い継がれています。(※参考・水戸一高HP)

日を改めて正岡子規『水戸紀行』を基に正岡子規と菊池謙二郎。
漱石からの他の書簡などを調べて報告したい。

~画狂老人、北斎の晩年~

2017年01月16日 14時31分36秒 | 人と作品
~画狂老人、北斎の晩年~



NHKのテレビ日曜美術館「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」
2017年1月15日(日) 20時00分~20時45分を見た。

昨年の暮れ「すみだ北斎美術館」を訪ねたのがきっかけで、正月2日は隅田川沿いの葛飾北斎(1760年~1849年)に所縁のある地を巡るなど北斎への関心が高くなった。「日曜美術館」は北斎の晩年を重点に紹介したので面白かった。

住居や号を頻繁に変えた北斎は75歳から“画狂老人卍”の号を使い始めた。
茶も飲まず酒もたしなまず、ひたすら絵を描くことに打ち込んでいたが、道楽の息子が博打で大金を借金し、その為、貧乏であったことや、乱雑な小部屋で、炬燵に入ったまま一日中絵を描いていた。などのエピソードも紹介された。

飯島虚心が著した『葛飾北斎伝』は晩年の北斎の姿をリアルに描き出している。



北斎72歳頃からの『富嶽三十六景』



天保5年(1834年) 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。



『富嶽百景』を手がける。

信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』。



天保13年(1842年) 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねた。この時、鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎を厚遇した。

天保15年(1844年)に小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。



信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)、『怒涛図』『龍図』『鳳凰図』などを描く。





『怒涛図』
ダイナミックで86歳とは思えない活力があふれている。





『鳳凰図』





『龍図』龍の表情が可愛らしい。



『富士越龍図』 肉筆画(絹本着色)。
嘉永2年1月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、
落款は九十老人卍筆。死の3ヶ月ほど前、北斎最晩年の作。
幾何学的山容を見せる白い霊峰・富士の麓を巡り黒雲とともに昇天する龍に自らをなぞらえて、北斎は逝った。

嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90。
墓所は台東区元浅草の誓教寺。

辞世の句は、
人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原
(その意、「人魂(ひとだま)になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」)。

炬燵背に画狂老人龍となる 阿然

「じゃばら飴」と矢澤 孝樹さん

2016年12月28日 18時07分35秒 | 人と作品
「じゃばら飴」と矢澤 孝樹さん





水戸芸術館の音楽担当の学芸員だった矢澤孝樹さんが家庭の事情で実家の甲府に戻られてから5~6年は経とうか?
水戸芸時代は演奏会の企画は勿論、幅広い音楽講座を何度も開かれ、クラッシック音楽から現代音楽まで分かりやすく解説された。

僕も何度か聴講したが、機材を駆使して素人でも十分に理解できるように心を砕かれていた。
その様な姿はおのずと市民に伝わる。

退職されることは水戸市民にとって大きな損失だったが、お家の事情とあっては致し方なかった。
現在は横浜美術館館長を務める逢坂恵理子さんと同様に、辞めるに際し多くの市民から残念がられた学芸員はそう多くはない。

家業の「ニューロン製菓」は飴などのお菓子を製造する会社らしいが、OEM(企業が委託者のブランド(商標)で販売するという条件で、製品・部品を受託生産)なので自社の名前が出ることは少ない。




偶々、ニューロン製菓が和歌山県北山村から受託した「じゃばら飴」のFB記事に花粉症などにも効能がある成分が入っているとあった。

詳しく云えば「じゃばら」と言う柑橘の果皮から抽出した『ナリルチン』というフラボノイド成分を多く含む濃縮エキスを配合した、ノンシュガーの飴。
1日2~3粒で、アレルギーI型(花粉症、アトピー、喘息等)に対抗出来るナリルチン摂取量が配合されているそうだ。



面白いと思ってその記事をシェアしたら小学校の同級生から「何処で買えばいいの」と問い合わせ。
村に問い合わせてみればと答えたら、早速購入したらしく味見にと送ってくれた。
シュガーレスで微かな甘みと爽やかな香り、花粉症ではないが喉や鼻に効果が有れば嬉しいことだ。

矢澤さんは実家に戻られ家業に邁進し業績を上げていると同時に、水戸時代の様に、地元の大学や地域での音楽の講座にも関わっておられるようだ。
更には以前からの音楽専門誌への連載やCD批評なども続行されている。
こちらは師であった吉田秀和さんの仕事を引き継がれておられる。

仕事に趣味に、さらに社会との関わりに全力を注ぐ矢澤さんの姿を遠くから拝見(FBなどで)しているが、クリスチャンであること影響もあるのか真面目ににやり過ぎる性格から身体は大丈夫?と案じている。