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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

眞壁屋のうどん@水戸京成百貨店 7F

2015年07月24日 14時15分52秒 | シェジャニー
眞壁屋のうどん@水戸京成百貨店 7F



安比のジャニー(今月から盛岡に移転したが)がブログの中で「美味い」と推薦していた秋田の「眞壁屋のうどん」が水戸京成百貨店のお中元・お歳暮の特設会場に出店しているのを知ったのが2010年7月で、5年前のこと。

「眞壁屋」専務・眞壁明吉良さんは秋田大学工学部の出身で紛体工学の権威。
「粉を科学する学問」らしいが、粉づくりをうどん製造に生かし、粒子の違う小麦粉を横手の水と混ぜ合わせ、勿論、水に関しても特殊な装置を使うようだ。

厳選素材を職人が完全手作りで仕上げた品は『腰、しなやかさ、味、のびにくさと食べていただくと、他の麺との違いがはっきりわかります』と自信をもって説明された。食べてみればお説の通り、早速頂くことにした。

以来、お中元とお歳暮は「眞壁屋のうどん」に決めた。
(贈答する付き合いはさほどないから、ほんの数軒ではあるが)

期間中、毎週末には横手から車で来水(約480㌔らしい)売り場に立たれる。
仕事の後、夕食を共にすることがある。
海外生活の経験と、倫理運動の講師もされているから話題が豊富だ。
政治・経済の分析力も鋭く、感心して話を伺う。

そんなコンナで、お付き合いも5年を経過した。
これも、ジャニーこと・春田光治さんとの縁。
味に妥協を許さない春田さんの評価は私にとっての基準。



水戸京成百貨店の7階の「お中元特設売り場」は28日(火)まで。
贈答用はもとより自家用としても、安心して食べられる「眞壁屋のうどん」をお勧めしたい。
いくらか、宣伝めいているのでは?とお思いの方、売り場で試食できます。
是非お試しください。

シェ・ジャニー予約しました。@盛岡市材木町

2015年07月23日 12時20分34秒 | シェジャニー
シェ・ジャニー予約しました。@盛岡市材木町



7月4日に安比高原から盛岡市材木町に移転したフランス料理店「シェ・ジャニー」が新粧開店した。
1969年渋谷の神南に開業し、瞬く間に東京の食通をうならせる店として評判となった。常に新たなことに挑戦する気性のジャニーはいとも簡単に。繁盛店を閉めて、85年に安比に移住。スキーや渓流釣り、狩猟、山菜取りなど気ままな山暮らしを約10年間続けた。
1997年、友人たちの求めに応じ店を再開した。
安比高原の知る人ぞ知るレストランとなったが、30年を経過した建物の傷みは激しく、再建か移転かを迷った。

今年に成って、たまたまの縁で盛岡市材木町「光原社」の隣の物件に出会い即決。
短期間に改修をすませ新装開店の運びとなった。

昨年7月に安比の店を訪ねてから満1年。
人生何が起こるか予測はつかない。

開店井至る過程は逐次ブログで拝見していた。
今月下旬、訪問の予約が出来た。
どの様な店か楽しみにしていた。



7月19日付けの「河北新報」に進展を紹介するコラムが掲載された。
「1人の料理人・1軒の料理店が、街を動かす大きな力になる。」と云う感じで読んだ。
これから、訪れるかもしれない方々に転載させて頂く。

「シェ.ジャニー」材木町店オープン

2015年07月03日 18時45分51秒 | シェジャニー
「シェ.ジャニー」材木町店オープン
@盛岡市材木町7-44 ℡ 019-601-6784





(店頭のボードにどんなメニューが書かれるのでしょう)

ジャニーこと春田光治さんは1969年渋谷区神南の自宅の一角を改装し、フランス料理店 Chez Johnny “シェ・ジャニー”を開業した。
今でいう隠れ家レストランのような雰囲気に加え、内臓料理やフランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、日本に初登場の料理は新風を吹き込み、瞬く間、に予約の取れない評判の店となった。

15年が経過した1985年、世はグルメブームを迎へ舌より頭で料理を食べる客が増えたことに嫌気して、大繁盛の店を閉め、1986年安比高原のペンション街の一角に100坪の住まいを造り移住した。
以後10年間はスキー、渓流の岩魚釣り、冬の狩猟など趣味の世界に遊んだ。
その間、雑誌の取材などに応じ「安比料理工房」と称して地元の食材による料理研究は継続したが、日々の料理は家族と東京から訪ねてくる友人のために供した。
従って、一般の人たちに眼にふれる機会が少なく“幻の・伝説の料理人”と呼ばれるようになった。

再開してほしいとの要望に応える形で敷地の一角に増築した部屋を改装して「シェ・ジャニー」を再開店したのが1997年。
高原のレストランとして評判を呼び、遠方からのお客さん来る店となった。

安比に移住して30年を経過した今年、豪雪地帯の建物の痛みが激しくなり、改築・移転を考えていた際に盛岡市材木町の中古物件の話が舞い込み、急遽、移転することになった。



(奥様のイチさん、連日の仕込みでお疲れの様子)

改装工事が完了して、明日7月4日、シェ.ジャニー材木町店がオープンする。
渋谷に開店して以来2度転居したが、46周年を迎える。

長らく親しんだ安比から幾らか離れるが、我々にとっては盛岡は行きやすくなった。
材木町と云えば民芸品の「光原社」が有名だがそのお隣。
新たな盛岡名所が誕生する。




(渋谷時代からシェ.ジャニーのBGMはジャズ)

スーシェフを務めていた「ハモさん」の自宅は対面とのこと。
忙しい時にはお手伝いも戴けるだろう。
渋谷時代、厨房の中には大勢が働き、料理の研鑽に励みあたかもジャニーを中心とした学校の様でもあった。

材木町店開店おめでとうございます。
なるべく早くお伺いしたいと思っています。

盛岡の地で、料理が主ではあるが音楽を始め幅広い交流の場、としての「シェ.ジャニー」であることを願っています。

(*写真はフレンチレストラン シェ.ジャニーのブログ~魅惑の南仏料理~より)

●フレンチレストラン シェ.ジャニー 
岩手県盛岡市材木町7-44 ℡ 019-601-6784 月曜定休
完全予約制で、5日前までに予約。
予約の際、好みによりコースを組み立て。¥10,000~

中華・ピッザ・鮨 @盛岡市

2014年07月26日 16時45分45秒 | シェジャニー
中華・ピッザ・鮨 @盛岡市

食べられれば何でもいいと思っているが、たまには美味しいものもと思うときもある。
安比のジャニーへの旅は、水戸の京成百貨店のお中元売場に来水した、秋田のうどん屋さん「眞壁屋」の眞壁明吉良さんとの縁。

「明日、盛岡まで行きます」との話を聞いて、同乗を願い出た。
盛岡まで行けば、安比までは1時間足らず、何とかなるだろうと考えた。

朝7時に水戸を発ち昼頃には盛岡着。
眞壁さんが待ち合わせた方と一緒に昼ごはん,となった。
中心街にある、本格的な中華料理店とのこと。

萬花京@盛岡市菜園1-6-13









豪華な昼定食をご馳走になった。

次から次に、料理が出る。
ヌーベルシノワを標榜しているから、今風なのだろう。

写真を見て、料理をご堪能下さい。

ピッツェリア ピアーチェ@盛岡市大通3-6-23

安比から戻って盛岡に宿泊した。
散策の後はピッツェリア ピアーチェに。







PIZZA発祥の地、ナポリの伝統を 重んじている人達の後継者で、イタリア産小麦粉・水・塩・生イーストの 4つのみであることが基本とした薪窯の店。

「真のナポリピッザ協会(本部ナポリ)」の店で日本で36店舗目だとのこと。



●マルナーラ(ナポリPIZZAの原点・ニンニクとオレガノ)を注文。

回転鮨清次郎@盛岡駅ビルフェザン内B1F

 

ジャニーが「回転寿司だけど旨いよ」と云うことで、行きました。
魚の卸やさん経営によるとのこと、盛岡市内に何店か構えている中のひとつ。
確かに、ネタが良い。

 

天然ワカメ汁。

カンパチ・アイナメ・タイ。
何れも天然物。

 

更に,キンメ。
水タコ。
店長の長岡真広さんにご挨拶も出来た。
何れのお店も、機会が有れば再訪したい。
盛岡経由、安比高原は魅力にあふれています。

安比高原への拠点、盛岡市の点描

2014年07月22日 19時44分31秒 | シェジャニー
安比高原への拠点、盛岡市の点描。



比高原への拠点、盛岡市の点描安比高原への拠点、盛岡市の点描。
歩いてたのしむまち

「シェ・ジャニー」のある安比高原は東北自動車道「松尾八幡平IC」或いはJR花輪線「安比高原駅」を経由する。
何れにせよ盛岡市が基点。
これまで何度か立ち寄り、わんこ蕎麦、盛岡城址公園、光原社などにも行った。
今回は盛岡に1泊し、貸自転車でポタリグしたので、いくらか詳しく見られた。

北東北の観光拠点になっている盛岡駅。東北新幹線、秋田新幹線の分岐点でもある。



駅近くで、貸自転車を借りる。



啄木であい道。川沿いの小道に沢山の歌碑が並ぶ。







開運橋を渡り、真っ直ぐ進んで行けば盛岡一番の繁華街・大通りに至る。
この橋、水戸の水府橋に似ていますが、昭和27年製。

材木町、宮沢賢治ゆかりの民芸品店をはじめ陶器、木綿、漆器、木工家具など手仕事を重んじる店が軒を並べている。



「光原社」は宮沢賢治の命名による。大正13年に賢治の『注文の多い料理店』を出版。





中庭に賢治の記念碑が建ち、裏の白壁には「雨ニモマケズ」などの詩が大書してある。
民芸品やコーヒー店も有ります。





大通りの商店街、空き店舗は殆んどありません。
映画通り、もありました。今でも何軒かの映画館が有るようです。





盛岡城跡公園(岩手公園)。
盛岡城は北上川と中津川の合流点の丘陵につくられた平山城。桃山時代から改修を重ねた石垣は見事。



公園の近くに、この様な懐かしき飲み屋街もある。



石割桜は盛岡地方裁判所前にある、樹齢約360年ともいわれるエドヒガンザクラ。
周囲21mの巨大な花崗岩を割って成長を続ける生命力が見事。国の天然記念物。
盛岡市は「歩いて楽しむまち」を標榜している。
案内図や標識など、心配りが感じられた。

弟子からの便りの再録

2014年07月21日 22時21分18秒 | シェジャニー
弟子からの便りの再録


本年春田さんがレストラン・ボン ヴィヴァンを訪れた。

伊勢のレストラン・ボン ヴィヴァンのオーナーシェフ河瀬 毅さんが2006年にアップした記事をご本人の了解を得たのでアップします。(原文のまま) 料理の神様とも称されています。弟子からの便りの再録

料理の神様とも称されています。25年前に魅惑の南仏料理と言う本を出版したこの料理人について お話したいと思います。
前回に予告した北勢の虎の話は、又次回と言う事で勘弁して下さい。
何故なら私は、心から愛して尊敬するこの安比の神様の弟子の一人ボン ヴィヴァンであるからです。
私という料理人が形成された過程の中でレストラン・シェ・ジャニーがどれほどの影響を私に与え、 感動を覚えさせてくれたか・・・・ 春田光治は、決して叩き上げの苦労人の調理師ではありません。
もちろん勉強家ではありますが、 みじんも見せず鼻歌唄いながら楽しそうに鍋を操る、生まれながらの天才料理人です。
彼が作り出す料理の数々に当時の美食家達はせっせとレストランに通い詰めました。
今、流行りのこぎれいな料理ではありませんが、フロマージュドテート(豚の頭のゼリー寄せ)、 トリップアラモードカン(牛胃袋の料理)ラタトゥイユ(南仏野菜の煮込み)などなど 見掛け倒しの一発料理ではなく、素材、火の使い方、時間、香草、香辛料、味の構築。 全ての判断力が体にしみついてこそ初めて作ることが出来るこれらの料理。
素朴でしみじみと味わい深い料理が天才の手にかかると極上の皿に変貌します。
洋館を改造して変則的な決して広くはない厨房にいた当時の私たち11人。 まかないもシェフのお世話になりました。
ベトナムラーメン、ブランケット、叉焼、ピエジャメetc 若かった私たちはチームとなってレストランを盛り立て、褒美としてシェフの傍らに居させてもらっていた ような気がしてなりません。
にんにくは芽を取り除いてからパーンと潰してからアッシェにします。
生姜は繊維を断ち切るような方向で すりおろし、わさびは外皮を綺麗に削って緑だけにして鮫の皮のおろし金で円を書くように優しくおろす。
おろし終わったらわさびをそっと捏ねるんでしたね。
醤油の中にわさびは溶かず、刺身の上にちょっと乗せ醤油を少しつけて食べるもんだと26年も前に 教わりました。
グルメ本、指南書が溢れる今でこそ当たり前の知識。
でも私たちは貴方のおかげで当時からいっぱしでした。
渋谷の公園通りの奥に入った所。文化屋雑貨店から消防署の横を上がった所。
上がりきると、コロンバン、出来たばかりの釜茹でスパゲティの五右衛門があり、 坂の途中にはサザビーズが小さな店でオープンしは、まだシップスと名乗っていました。

代官山にハリウッドランチマーケットが出来て、神田のガラクタ貿易で三枚組のヘインズのTシャツが 予約待ちだった頃の話です。

岩手県に潜むジャニーへ。勝手にそんな頃の話をしてもいいですか? 当時の私たちの仕事。
渋谷の街の風景。何故ジャニーが連日満席の店を売ってあえて安比高原に移ったか。 これから、しばらくポツポツと深夜の独り言を喋っていきたいと思います。 そう言えばジャニー、先日届いたカキスープもベーコンも素晴らしかったです。
前回のクスクスやカイエットといいスタッフ一同、感動でやられっぱなしです。

*追記、ジャニーより若干の訂正が入りました。
大蒜の芽、よほど悪い色でなければ取りません、生姜は繊維に沿っておろした方がよろしいです

シェ・ジャニーの魅力

2014年07月19日 18時14分33秒 | シェジャニー
「シェ・ジャニー」の魅力。



渋谷区神南の住宅街に、春田光治さんがフランス料理店「シェ・ジャニー」が開業したのは1969年。
実家が所有していたアパートを改装した小さなレストランだった

フランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時の日本で初登場の料理は大人気を博し、連日、予約で満席という状況が続いた。今では、中華屋さんから居酒屋さんの突出まで、夏の定番メニュー「ラタトゥイユ」(ニース風野菜煮込み)を始めてメニューに載せたのも、春田さんだ。

開業して約15年、料理を頭で味わう人達が多くなったことを嫌気したオーナーシェフの春田光治さんは、1985年渋谷の地を離れ安比高原に移住した。グルメブームに背を向けた男と僕は思っている。

その後の約10年間は、スキー、釣りや狩猟など趣味の世界を楽しんだ。料理は、家族と友人のため、毎日の三食を真剣に取り組んだ。全ての事に妥協しない性格だ。

余りにも早い隠棲生活入りを惜しんだ友人の助言や、昔の常連さんの要望もあって1997年自宅の一部を改装し「シェ・ジャーニー」の営業を再開した。





5日前迄の予約制で、自分の食べたい料理などの希望を伝え、メニューなどを相談して決める。
戦中戦後の耐乏生活に生まれ育ったから、今の世は、かっての王侯貴族さえも出来なかったほどの豊かな暮らしにあふれている。

食べ物に関しても、料理番組のエンターテイメント、バラエテー化。廉価の飲食チエーンによる均一化。
町おこし村おこしのB級グルメブーム。ラーメン、カレー、蕎麦などの食べ歩き。
高級店でも、白磁一色の単純な器のオンパレード。高級食材をこれでもかと使い過ぎた豪華料理。等々、感じることは沢山ある。しかし、自分なりの物差しを得ておくことは必要だ。

「シェ・ジャーニー」春田さんの料理は、
料理の基本に忠実で、今風の奇をてらった器使いや料理は出さない。
厳選した素材と、原価率が高い(売値のかなりが材料費で利益は少なくなる)料理は健康食で、なおかつ美味しい。

素材や香辛料、作り方まで、隠さずに全てを教えてくれる。
「当店、秘伝のレシピ」などの野暮なことは絶対に言わない。
店の内外も飾り過ぎずにシンプルに。料理はコンサートなどと同じ時間の流れを楽しむことでもあり、次なる料理とのタイミングや取り合わせ。
食の重要性を考え,味と見た目の調和。全ての面で、一つの基準となりうる。
美味しい料理をお腹いっぱい味わってほしい。との信念は変わらない。
何処から行くにしても、安比高原「シェ・ジャーニー」への道は近くはないが、時には「シェ・ジャニー」に行くことをお勧めしたい。

Brasserie AUX AMIS (ブラッスリー オザミマルノウチ)

2011年10月09日 00時12分52秒 | シェジャニー
Brasserie AUX AMIS (ブラッスリー オザミマルノウチ) @千代田区丸の内



ジャニーさんがプロポーズするには、と考えたレストランと聞きました。
上京した際に、どのような店なのかと、訪れました。
正に、パリのブラッスリー。

開店と同時に入店したので予約なしでOKでした。
丸の内のビジネス街ですから、昼は込み合います。

なるべくなら、夜に彼女(いませんが)と来たいお店です。

ジャニーの料理は世界一 @シェ・ジャニー

2011年07月28日 02時21分08秒 | シェジャニー
ジャニーの料理は世界一 @シェ・ジャニー

今回の安比訪問はジャニーこと春田光治さんの「ベルサイユで盆踊り」の話を聞き、かつ、パリのレストランや食材の話を伺う。

私は、食べ物の好き嫌いは無く、何でも食べられれば有難い、と思っている。
通常、三食を家庭の味、奥さんの料理である。

たまには外食の機会もあり、寿司や鰻そして蕎麦と天麩羅など。、

しかし、春田さんの料理だけは別格で、僕は世界で一番と思っている。
世界中に沢山の料理人とレストランがあろうから、その中で最高のレベル、と云う意味だ。
ジャニーの本やブログなどを見て、美味しそうだな!盛り付け、器も素晴らしいなと想像する。味ばかりでなく、香りや匂いまで連想する。
それが可能なのは、渋谷の頃から安比まで、長いあいだ、飛び飛びではあるが厨房の片隅で皆さんの作業を見ることが出来たことによる、と思っている。

実食は賄料理が主だったが、たまにはお客として食べた医と思う。

今回、その機会が巡ってきた。





料理の事に詳しくないから、当夜のメニューを簡単に紹介しておく。
ジャニブロに在った、レシピや写真や裏話なども転載した。



モロッコ風ラタトゥイユ。

夏の定番ラタトゥイユ、今では一般化した料理だが、春田さんが日本紹介した料理の一つ。
今回は「モロッコ風」ということだが、野菜を焼いて作るのでサッパリしておりコリアンダーやクミンの香りと共に、スモークの匂いもするところが特色。これは、最近ジャニブロに掲載されています。



オマール海老のビスク。

あまりに美味しく、写真を撮り損ねました。
全ての料理の頂点はスープかもしれません。
私の友人が、病んだ妻の為に2年間スープを作り続けた話を聞いたことが有ります。スープのみで命をつなぐことが出来るのですね。
オマール海老の全てが詰まっています。濃厚でありながら上品でまろやかな味。



アイナメのタルタル
これについて、ジャニブロでは

『魚のタルタル、昔は無かったですよね、
和食の影響の強い近年の(と言っても20年以上前から)フランス料理の産物でしょう、私は昔ながらの牛のタルタルが大好物なので、魚のはバカにしてましたが、生の牛肉が食べ辛くなった現在、見直してみました、

そもそもはシェパードが安売りのどうしようもない鮪を持ちこんで来ましてな、こいつが葱たっぷりと叩いて山葵どっさりと醤油で食っても食えたもんじゃぁありませんでして、こいつはしょっとしてタルタルつ~~ものが合うんじゃね~か?? ところが作ってみるとなかなか、叩きの方はさっぱり箸が進まなかった皆さん、タルタルはあっと言う間に売り切れましてな、こいつを旬のアイナメでやったらさぞかしうめ~んじゃね~かな? と言う経緯でございます、
美味しい物に感動して自分のレシピに取り入れることは当たり前ですが、凄く不味い物から・・・と言う事もあるのですね~~~

今旬のアイナメでやってみようよ!と実験、オリーヴ油、レモン汁、塩漬けアンチョヴィー、ディル、パセリ、カープル、赤ピッキー玉葱等で味付け。
美味しい~
薄切りのトーストを添えると良いですね
なお最初に(サラダと同じく)オイルでコーティングしてから味を好みで付けていくのが良いと思います。』

引用が長くなりましたが、西洋風なタタキと云うことで、絶品でした。

スペイン風牛ハチノスの煮込み

これまた、ジャニーが渋谷時代から紹介した料理だが、今では一般化した。

『胃袋、豚足、丸=華織が彼方此方の直売を駆けずり回って買い集めておいてくれたパプリカ、ピーマン、ズッキーニ等で”スペイン風牛ハチノスの煮込み”の仕込み。
材料を時間差で入れるのがミソ、
スペインの家庭では全部一緒に煮てしまいます、豚足も骨のまま、大蒜も丸ごと入れしゃぶります、
スペイン人の家族がいつもこの料理の時だけ、「日本のご飯下さい~~~」何で?と思ってましたが、この料理はタイ米より和米が合います。』

この料理、大好きです。
今回久し振りに食べられて幸せでした。


中振りのココットで提供されますが、普通なら2人前ですね、



しばらく食べてしまってから写真撮りましので、少なく見えますが。



パンナ・コッタ:苺のソース

コーヒー

と云うメニューでした。

食事はコンサートと同じ。
食材と香辛料の織り成すハーモニー。
次々と現れる料理は楽章と同じ。
次々と出てくる皿が一体となる。

されど、音楽と同様に時間と共に消滅する。
しかしながら、その記憶はかなりの期間永続する。

有難うございました。
この体験は、私にとって宝物です。

浄法寺の周辺は @岩手県二戸市浄法寺町

2011年07月27日 14時50分57秒 | シェジャニー
浄法寺の周辺は @岩手県二戸市浄法寺町

東北自動車道路安代JCTから八戸自動車道路になる。
この辺りは茨城県の北部、旧水府村や里美の風景に似ている。



葉タバコの畑が広がる。



蕎麦の畑も多く、蕎麦の花が満開だ。
牧場も多いし、林業も多い。
高原地帯で規模は大きく、風景は雄大だ。



稲庭岳(1078m)の麓には岩手県営の稲庭高原風力発電所がある。
出力660KWの風車が3基設置されているそうだが、下からは見えなかった。
茨城県も是非見習ってほしい。

風力発電所に向う途中に「天台の湯」が在った。
公立の日帰り温泉と休憩施設。
立ち寄り湯が在れば、いつでも入れるようタオルの準備はしてある。
入場料は500円、沸かし湯らしいが、肌つるつるの泉質だった。



売店で地ビールの「アッパビール」を販売していた。
車だから、飲むわけにいかないが、ラベルのデザインは横尾忠則とのこと。
かなりユニークなデザイン。

天台の湯のネーミングは天台寺の住職の瀬戸内寂聴さんというから、寂聴さんの繋がりか?

ペンション・ウィング ライト @岩手県八幡平市細野165-10

2011年07月26日 09時06分04秒 | シェジャニー
ペンション・ウィング ライト @岩手県八幡平市細野165-10 TEL0195-73-5226



今回の安比訪問で春田さんが紹介してくれたのが、ペンション・ウィング ライト、シェ.ジャニーから歩いて5分足らずの所だ。

オーナーの石坂勇さんご夫妻は青森県の出身。
安比高原のリゾート開発が始まったのを機に日本航空を退社、地元に近い安比でペンション経営を始めた。
以来26年安比高原の自然を守り、旬の素材を生かした手作り料理でお客様をもてなしてきたとのことだ。

安比はスキーリゾートとして開発されたので、冬のスキーやスノーボードで人気があるが、夏はテニスやブナ林や高原の花を巡るトレッキングも魅力。



安比高原を花の街にする運動にも関わっているから、ウィング ライト周りはミニ公園、樹木と花々に囲まれている。





作り過ぎず自然のままに見えるイングリッシュガーデンを見ると、言葉に出さずとも、維持する苦労が偲ばれる。

話し上手で明るい奥様とお嫁に行ったお嬢様と息子さんの家族経営。
ペンションを素晴らしい出会いの場としたい、との願い通りの雰囲気が有る。

ハンブルグ風ステーキ  @シェ.ジャニー

2011年07月23日 17時28分15秒 | シェジャニー
ハンブルグ風ステーキ  @シェ・ジャニー



朝・昼食を兼ねた賄は、昨夜に仕込んだハンブルグ風ステーキを試食。
提供するものを賄として食し、最終のチェックをするのだ。



ハンバーグと云えばそれまでだが、レシピを見れば並みのモノとは全く異なるのがお分かり頂けるだろう。
昨夜、仕込を見ていたが、随分手間をかけるのだな、と思った。
レシピを見ながら、入念にチェックする。
作るごとに、レシピを変更してゆくのだ。

付け合せ、盛り付けるお皿も試す。
今風な、白い皿に盛り合わせるなどと云うのはまずしないだろう。

出来上がった一皿のハンバーグ。
絶品としか言いようがなかった。

これまた、ゴチソウサマデシタ。


ラタトゥイユ(Ratatouille)野菜の煮込み)

2011年07月18日 13時15分56秒 | シェジャニー
ラタトゥイユ(Ratatouille)野菜の煮込み)

今回の格安ツアーの良い所は、朝食は付いているが、昼食や夕食はほぼ無し。
自分たちで自由に食べるから、時間の無駄が無く、有効に時間が使える。
たまに、昼食・夕食がつく。



この日の昼はアヴィニヨンの街をローヌ河の対岸から見渡すレストラン。
とても眺めがよく、構内にはキャンピングカーのサイトも在った。
欧米の夏休みは、キャンピングカーが多いが、日本はマダマダだ。



メニューはラタトゥイユ(Ratatouille)。

野菜とハーブをトマト煮にしたラタトゥイユは、今では日本中のでも一般化した料理。
我が家の夏の定版料理である。
作り置きできるのも、魅力のひとつ。

この料理を知ったのも、ジャニーの料理だ。
当時は、まだ珍しかった。

ズッキーニも市販される機会が少なく、種苗店から種を買い、自分で育てた。
20年前頃、友人の畑を借りて、休日菜園をしていた。
ズッキーニはうっかりすると。ヘチマ位に育ってしまう。
それでも、キュウリ程度の未熟なモノより、大きめの種の所がシャリシャリと感じる食感がミソ。

ともかく、このレストランの味は我が家とほぼ同じ。
食材の切り方が、我が家より細かい、ところか。



メインの鳥腿のローストは皮がカリッとして美味しかった。
量も、少な目で丁度良い。

シェ・ジャニー春田光治さんの「つかの間のレストラン」

2010年08月02日 00時41分34秒 | シェジャニー
シェ・ジャニー春田光治さんの「つかの間のレストラン」



人生の全ては一期一会、食事もコンサート等と同様だ。
上野万梨子さんが主宰するギャラリーリブレでの「つかの間のレストラン」。
まさに「つかのま」一瞬の出来事といえる。

シェ・ジャニーの春田光治さんの料理を久し振りに食べる機会を得た。
6:30からなのに、昼の部が終了する前の2:30頃に会場に着いた。

僕はジャニーの料理は芸術と思っている。
料理そのものを味わうのが目的だが、春田さんについて多くの人から話しを聞き、ジャニーの人と料理を解くヒントを得たいと思ったからだ。
しかし、準備に追われている皆様から話を聞く時間は無かった。

食事会が始まると、同席の方々との会話も弾んだ。
次から次に出る料理に圧倒されて、あっという間の2時間半だった。

ジャニーの料理は凄く、ノックアウトされた気分の満足感に浸った。

何年に一度でも、このような機会に恵まれるたことに、「有り難い」の感謝の一言。

主な料理の写真はこの前に掲載した。

料理の知識はないので、当夜の雰囲気を伝える写真を掲載し、夢のような一夜の思い出としよう。



調理しているジャニーとハモさん。



アミューズを担当した伊勢“ボン・ヴィヴィアン”の河瀬毅さん。





シェ・ジャニー風クスクスの子羊の串焼き、備長炭の上に鉄格子のような道具で。



コーヒーの準備。
参加者の希望はアイスコーヒー、カクテルのようだ。



挨拶をする上野万梨子さんと春田光治さん。



余分で申し訳ありませんが、小生も一緒に記念の一枚。

スムールについて、ジャニーからのコメントがあったので、書き加えます。

『スムール(セモリナ粉)は本来は、硬質小麦の粗挽き、それと普通の小麦粉を10:8位で揉み始めます、出来たのを少し乾かし、30分位蒸します。広げて冷まし、たっぷりの水を加えて吸収させます。それを再び20分位蒸して、バターで和えると出来上がりです・・』