goo blog サービス終了のお知らせ 

「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

ギャラリーリブレ・魅惑の宵 @ギャラリーリブレ ①

2010年07月27日 02時31分06秒 | シェジャニー
ギャラリーリブレ・魅惑の宵 @ギャラリーリブレ ①

シェ・ジャニー春田光治さんが「つかの間のレストラン」



料理研究家・上野万梨子さんが、日本とフランスの食文化交流の場にしたい。
との願いを込めて、2008年11月に田園調布の住宅街に開設した「ギャラリーリブレ」。

フランスを活動の拠点としている上野さんだが、帰国時に「食」に関するセミナーやイベントを開き多くの人たちと集い『一期一会』交わりをしたいと願いが実った。

会員制を基本としているようだが、料理教室・セミナー・つかの間のマルシェ・つかの間のブティク・つかの間のレストラン等、企画ごとの参加も可能だ。
僕は、上野さんの『シンプルフランス料理』(1980年・文化出版)刊行以来のファンで、一度はお目にかかりたいと思っていた。

昨年の9月、シェ・ジャニー春田光治さんが「つかの間のレストラン」に登場した。
残念ながら、その時は参加が叶わなかった。
好評に答え(参加できなかった方が多く)7月23・24・25日に再度開かれることになった。

今回、幸いなことに席を確保できた。
定員が僅かに10名。本来9人だが希望者が多く1席増やしたとの事。

KEYAKI GARDEN

ギャラリーリブレは多摩川田園調布2-8-1 KEYAKI GARDEN 1Fにある。

KEYAKIは欅の意味だから欅園。
道路に沿って大きな欅と野草の花壇がある。



そこには、プレートが立っていた。要約すると、
『1956年、この場所には〔ドライブインVAN FAN〕がありました。
VANジャケットノショップとカフェ、オーナーの住宅で多くの若者が集いました。
1980年念閉鎖され、2007年に再開発の際、当時の欅を生かしKEYAKI GARDENと名付けた』というようなことが記されていた。

1950年代「VAN」は若者の象徴だった。

僕は、日本のメンズファッションは石津謙介に始まる。と思っている。



「VAN」に関する話しは、後ほどにして、上部は集合住宅だが1階に店舗が4軒ある。
その一つがギャラリーリブレだ。
他にはカナダの工芸品や雑貨の店・洋酒店・但馬黒和牛「中勢以」など高品質の店だ。

一軒ごとの敷地は広くはない。階上のマンション1軒分程度だ。
その様な状況だから「つかの間レストラン」も参加者全員が一つのテーブル囲んでの食事。
お互いが知らないどうしだが、和気藹々と始まった。

気分はプロヴァンス

2010年07月23日 23時59分10秒 | シェジャニー
気分はプロヴァンス
東京の夏の暑さと湿気を嫌い、7月~8月は店を休み、フランスで夏休みをしていたジャニー(春田光治さん)。
1985年渋谷のレストランを止め、安比に移りんだ。
それから12年、スキー・釣り・狩猟・気ままに過ごした。
1997年自宅の離れを直し、シェ・ジャニーを再開した。



昨年、久し振りに「つかの間のレストラン」で東京の舞台に立った。
今年は、暑い東京に再登場する。
そのわけを知りたい。

ピーター・メイルが有名になるより前に、
日本でプロヴァンス料理を出していたジャニー。

料理への期待は勿論だが、ジャニーの生き方を多くの人から聞きたい、と思っている。

報告は後ほど~。

“つかの間のれすとらん” @ギャラリー リブレ

2010年07月21日 23時27分32秒 | シェジャニー
“つかの間のれすとらん” @ギャラリー リブレ

シェ・ジャニーの春田光治さんが昨年に引き続き登場する。


7月23日(金)18:30 
7月24日(土)12:30 
7月24日(土)18:30 
7月25日(日)12:30 
*毎回定員は9人



昨年の厨房の様子。

シェフズテーブルメニュー


伊勢 レストラン・ボン・ヴィヴァン 河瀬毅シェフのアミューズ

シェ・ジャニー特製シャルキュトリー



(ジャニブロから)

三陸・大船渡の夏牡蠣

シェ・ジャニー伝統の手もみスムールのクスクス、
子羊のブロシェットと八戸・ビストロ・ポ・デタン 三浦祐紀シェフ特製メルゲス(アラブ風ピリ辛ソーセージ)の炭火焼き添え。

パンナコッタ : 苺ソース  極上ネルドリップコーヒー

秋田眞壁屋のうどん、眞壁明吉良さん

2010年07月19日 11時12分37秒 | シェジャニー
秋田眞壁屋のうどん、眞壁明吉良さん



安比高原のシェ・ジャニーのブログを通して秋田眞壁屋のうどんの店主・眞壁明吉良さんを知った。
7月27日まで水戸京成百貨店7階のお中元特設会場に出品のため、水戸に滞在している件は7月13日のブログに書いたが、お目にかかって話を伺う機会を得た。



「水戸にお邪魔する様になってから7年になります。、お蔭様で、沢山の方々と知り合いことが出来、いつ来るのか?といった問い合わせが店に入るようになりました。茨城の方々は、本質を見極められる方が多いと感じています。」

「私のうどん作りは、小さなお子様からお年寄りまで食べて頂くこと、食の喜びを感じて頂くことを目標に行っています。特に、子供が喜んで食べるものこそ、ほんものだと私は感じています。」
「富士通研究所、さらに富士通で海外ビジネスを担当しておりましたが、家業のうどん屋を継ぐことにし、帰郷しました。」
「地方に在りながら、自らの仕事をグローバルに展開したいと何時も念じています。」
「5年前から、香港の高級食材店 シティスーパーで取り扱っていただくようになりました。今では定番の人気商品として定着し、眞壁屋のうどんを使用したいと言う業務店が増えています。」
努力が実り、日本のみならず、世界に向けて進んでいるようだ。
富士通に勤務した経験も生かされているのだろ。

「大学で粉体工学を専攻しました。父が創りあげた味に、私が研究してきた科学的理論を用いて、さらに喉越がよく、ツルツルとした味の美味しいうどんを作るようにしています。工夫したのは粒子の大きさと活性水でした。」
「素材の研究、伝統的な技術の継承の大切さを多くの人に伝えたいと思っています。」
実践のため「大学での講演や小学生から社会人まで講義受け持ち、ほんものの見極め方を科学、倫理を通じて教えています。」
という。食文化のみならず、多くのことを地方から発信している。
45歳の働き盛り、更なる発展が期待できそうだ。

眞壁さんと知り合えるきっかけは、シェ・ジャニーの春田光治さん。
春田さんについて「天才です。予測のつかない引き出しを沢山持たれています。美味しさを伝えるシナリオ、前菜からデザートまで驚きの連続をお客様に与える料理を作られる点は、他の料理人には真似できないものを感じます。」
「だいたいの料理人の料理は3回頂くとパターンが読め、フレンチに関しては、一度ご馳走になるとしばらくは食べなくても良い気分になるのですが、春田さんの料理は食べ終わってまたすぐ、食べたくなるから不思議です。」と語る。

僕も同感で、春田さんの料理は世界一と思っている。
食する機会が少ないのが残念だ。
嬉しいことに、上野万梨子さんが主宰する[ギャラリーリブレ〕の「つかのまのレストラン」に7月23・24・25の3日間に登場することになった。
僕も24日6時の部に予約が出来た。

久し振りにジャニー(春田光治さん)の料理を味わえることを楽しみにしている。

眞壁屋のうどん

2010年07月13日 22時05分01秒 | シェジャニー
眞壁屋のうどん
㈱眞壁屋 秋田県横手市大屋新町字堂の前35-2



安比高原のレストラン「シェ.ジャニー」のシェフ、ジャニーこと春田光治さんとアメリカ在住の娘・Aliceさんによって海を越えて綴られる、食に関するブログを読むのを愉しみとしている。

春田さん親子が「美味い」と推薦する“うどん”が秋田県横手市の眞壁屋(まかべや)の完全手作りうどん。
僕は、数年前に水戸京成百貨店「秋田物産展」の催事で知った。

ジャニーのブログのコメントを読んでいたら、
『ご無沙汰しております。眞壁明吉良です。美味しい料理をご紹介頂き、ありがとうございます。水戸に滞在し、お中元ギフト販売に取り組んでいます。秋田から水戸まで車で480km移動し、7月は水曜日のみ秋田で、あとは水戸で仕事と言うのが今年の予定です。』

と云う書き込みを発見。
早速水戸京成百貨店の7階催事場を訪ねた。
残念ながら閉店間際で、眞壁さんはお帰りになったあとだった。
家に戻って『眞壁屋のうどん』を検索したら、うどん以外に眞壁家の歴史なども書かれている。

眞壁家は佐竹氏の秋田移封に伴なって移り住んだ家系だそうな。
さらに、忠臣蔵47士の内、13の義士は旧眞壁家の家臣団であった、とも書かれている。

播磨赤穂藩の第3代藩主浅野内匠頭は『忠臣蔵』を通じて有名だが。
祖先は、常陸真壁藩(現・茨城県さくら市)笠間藩(現・笠間市)主であった。
常陸の国(現・茨城県)とは深い縁があるのだ。

歴史的な経緯はこれくらいにし、HPには次のように記されている。

『眞壁屋のうどんは、粉・水を研究し、うどんに最も適した安全で、美味しい素材を職人が、完全手作りで仕上げています。』
さらに、
『腰、しなやかさ、味、のびにくさと食べていただくと、他の麺との違いがはっきりわかります。数量限定、なかなか入手しにくい美味しい眞壁屋のうどんを是非、ご賞味ください。眞壁屋は未来の子供たちのために、日本人の忘れかけたスローフード(安全で、時間をかけて食べる美味しい食材)作りに専心しています。』

いくらか、宣伝めいているのでは?
と疑問の向きも有ろうが、数年前の物産展で購入したから、味は保障する。
ジャニーのお墨付きだ。

茨城に縁の有る、秋田県横手市の「眞壁屋」のうどん。
お中元の展示会に出店しているが、夏は冷やしとして、自家用として食するのも良い。

安比・ シェ・ジャニー 春田光治さんの “つかの間のレストラン”

2010年07月04日 00時29分30秒 | シェジャニー
安比・ シェ・ジャニー 春田光治さんの “つかの間のレストラン”
@ ギャラリー リブレ   世田谷区玉川田園調布2-8-1


7月23日(金)18:30/24日12:30・18:30/25日12:30
  


料理研究家・上野万梨子さんが主催するギャラリー・リブレで開催される“つかの間のレストラン”。
昨年9月、たった一回の開催にしてすでにリブレの伝説となった春田光治さんの第二弾。

春田光治=伝説=幻=日本で二番目のビストロ等等の前書きが、常に付く。
それらは、人により、様々だ。

僕がジャニーを知ったのは『女の部屋』NO3(1970)と思う。
とても印象的な出来事なのだ。
僕の友人H君はこの雑誌を前に『僕はこの店に修行に行きたい』
片や、新婚間もない奥さんは将来に不安を感じ離婚したいと考えた。
その立会人として僕が同席し、その雑誌を見たのが始めて。
記事は、フランス帰りの若夫婦が自宅を改装して始めた小さなレストラン。
その頃の日本のフランス料理は、ホテルや高級店の料理であった。

ジャニーは南仏の家庭料理・日常食を提供したと思って開店した。
渋谷の静かな住宅街の店は、あっという間に評判を呼んだ。

それから『シェ・ジャニー』の住み込み手伝い人となった、H君を訪ねるようになった。
客として行くにも、連日満員で予約も取れなかった。
店も拡張され弟子も増えた頃、客として行くことが出来た。

『デジャビュー』過視体験とも訳すようだが、この店とこの味は懐かしいと感じた。
戦後の腹ペコ生活を送った僕だから、その様なことは無いはずなのに、そう思った。

それから数年たって、僕の友人の何人かを弟子として紹介することなった。
従って、客としてジャニーの店で食した経験は少ないが、閉店間際に店に行き、皿洗いを手伝って賄い料理にありついた。
それを目当てに、僕以外にも多くの人たちが来た。

食事の開始は午前2時頃。
先ずは、糠付けと『菊正』の樽酒で乾杯、合言葉は「チンチン、オメコ」。
次に食事だが、フランス料理より中華や東南アジヤや日本料理。
狸汁などもあり、多種多様。
店で出す料理より賄いの方が美味いのではと思った。

それが終われば、一斉に片付け。
これで終了ではなく、次なるメニューの試作をする。
同じ料理を、分量を変えながら何度も試す。
一応の終了は、朝の5時頃。

翌日は、昼頃に集合し、ソフトボールや野球の練習。
夕方4時頃、「紀伊国屋」へ買い出し。

開店時間は6時頃、であったろう。
7月から8月にかけての一ヶ月は休業した。
その間、ジャニーはフランスに食べ歩きの旅。
そこで出合った料理を日本に紹介した。

ジャニーの料理は、正統派。
小細工、見てくれは関係なし。
美味しい料理をドーンと出す。

これだけ言って申し訳ないが、今回の定員は一日で全て完売。
次の機会を待つか、安比に出かけるしか手はない。