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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

トルコ・ギリシャの旅 3

2008年08月13日 06時29分01秒 | 日記
1968年《丁度40年前になるが》に2週間のヨーロッパ旅行が実現した。アンカレッジ経由でロンドンに。イギリスからフェリーでドーバー海峡を渡りフランスへ。ベルギー、ドイツ、スイス、イタリアをバスで巡った。1ドル365円の時代で1ポンドが800円位した気がする。そのとき観た風景は今は白黒写真のごとく漠然とした記憶となってしまった。その後、数年に1度くらい韓国、香港、フィリピン等を観光した。
15年前から仕事の関連で毎年2~3回イギリス、デンマーク、アメリカ《サンフランシスコ》に旅することになった。そのほか、友人と仏教美術を訪ね中国・タイ・香港・台湾には何度も足を運んだ。バングラデッシュやウズベキスタンなど余り一般的でないところにも行った。
未知なる世界を知る事は、僕にとって一番の楽しみ、と言える。その点では夢が一部実現したといえるが、行きたいところは、まだまだ沢山ある。

グランドバザールは中央の大きな通りに交差するように小さな路地が沢山有り、貴金属店やみやげ物店等軒を並べている。貴金属・みやげ物等に興味はないので眺めるのみ。
ウズベキスタンの素朴なバザールであれこれと雑貨を選んだ事を想い出した。

バスにてガラタ橋の反対の広場に面したエジプシャンバザールに移動する。こちらは食料品等の生活用品のバザールとのことだがパスして、隣のモスク(イエニ・ジャミイ)に入った。1663年完成の大きなモスク。翌日のブルーモスクもそうだったが、女性には入り口で巻きスカートを貸し、着用させて入場するように成っている。堂内にお座りしてお祈り。しばしの間イスラム教徒になった気分だ。旅は素直に環境に順応するようになる。
モスク出て広場のベンチに座し、行き交う人々を眺める。ガラタ橋の傍で観光客も多いだろうが、市場を利用する生活者もかなりの数か?イスラム圏の女性の服装は興味をそそる。大方の人が頭にスカーフを巻き、人によっては着丈の長いレインコート状の上着を着ている。気温は27~30度、湿度が低いので暑くは感じないが、汗をかく状況だから無理な服装。トルコは共和国で政教は分離されているのだが。

その後、広場まで漂う焼魚の匂いに誘われにガラタ橋に行く。昨年トルコを訪ねた友人Fさんご推薦の鯖サンド(鯖の塩焼きがパンに挟んである)の屋台が有った。鯖もパンも美味しい、御代は4トルコリラ=約400円。
ガラタ橋の人ごみや桟橋の船の出入りを眺めている内に自由時間も終了。 
サンドを食べて間もないのだが、金角湾沿いのレストランでの夕食に向かう。1階の入り口に薪のナン窯が有る。焼きたてのナンは大きく美味しい。メインは羊の煮込み料理。9時にはホテルに戻る。 
体調が悪くても、旅に出ると俄然回復するのが通例だが、今回は様子が変で、お腹の調子もいまひとつ。かなり悪い、といった状況。どうなるかと一抹の不安がある。          

トルコ・ギリシャの旅 2

2008年08月12日 15時02分35秒 | 日記

②トプカプ宮殿見学とバザールへ。
午前中は疲れ直しの意味もあって、自由時間。                     
朝食の後に散歩に出た。最寄の地下鉄駅を探しながら町を歩く。ホテルの近くで、サッカーのスタジアムとオフィシャル・グッズの店が在った。トルコもギリシャもサッカーの盛んな国らしい、との話しは日本で聞いた。今は、リーグ戦は終了してヨーロッパ選手権がオーストリアとスイスで開催中。旅行中アチコチの居酒屋でテレビ観戦の人たちを沢山見かけた。
更に、銀行の敷地の一角で宮島達男の作品を見つけた。これには驚き!先日の水戸芸術館での展覧会で見たばかりなので直ぐ分った。屋外だからLEDの発光が弱く感じるのでインパクトは薄い。しかし、トルコの地で見るとは思いもしなかった。トルコは親日的とは聞いていたが嬉しいことだ。帰国後調べて見ると、1995年のイスタンブールビエンナーレに出品しているので、その際の作品かもしれない。
地下鉄の駅は探し出せないまま、ホテルに戻る。

先ずはタクシムのレストランでアダナケバブ《地中海のアダナ地方のケバブ。ひき肉に唐辛子入れたスパイシーなケバブ》を食べてからトプカプ宮殿に。
周囲6Km?の城壁に囲まれた岡の上に造られているオスマン・トルコの宮殿。メフット2世によって15世紀に建てられ、約370年間の長きに渡ってオスマン・トルコの歴代のスルタンが生活し執務をとった場所。1856年ドルマバフチェに宮殿を移すと閉鎖されるが、1924年からアタチュルクによって博物館として公開され現在に至っている。
世界最大のエメラルドの付いた王冠や装飾された短剣や陶磁器など王宮の宝物が展示されてある。僕は宝飾品に殆ど興味がないので猫に小判だ。中国の陶磁器は見ものなのだが、展示場の照明や陳列ケースが悪く、品物の良さが分らないのは残念だ。日本の伊万里等も展示されていて、トルコが東西の接点である事を感じる。
金角湾とボスポラス海峡を一望できるテラスからの眺めは正に絶景。

ハーレムは別料金を支払って見るのだが、豪華な部屋や総大理石のトイレやサマム《トルコ式蒸し風呂》などスルタンの威光を実感する。日本に戻ってから読んだ本によるが、ハーレムでの権力争いは日本の江戸時代の大奥とは比較にならないほど壮絶だったようで、先代のスルタンに繋がる一族は皆殺しという事も並に有った話しらしい。イスラム教では妻を4人まで持てた上にハーレムだから、係累は大変な数にのぼるだろう。
かって見た中央アジア・ウズベキスタンの王宮やハーレムとは比較にならない規模だ。
片や不毛な砂漠地帯、片や水と緑の豊かな大地の経済的地盤は大きく異なる。想い起こせば、ヒヴァやヴハラの王宮やハーレムは豪族程度にも満たない感じだ。イスラムの寺院に関してもまるで規模が違う。地中海一帯を制覇したオスマントルコ帝国の威力を感じた

トルコ・ギリシャの旅 1

2008年08月11日 23時51分32秒 | 日記
『深夜特急でむすぶギリシャ・トルコ13日間』の旅  
   
昨年(2007年)は中央アジアのウズベキスタンと中央ヨーロッパのチェコとハンガリーなどを旅した。中世ヨーロッパの雰囲気を残すプラハやブタペスト。シルクロードの面影が残るブハラやサマルカンドなど、それぞれ楽しい想い出だ。
今年はどうしよう?たまたま、H交通社のパンフレットを見ていたら沢木耕太郎の『深夜特急』からのパクリが見え見えのタイトルのツアーがあった。ギリシャやローマはヨーロッパ文化の原点だ。今までシルクロードを西へ西へと向かい、ウズベキスタンまでは行った。もっとも、敦煌・ウイグルなど未だのところも多いのだが。
シルクロードの出発点・到達点で東西文明の交差点のトルコとギリシャへ行こう。と決めた。

パンフレットに拠れば、2度ほど夜行寝台車に乗る。それが『深夜特急で結ぶ・・・』というタイトルの訳だが、旅行社の経費や時間の都合で《夜行寝台に乗る旅》とも言える。それ以外の移動はバスで、1日200キロとか500キロも乗る日も有るようだ。
とはいえ、沢木耕太郎の書くところの乗り合いバスを乗り継いでのような、過酷なものではなさそうだ。一昨年のバングラデッシュでは飛行機が霧で飛べなくなり、急遽オンボロバスで1日近く走った。しかし、今では楽しい想い出だ。

①トルコのイスタンブール

成田10:30発 AF279便はパリで乗り継ぎ。パリ発19:05 AF2390 は23:25イスタンブール空港着。乗り継ぎの時間を含め約18時間以上は経つ。お疲れ様でした。
トルコの人口は約7000万で国土は日本の約2倍。平地が80%で食料自給率は100%の農業国、最近は工業化も進んでいる。
空港で両替するが1トルコリラが約¥100という感じ。ガイドブックでは1トルコリラ=¥85程度と考えていたので予想外。また、“物価は日本の半額程度”とあったが今回の旅を通して日本とさほど変わらないのでは?との印象を受けた。ヨ―ロパ各国のインフレは年率4㌫くらい。トルコの平均給与は日本円で10万円程度らしいから、この物価では生活は厳しいだろう。従ってストライキがしょっちゅう有るとのことだ。EUに加盟してはいないが、経済は既に一員となっている。
現地ガイドのサイトさんからホテルに向かうバスの中で上記を含むトルコに関する説明を受けた。このガイドさんはトルコ滞在中添乗してくれたが、有能なガイドだった。
ホテルは「スルメリ・イスタンブール」地下鉄シシリ駅の近く、外環状線沿いだが中心部まで地下鉄でアクセス可能な立地らしい。部屋割りが済むと既に12時過ぎ、日本時間では早朝6時だ。徹夜しているのと同じ状況だから、すぐに熟睡。

笹乃雪の豆富料理

2008年08月07日 18時34分40秒 | 日記
笹乃雪の豆富料理


子規庵や書道美術館に行く途中に豆富料理「笹乃雪」が在る。江戸で始めて絹ごし豆腐を作った店だという。創業は元禄四年(約350年前)の老舗料理店。
前から一度は入ってみたいとは、思っていた。先日、友人のOさんに「笹乃雪に行きました?」と訊かれた事もあり。丁度、昼時なので入ってみた。
下足番に履物を預け、座敷に座る。さすが、老舗の料理店。客に対してのあしらいが良い。お勧めの「うぐいす御膳」とお酒を1本注文。名物となっている、あんかけ豆腐、胡麻豆腐、飛龍頭、うづみ豆富などを味わった。東京の老舗の銘店はまともな品を、まともな値段で提供してくれるのが嬉しい。

博物館を観て老舗の料理を味わう。東京の下町散歩は楽しい。




書道博物館

2008年08月07日 18時26分34秒 | 日記
書道博物館


ここ数年、硯で墨をすり、筆で字を書くことに憧れるようになった。
道具立てに凝る必要は無いし、すぐ出来そうだ。いざ、実行するとなると難しい。
心の余裕が無いのか、或いは、怠け者だからか。その気にならない。
誰に見せる訳でもないのだから、上手い下手は関係ないのに。

書に対する関心は、博物館等の書の作品へ足を運ぶようになった。
特にお気に入りは、台東区立「書道博物館」。場所は台東区根岸でJR鶯谷の駅から約10分位の路地裏で、少しばかり分かりずらい場所。周辺はやたらラブホテルの多い一画と成ってしまっているのが、少々残念だ。

洋画家であり書家でもあった中村不折(なかむらふせつ・慶応2年~昭和18年)が書道研究のために収集した中国及び日本の書道に関する古美術品を、広く公開する目的で、昭和11年に開館した。その後、遺族より台東区に寄付されて区立の博物館となった。
収集の時期が明治・大正・昭和初期と日本の影響力が中国に及んでいた良き時代であった。といえるが、今では蒐集できない貴重な物が多い。亀甲獣骨文(きっこうじゅうこつぶん)、青銅器、石碑、鏡鑑(きょうかん)、法帖(ほうじょう)、経巻文書(きょうかんもんじょ)など多方面にわたる。骨董・古美術の世界では金・石・古陶磁といい言葉があるがまさにそれ。重要文化財12点、重要美術品5点を含む約16,000点が所蔵され、それらを順次展示している。

書道博物館は本館と中村不折記念館からなり、本館は金石類の常設展示を、中村不折記念館には紙本墨書(しほんぼくしょ)類を展示している。また、記念館には中村不折記念室を設け、不折の作品や関係資料を展示している。
企画展が年間に6回くらい開催される。7月23日から10月5日までは不折コレクション「良寛、亀田鵬斎、小林一茶、そして不折。」展が開催されている。

中村不折は良寛(1758~1831)について『良寛の書の面白いといふ点は、俗気といふものが微塵もないことと、いかにも飄逸な点とである。これは良寛の天稟、其の人格から由来したもので、彼の人格はあくまでも純粋であり高潔であった。そして、彼は特に書を能くしたばかりでなく、詩も作れば歌も詠む。また時にははいくもやるといふ、まことに多芸多能な坊さんである。否、坊さんといふよりも、一種の芸術家としてみた方が、むしろあたっているかもしれぬ。といふやうなことさへ考えられる。』と述べた。
良寛の良さをいち早く認めて蒐集し、それにもとずいて様々な随筆を書いた。
その結果、良寛の愛好家が増えた。
僕の尊敬する彫刻家・後藤清一も良寛の書に心酔し、毎晩のように、良寛の書の本を手元に、手習いを欠かさなかったという。彼の書も良寛の味わいがある。すべては日頃の修練が大切なのだろう。

今回の展覧会には、良寛と同時代に生きた亀田鵬斎、小林一茶、そしてそれらの書風を愛した中村不折の作品も展示されている。
中村不折の旧居を博物館としたので中庭も在り、落ち着きのある博物館だ。
大きさも程よく、とても観やすく親しみやすい。個人美術館ならではの雰囲気がある。

書道博物館の道路を挟んで、正岡子規が晩年の7年間を過ごした「子規庵」が在る。戦災で焼失し、戦後に再建されたものだが、俳句に関心の在る人達がが訪れる。
子規と不折も親しい関係であった。子規庵の話は別の機会に書きたいと思う。






自転車修理 出張します。

2008年08月05日 16時54分16秒 | 日記
自転車修理 出張します。
水戸駅から直線3kmまでは出張費無料。


8月1日から3日まで開かれた、水戸の黄門まつり。久し振りに南町・泉町の通りが人混みで歩けないほどの盛況だった。1日過ぎた今日は以前の静かな街になってしまった。
街に活気を戻すには、「自転車で移動できる街造り」が僕の持論で、何度か発言してきた。

僕は自転車は安売り店で買わずに、専門店で買っている。自転車は空気入れやパンクやブレーキの故障、鍵の紛失等、メンテナンスが必要な品物だ。
僕は長らく泉町の「水野自転車店」さんにお世話になっている。お陰で快適な自転車生活をしている。

昨日、長い間の友人Uさんが突然訪ねてきた。
「今度、このようなことを始めました」とチラシを手渡された。チラシには『出張・自転車修理』のタイトルで、以下次のように記されている。
自転車・1輪車・車椅子の出張修理。お電話1本で出張し、その場ですぐに修理します!。
故障でお困りの方は、お気軽のお電話下さい。090-6102-6907.
故障の状況、お名前、住所、連絡先、作業の日時をお伝え下さい。
水戸駅から直線3km以内は出張費無料で修理します。
作業終了後、ご確認いただき、その場で精算させていただきます。

裏面に料金表があり、パンク1箇所¥700だから、安い価格設定に思える。
凝り性のUさんは、趣味の自転車いじりが高じて、《自転車修理を出前します。》になったらしい。近所に自転車店がない方には便利なサービスだ。
是非、多くの方にご利用願い、自転車愛好家が増えることを望んでいる。

黄門まつり 2

2008年08月03日 15時05分28秒 | 日記
くろばね商店街「第8回ワイワイくろばねフェスティバル」

今年の黄門祭りは、久し振りに人出が多いようだ。
ガソリンの高騰で、近場で安く楽しめるところに出かける。その結果、お祭りに人が集った。と分析する人もいる。
国営海浜公園の「ひたちなかロックフェステバル」も若者を集めたようだし、ひたちなか市の「みなと八朔まつりも」今年は行われた。
各地でお祭りがある中、「水戸の黄門まつり」8月2日の黄門パレードや市民カーニバルの人出は凄く、通常の水戸の街の状況からは想像もつかないほど混雑した。
中央郵便局から大工町までのメインストリート以外にも新装成った、くろばね商店街が主催する「第8回ワイワイくろばねフェスティバル」も賑わった。
芸術館広場の「サマードリームミュージック」も人が集った。

「黄門まつり」とのタイトルは有るが、黄門さんのパレードより内容ははごった煮。何でも有りが水戸の「夏まつリ」で良いのだろう。各町内、各学区の人達が自ら楽しむようにすれば自然に人出は増えることだろう。「ワイワイくろばねフェスティバル」は良きお手本だと思う。

昭和20年8月2日は水戸が空襲された日

お祭り騒ぎで賑わった8月2日であったが、昭和20年(1945年)8月2日未明B29が167機が房総半島東海岸から霞ヶ浦を通過して水戸上空に進入、1150トンの爆弾を投下、市街地の約8割を焼失し242人が死亡した。僕は7月17日勝田の艦砲射撃の後、父親の実家の栃木県に疎開し、水戸の空襲は体験しなかった。疎開から戻り、水戸の焼け野原にバラックが点々と建った状況の記憶はかすかに残る。

多くの犠牲者を出した上での現在の平和な暮らし。
水戸の祭りは例年8月上旬の金・土・日の3日間。平和である事の上のお祭りである事を忘れないようにする良い機会だ。


 


黄門まつり

2008年08月01日 23時08分25秒 | 日記
「水戸黄門まつり」 2008年8月1日・2日・3日 ①

花火大会

「水戸黄門まつり」が始まった。
今回で第48回だとのことだが、当初は「水戸の七夕祭り」と呼んでいたいたような気がする。なんせ、半世紀前の話、確実な記憶は無い。

何とか水戸らしい特徴を出そうと、♪よかーぺ、よかーぺの“黄門囃子”をつくり。当初の民謡調から、現在はロックバージョンに編曲されて使われている。黄門パレードや大名行列、神輿連合会の渡御や山車巡行など、何年かごとに内容を変化させて来た。
当初から変わらないのは、花火大会かもしれない。日本の夏、金鳥の夏。というCMがあったが、日本の夏はやっぱり花火が一番。

今日8月1日の夜は千波湖畔での花火大会。
野村花火工業が「平成19年度大曲全国花火競技大会」で優勝した作品も打ち上げられるとのことだ。花火師・野村陽一は2006年8月NHKの番組「プロフェッショナル・仕事の流儀」で『一瞬の美にすべてを懸ける』と題して放送された匠。土浦の全国花火競技会でも連覇を重ね、今や花火は野村の時代。と言われるようになった。
約4300発が打ち上げられる。
江戸っ子で、博識の鈍さんは「水戸はもっと野村さんを売り出すべきですよ!」と強調する。

作曲家でシンセサイザー奏者の富田勲が、1984年オーストリアのリンツでドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大な野外イベント『トミタ・サウンドクラウド(音の雲)』と銘打ったコンサートを催した。以後、世界各地で展開してきたが、ドナウ川では『宇宙讃歌』、ハドソン川で『地球讃歌』、長良川で『人間讃歌』を成功させ、共感するミュージシャンと共に音楽を通じた世界平和を訴え続けてきた。この当時の印象は未だに持続して、一度は体験してみたいものだと思っている。
花火と音楽を融合したのも楽しそうだ。。今回は、それに近い趣向もありそうで楽しみだ。

12年前、亡き母親と花火大会に行った。疲れた母親を背負って家路についた。
其の時、昭和20年7月17日、日立・勝田の軍需工場が艦砲射撃を受けた夜、母親の背中に背負われ千波に逃げたことを、想いだした。
暗闇の中、大砲の音がズーンと響いた。
尺玉花火の音は、あたかも艦砲射撃の砲弾音のようだ。

数少ない幼時の戦争体験で、いまだ記憶に残る。


「水戸芸術館友の会」 会員募集中

2008年03月12日 23時53分26秒 | 日記
『水戸芸術館友の会』会員募集中

偕楽園や弘道館の梅が満開だ。街中で、観光客らしき人達を多く見受ける。お陰で大通りも賑わいを感じる。この時期、梅と偕楽園と黄門様で水戸を訪れる人達は多い。
偕楽園下の駐車場には他県ナンバーの大型バスが連なる。その内の何十分の一か、何百分の一が町中に流れてくるのだろうか?

その点で、季節を問わず水戸を訪れてくれるのは「水戸芸術館」の存在だ。
年間を通じて、芸術館の催事に全国から訪れる人達は数多い。もし芸術館が無かったら、水戸の街はどうなっていたのだろう?と想像すると、有ってよかった!事を切実に感じる。市民の中に未だにその価値を認めない人達もいるようだが、是非足を運んで楽しさを体験して欲しい。
水戸芸術館が開館したのが1990年3月22日だから、間もなく18回の誕生日を迎える。
この間、美術展・音楽会・芝居・狂言など沢山の催事に参加する機会を得た。
お陰さまで、新たな世界を知ることが出来た。とにかく、未知の分野を体験できるのは嬉しい事だ。
吉田秀和館長を初め、芸術館に携わる多くの人達に心から感謝したい。

開館して数年後に『水戸芸術館 友の会』が発足して、僕も会員になった。年会費は3,000円で、会費に十分見合った特典がある。(4月~3月が会期)新年度の会員の募集中である。
参考までに特典を記すと。
① 友の会会報誌「TOWER」と水戸芸術館事業スケジュール「NEWS」が配布される。*会報誌は出演者や作家のインタビュー記事など、内輪の話が聞ける。
② 友の会事業に招待・優待される。*講演会・鑑賞会・交流会・見学会等への参加できる。大体は無料だが、実費を支払う場合もある。僕はこの特典を享受している。例えば、演奏会、演劇公演の出演者を囲んでの懇親会に参加する機会もある。3月1日のDVDの鑑賞会は音楽部門に主任学芸員矢澤孝樹さんが「リヒテル:〈謎〉~甦るロシアの巨人」と題して講演とDVDを鑑賞した。クラッシック音楽に疎い僕にも分りやすい解説であった。
③ 現代美術ギャラリーの企画展に無料で入場できる。*今開かれている「宮島達男展」は《生と死》の意味を考える良い機会だ。同時にワークショップ開催されている「高校生ウイーク2008」の“カフェ1to1”は3月6日~4月6日までの15:00~18:00の時間帯に開かれている。高校生ばかりでなく誰でも参加できる。宮島達男の蔵書も自由に読めたり、過去の芸術館の記録等、興味深い資料を手にとって読むことが出来る。◎秋山さやかワークショップ「水戸をくりぬく」も3月15日・16日に開催される。この企画は、新たな水戸の再発見の機会になるかもしれない。その他の企画もあるので、詳しくは http://atmhssw.blog31.fc2.com/ 
④ 水戸芸術館専属楽団「水戸室内管弦楽団」「ATMアンサンブル」「水戸カルテット」「ミト・デラルコ」と専属劇団「ACM」の公演などのチケットの先行予約が出来る。
⑤ 水戸芸術館専属楽団・劇団公演のリハーサルに招待される事がある。*これも素晴らしい事で、公演に近い内容を観るのは、本番以上に楽しいとも言える。

そのほかにも有るが、世界がズーンと拡がった。と思う。
僕のブログの先生Eさんとは、友の会事業の“美術館見学会"で知り合った。

多くの楽しみが約束されている「水戸芸術館友の会」に多くの方が入会してくれることを願っている。




インドカレー 講習会2

2008年03月09日 22時38分09秒 | 日記
専門店の味のインドカレー



水戸市備前町の(財)水戸市国際交流協会では、多彩イベントが企画される。
今月の「国際交流のつどい」のテーマはインド(3月1日~16日)。3月15日(土)14:00~15:30には「インドってどんな国?」と題する講演会が開催される。講師はニヤンタ先生。この先生はTV・書籍で大人気らしいのですが僕は残念ながら存じ上げません。とにかく、聴講する申し込みはしました。

それに先立ち、3月8日(土)に「インドカレー講習会」に参加した。
応募者が多く、午前10時殻の部と午後2時からの部と2回開かれた。講師はパドマクマールさん。3年前にITの技術者として来日された方で料理の専門家ではないとのこと。
チキンカレー・ サンバール(レンズマメ・野菜のカレー)・ヨーグルトカレーの3種類を2時間足らずで作るのだから、大忙しだ。1テーブル5人のチームでたまねぎの皮むき、スライス、野菜刻み、カレーパウダーの乾煎り、ペースと作り、レシピを見ながら・説明を聞きながら作った。材料一切は交流センターで用意しておいてくれたから良いが、材料集めからしたら、かなりの時間が掛かる。しかも、ご飯は既に炊いておいてくれた。
さてお味は?独特のいい香りが立ち上る過程からウマイとは想像していたが“インドカレー専門店”の味に勝るとも劣らない美味しいカレーが出来た。
チキンカレーはかなり辛いがうまみも有る。ヨーグルトのカレーは冷製カレースープと云う感じで、未体験の味であった。十二分に味わいつくした。ご馳走様でした!

大量に作ったので半分くらいは残った。係りの方の用意したビニール袋に容れて貰って、各自が自宅にお持ち帰り。これで、会費が700円とは。職員の皆様お世話になりました。

今日9日はインド映画の上映会。10:00~、14:00~、18:00~の3回・3作品であった。
インドは、年間映画制作本数・映画館総数も世界一の映画大国との話は聞く。
3本全部観るつもりでいたが、なにやら用事も出来て最終回の『モンスーン・ウェディング』のみを観た。女流監督が結婚式を描いた喜劇だが、カンヌ映画祭の“金獅子賞”を受賞作品とのことで娯楽としての質も高い映画だった。







笠間のむぎとろ・量深(りょうしん)

2008年03月07日 21時35分00秒 | 日記
笠間の“むぎとろ”料理「量深」(りょうしん)



車で約30分、笠間は水戸の住人にとって手頃な行楽地である。
三大稲荷の一つと言われる笠間稲荷神社と稲荷神社美術館・笠間日動美術館・茨城県陶芸美術館・春風万里荘などの美術関連施設。盆地で周辺が山に囲まれた地形を生かした自然公園の芸術の森公園・北山公園・愛宕山・佐白山など四季折々楽しめる要素がある。
さらに、和風・洋風の洒落た食事処や喫茶店も多い。美術館を訪ねたついでに、飲食店を巡る楽しみも有る。
そのようなことで、月に1~2回は訪れることになる。

今回は、先輩のYさんご夫妻と茨城県陶芸美術館に行くことになった。展覧会を観る前に、Eさんの情報による“むぎとろ"を食べる事ことにした。笠間稲荷神社に隣接する場所で、開業20年経つとのことだが、今まで知らなかった。
「むぎとろ・量深(りょうしん)」のメニューは看板料理の“とろろめし”(¥750)を初め、天ぷら御膳(¥1600)・お刺身御膳(¥2000)などが有ったがそれらを纏めて食べられる麦とろ御膳(¥2500)を注文する。
献立は、麦ご飯・とろろ汁・お造り(しめ鯖・白身魚のこぶ締め)・天ぷら・厚焼き卵・味噌汁・酢の物・漬物・黒蜜の寒天。
味の程は写真を参照して想像してください。



とろろは擂り鉢で良くおろしてあるから、口当たりがとても良い。全ての料理が丁寧に作られているのが判る。量的にも十二分だった。

「むぎとろ・量深(りょうしん)」は入り口や店内のしつらえが趣があり、座敷で食べる落ち着きが有る。料理屋さんの評価は雰囲気・味・お店の人の客に対するあしらい・料金等のバランスによると思っている。「量深」は満足できるお店だった。

食事の後、陶芸美術館の『のこす・伝える「お宝」考今昔』展を観た。この展覧会は3度目なので、第3章の「掘りおこして、残す」を重点に見た。展覧会は一度に観られる量に限度があるから、何回も観に行った方が良い。室町時代(14-15世紀)の越前窯の自然釉壷(福井陶芸美術館蔵)は名品だ。

ギャラリーロードの「セラヴィ」でコーヒーとケーキを戴き、笠間を後にした。
笠間は楽しさあふれる街。水戸が見習う点は大いに有る。


延長工事 急ピッチ

2008年03月06日 20時25分11秒 | 日記

年度末をひかえ、延長部分の工事が急ピッチで進んでいる。
盛り土した部分の芝張りも始まった。
予算の都合で、芝はりは先延ばし。との話しを聞いていたが、張ることが出来て良かった。
両側の水路の部分は、石垣にはせず自然に近い状態にする。とのことだが、一部は土留めを兼ねたコンクリートを打ってある。今後どのようにするのか?

遊歩道の煉瓦の敷き詰めも進んでいる。

さらに、竹林の中を通過する木の橋の工事も土台が出来て、進行中。
余分な設計と思うが、出来上がりに期待するほかない。

櫻の咲く頃に、素晴らしい公園としてお目見えする事を望んでいる。

竹林の中に遊歩道?

2008年03月03日 08時12分43秒 | 日記
竹林の中に木製の遊歩道?



斜面の竹林の中の枯れた竹の撤去、間引くための切り倒し、捨て去られたゴミの収集等の整備が中途半端のままに成っている。

これで終了かと思っていたら、竹林の中の湿地帯で新たな工事が始まった。
工事の作業員に問うと、木製の遊歩道を作るとのことだ。レンガ敷きの舗道に平行して全長10メートル位のコの字型にするのだという。
誰が設計したのか、暗い竹林の中の湿地の中のも木道を誰が散歩すると考えているのだろうか?真夏の暑い時は、日陰で涼しいだろうが、たった10メートルばかりでは役にも立つまい。
予算が無い。といいながら、このような中途半端なものを作るのは予算の無駄ずかい、以外の何物でも無いと思うが。どうなのだろう?
新たに延長される部分は土盛りのみで、芝生は植えず、そのまま放置されるとのことだ。予算の都合らしい。雨が降れば、当分の間土砂が流れ出るだろう。その辺は、どう考えているのだろうか?公園緑地課を訪ねても具体案を見せてくれないで、進行してゆく。それなりの設計に基づいて工事しているのだろうから、青写真を市民に公開すべきと思うが。

旧古河庭園

2008年02月27日 21時50分51秒 | 日記
大正初期の代表的庭園・旧古河庭園



東京都北区、武蔵野台地の端の斜面と低地の高低差を利用し、和洋を巧みに使い分けた庭園が旧古河庭園である。古河財閥の創業者が大正6年(1917年)に自宅として造営した、大正初期の代表的な邸宅と庭園だ。現在は東京都公園協会が管理している。

北側の小高い丘の上はイギリスの建築家ジョサイア・コンドル(1852-1920)の設計になる古典様式で、屋根は天然スレートぶき、レンガ造りだが外壁は石で覆われ重厚な雰囲気だ。庶民がささやかな生活をしていた頃、財閥の総帥は巨額の資金を投じて、英国貴族の邸宅と同じような物を造り上げた。
コンドルは、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に大きく貢献した。旧岩崎邸は上野不忍池の近くに在るが、未だ観た事はない。今のところ改修中らしいので、お色直しが済んでから訪ねてみたいと思っている。
本館を取り巻くテラスと芝生、中段の刈込が十分になされた植え込みの中はたくさんの品種の薔薇が植えられている。さぞや、バラの季節は見事なものであろうと思えた。
庭は庭師さんが春の草花の植えつけの作業中。庭つくりは常に手を入れることしかない。

一番低い所に造られた日本庭園は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛(1860-1933)の作庭。山間の湖沼を思わせる心字池を中心にして、10数メートルの大滝もあれば、枯滝ある。今は循環式のポンプを利用しているとのことだが、当時は井戸水を利用していたそうである。勿論、灯篭や岩組みも配されて、洋風庭園に勝るとも劣らない魅力がある。和と洋の両方を楽しめる貴重な庭で、2006年に国の名勝に指定されたのも肯ける。
洋館の内部の見学は往復はがきによる申し込み制とのことだが、一部は喫茶室に成っており、誰でも利用できる。時間の都合で、残念ながらお茶を飲む暇はなかった。
次回は、咲きそろった薔薇の花を眺めながら、ゆったりとお茶を楽しみたい。