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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

清宮質文展@茨城県近代美術館

2018年03月08日 22時15分32秒 | 美術館
清宮質文展@茨城県近代美術館



木版画家・清宮質文(1917-1991)の「生誕100年 清宮質文 あの夕日の彼方へ」展が茨城県近代美術館で2月23日(金)~4月8日(日)開催されている。



木版を中心に水彩画,ガラス絵など191点が紹介されている。

随所に製作に係る木版の原板が何枚も展示されてある。
作品の展示されてある場所に近いから、作品と原版を対比することも出来るので、なるほどと納得できる。
版木は同じでも色彩の異なる作品が多いことは知っていたが、試行錯誤しながら制作の跡を読み取ることもできる。

作品は小さいものが多いので、じっくりと画面に肉薄する感じで眺めることが出来た。
何れも如何に色調に神経を使っていたのかがよく分かる。

銅版画家・駒井 哲郎(1920- 1976)との交流。
南天子画廊の創業者青木一夫との交友など、を知った。
版画愛好家では承知のことだろうが、版画に詳しくない小生にとって、新たな課題が出来た。

更にの話で、と言えるだろうが、清宮は水戸藩の支藩である守山藩士の末裔で,母の実家があった水戸を繰り返し訪れているばかりでなく,水戸市松本町の共有墓地に本人が埋葬されていることを初めて知った。

独特の色調と、時間が静止したような詩情を感じる作品に漠然たる好感を持って観ていたが、一堂に会した今回の展覧会を見て理解が深まった。
再度、訪れて拝見したいし、多くの方々に郷里に縁のある作家の作品を知ってほしいと思った。

旧約聖書を所蔵していたが、クリスチャンであったのか?
或いは、聖書の言葉にひかれていたのか?



「孤独な魂」1956年 照沼毅陽氏蔵



「さまよう蝶(何処へ―夢の中)」1963年 茨城県近代美術館 照沼コレクション



「深夜の蠟燭」1974年 茨城県近代美術館 照沼コレクション



「夕日と猫」1979年 茨城県近代美術館 照沼コレクション



「山上の湖」1981年 茨城県近代美術館 照沼コレクション



「窓辺の燭台」制作年不詳 個人蔵

(図版は近代美術館のHPから)

北斎とジャポニスム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃

2018年01月25日 17時42分40秒 | 美術館
北斎とジャポニスム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃
2018年1月28日まで@国立西洋美術館




《明治時代、日本からの輸出品の梱包のために使われたのが江戸時代の浮世絵で、その美しさに魅入られた画家達が、自分たちの作品や生活に取り入れたのが、“ジャポニスム”という現象。モネやドガら印象派に大きな影響を与えた。》
という咄、輸出品の梱包に使用されていた。との真偽はともかく、日本の美術が19世紀後半の西洋で新しい表現の原動力となったのは事実。

「北斎とジャポニスム展」は葛飾北斎(1760-1849)がモネやドガら印象派の画家をはじめとして欧米全域の作家にわたり、絵画、版画、彫刻、ポスター、装飾工芸などあらゆる分野に及んでいることが分かった。

北斎の作品とヨーロッパの作家の作品を同じ場に陳列してある。
比較すれば、一目で分かるものもあれば、間接的な影響、或いは構図。
なるほど、そうなのか。謎解きの楽しみがあった。

国内外の美術館や個人コレクターが所蔵するモネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンをふくめた西洋の名作約220点と、北斎の錦絵約40点、版本約70点の計約110点を比較しながら鑑賞できる。

●1月28日迄の会期終了が近い1月20日(土)午後3時頃に到着。



サトリ珈琲店で山本冬彦さんのお話会のテーマの一つだった「観るアートに群がる人々」さながらの待ち時間30分。
土曜日は午後8時の閉館なので、科学博物館の「南方熊楠展」を観てのち5時過ぎに入館、待ちはしなかったが内部は満員で、版画作品など小さいからよく見えない。(16日現在で30万にを突破したという)



葛飾北斎 《富嶽三十六景 東海道程ヶ谷》
1830-33(天保元-4)年頃 横大判錦絵 ミネアポリス美術館



クロード・モネ《陽を浴びるポプラ並木》
1891年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(松方コレクション)

木の形は似ているが、



葛飾北斎 『北斎漫画』十一編(部分 刊年不詳  浦上蒼穹堂



エドガー・ドガ《踊り子たち、ピンクと緑》1894年 パステル、紙(ボード裏打)吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)

相撲取りとバレリーナ、一目で分かるような模倣はしないのが作家。

≪サント=ヴィクトワール山≫×北斎



何年か前に南仏を旅し、ここだなと思った風景。

セザンヌは故郷の山を何度も描いている。
「冨嶽三十六景」のように同じモチーフを異なった視線から返し描く。



ルドン 『ゴヤ讃』より≪Ⅱ. 沼の花、悲しげな人間の顔≫×北斎
ルドンの怖さを感じる幻影、北斎の描く幽霊の姿。



スーラ

(掲載の写真はほんの一部)

葛飾北斎(1760~1849・90歳没)は改号すること30回、転居すること93回。
森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。
画狂人という名前が正に的確。
改めてその魅力と偉大さが分かる。

出光創業史料室@北九州市門司区東港町2-3 

2017年12月13日 16時54分40秒 | 美術館
出光創業史料室@北九州市門司区東港町2-3 





出光美術館(門司)は、出光佐三とゆかりの深い門司港レトロ地区の一角に出光コレクションを展示する美術館として2000年に開館した。
その後、改築を経て2016年に新たに完成した美術館に出光美術館の創設者である出光佐三の生涯の軌跡を紹介する「出光創業史料室」を併設。
美術館の入場料に資料館の入場も含まれている。





出光興産の創業者 出光佐三(1885-1981)は明治44年(1911)現在の鎮西橋交差点近くに機械油の販売店「出光商会」を開店した。
創業当初は従業員数名の小さな店で、彼らからは親しみをこめて「店主」と呼ばれていた。
日清、日露戦争に始まり、二度の世界大戦、戦後復興、経済大国への道とまさに激動の時代、「人間尊重」という理念をかかげ、事業経営に取り組んできた。

百田尚樹による歴史経済小説『海賊とよばれた男』は出光佐三をモデルとした主人公・国岡鐡造の一生と、出光興産をモデルにした国岡商店が描かれている。
人名や社名など一部は仮名が名前が使われているが史実に基づいた話だ。
体制や規制に対し自由であるべきを主張し、自らの信念を貫き通し、如何なる苦境の時期においても社員を解雇することはなく家族的な経営を説いた。

幸いに、以前この本を読んでいたので大いに理解することが出来たが、明治の日本人の信念の強さに感動した。

グローバル経済となり民族系として自主的な運営が厳しい時代、出光興産と昭和シェル石油の経営統合の動きが創業家の反対で停滞している。
どのような結果となるにしても、出光佐三の創業の精神と出光美術館に込めた愛情を忘れ去らない会社であることを切に望む。


出光史料館(門司)紹介映像

https://youtu.be/b5_dZaE3nKo

古唐津 @出光美術館 門司

2017年12月09日 03時20分39秒 | 美術館
古唐津 @出光美術館 門司
2017年10月27日~12月17日




九州の焼き物は、日本で最初の磁器が生まれた有田焼(積み出し港による「伊万里」とも呼ぶが)が名高い。

唐津は「一楽、二 萩、三唐津」という「茶碗の格付け」があるので茶陶の感じがする。
特に、古唐津 は飾らぬ土味と豪放な造形で桃山時代の陶芸の至宝といわれる良さがある。
しかも、奥高麗・絵唐津・朝鮮唐津といったさまざまな表情がある。

有名な割には、手に取ったり観る機会が少ない焼き物なのだ。



出光石油の創業者・出光佐三は九州で生まれた古唐津を生涯にわたって愛し、総数300点を超える日本最大規模のコレクションとした。
それらを展観したのが、2017年2月11日〜3月26日に開催された「出光美術館開館50周年記念 古唐津 ―大いなるやきものの時代」展。

今回の「古唐津」展はその巡回展ともいえる展覧会。



出光美術館・門司のリニューアルオープン1周年を記念した特別展
東京で見逃した展覧会を、地元ともいえる門司で見られたことは、嬉しいことだった。
福岡の地 とゆかりの深い仙厓の書画や関連作品とともに、一堂に展観された。



重要文化財 『絵唐津柿文三耳壺』桃山時代 出光美術館蔵



今回の旅の白眉はこの展覧会だった。
モノは欲しがらないと決めてはいるが、古唐津の「ぐい飲み」を使ってみたいものだ。

●茨城空港を発のスカイマークの福岡便、自宅を朝の6時に出れば福岡空港に9:40到着。
空港から地下鉄で、博多・天神に10時過ぎに到達という有難い時代となった。
東京・横浜とさほど変わらない、乗り換えなどを考えれば、むしろ、簡単だ。

「安藤忠雄展 挑戦」@国立新美術館

2017年11月30日 14時53分47秒 | 美術館
安藤忠雄展 挑戦」@国立新美術館
12月18日まで







元プロボクサー、独学で建築を学ぶ―という異色の経歴で知られる建築家 安藤忠雄は、既成概念を打ち破るような斬新な建築作品を次々と世に送り出してきた。独特の風貌と語り口も相まって、建築には縁のない人たちまで知られている。






知名度の高さから国立新美術館の開館10 周年記念展として企画されたが、建築を美術館で見せるには難問も多い。



会場は「原点/住まい」「光」「余白の空間」「場所を読む」「あるものを生かしてないものをつくる」「育てる」からなる6つのセクションで構成されている。

安藤建築の原点である「住吉の長屋」をはじめ、住宅作品に関する270点以上の設計資料、大自然を舞台に手掛けた「直島プロジェクト」の全貌を示すインスタレーション、現在進行中の歴史的建造物を生かした海外でのプロジェクトなど、見どころ満載だ。





原寸大で再現した「光の教会」(大阪府茨木市)の屋外展示。









直島の一連のプロジェクト 模型。
直島を一度は訪ねてみたい。



プンタ・デラ・ドガーナ(イタリア ヴェニス)模型


1990年代以降はその活躍の舞台を世界に広げ、アジア・ヨーロッパ・アメリカなど各国で、意欲的な作品を実現させていることもあり、外国人も多く見受けた。



西成田洋子展「記憶の領域2017」@コバヤシ画廊

2017年11月29日 22時48分27秒 | 美術館
西成田洋子展「記憶の領域2017」@コバヤシ画廊
2017年11月13日-11月18日









西成田洋子さんの「記憶の領域」が始まったのが1991年だからもう26年、四半世紀を過ぎた・

自分の身の回りの布きれ・ボタン・ビニールチューブ・テープ・針金、新聞紙などを縫い合わせ、針金などで繋ぎ合わせ、形を造り、着色しニスで仕上げる。





怪獣か?おどろおどろした感じは不気味だ。

それぞれのパーツに何らかの思い入れが在るのだろう。

始めんた頃のジャンクアートの様なものから進化して彫刻作品になってきた、



今回は特に、すっと立っているからなを更に感じる。

2002年に文化庁派遣研修員としておのーヨークに滞在してから、大分変化したように思う。

これらの作品は12月12日~ 1月21日まで藝文プラザで開催される
「なにかがつきささる 心の表現者たち 展」でも展示されるらしい。


横尾忠則@探検バクモン

2017年09月28日 00時22分21秒 | 美術館
横尾忠則@探検バクモン
9月27日(水)[総合]後8:15~






「横尾忠則現代美術館」(神戸市灘区)
この美術館の存在を始めて知った。神戸を訪ねた際は必ず行きたい、と思った。

NHKの『探検バクモン』は爆笑問題(太田光・田中裕二)の司会で普段は一般人が見ることができない場所へ潜入取材、時代をリードする学識経験者へのインタビューなど、NHKならでの教養エンターテインメント番組。
大好きな『ブラタモリ』と双璧と云えるが、バクモンは偶々、観る感じ。

この日は美術家・グラフィックデザイナーの横尾忠則が登場。
横尾忠則本人から兵庫県に寄贈・寄託された作品を収蔵し、2012年に開館した「横尾忠則現代美術館」(神戸市灘区)。





20代から広告や印刷物のデザインをするグラフィックデザイナーとして活躍。
ニューヨークの展覧会でも大絶賛をあび、確固たる評価を得た。





内外の著名人との交流も話題となった。



40代でデザインを廃業し、画家宣言。



ポスターも20世紀の美術として地位を確立しているのに何故?
と思ったが、「ニューヨークでピカソの展覧会を観て、自由に描いていることに触発されて画家に転向、デザイナーは顧客の要望で自分の気持ちでは無い」



言われれば最もだが、デザインも充分に美術、作る側と観る方の立場の違いだ。



2階及び3階は展示室、4階にはアーカイブルーム。
展覧会場としてだけではなく資料の整理や公開も行う。

以前のテレビ番組で、確かアンディ・ウォーホルだったと記憶するが、大量の資料が箱に詰められ資料を整理している場面を観たが、行動の全てを収集しておくと云う感じだったが、それに近い要素も感じた。

今年。81歳と云うがこれからさらに進化しそうに思えた。

MOA美術館@熱海市桃山町26-2

2017年08月29日 06時11分22秒 | 美術館
MOA美術館@熱海市桃山町26-2
♫天城超え♫ 「伊豆の踊子」を辿る 其の1




熱海駅前で待ち合わせ、駅前の高台に在る「MOA美術館」に。

世界救世教・教祖の岡田茂吉(1882年 - 1955年)のコレクションを基盤に生誕100周年にあたる1982年(昭和57年)に、現在のMOA美術館が開館した。
2017年2月5日に展示スペースなどを改修して、リニューアルオープンしたばかり。
国宝3件、重要文化財66件(2016年現在)、重要美術品46件を含む約3500件を所蔵している。



国宝「色絵藤花文茶壺」野々村仁清

●因みに茨城県内の国宝は
① 直刀 黒漆平文太刀拵(附刀唐櫃1合)鹿島神宮
② 短刀 銘 筑州住行弘 観応元年八月日 土浦市立博物館
の2件だけ、ということからもこの美術館の凄さが分かる。



エスカレーターを乗り継ぐ中間地点の踊り場の天井。
天井をスクリーンに見立て、万華鏡のように映像が変化していく。



山の斜面内部に掘られた、長いエスカレーターの回廊で昇り下り。
エスカレーターの維持費だけで毎日電気代が数十万円とか、巨額の維持費が必要で入場料ではとても賄えない。



「黄金の茶室」
豊臣秀吉が1586年に正親町天皇と宮中で茶会を開いた時に使われたという「黄金の茶室」を昔の資料から再現。



窓から見える相模湾の海景は、初島や伊豆大島、房総半島から三浦半島、伊豆半島まで180度の大パノラマを眺望できるのだが、この日は曇り。
遠望は利かなかったが絶景だ。

●リニューアルオープン以後、MOA美術館の所蔵品は全面的に写真撮影が解禁になったことは快挙だ。





特別公開「冨嶽三十六景」全46図を一挙に公開。
広重の東海道五十三次も合わせて展示。





「鶏頭図屏風」(桃山時代 六曲一双)鶏頭の群生が描かれている。
の前のFさん。

●尾形光琳の代表作として知られている国宝「紅白梅図屏風」も所蔵している。



重要文化財 阿弥陀如来及両脇侍坐像[平安時代(12世紀)木造漆箔 三躯 ]
平安時代後期の末法思想の流布と浄土信仰の隆盛によって制作された定朝様の来迎阿弥陀像。



重要文化財 観音菩薩立像 銅造鍍金 一口
総高35.8㎝ 像高17.4㎝
少し反り身にした体躯や左右相称の形に六朝仏の様式が残るが、穏やかで丸みを帯びた相好と自然に垂下した天衣の表現から見て、隋時代の典型的作例。



片桐門
豊臣家の重臣で、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる片桐且元が薬師寺の普請奉行をつとめた際の宿舎の正門。
その後、奈良慈光院に移され、ついで昭和16年神奈川県大磯町の三井家別邸城山荘内に移築されていた、



光琳屋敷 (復元)
尾形光琳が自ら描いた図面と大工の仕様帖に基づき、復元した屋敷。
光琳は、正徳2年(1712)頃に京都の新町通り二条下ルの地に屋敷を建て、最晩年の5年間を過ごし、2階の絵所で光琳晩年の最高傑作、国宝「紅白梅図屏風」を描いたと考えられている。
この一角の「二條新町 そばの坊」で昼食。



庭から本館を望む。
ヘンリー・ムーア「王と王妃」

●高校時代の友人3人と昨年8月「湖北の観音様を訪ねる」として琵琶湖を1周した。
今年も同じメンバーで、♫天城超え♫ 「伊豆の踊子」を辿りながら伊豆半島を周遊することに。
コースと宿泊の手配並びに車と運転も全て横浜在住のFさんにお任せ。
大阪在住のTさんと僕は、参加するだけと云う気軽な道中が実現した。


「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜市開港記念会館(地下)

2017年08月25日 17時47分01秒 | 美術館
「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜市開港記念会館(地下)
2017年8月4日~11月5 日まで、




横浜市開港記念会館
横浜港開港50周年を記念し、1917年(大正6年)に創建。
現在、国の重要文化財に指定され、時計塔は「ジャックの搭」の愛称で親しまれている。



創建時の写真。



開港記念館前の神奈川県庁本庁舎は「キングの搭」



横浜税関本庁舎は「クイーンの搭」と呼ばれる。

この三つは「横浜三塔」として知られている。



会館地下、柳幸典の単独の展示スペース。
薄暗い部屋は手探りでの歩くのも難しい。
廃材・廃棄物を組み合わせた作品など、3作品を展示がされていた。



特に目についたのは、第9条の条文をバラバラにしてネオンサインにし、部屋いっぱいに並べてある作品。



ここ横浜は岡倉覚三(天心)の生誕地。
赤レンガ倉庫の小沢剛の岡倉覚三(天心)をテーマにしたインスタレーションは横浜生まれの岡倉を意識したことが、「帰って来た」シリーズに取り上げた理由の1つだろう。

●第6回を迎えた「ヨコハマトリエンナーレ2017」は世界の今と向き合うアーティスト38組と1プロジェクトが参加。
展覧会の3会場とあわせて横浜の施設や歴史的建造物を使用して様々なアートプログラムが組まれているので1日では足りない。
何度か足を運び、世界を考え未来の可能性を探る機会だ。
●このプロジェクトのディレクターの1人が逢坂 恵理子・横浜美術館館長。
逢坂さんは元水戸芸術館の主席学芸員で在任中は多くの水戸市民を巻き込んだ「カフェイン・水戸」を開催している。
今回の「ヨコハマトリエンナーレ2017」にその経験が大きく役立っているであろうことは水戸市民の大きな誇りだ

「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜赤レンガ倉庫1号館

2017年08月24日 21時40分43秒 | 美術館
「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜赤レンガ倉庫1号館
2017年8月4日~11月5 日まで、




赤レンガ倉庫2号館会場。右側は1号館、左が2号館。
赤レンガ倉庫1号館は1913(大正2)年創建。レンガ建築技術の粋を集め建造され、世界の物流拠点として国内外の発展に寄与、1989年に役目を終え、2002年に展示スペース、ホールなどを備えた文化施設としてリニューアル。



後は横浜港大桟橋・国際旅客ターミナル。
大型のクルーズ船が停泊。









小沢剛
グローバルに活躍した歴史上の人物の海外での活動に焦点を当てた 「帰って来た」シリーズ。明治から大正にかけて活動した横浜生まれの美術史家・思想家岡倉覚三(号は天心)のインドコルカタでの足跡をたどり、現地の職人や音楽家に制作を依頼した看板絵と音楽で構成されたインスタレーション。









宇治野宗輝
美術作品の輸送に用いられる大型の木箱をビルに見立て《プライウッド新地》
家電製品や改造されたギター等が動きや音を発し、光と映像と共に演劇的な空間が現出。動きを小型カメラで撮影しノイズのような音とリンクする。
近代の文化を再定義するサウンド/スカルプチャー/パフォーマンスの複合プロジェクト。

「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の1@横浜美術館

2017年08月24日 17時41分47秒 | 美術館
「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の1@横浜美術館
2017年8月4日~11月5 日まで、




現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ 2017」が横浜美術館や横浜赤レンガ倉庫、横浜市開港記念会館地下などで開催 されている。

タイトルの「島と星座とガラパゴス」接続や孤立、想像力や創造力、独自性や多様性を表すキーワード。
「接続」と「孤立」相反する価値観が絡み合う世界の今を考える展覧会。





アイ・ウェイウェイ
横浜美術館の外壁と柱に、救命ボートと難民が実際に使用した救命胴衣を用いて、難民問題に関する大型インスタレーション。





ジョコ・アヴィアント
2000本のインドネシアの竹を持ち込み、独自の手法で編み上げたダイナミックな作品。
インドネシアでは、古くから家屋や日用品の素材として親しまれてきた。
「自国で失われつつある伝統文化、人間と自然の共生について考える」と云うことだが、そっくりそのまま日本にも当てはまる。
日本の竹の文化も伝統がある、より多くの使途が有る資源だ。



マップオフィス
島や領海、領域をテーマに島と云う存在の多義性を読みとる。



ミスター
アニメやゲームキャラクター風の少女像など。
日本独自の進化を遂げた「ガラパゴス」的なオタクカルチャー。



アン・サマット
スプーンやネジ、パソコン基板などが工業製品や日用品が編み込まれている。





畠山直哉
東日本大震災の被害を受けた故郷・陸前高田の連作。



全ての作品の写真撮影が出来ます。
最近、写真撮影が可能な美術館・博物館の展示が増えている。
幾つかの問題はあるにせよ、良い事だと思う。
多くの施設で撮影が出来ることは嬉しいことだ。



木下晋
10Hから10Bの鉛筆を駆使して描き出す人間の存在を浮かび上がらせる光と影。



マーク・スティファニー
薄い構造物なのに、錯覚によって無限のトンネルが出現。



オラファー・エリアソン

横浜美術館には28人の展示でこの3倍が展示されていた。

ジャコメッティ展@国立新美術館

2017年08月17日 19時46分47秒 | 美術館
ジャコメッティ展@国立新美術館
2017年6月14日(水)~9月4日(月)









身体を針金や棒のように延ばした彫刻で知られるアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)はスイスに生まれでフランスで活躍した彫刻家。
彫刻が量感を重要視したのと正反対に針金のように細く・長く、薄く。
対象を見えるまま、感じるままに観るという特異な造形で世界を魅了した。

老人が夕陽を浴びて港を散歩する老人の影が、細く長く延びて揺れ動く映画のシーンを見て「ジャコメッティのようだ」と思ったのが1970年頃だ。

1990年頃にデンマークに旅し、コペンハーゲンの北35kmの街に在る「ルイジアナ現代美術館」を訪れた。
この美術館は海沿いの地形に沿うように回廊型の展示室が続く独特の美術館。

その中の1つが、ジャコメッティーが展示されている部屋で、「歩く男」を始め沢山の作品に初めて出会った。その後は観る機会がなかった

今回、ジャコメッティを所蔵する国内外のコレクションの協力で、初期から晩年まで、彫刻、油彩、素描、版画など、132点が出展された。
特に、南フランスに在る「マーグ財団美術館」のコレクションが加わり、大回顧展となった。

1室・初期・シュルリアリズム
30年代、サルバドール・ダリやアンドレ・ブルトンに誘われたジャコメッティは彼らが活動するシュルレアリスムグループと近づき、制作した。
この頃の代表的な作品は、頭蓋骨や“死”のイメージなど、当時の彼の体験や関心を反映した《鼻》がある。



《鼻》1947年、ブロンズ、針金、ロープ、鉄

2室・小像。 



1935年から1940年代前半は、モデルと向き合いながら独自の造形を模索する作業に没頭。その過程で極端に小さな彫刻が作られた。

「見たものを記憶によって作ろうとすると、彫刻は次第に小さくなった。
それらは小さくなければ現実に似ないのだった。それでいて私はこの小ささに反抗した。倦むことなく私は何度も新たに始めたが、数か月後にはいつも同じ地点に達するのだった」と述べている。

6室・モデルを前にした制作




《ディエゴの胸像》1954年、ブロンズ豊田市美術館

8室・矢内原伊作
ジャコメッティ芸術はモデルとの対峙が重要な点で、日本人哲学者・矢内原伊作(1918-1989年)は長時間に渡る制作と向き合うことができた数少ないモデルとして知られている。
彫刻ができるまでに描かれた数多くの油彩画やスケッチも、見どころの1つ。

9室・パリのアトリエ
ジャコメッティは、1926年、弟のディエゴとともに、モンパルナスのイポリット=マンドロン通り46番地のアトリエを借りた。
その後、アネットと暮らすようになっても、金銭的に余裕ができても、生涯この場所を離れることはなかった。建物の門を入ると細い通路があり、右側は鋳物職人をしていたディエゴのアトリエ、向かいがジャコメッティのアトリエ、その隣の一室が居間と寝室を兼ねた部屋。

●「マーグ財団美術館」
設立したのは、高名な画商として活躍したエメ・マーグと妻マルグリットで、1964年、ニース近郊サン=ポール・ド・ヴァンスに開館した。

マーグ財団美術館には、「ジャコメッティの庭」と呼ばれる中庭がある。
米国のチェース・マンハッタン銀行のために構想し、その後、独立した作品として鋳造された彫刻群を設置するために造られたもの。









今回の展覧会には、この作品群が展示されていた14室は圧巻。
この部屋は撮影が自由。

今回の展覧会で全貌を知ることが出来たことは嬉しい。

東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展@茨城県近代美術館

2017年04月01日 09時06分24秒 | 美術館
東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展@茨城県近代美術館
明日(4月2日)まで







1階の常設展示場を特別展の会場に。



唐招提寺境内の「御影堂」は「鑑真和上坐像」を奉じる仏殿で通常は非公開。

元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で、明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和39年(1964)に唐招提寺に移築復元し御影堂としたもの。
移築・復元に際し東山魁夷が10年の歳月をかけて障壁画全68面を描かれた。

平成27年(2015)から「御影堂」の大修理事業が始まって「鑑真和上坐像」は新宝蔵に遷座した。



改修工事に伴い、障壁画全68面を移動することになり茨城県近代美術館で公開する貴重な機会となった。

1階の常設展示場を特別展の会場の内部、柱や梁など本物の様に見える。
間接照明は作品を浮き上がらせる幻想的。



唐招提寺御影堂障壁画 山雲(部分)
昭和50年 唐招提寺蔵



唐招提寺御影堂障壁画 濤声(部分) 昭和50年 唐招提寺蔵



唐招提寺御影堂障壁画 揚州薫風(部分) 昭和55年 唐招提寺蔵


第2室には
障壁画を描くにあたって、日本と中国各地を巡り取材を重ねたスケッチや下図、試作を紹介し、完成にいたる制作過程を偲ぶことが出来る。

東山魁夷の渾身の作、と云うべき執念を感じた。


すみだ北斎美術館.@墨田区亀沢2-7-2

2016年12月25日 19時00分47秒 | 美術館
すみだ北斎美術館.@墨田区亀沢2-7-2
開館記念展「北斎の帰還-幻の絵巻と名品コレクション-
2016年11月22日(火) 〜 2017年1月15日(日)









葛飾北斎(1760-1849)は江戸時代後期の浮世師。
森羅万象を描き、90年の生涯に3万点を超える作品を発表、版画のほか肉筆浮世絵にも傑出していた。
ゴーガンなど後期印象派の人達にも大きな影響を与えた。
「為一」を始め「画狂老人」「卍」など、改号すること30回。

93回を重ねた転居でも有名で、画料はかなり入ったにも関わらず、質素な生活で金銭にも関心が薄く、興味は描くことだけの生活、トラブルも多い奇人としても知られる。
代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などが著名だ。

東京都墨田区が、世界に散逸した北斎の名品を生誕の地すみだに再び集め、北斎専門の美術館で展示しようとして誕生したのが「すみだ北斎美術館」で2016年11月22日(火)に開館した。

建築地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷跡地。
現在の墨田区北斎通り付近にあたる本所割下水で、およそ90年にも及ぶ長い生涯のうち、そのほとんどを「すみだ」で過ごしたといわれる。

「蔵前国技館」や「東京都江戸東京博物館」から徒歩10分位の墨田区亀沢。





設計は茨城県日立市出身の妹島和世で近未来的な外観。


館内は4階に常設展示室、3〜4階に企画展示室を配置

序章「北斎のイメージ」、
1章「北斎の描いたすみだ」、
2章「幻の絵巻-隅田川両岸景色図巻-」
3「名品ハイライト」、








「隅田川両岸景色図巻」
約100年余りも行方知れずとなっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻(すみだがわりょうがんけしきずかん)が、平成27年に再発見され、海外から日本へ里帰りした。




門人露木為一が描いた北斎と三女のお栄(葛飾応為)

こたつに半分入りながら熱心に絵を描き、一緒に暮らす娘の阿栄が傍らで見守っている。
三女のお栄(葛飾応為)は北斎の助手もつとめた浮世絵師。



絵を基に再現した像。



『北斎漫画』 53歳ごろ〜



『富士越龍図』
肉筆画(絹本着色)。嘉永2年1月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、落款は九十老人卍筆。

浮世絵や版本は小さいく、肉筆の浮世絵も掛け軸の大きさ。
しかも、退色しやすいから強い光を当てることも出来ないし、長期に渡る展示も難しい。



現在は開館記念展で多くの来館者があるが、DVDや光学的な展示など、工夫はしているが、リピーターの確保など長期のサイクルでみる運営は多くの問題を抱えているように思えた。

クラーナハ展―500年後の誘惑@国立西洋美術館

2016年12月24日 17時58分43秒 | 美術館
クラーナハ展―500年後の誘惑@国立西洋美術館
2016年10月15日(土)~2017年1月15日(日)




国立西洋美術館で開催されている「クラーナハ展」
クラーナハはどのような人なのか?
テレビなどで紹介されているが、とにかく観ないことには、ともって参上。

ルカス・クラーナハ(父、1472-1553年)は、若い頃にウィーンで絵画修業を終えた、西ヨーロッパで強大な力を誇った神聖ローマ帝国のザクセン選帝侯に見出され、専属の宮廷画家。
大型の工房を運営して絵画の大量生産を行うなど、先駆的なビジネス感覚を備えていたこと。

マルティン・ルターとも親交があり、宗教改革にも深く関与したこと。

等が分かった。



ルカス・クラーナハ(父)《マルティン・ルターの肖像》
1525年、油彩/板、ブリストル市立美術館


この画家が有名なのはユディトやサロメ、ヴィーナスやルクレティアといった物語上のヒロインたちを、特異なエロティシズムで描きだしたこと。

艶っぽくも醒めた蠱惑的な女性像は、当時の人達ばかりでなく後世の人々をも強く魅了する。



ルカス・クラーナハ(父)《ヴィーナス》1532年 シュテーデル美術館蔵



ルクレティア



ルカス・クラーナハ(父)《ホロフェルネスの首を持つユディト》
1530年頃、油彩/板(菩提樹材)ウィーン美術史美術館


ドイツでは15世紀後半から木版画や銅版画がいち早く発達した。

今回の展示でも、クラーナハをはじめ、デューラー、メッケネム、ショーンガウアーなど、同時代のドイツ人巨匠達の版画が比較展示されている。



クラーナハ展 https://youtu.be/hsTNFkI5a6w