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「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

「夭折の画家たち -青春群像-」展 其の1 @笠間日動美術館

2022年11月29日 23時28分13秒 | 美術館
「夭折の画家たち -青春群像-」展 其の1 @笠間日動美術館
2022年10月1日(土)~12月18日(日)










笠間日動美術館で開館50年記念「夭折の画家たち -青春群像-」展が開催されている。

夭折(ようせつ)は、年若いうちに死去することを意味し「早すぎる死」と惜しみ嘆くニュアンスを込めているが「夭折」というタイトルがつくと、それだけで不思議な世界に誘われてしまう。
青木繁、関根正二、中村彝、村山槐多、佐伯祐三、岸田劉生、松本竣介など、夭折の作家に加え、同時代を牽引した作家たちの作品も並ぶ「日動」ならではの企画展といえる。



「パリの街角」佐伯祐三
佐伯祐三(1898 - 1928)の没する前年の作品。
パリの街並みを憑かれた様に荒々しく重厚に描いた佐伯祐三。
その生涯に魅了され『佐伯祐三』(阪本勝 著・日動美術出版・昭和45年)を読んだことを懐かしく思い出した。



「風景」佐伯祐三
現在の山手線とおもわれる高架線をコンテ・クレヨン・鉛筆などで、さらっと描いている。



「下落合風景」佐伯祐三(1927)
二度目の渡仏前の下落合の風景はパリを描いたものとはまるで異なる。
佐伯祐三と中村彝のアトリエはともに下落合にあった。
20年程前に両者のアトリエ跡を訪ねたことも思い出す。



「自画像」佐伯祐三



「女」荻原碌山

新宿「中村屋」のサロンに集った人々の一人が荻原碌山(1879- 1910)本名は守衛(もりえ)、「碌山」は号で「東洋のロダン」として知られる。

30年前頃、信州の「碌山美術館」を訪ねた思い出もよぎる。
小さな美術館だった。このような規模でいいから「後藤清一彫塑美術館」の実現を夢みたが、いまだに実現しない。



「少年像」中村彝
中村彝(1887- 1924)は水戸の生まれで、祇園寺に墓地が在る。
アトリエは「新宿区立中村彝アトリエ記念館」として保存されている。



落合には新宿区立の「中村彝」と「佐伯祐三」の記念館がさほど離れていない場所に在る。

*日本における洋画商の草分けと言われる「日動画廊」を創設した長谷川仁(1897 – 1976)が’72年(昭和47年)に郷里に「笠間日動美術館」を創設した。全国的にも美術館が珍しかった当時、画家が寄贈してくれたパレットを展示するユニークな美術館は話題を呼んだ。
その後、ピカソ・ユトリロ・シャガール・マティス・セザンヌなどの企画展を次々と開催した。美術館としての評価が高まるに伴い、野外彫刻庭園や企画展示館を増設するなど設備を充実させた。

2000年に「茨城県陶芸美術館」と隣接の「陶芸の杜」が整備されたこともあるが、「お稲荷さん」の街が「美術・陶芸」の街として変貌した。
先駆けとなった「笠間日動美術館」「春風萬里荘」を運営する「日動画廊」の功績は大きく“開館50年”を迎えられたことは誠にめでたく、素晴らしいことだ。

京都近代美術館コレクション展

2022年09月07日 20時19分13秒 | 美術館
京都近代美術館コレクション展
「三爺の旅・丹後半島1周」其の③












京都近代美術館は京都、関西、西日本の美術に比重を置き、工芸に重点を置いた活動をしている近代美術館だが、西洋近代絵画まで幅広いコレクションを有する。
4階の「コレクション・ギャラリー」では、所蔵されている日本画・洋画・版画・彫刻、及び陶芸・漆器・染織やジュエリーといった工芸品、写真や現代作品などの中から年20回ほど入れ替えて展示される。
また、同時期に開催の企画展と連動した「関連展示」も行われる。
何れの美術館も「コレクション・ギャラリー」の展示を観るだけでも十分だが、特別展とのセットの入場券になっていることが多い。



靉光と静物画



伊藤久三郎「帽子と鳥籠」



伊藤久三郎「失題(蝙蝠傘)」





戦後の前衛陶芸を牽引した、走泥社は京都発の陶芸家集団。
鈴木治も創立会員の一人「掌上泥象三十八景」











特集:三尾公三
3階で回顧展を開催している清水九兵衞(1922-2006)と出身地を同じくし、やはり京都で活躍。同じ学校で教鞭を執ったこともあり、ジャンルを異にしながらも九兵衞と親交のあった画家・三尾公三(1924 - 2000)の特別展示。
1981年に創刊された日本初の写真週刊誌『FOCUS(フォーカス)』の表紙絵を創刊号から18年間担当した。
エアブラシでアクリリックカラーを吹き付けて描く独自の手法は斬新だった。
写真的映像に似たリアルな女性のイメージをモンタージュして、大型の変形パネルを組み合わせた6点の作品が展示された。

「木内克の全貌展」@茨城県立美術博物館

2022年08月11日 10時20分28秒 | 美術館
「木内克の全貌展」@茨城県立美術博物館
1970年9月12日―27日




「郷土が生んだ彫刻の巨匠・木内克の全貌展」のカタログ表紙(1970)



水戸市立博物館で「彫刻家・木内克のまなざし展」が7月23日(土)~8月28日(日)まで開催されている。
“夏休み子どもミュージアム”として企画されたが、生き生きとした猫や人体など、子供も大人も楽しめる展覧会として好評だ。



本展に先立つこと52年前の1970(昭和45)年9月12日―27日、茨城県立美術博物館で彫刻家・木内克の全容を紹介する展覧会が開かれた。
105点の彫刻と版画・デッサンを加えた129点が陳列され、生命感に溢れた作品は多くの共感を呼んだ。
彫刻界においては、テラコッタの技法やアルカイックな彫刻の精神を継承する作家として注目を集めていたが、この展覧会により木内克の人と作品は広く知られるようになった。



『木内克の世界』土方定一

巻頭に美術評論・美術史家の土方 定一(1904- 1980)による人と作品の紹介されている。土方は岐阜県生まれで、旧制の水戸高等学校から東京帝国大学に学び、1965年に神奈川県立近代美術館館長・全国美術館会議会長を務めるなど美術評論界で活躍した。











カラー図版を含め、32ページにわたって作品が紹介されている。



巻末には酒井忠康編纂の「木内克の歩み」と題する年譜が添えられ、時代背景を含め木内作品に対する理解が深まる。
今は豪華なカタログが流行りで、これほどのものが必要なのかと疑問に思うことがある。それから見たら質素だが、当時としては珍しい本格的な展覧会カタログとなった。


世界的にも珍しいパレットコレクション@笠間日動美術館

2022年08月04日 17時29分54秒 | 美術館
世界的にも珍しいパレットコレクション@笠間日動美術館







パレット館はピカソやダリなどのパレット340余点を展示。
笠間日動美術館は1972年(昭和47年)11月に、東京・銀座の日動画廊創業者、長谷川仁・林子夫妻により、創業45年と金婚式を記念し、長谷川家ゆかりの地である笠間に創設された。
その後、敷地・建物・収蔵品が増えて、今年で開館50周年を迎える。
西洋の近代、日本の近・現代の巨匠が描いた絵画を中心に3千点を超す所蔵品を展示している。









世界的にも珍しいのは、ピカソやダリを始め国内外の著名画家が愛用したパレット画コレクションで、長谷川が親交を深めた画家たちから譲り受けた340余点という世界に例がなく、美術史的にも貴重な品々だ。
開館当初の主要なコレクションで、お稲荷さんと笠間焼の街がアートの街として変貌するきっかけとなった。

絵の中のワンダーランド@笠間日動美術館

2022年08月03日 11時46分42秒 | 美術館
絵の中のワンダーランド@笠間日動美術館
2022年 7月16日(土)~9月25日(日)








巨大な花を描いて話題となった、渡辺香奈による10メートル超の大作《The River》はじめ、動物たちによるコミカルな世界など、同館の所蔵品を中心にした約60点を紹介する展覧会。







各作家の個性が光る不思議な世界が楽しめる。



1Fに常設の「鴨居玲の部屋」を観て、竹林を望む出窓に設置されているジャコメッティの彫刻をみるのも笠間日動美術館の楽しみ。







2 階中央展示室では、全国から公募した小中学生の「第 6回全国こども絵画コンクールinかさま」( 7 月 16 ~ 9 月 25日)が開催されている。
本年度は全国103の小・中学校の参加で、668点の作品が集まり217点が入選。うち41点が「茨城県知事賞」をはじめとする各賞に輝いた。

茨城県天心記念五浦美術館@北茨城市大津町

2022年06月02日 21時58分45秒 | 美術館
茨城県天心記念五浦美術館@北茨城市大津町
五浦海岸ジオサイトと岡倉天心ゆかりの地を巡る(其之4)






茨城県天心記念五浦美術館は近代日本美術史で重要な拠点となった五浦海岸に「日本美術院第1部」を移転、活動した岡倉天心らの業績を記念して1997(平成9)年に茨城県により設立された。
北茨城市は、県都・水戸から約70km、首都・ 東京から約160km、福島県との県境に位置し、地質学的な見所・見学場所も豊富な景勝地だ。
自然の景観を楽しみながら、近・現代の日本画を主とした美術作品にふれることが出来る。



「岡倉天心記念室」
メインの展示室の手前に岡倉天心の書簡や遺品など資料が展示されている。

① 生い立ちと修業時代 ② 美術行政への参画と古美術の保存
臨時全国宝物取調局・全国宝物取調書 明治30年
岡倉天心 書簡・大橋雅彦宛(明治34年5月9日)
③ 理想の実現に向けて 日本美術院の創立
岡倉天心 書簡・大橋雅彦宛(明治34年5月9日)
④ 東洋の美と心を世界に 国際人"KAKUZO"
岡倉天心 近世画家系図ノート 不詳 当館
ボストン美術館 中国日本美術部キュレーター承認通知
⑤ 新たなる飛躍の地“五浦” 日本美術院の移転心に従って五浦に移住した
横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山らの作品を公開。





(大観・観山・武山の3作品のみが、写真撮影可)





「箱根・芦ノ湖 成川美術館コレクション展
~花愛でるこころ、恋の詩とともに~」(4月27日~6月26日)。
成川美術館が誇る4000点余りの日本画から花をテーマに描かれた作品を紹介。



海を臨むテラスが何ケ所か在る。
平潟港から福島県の海岸まで太平洋が一望できる。

「東海道五十三次漫画絵巻」と山田みのる

2022年03月08日 12時40分18秒 | 美術館
「東海道五十三次漫画絵巻」と山田みのる

笠間日動美術館で「幻の大津絵と東海道五拾参次」展が2022年1月2日~3月6日まで開催されたが「東海道五十三次漫画絵巻」も公開された。







「肉筆東海道五十三次漫画絵巻(漫画東海道)」
東京在住の岡本一平を始め一流新聞漫画家18人(東京漫画会)による、大正版、東海道五十三次漫画絵巻(全55点)。
紙本淡彩 近藤浩一路箱 表題・長原孝太郎(止水)作品寸法32.9㎝×24.3㎝

大正10年(1921)5月1日、メーデーで厳戒中の日本橋を「すげ傘姿」で出発。各宿場で歓迎攻めにあいながらスケッチ旅行を行い、スケッチを元に制作した約150部を制作した。
1セット55図の絵巻(上下巻)で、それぞれ肉筆のため1図に付き150枚を描く大作業だった。













水戸出身の山田みのる(1889~1925)は「赤坂」「桑名」「亀山」「大津」の4図を担当したから全部で600枚も描いたことになる。
1度に全てを描いたわけでなく、1年ほどの間に何回かに分けて納めた。
画料は会員に分配されたから、会にも会員にもまとまった収入をもたらした。

*山田みのる(1889~1925)は大正時代に活躍した、水戸出身の漫画家。
東京美術学校(現在の東京藝術大学)で洋画を学び、雑誌や新聞で漫画を発表する。奇抜な構図と自由奔放な画風で、世相を映す出来事や人々の風俗をユーモアたっぷりに表現した漫画は人気を呼び、漫画界で一目置かれる存在となった。
大正10(1921)年には朝日新聞社へ入社し、国内政治や国際情勢を題材とした数々の風刺漫画を発表するが、大正14(1925)年、惜しくも35歳でこの世を去った。



「山田みのる」墓所・祇園寺(水戸市八幡町11−69)

*「大正の漫画家・山田みのる」展が水戸市立博物館において、令和元年10月20日~11月24日に開催された。
この展覧会で、東海道五十三次漫画絵巻」全55点と岡本一平など同時代の漫画家たちの作品も展示された。

幻の大津絵展@笠間日動美術館

2022年03月07日 20時01分35秒 | 美術館
幻の大津絵展@笠間日動美術館











笠間日動美術館で「幻の大津絵と東海道五拾参次」展が2022年1月2日~3月6日まで開催された。











「幻の大津絵」展の全37点が肉筆で、33点が洋画家・小絲源太郎(1887‐1978)の旧蔵品。富岡鉄斎(1837年- 1924年)の蔵品で、後に小絲源太郎蔵となったものが15点“さすが鉄斎”と敬服した。
北大路魯山人旧蔵の板絵2点も珍品だ。

額装の他、掛け軸の展示品もあった。
当時のオリジナル或いは旧蔵者が拘った表具なのかは分からないが、絵と表装の一体感は素晴らしい。











土産物として安価に売られた大津絵に、絵画としての価値を見出したのが柳宗悦で、1926(大正15)年頃から日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し「民芸運動」が始まってからのこと。
鉄斎のコレクションはそれ以前のようだし、美術商「山中 商会」は 1928年にロンドンで大津絵展を開催しているので、大津絵の再評価は100年前に遡る。

*『大津絵』は江戸時代初期の頃、近江国大津の追分・三井寺辺りの街道で土産物として人気を博した絵画で、当初は信仰の一環として仏画からはじまり諧謔、風刺をまじえた鬼や動物が登場する戯画風の絵が多く描かれた。
また、浮世絵の影響を受けたと思われる美人画なども好まれた。
安価で素早く作るため、輪郭は版木を用い手彩色で仕上げた。

東海道五拾参次展@笠間日動美術館(其之2)

2022年03月04日 12時43分51秒 | 美術館
東海道五拾参次展@笠間日動美術館(其之2)



前期:1月 2 日~2月 6 日は江戸日本橋から掛川まで。
後期:2 月 8 日~3 月 6 日は袋井から京都三条大橋まで
辛うじて後期だけを見ることが出来たうちの、草津~三条まで。





草津
草津は東海道と中山道の分岐点で、人と物の往来が盛んで賑わった。
保永堂版は活況を呈している街の様子。
丸清版は「琵琶湖風景」当時は湖上輸送が活発に行なわれた。
大量に荷物を運ぶには水運が便利で、津々浦々水路が整備されていた。
草津に降り立ったことがないが、琵琶湖が見え渡せるのだろう。





大津
東海道、最後の宿が大津。
「走井」名物・走井餅を食べさせる茶店。
現在は「月心寺」という小さな寺になっている。

*1979年7月に京阪三条から「逢坂山関址」「蝉丸神社」を巡り、浜大津から三井寺から近江神宮に行った。
途中下車しながら「逢坂山関跡」、琵琶の名手蝉丸をまつる「蝉丸神社」、水が湧く走井を境内に取り込んだ「月心寺」などを巡りながら真夏の一人旅は今でも思い出が深い。
「走井」を画家の橋本関雪が1914年(大正3年)に自らの別邸として購入し、後に天龍寺慈済院より村上獨譚老師を迎え、1954年に今のような寺院となった。
後の庵主・村瀬 明道尼(1924年 - 2013)は39歳の時に交通事故に遭い右手、右足の自由を失うが、精進料理の世界に入り、ごま豆腐を得意とする「精進料理の明道尼」として知られた。





京《三条大橋》
東海道と中山道の終点として、また東国への出発点として、その役割を果たしてきた。

旧東海道を歩くなり自転車などで訪ねて見たい、との願いはあるが数か所の宿場を歩いた程度で実現していない。
青春18切符での旅も、ここ数年来のコロナウイルスの蔓延で遠出が出来ないのでなおさらだ。
3月~4月の春の陣には間に合うかと期待したが、難しい。
7月~8月の夏の陣には間に合うことを願う。

東海道五拾参次展@笠間日動美術館

2022年03月02日 23時51分21秒 | 美術館
東海道五拾参次展@笠間日動美術館





1835 年頃、歌川広重は版元の保永堂から「東海道五拾参次」を発表し、人気を博した。その後、成功を収めた広重は、生涯 20 種類以上の東海道を描くが、その多くは途中で止められたため 55 枚の 全てを描いた版は限られている。
今回は保永堂版と現存数が少ないため、幻と称される丸清版をそれぞれ 55 点 展示された。

前期:1月 2 日~2月 6 日は江戸日本橋から掛川まで。
後期:2 月 8 日~3 月 6 日は袋井から京都三条大橋まで
辛うじて後期だけを見ることが出来た。

保永堂版と丸清版を比較して見ることが出来る。
同じ宿場でも見る場所や角度が異なるので、そこも見どころ。
更に、大正時代に撮影された写真も展示されているから比較できるのが楽しい。







袋井





浜松







宮(熱田神宮)





庄野《白雨》
保永堂の有名なにわか雨の場面。



丸清版の庄野、なんと穏やかな景色だろう。
坂道と思いきや平坦な場所だ。





亀山も対照的。

保永堂版は一面の銀世界を大名行列が行く。
石垣が急峻な雪山のようだ。
丸清版は旅人が高い石垣をのんびりと眺めている。


ランス美術館コレクション 風景画のはじまり展

2022年02月10日 19時17分26秒 | 美術館
ランス美術館コレクション 風景画のはじまり展
コローから印象派へ@茨城県近代美術館 
2月9日(水)~3月27日(日)





入り口の白梅が見頃だが、
新型コロナウイルス感染症の影響により「偕楽園開園180年記念 第126回水戸の梅まつり」の期間やイベントに変更に加え大雪警報などもあって、本日(10日)は来館者も少ない。



ランスという街に行ったことがないが、パリから東北東部に130㌔でシャンパンの本場・シャンパーニュ地方の中心地、数多くの有名なシャンパン・メゾンが拠点とし、地下には総延長120キロに及ぶワイン貯蔵庫・カーヴが縦横に張り巡らされているというから、吞兵衛にとっては憧れの地。

歴代フランス国王の戴冠式が行われたノートルダム大聖堂は世界遺産、写真を見てもパリのノートルダム寺院によく似ている。
フジタ礼拝堂 - 画家・藤田嗣治が自ら設計・内装した礼拝堂で自身が葬られていることはテレビ番組でも何度も紹介されているので、フジタのファンとして訪ねたいと思っていた地でもある。

「ランス美術館」のコレクションは地元の蒐集家からの作品寄贈。
特に、主要なシャンパン・メゾン、ポメリー社の経営者アンリ・ヴァニエ(1832-1907)が遺贈したコレクションがその中核となっている。
欧米の酒蔵は美術館や文化活動に力を入れている会社が多いように思う。





『17世紀以降、フランスの風景画は神話や物語が伴う理想的風景として表現され、アトリエの中で合成・再構成された架空の自然が描かれました。
しかしながら、19世紀に入ると、持ち運びが容易なチューブ入り絵具の発明によって、アトリエの外での制作が容易になります。
鉄道網の発達も相まって、画家たちは様々な場所に赴いてリアルな風景に向き合い、明るい光の下で観取した自然の瑞々しさや力強さ、輝きを生き生きと表現するようになりました。

本展では、コローの師であるアシル=エトナ・ミシャロン(1796-1822)、ジャン=ヴィクトール・ベルタン(1767-1842)の理想化から写実へ向かう風景画を皮切りに、手つかずの自然のありのままの姿を捉えたギュスターヴ・クールベ(1819-1877)、田舎や郊外の田園風景に惹かれたバルビゾン派、旅の記憶に叙情を交えて描いたコローなど珠玉の作品を紹介します。そして、戸外制作の先駆者の一人であり、水と大気と光の変化を画面に定着しようとしたウジェーヌ・ブーダン(1824-1898)から、風景を輝かしい色彩によって光そのものとして表現するにいたるクロード・モネ(1840-1926)ら印象派への道筋をたどります。』(「風景画のはじまり」の展覧会のチラシより)

第1章 コローと19世紀風景画の先駆者たち
第2章 バルビゾン派
第3章 画家=版画家の誕生
第4章 ウジェーヌ・ブーダン
第5章 印象主義の展開



茨城県近代美術館が所蔵するクロード・モネ(1840-1926)《ポール=ドモワの洞窟》(1886年)と同じ時期に同じ場所(ブルターニュ地方のベリール)を描いた《ベリールの岩礁》(1886年)が並列展示されている。
この2作品に限り撮影が許可されている。



《ベリールの岩礁》(1886年)



《ポール=ドモワの洞窟》(1886年)
1Fに常設されており見慣れた作品だが、並置されると改めて見直す。

これらは、モネが後に展開することになる、同じモティーフを異なる季節や時間帯、気象条件のもと、様々に変化する光の効果を追究して何点も描く「連作」の試みにつながっていく。

「上田薫とリアルな絵画」展@茨城県近代美術館

2021年11月04日 17時11分58秒 | 美術館
「上田薫とリアルな絵画」展@茨城県近代美術館
10月26日~12月12日







1985年から1992年迄の7年間、茨城大学教授を務められた上田薫(1928~)さんは、玉子が殻から黄身と白身が落下する瞬間や、スプーンですくい取る様子をリアルに描く「スーパーリアリズム」の日本における第一人者として知られている。
美術の教科書に採り上げられる作家だから、茨大教授として着任されたことは驚きであり喜ばしいニュースだった。

当時は水戸芸術館の構想が進展中で、上田さんはじめ茨城大学の美術関係の先生方からのご意見も「現代美術ギャラリー」の構想に生かされた。

今展は4部で構成されている。
序章:上田薫―玉子に見るリアル



上田薫「なま玉子 B」 1976年 東京都現代美術館蔵



上田薫「玉子にスプーン B」1987年 茨城県立近代美術館蔵

殻から落ちるなま卵、スプーンですくいとられ、フライドエッグなどがクローズアップした大画面に描かれている。
落ちる瞬間、ナイフやホークの精密な描写。
油絵なのだが本物としか見えない。
写真を元に描いているのだが、イメージの通りの写真が撮れるまで何十もの卵を割り続けたらしい。
単に偶然の状況ではなく、全ての作品が狙って映され再構成されている。
画面のスプーンなどに作者自身や周囲の風景などが写り込んでいる作品も多い。

1章 いろんなリアル

本物そっくりに描くリアルリアルに描いた木下晋・磯江毅・諏訪毅などの作品。

*不思議なリアル

週刊誌「フォーカス」の表紙絵などを担当した三尾公三など、現実にはあり得ないリアルな世界は異次元の空間に。

2章 光のリアル
現代の様々な作家による光の表現。



伊庭靖子「Untitled」 2009年神奈川県立近代美術館蔵
クローズアップされた染付磁器とその反射光を描いた伊藤靖子。

第3章 上田薫のリアル
上田作品は時代ごとに変化した。



上田薫「あわ D」 1979年 個人蔵



上田薫「ジェリーにナイフ C」 1989年 日立市郷土博物館蔵



上田薫「サラダ E」2014年 個人蔵

代表的な卵シリーズに留まらず「あわ」「流れ」「サラダ」など、次々と新たなテーマを求め展開した作品が並ぶ。

●作品の写真は全て茨城県立近代美術館のHPより。



茨城大学を退官されて相模原に転居し、近年に鎌倉に移り住んでいる。
2012年4月、鎌倉の鶴岡八幡宮を眼下に見る丘の上の住まいとアトリエを訪ねることが出来た。
アトリエを拝見したのち、竹林で有名な報国寺や旧華頂宮邸をご案内頂いたのも懐孟宗の竹林で有名な報国寺にご案内頂いた。



2011年に水戸芸術館で開催された「CAFE in Mito 2011 ― かかわりの色いろ」展に際しては自作を何点か寄贈された。
寄贈作品の前で、奥様の上田葉子さんと。
葉子さんはキルト作家としてNHKのテレビや手芸の雑誌に度々登場する。

「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション ―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」9月4日~ 11月7日@大田区立龍子記念館

2021年11月02日 09時16分55秒 | 美術館
「川端龍子vs.高橋龍太郎コレクション ―会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃―」9月4日~ 11月7日@大田区立龍子記念館



現代アートのコレクター・高橋龍太郎氏のコレクションを、美術史家で明治学院大学文学部芸術学科教授・山下佑二氏が日本画家・川端龍子の作品と共に展示した展覧会。

高橋氏が収集した2,000点以上にもおよぶという日本の現代アートのコレクションは、国内外の様々な展覧会で紹介されてきた。
その中から山下氏が選んだ4人の作家と龍子の作品のコラボレーション。









会田誠《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》
この作品だけは写真撮影が可能。
最初に展示された時、ビールケースの上に設置された状況を再現展示。
会田誠の住居の襖に描かれた。
後ろも見ることが出来、襖に描かれた状況が良く見える。
ホログラムの紙が貼り込まれ、見る角度によって変化する。



『香炉峰』(川端龍子・1939年、大田区立龍子記念館)
(紙本彩色 242.5㎝×726.5㎝) 
龍子は「会場芸術」と言うと名の下、とてつもない大画面の作品を多数発表している。普通の場所では展示できない巨大な画面、そのために自分の作品発表の場として個人美術館を作ってしまったのだ。
現在でもこのような大画面の作品は少ないが、満州事変から太平洋戦争に突入する時代に描かれたから驚きだ。
画面いっぱいに描かれた戦闘機の機体が半透明に描写され、パイロットは自身の姿として描かれている。
いわゆる戦争画だが、単なる戦争画には見えない。
龍子は「会場芸術」という名のもとに超ド級の大画面に描いた。



「源義経(ジンギスカン)」(川端龍子 1938 年紙本彩色額装・六枚一面各(各243.4×723.0 cm)



「五武人圖」 (山口晃 2003 年 墨・紙 5 点組 各 170.0㎝×60.0 cm )



「十一面観音菩薩立像」奈良時代(8世紀)、大田区(東京国立博物館寄託)
龍子の「持仏堂」に在った。



山口晃「當卋おばか合戦」1999年、高橋龍太郎コレクション。
下は、川端龍子「逆説・生々流転」1959年 大田区立龍子記念館蔵





この企画展を知ったのは「BS日テレ」で放送されている「ぶらぶら美術・博物館」。この番組は、美術に造詣が深くあらゆる分野に精通している山田五郎が
「おぎやはぎ」(小木博明・矢作兼)高橋マリ子と美術館・博物館をブラブラする企画。毎回、専門のゲストが登場する。
今回(2021年10月19日)は展覧会を監修した山下裕二で、博学の山田五郎と肩を並べる物知り博士。

鴻池朋子《ラ・プリマヴェーラ》と龍子が金彩のみで草むらを表した《草の実》、天明屋尚《ネオ千手観音》と龍子の自宅の一室に納められていた仏像「十一面観音菩薩立像」、そして、山口晃《五武人圖》と龍子の武者絵《源義経(ジンギスカン)》など、時代を超え共鳴し合う作家のイマジネーションの世界を楽しむことが出来た。
併せて隣接の「龍子公園」も見ることが出来た。

●龍子記念館は、
近代日本画の巨匠と称される川端龍子(1885-1966)によって、文化勲章受章と喜寿とを記念して1963年に設立された。
当初から運営を行ってきた社団法人青龍社の解散にともない、1991年から大田区立龍子記念館としてその事業を引き継いでいる。
大正初期から戦後にかけての約140点あまりの龍子作品を所蔵し、多角的な視点から龍子の画業を紹介している。

Gerd Knäpper Gallery ゲルト・クナッパーギャラリー @大子町塙1222

2021年10月31日 09時32分56秒 | 美術館
Gerd Knäpper Gallery ゲルト・クナッパーギャラリー
@大子町塙1222









長屋門を改装してつくられたギャラリー。

ドイツ出身の陶芸家・ゲルト・クナッパー(1943年〜2012年)さんはアメリカをはじめ世界36か国を回って多くの体験を重ねた後に1967年に来日。
翌年イギリスの陶芸家バーナード・リーチの紹介で浜田庄司を訪ね、栃木県益子町に移り作陶活動を始めた。
益子で修業している頃、大子町に茅葺の屋敷を購入し西洋風の飾り窓を付けた独自の形として蘇らせた。
敷地内に登り窯を築き独立、創作活動の拠点とした。
屋敷の再生や築窯も殆どが独力で行った。









屋敷の改築、人柄や業績を紹介する写真パネルも展示されて在る。



茅葺屋根を維持するには膨大中屋と人出と経費が掛かる。
2012年にクナッパーさんが亡くなられて以降は屋根の維持補修がままならず、現在は傷んだ部分にシートを掛けて破損を食い止めている状態。
クラウドファンデングで資金を募っているが部分的に修復する程度で全面吹替には多額の資金を要する。



古民家再の手本として多くの雑誌にも紹介された。
日本お貴重な文化財である「茅葺屋根の家」は現在、建築基準法で新築が出来ない。



ギャラリー館長でクナッパーさんの長女ウテ・Y・クネッパーさん。
次の世代に繋いでいくために、休耕田を購入し、茅葺屋根の材料となる茅を自ら育てている。更に家屋の補修を進め、何れはカフェやワークショップもしたいと意欲十分だ。父親の開拓精神を引き継いでおられる。



長女ウテさんと記念撮影。

僕の友人がクナッパーさんと交友がったので、大子に移り住んで間もない頃(約40年前頃)に何度かお伺いした。
当時は長屋門のギャラリーは出来ていなかった。

ウテさんの母親(クナッパーさんの奥様)手作りのアップルパイをご馳走になった思い出もある。
最後に訪れたのは15年前頃か、クナーッパーさん亡き後は初めて。
長屋門のギャラリーも完成し、娘さんが父親の業績を顕彰し維持しようとされている。
何も役立つことが出来ないが、何かお役くにたつことが出来れば。と思い直した。

●ギャラリー見学は特別展開催時以外、完全予約制で10日前までに要予約。
在宅であったので予約なしで拝観出来たのは幸運。


いわさきちひろ展@茨城県近代美術館

2021年07月25日 18時11分48秒 | 美術館
いわさきちひろ展@茨城県近代美術館
7月24日~8月29日





いわさきちひろは水彩絵の具やパステルなどの身近な画材で、四季折々の花や赤ちゃんや子供の情景など日常生活を描いた画家。
童画作家として絵本などで見ることが多いが、今回の展覧会は画家を目指して勉強した時代、企業の宣伝部員として広告デザインなどで活躍した時など幅広い資料や作品が展示されている。



ハマヒルガオと少女 1950年代半ば [油彩]



「あめ」 1960年頃



戸口に立つおにた 1969年 (『おにたのぼうし』ポプラ社より)

水彩やパステルは学校教育で幅広く使用される画材だから、油絵などより低く見られてしまう場合があるが、笠間日動美術館で開かれている「クレパス展」で展示されているような多彩な作品が生まれる可能性がある。

VI章の「ちひろの技―感じたとおりに描くこと」では技術を駆使する奥義も紹介されている。

油彩画や素描など稀少な初期作品から、絵雑誌やカレンダー、絵本の原画などの代表作まで網羅的に展示されてあるので全貌を知ることが出来る。

大正から昭和初期にかけて生まれた世代に共通する点だが、日中戦争から太平洋戦争にかけての悲惨な時代を体験しているから「戦争は繰り返してはならない」という信念が身に沁みついている方々が多い。

いわさきちひろも『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店、1973年)を刊行するなど、2度と戦争を起こさないようなメッセージを発信している。

惜しむらくは、1974年に病により55歳で死去してしまったことだ。
しかしながら、自宅跡地が「ちひろ美術館・東京」さらに「安曇野ちひろ美術館」が1997年4月に開館するなど、人と作品に接する機会が有る。



今回の茨城県近代美術館の展覧会も初日から大勢の方々が入場された。
1階のミュージアムショップが臨時的に拡張されて、作品の販売も好調なのは嬉しい。



黒柳徹子の自伝的な著書『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)は空前の大ヒットとなったが、ちひろが既に亡くなった後の出版で、文章に相応しい絵をちひろの長男・松本猛が選んだという逸話を、設置されているVTRで知った。

黒柳は2代目「ちひろ美術館(東京・安曇野)」の館長を務めるなど、大きな役割を果たしている。



展示室1日本の近代美術と茨城の作家たち 夏
展示室2武井武雄 刊本作品の世界

大正から昭和にかけて童画家として活躍した武井武雄(1894-1983)展。
武井がライフワークとして取り組んだ「本の美術品」である刊本作品が100点以上展示してある。
技法や素材にも徹底的にこだわって創られた稀観本の数々。
会員制で配布された。