読書感想238 ブハラの死刑執行人
著者 サドリーディン・アイニ
生没年 1878年~1954年
出身地 ウズベキスタンのブハラ近郊
出版年 1920年
言語 ウズベク語で書かれ、後にタジク語で改作され、ロシア語に翻訳された。
履歴 ブハラのメドレセ(イスラム教の宗教学校)に学び、早くから詩作、文学活動を始め、当時のブハラ汗国の封建制度を批判したため、ブハラ汗国のエミール(国王)から弾圧、投獄され、のちの革命軍により救出された。後年はソ連最高会議代議員にも選ばれ、初代タジック科学アカデミー総裁を務めた。
訳者 米内哲雄
☆☆感想☆☆
ロシア革命のただなか、1918年3月、ブハラ汗国ではエ
ミールに改革と降伏を要求したブハラ青年党を一掃する命
令が下された。エミールの宮殿では毎日数百人の若いブハラ
人が送り込まれ、毎晩のように、彼らは殺害され、遺体は何
回も運び出され、城門の近くの穴に投げ込まれた。さらに、
「聖なる信仰のための戦士たち」という狂信者たちは「ジ
ャデッド」を逮捕、処刑せよという訓令を受けた。「ジャデッド」とは何か。ロシア語を少しでも知っている者、一度でもイスタンブールへ行ったことのある者、
新聞を読む者、新聞を読む者と交際している者、背広を着て
いる者、ルバシカの襟にボタンのある者、短いあごひげと長
い口髭の者、息子を新方式の学校へ入れているか、ロシアか
イスタンブールへ遊学させている者たちである。そして国内
場と化した。それで街頭での処刑は中止され、宮殿に集
められて処刑されることになった。宮殿での遺体はますます
増加した。
本書ではブハラの宮殿での拷問・処刑と遺体の運び出しの
様子と、死刑執行人たちが、遺体の運び出しの終わった、わ
ずかの休憩時間に話す体験談や見聞録からなっている。無か
ら才覚一つで金持ちになった話や、回教の僧侶のことなど日
本人にはなじみのないウズベキスタンの昔の生活がうかが
える。
見出しは次のとおりである。
“ジャデッド”とは何者か
新しい殺人法
砂の部屋
3月9日、夜、アルタ宮殿
ミルシャブ爺さん
枷の消費税
回教法典のあるじたち
僧侶―強盗を捕らえる名人
おお 回教法典よ
ピルザーデ
秘密をよく守れ
強奪の機械