『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想238  ブハラの死刑執行人

2018-07-02 13:48:50 | 小説(海外)

 

読書感想238  ブハラの死刑執行人

著者      サドリーディン・アイニ

生没年     1878年~1954年

出身地     ウズベキスタンのブハラ近郊

出版年     1920年 

言語      ウズベク語で書かれ、後にタジク語で改作され、ロシア語に翻訳された。

履歴      ブハラのメドレセ(イスラム教の宗教学校)に学び、早くから詩作、文学活動を始め、当時のブハラ汗国の封建制度を批判したため、ブハラ汗国のエミール(国王)から弾圧、投獄され、のちの革命軍により救出された。後年はソ連最高会議代議員にも選ばれ、初代タジック科学アカデミー総裁を務めた。

訳者      米内哲雄

☆☆感想☆☆

 ロシア革命のただなか、1918年3月、ブハラ汗国ではエ

ミールに改革と降伏を要求したブハラ青年党を一掃する命

令が下された。エミールの宮殿では毎日数百人の若いブハラ

人が送り込まれ、毎晩のように、彼らは殺害され、遺体は何

回も運び出され、城門の近くの穴に投げ込まれた。さらに、

「聖なる信仰のための戦士たち」という狂信者たちは「ジ

ャデッド」を逮捕、処刑せよという訓令を受けた。「ジャデッド」とは何か。ロシア語を少しでも知っている者、一度でもイスタンブールへ行ったことのある者、

新聞を読む者、新聞を読む者と交際している者、背広を着て

いる者、ルバシカの襟にボタンのある者、短いあごひげと長

い口髭の者、息子を新方式の学校へ入れているか、ロシアか

イスタンブールへ遊学させている者たちである。そして国内

場と化した。それで街頭での処刑は中止され、宮殿に集

められて処刑されることになった。宮殿での遺体はますます

増加した。

 本書ではブハラの宮殿での拷問・処刑と遺体の運び出しの

様子と、死刑執行人たちが、遺体の運び出しの終わった、わ

ずかの休憩時間に話す体験談や見聞録からなっている。無か

ら才覚一つで金持ちになった話や、回教の僧侶のことなど日

本人にはなじみのないウズベキスタンの昔の生活がうかが

える。

見出しは次のとおりである。

“ジャデッド”とは何者か

新しい殺人法

砂の部屋

3月9日、夜、アルタ宮殿

ミルシャブ爺さん

枷の消費税

回教法典のあるじたち

僧侶―強盗を捕らえる名人

おお 回教法典よ

ピルザーデ

秘密をよく守れ

強奪の機械


にほんブログ村

 にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村