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読書感想208  盗まれた神話 ―記・紀の秘密―

2017-01-05 20:05:43 | 時事・歴史書

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読書感想208  盗まれた神話 ―記・紀の秘密―

著者      古田武彦

生没年     1926年~2015年

出身地     福島県喜多方市

☆感想☆☆☆

本書では、中国の古代史書、三国志や後漢書を読み解き、倭の五王や卑弥呼を輩出した国が九州にあり、大和朝廷とは異なる国であるという仮説を立て証明し続けた著者は、日本書紀と古事記の分析を通して、九州王朝の痕跡とその隠蔽を探らんとしている。著者は戦前の皇国史観(万世一系天皇制)を否定する立場から日本書紀・古事記には造作が多いとして信頼に値しないという立場をとった戦後史学(津田左右吉史観)にも組していない。

著者は「紀・記」を取り上げるにあたり、疑問点を4つ上げている。

第1点は「国生み神話」。「天の沼矛」によってイザナギ・イザナミの二神が国を作っていくのだ。しかるに弥生期の日本列島には二大青銅器圏があり、銅矛の勢力圏は九州を中心として中国地方と四国の一部を含む地域だ。一方、銅鐸は近畿地方を中心にして、中国地方、四国の一部を含んでる。「紀・記」の国土創成神話が銅矛圏で生まれたことを物語っている。天皇家の本拠地は近畿地方なのに、銅鐸は全く出てこない。

第2点は日本書紀の神代巻にある、おびただしい「一書」群。総計58に上る。本文をあげ、それに対する異伝として「一書に曰く」を挙げている。それが神武天皇以降ぴたりと消滅する。あってもわずかになる。

第3点は景行天皇の九州大遠征説話をめぐる「紀・記」間の断絶。この景行天皇の説話には九州の地名が20個も書かれているのに対し、この後に書かれた日本武尊の熊襲説話や仲哀・神功の熊襲説話には九州の地名がほとんど出てこない。しかも景行天皇は日向(宮崎県)に来ても神武天皇東征発進の聖地なのに、そんな感慨は一切ない。しかも古事記にはこの景行天皇の説話は登場しない。また仲哀・神功の熊襲説話も登場しない。

第4点は「韓国」の表示。古事記の天孫降臨の場面で、「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」に「天降った」ニニギノ命の言葉「此の地は、韓国に向ひ」である。天孫降臨は「宮崎県の日向」と言うことになっているのと大きく矛盾する。

著者はまず「紀・記」が天皇家の支配を正当化するという大義名分にそって作成されたものであり、天武天皇の「削偽定実」の命により、天皇家に有利なことを付け加え、不利なことを削除した史書であると述べている。そして景行天皇の九州大遠征説話は九州王朝が筑紫から九州一円を征服した説話を挿入したものと解釈している。その基になっている九州王朝の史書を日本書紀の中に見出している。「日本旧記」である。「日本旧記」の名による直接引用のほか、景行天皇説話のようなそのまま挿入している説話も多い。古事記になく、日本書紀にしかない説話である。九州を舞台にした神代の時代では「一書に曰く」が多く、神武天皇の東征以後は近畿地方が舞台になると「一書」からの引用は消える。つまり、日本書紀は九州王朝の事績を近畿天皇家の事績として挿入しているのである。そして「一書」という形で引用した史書の名前をあげていないのは他の王朝の史書であることを隠したからだという。しかし古事記にも日本書紀にも共通する降臨神話を持っている。このことから著者は、先在の九州王朝と後在の近畿天皇家は、共通の始祖神話(天孫降臨等)をもつ、始源を共通にする、二つに分かれた王朝だとする。九州王朝が本流で近畿天皇家が分流である。兄である天火明命の尊称である「天照国照」から見てこちらが本流であり、弟のニニギノ命は傍流であると考えるが、「紀・記」では兄の系列は一切カットされている。著者は「紀・記」の手口は切断と挿入だという。

古事記は日本書紀と違って偽書説が絶えることがなかったという。その写本は南北朝期(14世紀)になってやっと出現した。これについて著者は天武天皇の「削偽定実」を目的としながら、古事記は近畿天皇家内の伝承に依拠して記録化したものである。それに対して日本書記は九州王朝の史書たる「日本旧記」、九州王朝と百済との交渉史たる百済系三資料「百済記」「百済新撰」「百済本記」を切り取って近畿天皇家の歴史として編入し構成し,しかも近畿天皇家の正史として書かれたものである。712年から720年までの元明・元正期まで二派が存在していたが、日本書紀が正史として公認され、古事記は葬られたと解釈している。そして密かに保存されていたものが600年後に表に出てきたのである。既にできていた古事記に対して後から日本書紀が作られた理由は、九州での反乱と禁書の存在である。つまり8世紀初頭に倭国の残党を鎮圧し、禁書「日本旧記」を近畿天皇家が手に入れたことで、新しく日本書紀を作成することにしたのではないのか。それゆえ古事記は廃棄されたのではないか。

さらに万葉集についても示唆に富んでいる。万葉集には白村江の戦いについての歌がないということと、雑記から始まっていること。雑記は本来一番最後に出てくる章。九州や瀬戸内海域の人々の歌がほとんどないこと。これから著者が導き出した結論は、筑紫を中心にした「倭国万葉集」があり、その雑歌の「大和の歌」がつぎの「日本国万葉集」の出発点となったというものである。

難解な書籍だが、説得力のある論理を駆使している。古事記が表に出てきたことで、日本書紀との綻びから古代史の解明につながっている。日本旧記の原本もどこかにないだろうか。 

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