『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  朴婉緒(朴ワンソ)の「裸木」解説1

2014-08-27 23:36:09 | 翻訳

Dsc03481

翻訳  朴婉緒(朴ワンソ)の「裸木」解説1

 

◆解説

 

復讐の文章、あるいは〈書く〉ことを通して〈生きる〉こと 

 

         ソ・ヨンヒョン 

 

1朴婉緒と「裸木」

 

「裸木」は朴婉緒の文壇デビュー作らしく、朴婉緒の作品世界を解明することのできる、たくさんの糸口を含んでいる。しかし「裸木」は朴婉緒作品世界の胚芽に該当するために、「裸木」を通して朴婉緒の作品世界を抽出することは難しい。まず、主人公イ・キョンの625戦争体験が「裸木」の時間的・空間的背景をなしていても、625戦争と分断体験を素材にした他の小説、「渇きを覚えた季節」(1978)、「お釈迦様の近所」(1973)、「カメラとワーカー」(1975)、「ママのかんざし2」(1981)、「その山が本当にそこにあったのだろうか」(1995)とは違って、イ・キョン(李炅)の家族が経験した6.25戦争体験は「裸木」の叙事を駆り立てる力の中心におかれてはいない。

 

 爆撃で死んだ兄達や、彼らの死によって生きる意欲を失った母に対する接し方も、イデオロギー対決だと言える朝鮮戦争の意味と関係のない所で、成り立っている。特にすべての事件がイ・キョンの立場から描かれるために、その意味もかなり屈折している。例えば兄達の死も事件の意味それ自体よりは、イ・キョンがその事件に対して感じる呵責だという側面が強調されている。それゆえ戦争体験を扱う朴婉緒の小説群とは違って、「裸木」で戦争は戦争だという特殊な意味よりは、極限的状況一般だという一層抽象的意味を持つ。それで戦争は各人物を取り巻く寒さ、恐怖、不安という心理的状況に置き換え可能だ。

 

 むしろ兄達を早く死なせ、母から生きる意欲を奪い取っただけではなく、イ・キョンに家族扶養の重荷を背負わせた戦争は、イ・キョンとオクヒドという人物が、アイディンティティを探そうと苦闘する状況に切迫感を与える仕掛けで使われているだけで、戦争自体は彼らの絶望と喪失と混沌の直接的な原因として作用していない。したがってこの作品は、個人史を通して韓国史にある6.25の戦争の意味に近づく戦争小説というより、イ・キョンとオクヒドのアイディンティティ探しという実存の問題を扱う作品と見なければならないだろう。

 

 また「ミミズの鳴き声」(1973)、「離別の金浦空港」(1974)、「恥ずかしさを教えます」(1974)、「盗まれた貧乏」(1975)、「ゆらゆら揺れる午後」(1977)で見える、主人公自身にまで加えられる朴婉緒の独特な現実批判、すなわち俗物根性(中産層の小市民意識)に対する風刺と攻撃も「裸木」ではチェ・マンキルやダイアナ・金のような〈生きる意志〉を見せる浅薄で悪人達に向けていながら、主人公イ・キョン自身に対する批判は、遠まわしになっている。うわべだけ見ると、イ・キョンは悪人達を一方的に憎悪する。けれどもイ・キョンの憎悪は結局彼女自身に向けたものだ。彼女は悪人達という鏡を通してドルを稼ぐために、下手な英語をしゃべりまくる自分の姿、つまり自分の内面に隠された悪を発見する。それゆえ、悪人達に向かう憎悪と幻滅は自分に対する幻滅に違いないのだ。

 

 ところが悪人達に対するイ・キョンの憎悪は、突発的な行動にふける彼女の意地悪でとげとげしい性格に邪魔されて表面化していない。彼女が戦争の災難が他の人々にも等しく分配される時まで、戦争が続くことを望むと言い、沸き始める憎悪をもてあまして、肖像画を描く絵描き達やオクヒドの夫人に悪意に満ちた言葉を浴びせる行動などは、戦争という状況が追い込む不可避なものであるよりは、青春それ自体の混沌によるものと見るのが一層妥当であるからだ。

 

 それゆえ「裸木」は朴婉緒の作品世界全般を貫くモティーフが混じっている作品でありながらも、戦争体験や俗物根性についての批判とは一定の距離を保っている。かえって「裸木」は、復讐の文章、あるいは復元の文章という次元から、朴婉緒の小説世界と直接触れ合っている。戦争中に父も兄達も失って、生存問題に追い詰められた女主人公に対する話は、朴婉緒の小説世界を構成する重要な軸だ。時には兄が二人のキョンウ(「裸木」)、その兄が自分や母の眼前で銃殺されたキョンウ(「お釈迦様の近所」「ママのかんざし2」、「喉が渇く季節」)、息子の死を前にして母が精神に異常をきたしたキョンウ(「喉が渇く季節」)もあり、主人公が命をかろうじて長らえるために、兄の死に堪えて、空き巣狙いを仕事にするキョンウ(「その山が本当にそこにあったのだろうか」)もある。

 

 それにもかかわらず、その小説には戦争が勃発した時、避難もできず、ソウルに残って、北側と南側両陣営から辛苦をなめながら、なんとかして生き残らなければならなかった女達、戦争で兄あるいは息子を失った女達の話だという骨組みが、そっくりそのまま保たれている。それで朴婉緒の小説はその内容において互いに重なることもあり、そのために読者をいくらか食傷させることも事実だ。それでは同じ素材を〈泣いて食べる〉という非難を甘受しながらも、朴婉緒がその素材に大きい変形を加えずに、小説化する作業を絶え間なく反復するわけは何か? それはその時代の経験が彼女の文章の動力であり、同時に彼女を構成する実体の核心だからだ。

 

 

 

 他人はこの上もなく見事に忘れ、この上もなく見事に許し、いつもそうだったのか傷も跡形もなくいやして上手に生きるけれど、ただ一人悔しい目に遭い間抜けに騙されたことが忘れられなくて、どのようであれ真相を究明してみよういう、執拗で偏屈な私の性分が後日文を書かせ、私の文学精神の骨格になったのではないかと思う。

 

 -朴婉緒、「私にとって小説とは何か」、『朴婉緒文学アルバム』、熊津出版、1992123頁(以下下線部は引用者強調)

 

 

 

 その時私が発狂せずにまともな精神で生き残ることができた秘訣は、そうだ、

 

いつかはこれを小説としてかいてやるぞ、これこそ私だけの経験ではないかと

 

いう思いだった。それは執念とは違った。夢とも違った。その時代を発狂しな

 

いで生き残れる唯一の方法で、精神の気管呼吸の穴で、一人だけ見た者の義務

 

感だった。戦争が終わって、世の中が生きられ、私も普通の人間としての無事

 

安逸を享受する間、それはびりびりした予感になって、私の安逸に潜伏してい

 

て、足の痛みのように突然思い出させたりした。それで初めて世の中に文筆業

 

としてお目見えさせられた時の感傷も、夢を果たしたのか、努力の結実を収め

 

たのかという結果よりは、とうとう書くことを避けられなくなる安堵と諦念に

 

近かったのだ。

 

  -『渇きを覚えた季節』〈作家の言葉〉、開花した書籍、1987302ページ

 

 

 

 そうしたせいでその時代の経験は彼女の文学観を形成する土台に

 

ならざるをえないのだ。上記の引用文を通して朴婉緒自身が直接言

 

及しているように、彼女の文は傷としてだけ残されていた自分の経

 

験をおのずと納得できる因果法則を備えた事件として、再構成する

 

過程であり、それがその時代の傷を克服する彼女のやり方だ。その

 

やり方を通して朴婉緒は、その時代を経験しながらも、得てきた他

 

人に対する憎しみと利己心、無関心の根源を明らかにすることによ

 

って、過去の自分だけでなく、現在の自分までも冷静に批判できる

 

距離を確保しようというのだ。それで我々は朴婉緒が「裸木」を通

 

して一方的に被害を受けざるを得なかった、その時代の運命の力に

 

〈文〉によって復讐しながら、復讐の文を通して自分の傷を治癒し、

 

その時代の経験によって失ってしまった自分の姿を復元しているこ

 

とがわかるのだ。勿論その復元の過程は長く難しいことだが、「裸木」

 

で始めた復習と復元の文が未だに終わらないままであることを通し

 

て、我々はその時代についての作家の怨恨の深さと広さの見当がつ

 

かないのだ。

 

 この時「裸木」が朴婉緒の復讐の文の出発地と言う点は、作品の

 

中で生き生きと生きている人物が主人公イ・キョンだけという事実

 

とも緊密に結びついている。オクヒドや黄泰秀などの人物が行為の

 

次元でだけ描写される反面、イ・キョンという人物は表面的な行動

 

と、その裏面の心理の次元が同時に描かれているが、作家がイ・キ

 

ョンの行動を彼女の心理的推移を通して、もう一度再構成している。

 

すなわち、イ・キョン自身の欲望とその欲望に対する作家の解釈が

 

イ・キョンの内面に共存するので、イ・キョンは欲望の衝突が作り

 

出す葛藤の中で、生き生きとした人物として描かれているのだ。そ

 

れで作家はイ・キョンの内面を通して自分の文の窮極的な目的だと

 

言える〈復讐の文〉を遂行しているわけだ。

 

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