ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
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りゅーとぴあ能楽堂「マクベス」観劇記2

2006-02-04 00:07:02 | りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ
紫さんのヘカテは、いちばん能舞台に親しい抑制された所作を見せる。

そして、魔女たちは、からくり人形のような、マイムのような様態。
血の気のない童女姿は、日本人である私たちには、
何かプリミティブな畏れのイメージを呼び覚ます。
囁き、お喋り、箴言、悪戯、悪意、予言、唄…
言霊は姿を変えて、でも、その呪力の根源は変わらず、
マクベスに絡みつく(あるいはマクベスが生み出している)

この、魔女の役者さんに課せられた荷はなかなか重くて
現実的な事を云えば、唄も台詞も重奏的な音階があり、
耳と口には、常に個人的な仕業は赦されていない!
お能のすり足とも違う(でも能舞台である特性と融合しているような)
独特の足運びで動き、また、辛く(←たぶん!)長い静止の時間。
(二幕以降、傘を持ち腕を上げたままの静止や、
橋掛かりにくったりともたれるような形で留まることなど
肉体そのものが酷使されている事に感嘆するけれど、
その人間の肉体が“酷使されている”と、ぱっと見には気づかせない、
異形そのもののような造形が、また、素晴らしくて!)

一幕の橙の着物から、二幕、死出の旅を示唆するような
白い着物(あるいは白い喪服?)への拵え替えも良かった。
これは、演出家の希望なのか、デザイナーの発想なのか
興味深いところです。

白装束の童女に囲まれ「死出の旅」の意匠を感じるのは、
二幕冒頭ではマクベス夫妻に対してだけれど、
エンディングでは、むしろ、魔女たちに魅入られエスコートされる
新しい王とその臣下たちが、結局は、マクベスの辿った道を
なぞるのだろう…という予感から、彼らに対して。
新たな未来、豊かな実りへの行進というよりは、
限りなく死へ向かっていく葬列のように見える。

逆に、お芝居の始まりから終焉までの過程が
「地獄の道行」だったマクベス夫妻は、
最後には、ついに、光に導かれ救済されていくかのよう。
大詰、夫人が迎えにくるまでの、マクベス(右近さん!)の表情が
嵐の後の凪のように穏やかで、
もう、二度と苦悩の大海へ漕ぎ出すことなく、
永遠に安らいだ時間が約束されていることを確信させる。

もしかして、この一点を見せるために、
この物語があったのかな~とも思えるような…

笑也さんも、やはり、こういう象徴的な場面は本領発揮。
初見では、この最後が「(地獄の)道行」?と思ったのですが、
今、私の個人的な解釈や見たものの印象では、
前述の通り「過程」が二人の道行であり、
ラストは、この後に続く物語の
主人公になるであろう人々の「地獄の道行」と感じてます。
それは、決して天国には連れて行ってくれなさそうな
魔女たちが醸し出すものからも。

う~ん、ホント、魔女さんたちコワ可愛いくて、素敵過ぎ。

マクダフ夫人の山賀さんも、蠱惑的な瞳がキラっと輝き
魅力的な女優さんで、子供との問答の場面が秀逸。

ひとつ、どうしても気になるのが、マクダフを演じている役者さんの所作。
はっきり言って、とっても乱雑に見えてしまうナマな身体の使い方で、
能舞台で演じている意味も失われてしまうような…
肩を揺すらせ歩く感じ?ひとり、重心の取り方も違う。
横からの姿は、首というか顎も下がっていて…
特に、橋掛かりでは際立ってしまう。
勧進帳のときも、様式的な所作の訓練を受けた役者さんでも、
すべてを映し出してしまうような橋掛かりを歩くのは
難しいのだな~と思ったけれど。

でも、演出家がそれを許しているなら、
何か別の意図があるのかもしれませんが、
私は、まったく理解出来ないで、こうして違和感を感じています。


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