紘一郎雑記帳

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滋賀ダイハツ販売・第1部企業訪問  紘一郎雑記帳

2016-11-14 00:57:10 | Weblog

滋賀ダイハツ販売・企業訪問  
紘一郎雑記帳

今回の企業訪問は「滋賀ダイハツ販売株式会社」様です
滋賀県栗東市にあり代表取締役社長は後藤敬一氏58歳です。

滋賀県内での自動車販売が主力で創業は954年4月3日(昭和29年)
年商は190億(2015年度)従業員数450人の有力企業です

販売台数は新車年間11,917台、
中古車年間4,672台(2015年度)を誇ります


滋賀ダイハツのノウハウをどうぞご自由に!

会社の「五幸の基本方針」とは?

 業界の常識をぶち破り大成功
滋賀県に自動車ディーラーはもちろん、他業種からも注目され、
全国からの視察が絶えないと言う軽自動車ディーラーがある。
滋賀ダイハツである。
業界の慣習だった大幅な値引き販売や付属品サービスなどはせず、
店の中にも車を置かない等、自動車販売の常から考えると
非常識とも言えるセールス手法などを次々に取り入れ、
大成功を収めている。どんな会社なのか?
今回は滋賀ダイハツ大躍進の秘密に迫る。

 祖父が創業して失敗した歴史
滋賀ダイハツは1954年(昭和29年)に現社長の後藤敬一氏の
祖父である後藤昌弘氏が興した。後藤家は元々、
膳所藩お抱えの鍛冶屋の家系という鍛造業を営む家で、
自動車の鍛造部品を作るようにもなっていたのだが、
祖父はモノ作りが苦手で営業の方が好きだということで
弟二人に鍛造の会社を任せ、自動車部品製造の縁でダイハツ車の
滋賀県内の販売を引き受けることになったのだ。

しかし、当時は滋賀県が農業県で経済状況が厳しく自動車販売が伸びず、
また県内の同業者同士の競争も激しかった。
そのあおりで、創業からほどなく不良債権、
不良在庫を多数抱えるようになり、倒産寸前まで追い込まれ、
1961年(昭和36年)にメーカーであるダイハツ資本の会社に
なってしまったのである。祖父は社員のためにも会社を潰さない道を選び、
泣く泣く株をメーカーに買ってもらったのである。
その時の創業者の悔しさは想像を絶するものだったであろう。

息子の執念で買い戻す
ところが、メーカーから来た社長が後藤家に再起のチャンスを与える。
既に滋賀ダイハツに入社していた創業者の長男である
後藤昌幸氏(現社長の父で現在は社主)を取締役に選任し、
「創業者の長男として会社を再建せよ!」と全てを任せたのである。
そして昌幸氏が大改革を断行した結果、日本がモータリゼーションの
波に乗った時期だったこともあり、4年で全ての赤字が解消されたのだ。
その功績が認められ、昌幸氏は社長になり、そればかりか、
その後ダイハツから株を買い戻すことを許されるのだ。
滋賀ダイハツの奮闘ぶり、業績の伸びが後藤家を
大切にしなければならないとメーカーの経営陣の心を揺さぶり、
株を創業家に再売却することを決断させたのだ。

 そして・その気が無かった3代目がさらに会社を伸ばす・・続く


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