第2回商売の厳しさ 潮田健次郎編
紘一郎雑記長 偉人氏よりのメール
1993年頃、バブルが弾けて会社員であった父は54歳の時にリストラにあった。今では業績が悪くなれば人員削減するのは当たり前のことではあるが、当時リストラは大変な社会問題であった。父をリストラした会社で自殺者が出たり、そのことでリストラのスペシャル番組が組まれテレビで放映されたりしていた。
54歳という年齢で転職先を探すことは容易ではない。職務経歴書を人事部に送ってもまず年齢で切られることは目に見えている。そこで父がとった行動が、紳士録などで社長の自宅を調べ、職務経歴書を直接社長の自宅に「速達」「親展」「書留」で郵送することであった。海外出張などで不在の場合は仕方ないとしても、かなりの確率で社長本人に職務経歴書を見てもらえると踏んだのだ。
そして郵送先の一つが住生活グループの潮田社長宅であったが、潮田社長からはなんと丁寧な直筆の手紙が届いた。内容は、まずご丁寧なお手紙を有難うございますというお礼から始まり、今会社の状況が○×△なので採用はしておらず、大変申し訳ないがご期待に添うことは出来ないが、良いお仕事に就けますことをお祈り申し上げる、といった、これまた大変丁寧なものであった。
やはりここが創業者の凄いところだと思う。こっちから一方的に送った手紙(職務経歴書)である。本来返事などする必要もなければ、仮に返事をするとしても人事部か秘書にさせればいいことである。
このような話は2代目、3代目の社長にはあまり聞かない。一方的な手紙であっても、直筆で手紙を返すところに創業者の凄さ、商売の厳しさというものを私は感じる。
ちなみに父は結局アミューズメント業界のセガに転職が決まった。当時の中山隼雄社長の自宅に送った職務経歴書を中山社長が人事部に「面接して良かったら採ってみろ」と廻してくれたのだ。面接を受け部長というポジションで見事採用となったのだが、驚くことにこのポジションの募集年齢は40歳までであった。54歳の父は普通に人事部に職務経歴書を送っていたら100%書類選考で落とされ面接すらしてもらえてなかったであろう。