昨日の朝、メールをあけたら弁護士の中島通子さんが亡くなられたという信じられない知らせがはいっていた。私のシカゴ滞在の最後になって、こんなことが起きるとは、、中島さんに5月にシカゴにいらしていただき、素晴らしいお話を聞かせていただいたばかりだったのに、、なんということだろう。
つい3か月前にいらしていただいた記憶も新しいだけに、シカゴ大学のあるハイドパークの街の様々な場所をみると、「ああ、ここに中島さんと行ったな」「ここでこういうものを食べて、あんな話をしたな」と思い出されてくる。引っ越しのための荷物をつめていても、中島さんが私にお土産としてもってきてくださった、大きな袋にはいったおせんべいや、以前くださった本など、いろいろでてくる。
私の中島さんとの出会いは、約10年ほど前、国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会の記録をまとめて本にするというプロジェクトに参加したときだった。『行動する女たちが拓いた道』(未来社)として出版された本の編集会議は、中島通子法律事務所で開かれていたのだった。有名な弁護士に初めてお会いするというので緊張していた私だったが、そんな緊張はすぐ飛んでしまうような雰囲気の事務所だった。新宿御苑が目の前に広がる事務所からの風景も素晴らしかった。
運動のために、常に場所を提供してくださった中島さん。行動する会が女性団体が合同で運営するスペースであるジョキにうつる前には、事務局は中島通子事務所(私が通った場所とは違う場所に当時あったらしい)に置かれていたという。そして、行動する会や、わたしたちの雇用平等法をつくる会、労働運動、平和運動に至るまで、ありとあらゆる運動に積極的に関わり、リーダー的役割をずっと果たしてこられた。
私の博論は、『行動する女たちが拓いた道』の編集プロセスと、そこからみえてきた日本の女性運動史についてまとめたので、中島事務所は私にとっては、最も重要なフィールドサイトでもあった。私の博論は、中島事務所の記述でいっぱいなのだ。そして、何よりも編集会議でのご発言や、個人的な会話などを通し、本当にいろいろなことを教えていただいた。中島さんのすごいところは、私みたいな駆け出し状態の人間とでも、じっくり対話をしてくださることだ。ビールを軽く飲みながら、中島事務所で何度もお話させていただいたこと、様々な資料や本をいただき、私の研究について常に励まし続けていただいたこと、私が日本に時々帰ると、お気軽に事務所に呼んでいただいて、事務所でお弁当を食べたり、中華料理を食べにいったりしたこと、、、そういう時の会話も、本当に刺激的で、勉強になるものだった。先日中島さんがシカゴにいらした際も、ぜひ博論を本にして、日本語にもしてね、とまた励ましていただいた。本の形になったものをお見せできなかったことが、本当に悔やまれる。(中島さんの思いにこたえるべく、引っ越し終わったら、気合いいれて一気にやりたいと思う。)
シカゴでも、中島さんは積極的に学部生の輪の中にはいり、真摯に対話をしてくださり、学部生たちに多大なる影響を与えてくださった。そして、若い学生さんたちと話して、元気がでてきた、これからもいろいろやることがあるし、頑張らなくちゃ、、、という言葉を残して、シカゴを発っていかれた。まだまだこれから、というときだっただけに、まさかあのオヘア空港にお見送りしたのが最後になってしまったなんて、実感がわかない。
日本のフェミニズム運動、平和運動にとっても大きな損失だ。労働裁判で勝ち取った数々の重要な判決、雇用平等法をつくる運動はもっともっと評価されるべきだと思う。行動する会の前半、75~85年の運動における中島さんの役割は本当に大きいものだった。『行動する女たちが拓いた道』も、中島さんの強い思いやお働きがあってこそ、できた本だと思う。
シカゴでは、イラク派兵訴訟について、熱意をもって語って下さった。そして、日本について語るのみならず、戦争や銃の問題をめぐるアメリカの状況に対しても、鋭い批判の視点をつねに持ち、アメリカ人にむけて語りかけられていた。シカゴ大学での中島さんの自衛隊イラク派兵訴訟に関するトークは、シカゴ大学のサイトからダウンロードできるので、広く転載、転送などして、中島さんの言葉を広げて下さい。
http://chiasmos.uchicago.edu/events/nakajima.shtml
考えてみれば、Celebrating protestレクチャーシリーズの企画は、ノーマさんと私とでまず中島さんにシカゴにいらしていただきたい!という強い思いがきっかけとなって、始まったのだ。そして、シカゴでの授業では、中島さんの運動史をじっくり語っていただいた。戦時中の疎開経験から、安保、リブ、行動する会、平和運動、労働運動など、中島さんのご経験は広く、かつ深い。これも私は実はビデオ録画と録音をしていた(まさかこんなことになってしまうとは思わず、、)授業の学生たちと、ウェブサイトを現在作成中なので、中島さんの授業でのトークのテープ起こしを掲載し、中島さんの言葉と、貴重な歴史が忘れられないよう、残していきたいと思っている。