斉藤正美さんが、「ジェンダーとメディア・ブログ」にて、日本女性学会ジェンダー研究会編『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』についての意見を書かれている。
まだ私はこの本を手にいれていないので、読み次第レビューしてみたいと思っているが、取り急ぎ一点についてのみ、簡単に述べておきたい。
斉藤さんは、ブログにて、以下のように書いている。
「男女平等教育=性別特性論」説、また出た、、という感じである。歴史を無視した議論であるという斉藤さんのご意見に、私も同感だ。
「家庭科の男女共修をすすめる会」が発足したのは、1974年。会の記録集、『家庭科、男も女も こうして拓いた共修の道』(ドメス出版 1997)によれば、発足後すぐ、1974年9月、12月に開催された2度の集会のテーマは、「男女の特性をどう考えるか」だった。1974年の時点ですでに、特性論の乗り越えはテーマになっていたのだ。この家庭科共修運動そのものが、「男女特性論の否定」をベースとした、男女平等教育運動だったといえよう。
国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(1985年、行動する女たちの会、と改称。1996年解散)の教育分科会も、男女混合名簿運動をはじめ、教育に関わる様々な運動を行って来た団体だ。
行動する会の教育分科会が出したパンフレットには、以下のようなものがある。
男女平等の教育を考えるシリーズI 『一問一答 男女共学をすすめるために』1977
男女平等の教育を考えるシリーズII 『女はこうして作られる 教科書の中の性差別』1979
男女平等の教育を考えるシリーズIII 『つばさをもがれた女の子 教室の中の性差別』 1982
男女平等の教育を考えるシリーズIV 『さよなら ボーイファースト 男女別出席簿を考える』1990
1970年代から1990年にかけて出版された、これらのパンフレットのタイトルを見ただけでも、教育における性差別、特性論撤廃の運動が、「男女平等教育」の名のもとにすすめられてきたことがわかる。
そして、1999年出版の、行動する会記録集編集委員会編 『行動する女たちが拓いた道』(未来社)の、教育分科会担当の第二章のタイトルは、『教育における男女平等を』である。しかし、行動する会は決して、性別特性論を前提とした「男女平等教育」などは提唱していない。この章には、家庭科共修運動、高校の男女共学運動、教科書の中の性別役割分業、教室の中の性差別撤廃、そして混合名簿運動が含まれているのだ。
家庭科の男女共修をすすめる会、行動する会教育分科会のメンバーの多くは、学校の現役教員の方々だった。この人たちは、女性運動体においてのみならず、教育現場においても、当然、性別特性論の撤廃を目指して闘って来たのだ。
この時期の女性運動の歴史が、これだけ無視されているのは、どうしたわけなのだろうか。
無視してはいけない、非常に重要な歴史であると思う。
まだ私はこの本を手にいれていないので、読み次第レビューしてみたいと思っているが、取り急ぎ一点についてのみ、簡単に述べておきたい。
斉藤さんは、ブログにて、以下のように書いている。
船橋邦子氏も木村氏と同じく「男女平等」が性別特性論を前提としているとみなす一人だ。びっくりすることに、「日本でも北京会議後、性別特性論を前提とする『男女平等』と区別するために『ジェンダー平等』という場合もでてきました」(P.169)と書くが、船橋氏は、「ジェンダーフリー」登場以前の山口彩子氏や長谷川美子氏による「性別特性論を乗り越えた」混合名簿運動をご存じないのだろうか。 船橋氏は「ジェンダーフリー」のところでも同様に女性運動史を踏まえない歴史認識を示す。「この言葉は性別特性論を不問にして男女平等は達成された、という認識が大半を占める日本の学校現場で、『性別特性論型の男女平等教育』と区別する必要性から現場で使われ、広まった言葉と言えるでしょう」(P.169)
「男女平等教育=性別特性論」説、また出た、、という感じである。歴史を無視した議論であるという斉藤さんのご意見に、私も同感だ。
「家庭科の男女共修をすすめる会」が発足したのは、1974年。会の記録集、『家庭科、男も女も こうして拓いた共修の道』(ドメス出版 1997)によれば、発足後すぐ、1974年9月、12月に開催された2度の集会のテーマは、「男女の特性をどう考えるか」だった。1974年の時点ですでに、特性論の乗り越えはテーマになっていたのだ。この家庭科共修運動そのものが、「男女特性論の否定」をベースとした、男女平等教育運動だったといえよう。
国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(1985年、行動する女たちの会、と改称。1996年解散)の教育分科会も、男女混合名簿運動をはじめ、教育に関わる様々な運動を行って来た団体だ。
行動する会の教育分科会が出したパンフレットには、以下のようなものがある。
男女平等の教育を考えるシリーズI 『一問一答 男女共学をすすめるために』1977
男女平等の教育を考えるシリーズII 『女はこうして作られる 教科書の中の性差別』1979
男女平等の教育を考えるシリーズIII 『つばさをもがれた女の子 教室の中の性差別』 1982
男女平等の教育を考えるシリーズIV 『さよなら ボーイファースト 男女別出席簿を考える』1990
1970年代から1990年にかけて出版された、これらのパンフレットのタイトルを見ただけでも、教育における性差別、特性論撤廃の運動が、「男女平等教育」の名のもとにすすめられてきたことがわかる。
そして、1999年出版の、行動する会記録集編集委員会編 『行動する女たちが拓いた道』(未来社)の、教育分科会担当の第二章のタイトルは、『教育における男女平等を』である。しかし、行動する会は決して、性別特性論を前提とした「男女平等教育」などは提唱していない。この章には、家庭科共修運動、高校の男女共学運動、教科書の中の性別役割分業、教室の中の性差別撤廃、そして混合名簿運動が含まれているのだ。
家庭科の男女共修をすすめる会、行動する会教育分科会のメンバーの多くは、学校の現役教員の方々だった。この人たちは、女性運動体においてのみならず、教育現場においても、当然、性別特性論の撤廃を目指して闘って来たのだ。
この時期の女性運動の歴史が、これだけ無視されているのは、どうしたわけなのだろうか。
無視してはいけない、非常に重要な歴史であると思う。
最近コメントいただいた、心理学問題にもつながってくるよねー、この
「歴史視点の欠落」問題は。
文章読ませていただいて,自分は1990年以前の話はほとんど知らないのだなぁとあらためて思いました.もし,「女性運動の歴史」を整理される計画があるのでしたら,ちょっとだけでもかまわないので,セクシャルマイノリティとの関係(例えば1970~80年代の「男女特性論の否定」や「撤廃」や「~を乗り越える」という活動でどの程度セクシャルマイノリティのことが想定されてたかとか)にも触れてもらえると嬉しいかも…と他力本願ながら思ってしまいました.ご活躍期待しています(^^)
70~90年代の女性運動について、まさに整理しなくては、、と思っ
ていたところです。(実はこれ、博論テーマだったのですが、出版にむ
けて書き直さないといけない。)
70~80年代中盤までの、初期リブ~行動する会などの運動におい
て、セクシュアルマイノリティへの視点が弱かったことはいえると思い
ます。
そういえば、先日、リブ新宿センターの資料を元センターのメンバー
だった方と見ていて、「あ、これが、リブセン最初の、レズビアンたち
によるレズビアンたちによる資料よ!」と指摘されて、おおなんて貴重
なものが!と感動しました。膨大な資料の中で、目立つものではないの
ですが、でも確かにあった。ただ、レズビアンの問題は、当時のセン
ターの中で決して主流ではなかったということを聞きました。
「行動する会」という団体は、セクシュアルマイノリティのみならず、
「セクシュアリティ」に関する議論がわりと欠けていた団体かなあと思
います。「なぜ欠けていたのか」も重要な問いだと思い、もっと考えな
いと、と思っているところです。
80年代後半からは、れ組などの運動体も出て来て、もっとセクシュア
ルマイノリティの問題が女性運動の中でも見えるようになってきたよう
に思います。そして90年代になると、もっと様々な運動が出てきまし
たよね。
アメリカにいると、ジェンダー問題を語る上で、「人種」/民族、階
級、セクシュアリティなどの、様々な差異との絡みを考えるのが、必須
なのですが、日本のことを考えると、日本での主流な考え方などにひき
ずられる傾向はあるかもしれないなーと思います。しかし、こういう
様々な差異との交錯という視点は書かせないので、引きずられないよう
に気をつけないと、、と自戒をこめて。
あと、伝統的な婦人運動/婦人会のほうは、、今に至るまで、セクシュ
アルマイノリティへの視点というのはあるのだろうか。「母」の運動、
なんてところが多いですからね。このあたりは私もあまり強くないので
わかりません。なんかなさそうな予感だけど、、伝統的な婦人団体の影
響力は、弱くなってきたとは思うけれど、まだまだ大きなものがあり、
こちらの歴史も見逃せないと思います。
「男女平等」を何が何でも守る、とかいうのではなくて、「男女平等」
の名のもとでどういう運動が行われていたかは、歴史を曲げずに(男女
平等=性別特性論説は、歴史をある意味曲げていると思う)把握して、
その上で、そのよさ、そして限界点も含め議論し、問題があるなら別の
言葉をつくりだしていく、、ということができたらなと思っています。
p.s. HAKASEさんのスクリーンセーバーを一目見たいがために、インテ
ルMacにウィンドウズをインストールすることを決意。先日、アマゾン
にて注文してしまいました。7月までの公開延期、有り難いです~!
フェミニズムでも、性的マイノリティでも、その歴史を語ることそのものが非常に政治的(負の意味で、バイアスがかかるという意味で)だと思うのですが、基本的な事実関係でさえ、資料的なレベルでも現在の活動家が共有できずにいる、そして誤解が再生産される、のは避けたいですけど、そこに困難を感じることも私自身少なくありません。
そうですね、歴史を語ることの困難は、私もいつも感じています。「客
観的」な歴史なんてありえないということもあり、、
資料的なものから、歴史認識に至るまで、共有したり議論したりできる
スペースを作っていけたらいいですよね。
私がこの70年代から現在までの日本の運動の歴史になぜ興味を覚える
のかといえば、やはり「私自身がいかに知らなかったか」ということが
あったと思うのです。そして、女性運動の場合、とくに70年代初期の
リブがあって、すたれて終わってしまったような扱いになっていること
が多く、(その後は女性学の時代!みたいな感じで)70年代中盤以降
から90年代前半までの運動史がすこんと抜けているように思えて。私
自身がこの時期の運動の成果にすごく恩恵を受けている(労働に関する
運動でも、教育にしても、、)のに、何も知らなかったというのが、す
ごく衝撃でした。
でも、これって私が勉強不足(ってのもあったかもしれないが)という
より、むしろあまりに歴史が共有されてこなかった、そしてなかったこ
とにされていたのではないか、、と思うのです。その典型が、ここで女
性学/ジェンダー研究の学者たちが出して来た、男女平等=性別特性論
説、のように感じられます。
リブに関して書いていらっしゃるんですね。すばらしい!運動史をちゃんと書くことが政治的にも大変意味のあることになるんだと思います。がんばってください。
上の話を全部「○○である」「△△である」「□□である」とか区別せずに断定して書いちゃうと共有も議論も難しいと思うけど,ちゃんと区別してそれぞれ適切に扱えば前向きに議論できるんじゃないかなぁ…(私は,はたから見てた経験談くらいでしか協力できないけど)
p.s. 邪神スクリーンセーバへの期待ありがとうございます.でも,あんまり期待されるとそれほどのデキでもないのでプレッシャーに恐縮してしまいます (^^;
インテルMac用Win,ぜひ他の用途にも使ってください~
様々な経験談を持ち寄ることも、歴史を考える上で、とても重要だと思
います。いろいろな経験について語りながら、資料なども見ながら、何
か作り上げていくことができたらいいですね。
今後もこのブログ、女性運動の歴史関連のことを取り上げていくと思い
ますが、様々な立場の方からのコメントや議論など、楽しみにしていま
す。