借りていた本を図書館に返しに行ってきました。全部返してすっきり!のはずが、やはり家に帰ったら返し忘れの本を2冊発見。ああ、また行かなくては。
写真に写っているのが図書館。その前にある広場風がDiagと呼ばれる、キャンパスの中心的役割を果たしている場所です。大学のある9月になると、この広場で様々な新入生勧誘ブースが出たり、またラリー(デモ)集会がよく開かれたりします。
考えてみれば、ここで開かれた様々なラリーに出たものです。大学院生組合関係のラリー、アファーマティブアクション関連のラリー、そして反戦ラリー。
組合関係のラリーでは、一度だけですが、私もこの図書館の前に立ってスピーチなんぞもしてしまいました。アメリカ風の、途中で皆が拍手なんかしてくれるャ潟eィカルスピーチ、やってみると気持ちいいもんです。
この大学の長所というのは人によって感じるところが違うのでしょうが、私は様々なアクティビズムが歴史的にも、私がここにいた間にも、盛んだったというところが最大の強みだったかと今になって思っています。もともと、バークレーには及ばないまでも、60年代終わりの学生運動、70年代はじめのフェミニズム運動の盛んだった大学。ヒッピー風な雰囲気もどことなく残っている街の雰囲気。
例えばこの大学の女性学プログラムは、学生運動、女性運動に関わっていた大学院生によって作られたものです。上から降りてきたものではなく。いまだにその伝統は、女性学入門の講座を教員、院生が共同で教える(院生が教員のアシスタントになるのではなく、皆でチームとして教える)というところに生きています。ミシガンの女性学講座については、そのうちまたブログで書いていくつもりです。
あと、大学院生の組合があったこと。自分たちの問題として、常に社会運動を考える環境を与えてくれたように思います。
大学がアファーマティブアクション裁判を最高裁まで闘ったというのも大きかった。様々な集会、ラリー、ティーチインが開かれ、関連講座も開かれたし。実質上裁判に勝ったときは、本当に嬉しかったものです。
そんなこんなで、図書館といえば、勉強の思い出のみならず、集会の思い出が常にくっついてくる、そういう院生生活を送れたのは本当にラッキーでした。州立大学だったミシガンとは逆に、私立のシカゴ大学ではどんな環境が待っているのか、不安でもあり、楽しみでもあります。
写真に写っているのが図書館。その前にある広場風がDiagと呼ばれる、キャンパスの中心的役割を果たしている場所です。大学のある9月になると、この広場で様々な新入生勧誘ブースが出たり、またラリー(デモ)集会がよく開かれたりします。
考えてみれば、ここで開かれた様々なラリーに出たものです。大学院生組合関係のラリー、アファーマティブアクション関連のラリー、そして反戦ラリー。
組合関係のラリーでは、一度だけですが、私もこの図書館の前に立ってスピーチなんぞもしてしまいました。アメリカ風の、途中で皆が拍手なんかしてくれるャ潟eィカルスピーチ、やってみると気持ちいいもんです。
この大学の長所というのは人によって感じるところが違うのでしょうが、私は様々なアクティビズムが歴史的にも、私がここにいた間にも、盛んだったというところが最大の強みだったかと今になって思っています。もともと、バークレーには及ばないまでも、60年代終わりの学生運動、70年代はじめのフェミニズム運動の盛んだった大学。ヒッピー風な雰囲気もどことなく残っている街の雰囲気。
例えばこの大学の女性学プログラムは、学生運動、女性運動に関わっていた大学院生によって作られたものです。上から降りてきたものではなく。いまだにその伝統は、女性学入門の講座を教員、院生が共同で教える(院生が教員のアシスタントになるのではなく、皆でチームとして教える)というところに生きています。ミシガンの女性学講座については、そのうちまたブログで書いていくつもりです。
あと、大学院生の組合があったこと。自分たちの問題として、常に社会運動を考える環境を与えてくれたように思います。
大学がアファーマティブアクション裁判を最高裁まで闘ったというのも大きかった。様々な集会、ラリー、ティーチインが開かれ、関連講座も開かれたし。実質上裁判に勝ったときは、本当に嬉しかったものです。
そんなこんなで、図書館といえば、勉強の思い出のみならず、集会の思い出が常にくっついてくる、そういう院生生活を送れたのは本当にラッキーでした。州立大学だったミシガンとは逆に、私立のシカゴ大学ではどんな環境が待っているのか、不安でもあり、楽しみでもあります。