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山クジラの田舎暮らし

岩手県北の田舎に生息する「山クジラ」です。定年後の田舎暮らしや趣味の山行きのことなど、発信していきます。

ついに食卓に登場「キッカイソウ」

2013-03-27 07:33:53 | グルメ

 先日「キッカソウ情報」を投稿しておいたが、今朝わが家の食卓に「キッカソウ」が登場した(写真)。

 洋野町大野に居つくようになって何年かになるが、毎年春先に浜の方から売りに来て食卓に登る。春を告げる食材である。元藻の名前を知りたくて色々調べているのだが、どうもわからない。久慈市より北側の太平洋沿岸で採取され加工されているらしい。宮古市で聞いたら「知らない」と言っていた。良くわからないが、今朝はポン酢で美味しくいただき、春の先駆けの味を満喫した。今回のものは、町内にある商店で売っていたものだという。行商でなく店頭にあることも珍しいことだ。


三閉伊百姓一揆の像

2013-03-26 18:38:58 | 地域

 このところ岩泉町の町議選支援のため、片道1時間半余りをかけ岩泉に出向いている。今日は、小本の仮設住宅の写真を写しに行ったので、小本からバイパスのトンネルをくぐり田野畑に出た。そこで、三閉伊百姓一揆の像があるのを思い出して、田野畑村歴史資料館に行ってみた。敷地内の片隅に、その像は立っていた(写真)。

 南部三閉伊一揆とは、弘化4年(1847年)と嘉永6年(1853年)におきた百姓一揆のことで、南部藩の圧政を逃れるために立ち上がり、日本史上初めて勝利の証文を受け取った一揆なのだ。三閉伊とは、野田通り、宮古通り、大槌通りの総称である。説明によると、座っているのが弥五兵衛で立っているのが多助とあった。

 碑のそばには三閉一揆の像を建立した碑がたっていた。

 いずれにしても、幕末の社会をゆるがした三閉伊一揆は田野畑村の一揆発頭人であった弥五兵衛、多助らによって引き起こされ、社会を変える底部の力として働いた。

 現代は、安倍内閣のもとで一見反動の嵐が吹き荒れているように見えるが、その根は弱く国民・有権者との矛盾は避けがたく存在している。新しい日の出をめざして、少しずつ前進をしなければならない。


キッカイソウ情報

2013-03-25 12:51:51 | 地域

 当地域では毎年春になると、浜(とくに久慈市の侍浜)からキッカイソウという海藻を売りに来る。昨年もブログを立ち上げた初期に「春の便り」としてキッカイソウの記事を上げた。ところが、今年は3月の後半に入ってもキッカイソウ売りがこない。町議会議員の連れ合いに聞くと、漁業を営んでいる同僚議員が「今年はあと1週間位かかる」と話していたそうである。ワカメはとうの昔に新ワカメが出て、シャブシャブなどをして楽しんだが、もう少しまたないとならないのだろうか。

 ところで、キッカイソウとは奇怪な名前である。久慈市内ではジュッカイソウというらしい。いずれ正式な名前があるのだろうと思うが、私は残念ながら知らない。何でも、水揚げしたのを食べれるようにするには何時間も蒸すという話を聞いた。ますます正体がわからないのだが、わかっている方があったら教えてほしい。


鵜鳥神社

2013-03-24 07:32:41 | 地域

 選挙の応援でしばしば岩泉に出かける。まず久慈に出て45号線を南下し、普代村に入って少し行った白井から右折し、「しもへいグリーンロード」という山の中を走る立派な農道を走る。普代村の特別養護老人ホーム「うねとり荘」のある少し先に鵜鳥神社がある。地元では「うねどり様」と呼ばれているこの神社は、大量満作、海上安全、安産の神様として古くから信仰を集め、山麓の遥拝殿から山頂の本殿まで徒歩で30~40分かかる。同神社の神楽殿で回れるのが「鵜鳥神楽」で、三陸沿岸を新年に黒崎神楽と交代で南北に分かれて巡回することで知られている。写真は、車で立ち寄った際に写した遥拝殿と鳥居。少し落ち着いたら、本殿のある山頂まで歩いてみようかと思っている。


『三国志』第5巻=宮城谷昌光著

2013-03-23 18:51:54 | 読書

 宮城谷昌光著の『三国志』も第5巻までやってきた。図書館の蔵書なので安心して読めるのはありがたい。第5巻では袁紹が死に、曹操が次第に支配地域を広げていく過程が描かれている。三国志のもう一人の主人公である劉備は、相変わらず流れ暮らしている。5巻まで読んで、やはり著者の曹操に対する思い入れみたいなものがあるのではないだろうかという気がした。吉川作品では、曹操は切れ者であるが悪人という印象がどうしても残ってしまうのである。