このところ岩泉町の町議選支援のため、片道1時間半余りをかけ岩泉に出向いている。今日は、小本の仮設住宅の写真を写しに行ったので、小本からバイパスのトンネルをくぐり田野畑に出た。そこで、三閉伊百姓一揆の像があるのを思い出して、田野畑村歴史資料館に行ってみた。敷地内の片隅に、その像は立っていた(写真)。
南部三閉伊一揆とは、弘化4年(1847年)と嘉永6年(1853年)におきた百姓一揆のことで、南部藩の圧政を逃れるために立ち上がり、日本史上初めて勝利の証文を受け取った一揆なのだ。三閉伊とは、野田通り、宮古通り、大槌通りの総称である。説明によると、座っているのが弥五兵衛で立っているのが多助とあった。
碑のそばには三閉一揆の像を建立した碑がたっていた。
いずれにしても、幕末の社会をゆるがした三閉伊一揆は田野畑村の一揆発頭人であった弥五兵衛、多助らによって引き起こされ、社会を変える底部の力として働いた。
現代は、安倍内閣のもとで一見反動の嵐が吹き荒れているように見えるが、その根は弱く国民・有権者との矛盾は避けがたく存在している。新しい日の出をめざして、少しずつ前進をしなければならない。