今日は、山響の「企業局コンサート」。公共事業をする山形県の企業局が、住民へのサービスのためにするコンサートです。
サービスですから、サービス精神旺盛なプログラムになります。ということで、コンサートの前半は「昭和歌謡」、そして後半は「運命」でした。
昭和歌謡、と一口に言っても、生きた年代によって、思い出は様々です。今回は割と、年齢の高い層にターゲットを絞った感じで、古き佳き演歌中心でした。
「青い山脈」「高校三年生」「津軽海峡冬景色」「川の流れのように」などです。歌謡曲に造詣の深くない私でも、ほとんど知っている、超名曲ばかりですね。みんな知っているから、歌なしのオーケストラだけでやるわけです。
私自身の事を言わせてもらえば、「青い山脈」以外は、知っていました。その中でも、「高校三年生」は特に。
「流行歌」というものをほとんど知らない私でしたが、これは、まさに高校三年生の時に歌わされたのです。
私の通っていた高校は、超進学校で、「芸術」は、どうでもいい選択科目でした。学校が力を入れていないことがよくわかるので、生徒たちも、授業を受ける態度は「てきとー」そのもの。入試と関係ないつまんない歌うたっている暇があったら、英単語のひとつも覚えていたい。
音楽の先生もそのへんの事をよく理解していたので、腹いせなのか、自虐なのか、いじめなのか…「これをちゃんと歌わないと留年させてやる」と宣言して、皆が嫌がる歌を試験の「課題曲」にする。出席番号順に一人ずつ歌わせて、声が小さかったら「留年にする」と宣言して行われる歌謡ショー。完全に、音楽教師のストレス解消の場でした。
そこで「課題曲」にのひとつになったのが、「高校三年生」。…今時のチャラチャラした高校三年生に、舟木一夫の「高校三年生」を歌わせたてやりたい…という悪魔的な試験だった。
さらにすごいのが、もう一つの課題曲、「あなた」。わかりますか?「もしも~私が~家を建てたなら~」のアレです。「そして~私は~レースを編むのよ~」。…ここは男子校ですよ。これを詰め襟の高校生に、単位欲しさのためだけに歌わせる、音楽教師の異常なサディスムがご理解いただけるでしょう。「絶叫して歌わないと赤点だから。」…レクター博士でも赤面して躊躇するはずの、猟奇的な試験です。
…もちろん私は、他のみんなと同じく、「高校三年生」をチョイス。「ク~ラス仲間は~、いつまぁでえもぉ~」。…お前への恨みは、クラス一同、いつまでも忘れないだろう。
そんな思い出深い曲を弾きながら、昔を思い出したりしておりました。
たまにはこういう歌謡曲もいいですね。聞きに来たお客さんたちも喜んでくれたなら、嬉しく思います。
サービスですから、サービス精神旺盛なプログラムになります。ということで、コンサートの前半は「昭和歌謡」、そして後半は「運命」でした。
昭和歌謡、と一口に言っても、生きた年代によって、思い出は様々です。今回は割と、年齢の高い層にターゲットを絞った感じで、古き佳き演歌中心でした。
「青い山脈」「高校三年生」「津軽海峡冬景色」「川の流れのように」などです。歌謡曲に造詣の深くない私でも、ほとんど知っている、超名曲ばかりですね。みんな知っているから、歌なしのオーケストラだけでやるわけです。
私自身の事を言わせてもらえば、「青い山脈」以外は、知っていました。その中でも、「高校三年生」は特に。
「流行歌」というものをほとんど知らない私でしたが、これは、まさに高校三年生の時に歌わされたのです。
私の通っていた高校は、超進学校で、「芸術」は、どうでもいい選択科目でした。学校が力を入れていないことがよくわかるので、生徒たちも、授業を受ける態度は「てきとー」そのもの。入試と関係ないつまんない歌うたっている暇があったら、英単語のひとつも覚えていたい。
音楽の先生もそのへんの事をよく理解していたので、腹いせなのか、自虐なのか、いじめなのか…「これをちゃんと歌わないと留年させてやる」と宣言して、皆が嫌がる歌を試験の「課題曲」にする。出席番号順に一人ずつ歌わせて、声が小さかったら「留年にする」と宣言して行われる歌謡ショー。完全に、音楽教師のストレス解消の場でした。
そこで「課題曲」にのひとつになったのが、「高校三年生」。…今時のチャラチャラした高校三年生に、舟木一夫の「高校三年生」を歌わせたてやりたい…という悪魔的な試験だった。
さらにすごいのが、もう一つの課題曲、「あなた」。わかりますか?「もしも~私が~家を建てたなら~」のアレです。「そして~私は~レースを編むのよ~」。…ここは男子校ですよ。これを詰め襟の高校生に、単位欲しさのためだけに歌わせる、音楽教師の異常なサディスムがご理解いただけるでしょう。「絶叫して歌わないと赤点だから。」…レクター博士でも赤面して躊躇するはずの、猟奇的な試験です。
…もちろん私は、他のみんなと同じく、「高校三年生」をチョイス。「ク~ラス仲間は~、いつまぁでえもぉ~」。…お前への恨みは、クラス一同、いつまでも忘れないだろう。
そんな思い出深い曲を弾きながら、昔を思い出したりしておりました。
たまにはこういう歌謡曲もいいですね。聞きに来たお客さんたちも喜んでくれたなら、嬉しく思います。
私の高校には合唱部などというものは考えられない。「元海軍学校」である事を、先生達はみな誇りにしていたような、ふる~い学校でした。校舎の床が、戦艦の甲板の板だったと嬉しそうに言われても、困るしかありません。
しかし、それもまた「昭和」。昭和天皇が崩御された時も、その高校で迎えましたが、年輩の先生達には本当に大事件だった。泣き出しかねない感じでした。
すべてが、古き佳き想い出です。
昭和海軍の戦艦12隻の艦名とその最後は、今でも覚えています。先生方とお話が出来れば、会話がはずんで、楽しい想い出になっていたかもしれませんね。
昭和が終わった時、私は銀行員として二つ目、大阪のお店に勤務していました。昭和の終わりを実感する間もなく、平成の混迷に突入したようです。
…いい言葉ですね。
何だかよくわかりませんが、やっぱり「昭和は良かった」と思ってしまいます。世の中に、活気と和やかさがあったような気がします。それは自分たちが「昭和世代」だという事だけなのかもしれませんけど。
高校時代のお話、爆笑しました。元海軍というあたりが何ともかんとも。(こちら元陸軍がちょこっと入った学校だったので、雰囲気がちょこっと分かります汗)
ところで、その曲全部、合唱団やソリストのために編曲をした経験があります…。ええ、ソプラノとバリトンのソリストですよ。大好評でして、それをメドレーにして別な合唱団にお渡ししたこともあります。プログラムに載せるために編曲許諾まで取って…。
本格的に西洋音楽を勉強したかたにとっても、燃えるようですね、演歌って。「天城超え」などハンパない熱の入れようでした。お客様の喜びようも素晴らしくて。演歌の力は凄いです。ええ。
高校生にとって、その学校の歴史がいかに由緒正しいかどうかは、あまりにもどうでもいい事なんですよね。その辺を、先生達にもわかってもらいたいものです。
演歌は、民謡と軍歌から発生したものだと聞いたことがありますが、それ以上の理屈を超えた何かを、持っているようですね。お客さんの「食いつき」が違います。
そのせいかどうか最近、山響でも演歌を弾かされる機会が増えています。オーケストラを身近に感じてもらう、良いツールなのかも知れません。編曲のニーズも、増えていくことでしょう。
何かの際には、また、よろしくお願いします。