中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

県内ニュース

2009-04-27 11:34:33 | 山形
 「新聞記事も相変わらずだった。どこに一週間の空白があったのやら、ほとんどその痕跡さえ見分けられない。これが、外の世界に通ずる窓なら、どうやらそのガラスは、くもりガラスで出来ているらしい。
 《法人税汚職、市に飛び火》……《工業のメッカに、学園都市を》……《相次ぐ操業中止、総評近く、見解発表》……《二児を絞殺、母親服毒》……《頻発する自動車強盗、新しい生活様式が、新しい犯罪を生む?》……《三年間、交番に花を届けた匿名少女》……《東京五輪、予算でもめる》……《今日も通り魔、二女切られる》……《睡眠薬遊びにむしばまれる、学園の青春》……《株価にも秋の気配》……《テナーサックスの名手、ブルー・ジャクソン来日》……《南ア連邦に再び暴動、死傷二百八十》…
 欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実はうっかり手もふれられない、危なっかしいガラス細工になってしまう…要するに、日常とはそんなものなのだ…だから誰もが無意味を承知で、我が家にコンパスの中心をすえるのである。」   (安部 公房 「砂の女」より)


 「砂の女」は昭和37年に発表された小説ですが、新聞記事というものがいつもほとんど変わらないものだということが、よくわかります。これに、酔って失態を演じてしまったのがたまたま有名芸能人だった事とか、地球温暖化の事あたりが加われば最近の新聞として通用します。世の中、めまぐるしく変わっているようで、そうでもないものなんでしょうかね?

 もともとあまりテレビをよく観る方ではないので、ニュースはほとんど、車で移動中にラジオで、「○時のニュースです」みたいなのを聞いて知ります。ラジオで聞くと想像力が増しますから、どこかで子供が殺されたニュースなどを聞くと、すごく嫌な感じがします。

 ラジオではわりとすぐに「県内ニュース」に切り替わるのですが、そのトップニュースで、「今日、山形市内の小学校で…」などと話し出されると、ドキッとします。なにか恐ろしいことが起こったのかと思ってしまいます。しかし「地元名産のぶどうを味わってもらおうと付近の農家がプレゼントした百箱あまりのぶどうが、給食で子供達にふるまわれました」とか、およそトップニュースとは思えないような、のどかな「話題」が流れることが多くて、いまだに新鮮です。

 つまり、ニュースらしいニュースは無いってことか…それが一番ですね。
コメント
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