中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

花束

2009-04-24 09:36:21 | 山形弦楽四重奏団
 むかーし、中学生ぐらいの頃か、家に花束があふれて(母が自作の曲の演奏会をやったりすると時々こうなる)、「友達ん家行くなら花束一つ持って、おうちの人にあげて来て」と言われて花束を持って出たことがありました。しかしなぜかそのまま「卓球でもやりに行くか」ということになって、近くの卓球場へ行ったのでした。

 中学生の男の子です。あちこち花束を持って移動するのが嫌になってきました。
 「お前の母ちゃんにやるんだから、お前持ってろよ」と言っても
 「何で母の日でもないのに自分の母ちゃんに花束なんて渡さなきゃいけないんだよ。それにうちにはそんなゴージャスな花束にあわねえよ」
 「じゃあ卓球場のばあさんにあげちまうか?」

 卓球場は公園の裏に昔からある旧い木造の建物で、多分その家のおばあさんが一人で管理していました。別に意地悪ではないのですが「いじわるばあさん」みたいな顔の、あまり愛想が良くないおばあさんでした。「両面のラケットがいいんですけど」と言うと、「あ゛いよ」と面倒臭そうに取り替えてくれる。

 「番台」と呼んだ方がしっくりくるようなカウンターへ行って、
 「あの…これ、もらってくれますか?」とおばあさんに花束を差し出すと
 「……まあ……、わたくしに…?…よろしいの……?」

 あまりにも表情が劇的に変化したので、ビビッて後ずさりしてしまいました。初々しい、まさに「少女のような」顔になったのです。目の前で一気に60年位タイムスリップしたのを見たような思いでした。いきなり「よろしいの」って…。でもちょっと感動しました。


 前置きが長くなりすぎました。昨日は老人ホームで短い演奏会をしたのですが、車椅子のおばあちゃん達が本当に喜んでくれて、演奏するこちらもあたたかい気持ちになりました。いつも驚くことですが、特に音楽が好きな感じがする人なんかは、演奏する前に見た顔と、後に見た顔が明らかに違います。光が戻ったというか、活性化したというか、覚醒したというか…要するに若返って見えるのです。何か懐かしいものが蘇ってくるのでしょうか?

 人の中には現在のその人だけでなく、子供の頃からのその人がすべて「同時に」生きているんですね。不思議な感じがしますが、感動的です。


 「現在は未来をはらみ、未来は過去の中に読まれ、遠いものは近いものの中に表出されている。もし各々の精神のひだをことごとく開けて見ることができるとすれば、各々の精神の中に宇宙の美をみとめることができるだろう。」  (ライプニッツ)


 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする