この「十字架上のキリストの7つの言葉」はどの言葉につけられたソナタも、とても重くて集中力が試されます。言葉自体が重いので当然ですが。今日の練習でも間に何度も休憩をはさみました…。
さて、3つめの言葉を見てみましょう。
「女よ、汝の息子を見よ」
イエスがはりつけになっているとき、その周りには近しい女達がいました。イエスの母マリアや、マグダラのマリアなどです。その他にもマリアがいました。聖書でややこしい事の一つは、名前のバリエーションがなくて、同じ名前がよく出て来て、誰が誰だかわからなくなることです。ヨハネとかヨセフもどのそれがどれか、わからなくなりやすくて困ります。ちなみに、イエスという名前も、ごくありふれたものらしいです。
ヨハネ伝によると、「イエスは、母とそのそばにいる弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」とあります。
これだけ見ると、「おい兄弟、おふくろの事たのんだぜ」みたいな感じですが、まったく違います。
聖書の中ではもちろん、イエスは初めから神の子ですからマリアとも、いわゆる「親子」らしい関わりは持ちませんでした。(もちろんこれにもいろいろな説があって、「イエスはたくさんの兄弟がいて、30歳くらいまで家業の大工仕事を手伝っていた」というのもありますから、よくはわかりませんが)。
つまり上の言葉は、母マリアの暮らしをよろしくという事ではなくて、今後「母マリアはキリスト教徒の母である」、「キリスト教徒はすべてマリアの子である」という宣言であると考えるべきでしょう。
いわゆるマリア様はこうして宗教画などに描かれ、イエスにならぶようなキリスト教の象徴になったんですね。キリストが亡くなる時に「聖母」は「誕生」したんですね。
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十字架
十字架2
さて、3つめの言葉を見てみましょう。
「女よ、汝の息子を見よ」
イエスがはりつけになっているとき、その周りには近しい女達がいました。イエスの母マリアや、マグダラのマリアなどです。その他にもマリアがいました。聖書でややこしい事の一つは、名前のバリエーションがなくて、同じ名前がよく出て来て、誰が誰だかわからなくなることです。ヨハネとかヨセフもどのそれがどれか、わからなくなりやすくて困ります。ちなみに、イエスという名前も、ごくありふれたものらしいです。
ヨハネ伝によると、「イエスは、母とそのそばにいる弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」とあります。
これだけ見ると、「おい兄弟、おふくろの事たのんだぜ」みたいな感じですが、まったく違います。
聖書の中ではもちろん、イエスは初めから神の子ですからマリアとも、いわゆる「親子」らしい関わりは持ちませんでした。(もちろんこれにもいろいろな説があって、「イエスはたくさんの兄弟がいて、30歳くらいまで家業の大工仕事を手伝っていた」というのもありますから、よくはわかりませんが)。
つまり上の言葉は、母マリアの暮らしをよろしくという事ではなくて、今後「母マリアはキリスト教徒の母である」、「キリスト教徒はすべてマリアの子である」という宣言であると考えるべきでしょう。
いわゆるマリア様はこうして宗教画などに描かれ、イエスにならぶようなキリスト教の象徴になったんですね。キリストが亡くなる時に「聖母」は「誕生」したんですね。
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