中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

十字架3

2008-08-30 23:18:34 | クァルテット
 この「十字架上のキリストの7つの言葉」はどの言葉につけられたソナタも、とても重くて集中力が試されます。言葉自体が重いので当然ですが。今日の練習でも間に何度も休憩をはさみました…。

 さて、3つめの言葉を見てみましょう。

 「女よ、汝の息子を見よ」

 イエスがはりつけになっているとき、その周りには近しい女達がいました。イエスの母マリアや、マグダラのマリアなどです。その他にもマリアがいました。聖書でややこしい事の一つは、名前のバリエーションがなくて、同じ名前がよく出て来て、誰が誰だかわからなくなることです。ヨハネとかヨセフもどのそれがどれか、わからなくなりやすくて困ります。ちなみに、イエスという名前も、ごくありふれたものらしいです。

 ヨハネ伝によると、「イエスは、母とそのそばにいる弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」とあります。

 これだけ見ると、「おい兄弟、おふくろの事たのんだぜ」みたいな感じですが、まったく違います。

 聖書の中ではもちろん、イエスは初めから神の子ですからマリアとも、いわゆる「親子」らしい関わりは持ちませんでした。(もちろんこれにもいろいろな説があって、「イエスはたくさんの兄弟がいて、30歳くらいまで家業の大工仕事を手伝っていた」というのもありますから、よくはわかりませんが)。

 つまり上の言葉は、母マリアの暮らしをよろしくという事ではなくて、今後「母マリアはキリスト教徒の母である」、「キリスト教徒はすべてマリアの子である」という宣言であると考えるべきでしょう。

 いわゆるマリア様はこうして宗教画などに描かれ、イエスにならぶようなキリスト教の象徴になったんですね。キリストが亡くなる時に「聖母」は「誕生」したんですね。

 関連記事
十字架
十字架2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする