元ライターの小説家への道

僕もまだ本気を出していません。

「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」を観た。

2019年04月30日 17時57分25秒 | アレコレ鑑賞

「陛下最後のお言葉 国民に感謝」

 

 俺もLIVEで見た。

 

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 ロバート・ダウニー・Jr主演「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」を観た。俺はDC派なので、マーベルはなんとなくしか見ていない。しかしいまやっているエンドゲームがたいそう面白そうなので、前作のインフィニティ・ウォーを観た。んでまぁやっぱ、いままで観たアベンジャーズがすべてそうだったように、今作も俺の肌にはあわなかった。見た目は派手で目を引くのだが、基本的に何のために戦っているのかがわからない。

 それでもエンディングは良かったと思う。サノスは人類の半数を消滅させたけど、真っ当な目的があったわけだし、否定できないな。エンドゲームでそれをなかったことにはしてほしくないな。

 

 これが平成最後に観た映画でした。

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平成が終わる。

2019年04月30日 00時28分48秒 | 日々雑感

平成が終わろうとしている。平成ってなにがあったんだっけ? 思い出をツラツラと書いていく。このページは追記するたびに、上に表示します。

 

■昭和が終わった日

 

 昭和が終わった日を昭和64年1月7日土曜日と記憶しているのは、その日、松戸で七草マラソンが開かれたからだ。当時、高校2年生だった俺はボート部に所属しており、部活動の一環で七草マラソンにエントリーさせられていた。いまも昔も俺はマラソンが見るのもやるのも大嫌い。だからこの日に天皇陛下が亡くなって、七草マラソンが中止になるであろうと小喜びした。しかしマラソン大会は開催された。陛下が亡くなったのだからイベントは中止だろうと悪態をつきながら走った。それが昭和が終わった日の思い出。

 

■事件・事故編

 

1.アメリカ同時多発テロ事件

 

 俗にいう9・11事件。俺の中ではこれが平成で一番インパクトがあった事件かと思う。ウィキペディアを見ると2001年9月11日の出来事と書かれている。当時の俺はテクニカルライターをやっていた。ライターはいつだって締め切りでヒーヒー言っている。この日も締め切りに追われていたはずだが、一人暮らしのアパートに帰ると、テレビはこの話題で持ちきりだった。

 

 最初、テレビをつけたときは、1機目がWTCに激突したとニュースで言っていた。しかもその映像が流れていた。すごい事故が起きた、まるで映画だと思った。しかし少しすると2機目が激突したと放送された。事故じゃなく事件だな。と思った。テロだと思ったかは覚えていない。ただただ映像のインパクト。すごいことが起こったなと思った。本当は原稿を書かないといけなかったが、テレビに釘付けになっていたのを覚えている。

 

 その翌日だっただろうか、インドに旅行した時の友人から1枚の写真がメールで送られてきた。友人がWTCにいる写真だ。9/11の一週間前に撮ったものとのこと。恐らくわずかの差で命が救われた人、落とした人がいたのだろう。

 

 その一ヵ月後、当時お付き合いしていた彼女がロス・アンジェルスに旅立った。世の中はまだテロに怯え、飛行機の乗ることを恐れていた。アメリカは喪に服し悲嘆している。そんなところに彼女は遊びに行った。だが帰国した彼女のプレゼントはWTCが炎上しているプリントが施されたTシャツだった。同じアメリカであってもNYとLAでは距離が離れすぎていて他人事だったらしい(彼女調べ)。これが平成で一番インパクトを感じた俺の中の9・11事件。

 

2.東日本大震災

 当時のことはブログで書いていたのでそっちに任せるとして、いまは何を思うだろう。その当時、金融系のSのシステム会社で働いていたが、働く前からSは屑という噂を聞いており、働いたらその通りだったなぁと思った印象。そして大地震があった日、その会社の人間が「マニュアル作成(誰も見ない)の締め切りが近いから今日は残業だな」と言っていたのが、いまでも思い出される屑印象。

 

 けど、俺もそれなりに屑で、大地震が発生した時に、近辺で人的被害がなかったことと、家族の安否は恐らく大丈夫だろうという気持ちがあったので、会社から家まで8時間かけて歩いたものの、いつもとちがう街の風景を興味津々で帰ったのを覚えている。翌週の余震が続いていた月曜日も「こんな日に会社へ行くやつは屑だぜ」と思いながら、自身も会社へ行ったのは、これも興味本位だった。なお8時間かけて歩いた時の靴はいまだに履いている。

 

 ただそれでも、俺は目で見える範囲の人しか助けない(知らない人のために募金や献血はしない)と思っているのに、東日本大震災に関しては募金をした。被災された方々は大変な目にあっていると、俺ですら思い行動した。あとYoutubeに次々とアップされる津波動画には、恐怖した。映画での津波シーンは何度も見たが、十数メートルのリアルの津波を見たのははじめて。時代だなとも思った。

 

 大地震が起きる前から、個人的には原発には反対で、世論が変わって脱原発の方向に傾くかと思ったが、そうはならなかった。大地震が起きて8年経つが、いまではその気配すらない。日本に原発が必要なのか、多くの日本人が考えるきっかけになったのも印象的な地震であった。個人的には大地震からの復興はかなり進んだと思っているが、原発事故からの復興はまだまだ全然という印象。平成から令和、さらに次の元号まで持ち越すのかもしれないな。

 

3.近所で起きた殺人事件

 世間を騒がす殺人事件が近所で起きた。恐らくすべての主要テレビ局と新聞社が押しかけていたと思う。俺は会社に行っていたので応対はしていないが、家にも10数件の取材を申し込まれた。路上に駐車された黒塗りの車に威圧感があった。知っているテレビ番組の取材スタッフが道路で悪態を吐いていた。見知らぬ中年男性がメモ帳片手に、近所をウロウロしていた。それらのすべてがどこかの媒体と繋がっており、書かれたすべてが真実であり正義であると世間に喧伝されるのかと思うと怖かった。この町はもうダメだ。悪評が流れておかしな町になってしまうのだと思ったが、世間から事件が忘れられるといままでと変わらぬ町に戻った。

 

 その事件に関してマスコミが流した良しとされるニュース。それが町では悪として語られていた。マスコミには流れないであろう話が近所では語られていた。自分にはこういう出来事は無縁かと思っていた。平成にそんなことがあった。

 

 

■作品

1.ビッグフィッシュ

 ティム・バートン監督「ビッグフィッシュ」が、平成で一番良かった作品かな。とは言っても誰にも共感は得られないと思う。作品に対しての一定の評価は得られてはいるが、そこまでの作品ではないだろう。なんでその作品が俺にとっての一番かというと、上映後に初めての経験をしたからだ。

 

 日本での公開は2004年5月15日~。この頃、俺はPの会社で働いていたのかな。観たのが有楽町と言うのは覚えている。女が沢山いた気がするから水曜日のレディスデーだったのかもしれない。作品の前評判は知らなかったが、ティム・バートン監督の作品は好きなので観に行った。

 

 俺は作品を観て涙を流すことは少ない(最近はそうでもないけど)。せいぜい目をウルウルさせる程度か、涙が一粒零れる程度。だがこの作品を観終えた時の俺は嗚咽を堪えるくらいに涙がドバドバと流れていた。エンドロールが終わって映画館が明るくなっても、少し席に座っていた。それは誰かに涙を見られるのが恥ずかしいというわけではなく、放心に近い状態だったのかもしれない。

 

 映画を観終えたらどこかで晩飯を食べてから帰ろうと思っていたが、まっすぐ家に帰った。身体に異物(食料)を入れて、いまの感動に浸った状態を汚したくないとその時は思ったのだ。映画館から出たときには涙は止まっていたが、フラフラしながら電車に乗って家まで帰ったのを覚えている。身体がそんな状態になったのはこの時が初めてであり、以降も経験していない。DVDを購入してビッグフィッシュをもう一度見たが、その感覚は味わえなかった。

 

 アマプラの「有田と週刊プロレスと」で、有田が言っていた。

「高田vsヒクソンの試合を見た後に、会場にいた全員が放心して東京ドームを後にした」

 有田は傷心で俺は感動なので種類はちがうが、同じような状態に身体がなったのだと思う。俺にとっての貴重な経験。みんなに体験してもらいたいが、薦め方はわからない。それが俺にとっては「ビッグフィッシュ」だったけど、人によってはちがう何か。俺のベストムービーである。俺は映画や漫画、小説、音楽などを楽しむが、そのすべての中で平成に上映された「ビッグフィッシュ」がナンバー1である。昭和を含めてもナンバー1だけど。

 

2.コンタクト

 カール・セーガン原作、ロバート・ゼメキス監督、ジョディ・フォスター主演の作品。この映画を傑作と取り上げるには、3つの事柄を書く必要がある。ひとつ目はカール・セーガンの存在。天文学者カール・セーガンは俺が尊敬するほとんど唯一の人。小学生の頃に放送した「コスモス」の原作者であり番組の進行を務めていた。「コスモス」の内容自体は割りと難しかったかと思う。しかしカール・セーガンが語ると理解できた気になれた。難しい話を平易に話せる人が俺は好き。病床に臥せるカール・セーガンにジョディ・フォスターが宇宙の質問をしまくったという逸話は好き。

 

 ふたつ目。俺は神ではない大きなものの存在に惹かれる。この映画を見る前に惹かれていた大きな存在は「2001年宇宙の旅」に出てきたモノリスを創った主。あの映画を観ただけではあまりわからないが、小説版を読むとモノリスを創った主は猿から人間へ、人間からスターチャイルドへ進化させている。そういうことができてしまう存在が描かれていた。コンタクト(小説版)はその存在を超える宇宙の想像主が円周率を用いて描かれていた。俺が知る限り宇宙の想像主がマックス。もちろん納得いくような描かれ方をしているのが前提。

 

 みっつ目。この映画を見る1年前か2年前か…。最初に在籍していた会社の人間から宗教を勧誘された。それまでの俺は宗教に対してニュートラルよりプラスの考え方を持っていた。宗教をやるのは自由、俺はやらないけど、やりたい人はやればいい、一部の人は宗教というだけで毛嫌いして人格まで否定するけど、俺はそんなことないよ、寛容だよ。というスタンスでいた。

 会社の人間が色々な人に宗教の勧誘をしているのは知っていた。だから自分が誘われた時は、とうとう来やがったな、話だけは聞いてやるぞくらいに思っていた。そして宗教に関しての話を聞いた。しかしお話にならなかった。言っていることが矛盾だらけで、疑問をぶつけてもよく分からない返事が返ってきて、それなのに中々帰してくれない。なんかもう疲れて本当に嫌だなぁと思っていたら、近くの席に座っていた男が立ち上がり、俺がいるテーブルに腰をかけた。宗教勧誘者の親玉だった。

  俺はその時に、騙された!という思いと同時に、神々しい顔をしていた親玉を見て「なんて神々しいんだろう」と思ってしまった自分が怖くなってしまった。親玉とは絶対に話をしないと、相手に伝えてそれから1時間くらいして解放はされたけど、それから宗教すべてが怖くなってしまった。宗教だけでなく仏像やお寺、キリスト像などなんらかの神様仏様に関わるすべてが怖くなってしまった。

 

 コンタクトは宇宙人から送られてきた宇宙船の設計図を元に、別惑星へ旅立つ話だ。そして別テーマで科学と宗教の立ち位置、関わり方にも語られていた。映画の中では、科学と宗教は真理を突き止めるという同じ目的を持っている。両者の違いは目的に到達するまでのは手段が異なるだけだと語られていた。そのメッセージを聞いて、俺の中の宗教に対する恐怖心が取り除かれた。以前とはちがう気持ちで宗教を眺められるようになった。俺の中で「コンタクト」はそういう意味がある、映画が面白い否かを超える作品だ。

 

3.ブランキージェットシティ

 平成で1番のミュージシャンをあげるならBJCかな。正確なカテゴライズはわからないけど、ミッシェルもバンプも良いなぁとは思うけど、ブランキーのフォロワーだなぁと思ってしまう。ブランキーで一番好きな曲は…というか歌詞は「車泥棒」。

「楽しい遊園地の中で 迷子になった小さな子供が お母さんを探す気持ちは真実 。たぶん宇宙の形は その母親が子供を抱きしめた時に 湧いてくる気持ちに似ているんだろう」

 よく分かっていない宇宙の形を、こんな的確に表現できるなんてすばらしい。

 

4.AKIRA

 あくまで個人的に平成を代表する漫画といえば大友克洋作「AKIRA」だ。絵がうまくてセンスがあってかっこよくてストーリーも最高。メカもカッコイイ。駄目なところがひとつもない作品。デスノートも好きで頭脳戦はいま読んでも面白くて、絵もうまいけど、センスがズバぬけてはないかなぁ。コブラも大好きだけど、昭和臭の方が強いしなぁ。AKIRA最高。2020年はAKIRAの年だ。

 

5.大航海時代オンライン

 俺的に平成を代表するゲームは大航海時代オンラインかな。単純に面白いゲームという意味ならマインクラフトやスプラトゥーン2、ゼルダの伝説、モンスターハンター、テラリア、ドラクエ、イースなどなど、たくさんあるが、オンラインでの仲間とオフラインで出会い、ゲームをやめたがいまだに付き合いが続いているというのは平成を代表するゲームに値する。

 この間、漫画喫茶で久しぶりにプレイしてみたが、もうわけが分からなくなっていた。やれることが多すぎるのだ。いまからプレイする人はスムーズにインできるのだろうか。などと思ったりした。

 

 

■個人的なこと

1.オーストラリアへ行った

 俺の人生の中で海外旅行は外せない思い出。初めて長期で旅行に行ったのはオーストラリアだが、そもそもそれはフィンランドですごい簡単な英会話すらできない自分にショックを受けたからだ。加えて、自分にはやりたいことがなく、誰かに言われるままに学生生活を送り就職をして、なにもないまま死んでいくのは、なんとつまらない人生だろうと思ったからだ。

 

 オーストラリアに1年間行ったのは正解だった。それまでの俺はクズだった。自分の人生がつまらないのは、知らない誰かや日本の社会のせいだと思っていたが、自分の人生がつまらないのは自分のせいだと考えを改めることができた。それにより前向きに物事を考えられるようになったし、ずいぶん能動的に行動できるようになった。車でオーストラリアを一周したことや、ホームステイ先のファミリーに温かく接してもらえたのは良い思い出だ。

 

 ただ英語ができるようにならなかったのと、ビジネスビザを取れるチャンスを自分で潰してしまったのは、今思うともったいなかったと思う。ホームシックになったわけではないのだが、ワーキングホリデイビザが切れる時に、自分がいるべきはオーストラリアではなく日本だと思った。オーストラリアにい続けていたら、俺の人生は全然ちがっただろうなぁと時々思う。

 

 2.インドへ行った。

 自分のアガスティアの葉を探しにインドへ行った。結果、トルコ人に騙されてカシミール地方シュリーナガルへ連れて行かれた。自分の選択を間違えていたら死んでいたかもしれないなと思う。もう二度とインドには行きたくないと思っている。けどその時の模様を書いた旅行記がなければ、いまの結婚はなかったので、なにが幸いするかはわからない。

 

 ■平成が終わろうとしている。

 昭和47年生まれの自分にとって、昭和は幼年期から青年期、平成が青年期から中年期を過ごしている。ざっくりいうと昭和を子供の頃に過ごして、平成を大人で過ごしている。そして令和は老齢へと向かっていき、恐らく令和の次くらいには死ぬのだろう。

 

 平成は色々あったので、一言では語れないが、結果的に海外に行って視野を広げることができ、一生懸命に仕事をやった時期があり、結婚をして、子育てを経験できたのは良かったと思っている。すさまじくうれしいことはなかったが、逆にとんでもなく悲しいこともなかった。

 

 平成はインターネットと携帯電話の時代と言い切れる。どちらかが欠けていたら、いまほどの発展はなかっただろう。恐らく世の中は以前より便利になったのだろう。本屋とCD屋はバタバタと潰れ、アマゾンでワンクリックで購入できるようになった。しかし、実店舗に行かなくてよくなり、大幅な時間の節約ができているはずなのに、どうして昔と変わらず俺には時間がないのだろう。

 

 令和はなんの時代になるのだろう。個人的にはAIとIOT、VRの時代になると思っている。もうそのようになりつつあるが、AIは人間のすべての職業に入っていくと思う。人間に残された仕事は想像だなんて考えもあるが、現実的にはジャッジになるんだろうなと思う。IOTがすべていきついた先は、なにになるのだろう。俺レベルではすべての製品の管理くらいしかおもいつかないが、それはすごいことなのだろうか。物流革命はおきそうだけど。VRはタイムマシンになる技術をすでにもっているから、大いに期待したい。

 

 貨幣は電子に置き換わり、ドローンがより身近になり、コンビニから店員がいなくなり。そう考えると令和という時代は平成以上に、変革が溢れているのかもしれない。そんなことを考えるとワクワクが止まらなくて、長生きしたくなってしまう。

 

 

 

 

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