我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

横粂勝仁

2011年02月10日 | 政治家

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横粂 勝仁(よこくめ かつひと、1981年9月10日 - )は日本の政治家、弁護士。民主党所属の衆議院議員(1期)

 

 

 

2011 05 22  横粂議員が離党届 地方も「反旗」で「菅降ろし」加速  【Jcast】

 

 

 

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全千島列島と南樺太の領有権

2011年02月10日 | 歴史

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全千島列島と南樺太の領有権【歴史】 全千島列島と南樺太の領有権

   阿頼度山  Alaid

 

 

おっさん、おっさん これナンボや

『これは売り物ではありません。』


 露助の熊公が、キリッ ! 

そりゃそうやろなあ。お前らが66年前に盗んだ物や。押し込み強盗や。

ヒロシマに原爆が投下された。

国家間の信義より、あんたらの爺さんやオヤジたちは、火事場泥棒になることを選んだ

 


 北方四島とは謂うが、日本が1945年7月まで領有していたのは、千島列島の全島と樺太の南半分であった。北方四島のみを言うは、日露戦争の仕返しを容認するものである。中立条約を破って、露助(ロスケ)の熊どもが為したことを認めることである。

 世界史に於ける日本国の自立の坂道をやうやう登りつめた。その坂の上から転げ落ちよと言うのが神意とは思えぬ。やはり自民党ばかりか、民主党はそれ以上にスパイの集まりではあった。


 まあ日本国の外務大臣が、日露戦争でとった樺太の南半分も返せと云えば、戦争宣言とともとられる。千島全島が日本領土だったのは、千島樺太交換条約により平和的に編入されたためである。きわめて友好的になされた領土の確定であった。千島列島全体の領有を主張しないのは、お人好しと言うよりも連合国の主張に阿(おもね) て卑屈になっているから。

 

 1874年3月、樺太全島をロシア領とし、その代わりにウルップ島以北の諸島を日本が領有することなど、樺太放棄論に基づく訓令を携えて、特命全権大使榎本武揚はサンクトペテルブルクに赴いた。榎本とスツレモーホフ(Stremoukhov)ロシア外務省アジア局長、アレクサンドル・ゴルチャコフロシア外相との間で交渉が進められ、その結果、樺太での日本の権益を放棄する代わりに、得撫島(ウルップ島)以北の千島18島をロシアが日本に譲渡すること、および、両国資産の買取、漁業権承認などを取り決めた樺太・千島交換条約を締結した。  (Wikipedia)

  ボツダム宣言の第8項の 『 吾等の決定する諸小島 (※1) 』 に依拠したとも言えぬ、ヘタレで誤魔化し政治屋がとってつけたのが、1855年の日露和親条約でありこの暴挙は、平和的外交の精華である、『樺太千島交換条約』を無視している。


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日本国は神国である。神のしろしめすうましくに。

ところがロシアは、後ろから斬りつける、卑怯なドロボウ国家

 

貝殻島灯台が消灯 根室海保が確認

(01/25 14:57)

 【根室】25日午前0時15分ごろ、根室市納沙布岬から3・6キロ沖にある北方領土の貝殻島灯台が消灯しているのを、根室海保の巡視船が確認した。同海保は付近を航行する船に警戒を呼び掛けている。

 貝殻島灯台は1937年(昭和12年)に日本が設置したが現在はロシアが管理している。同海保によると、電池切れなどが原因とみられる。同灯台は昨年1月下旬にも明かりが消え、4月下旬まで点灯が安定しなかった。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/270112.html

 貝殻島も美味い昆布がとれるので、アメリカ軍とかたらってソ連領(当時:今はロシア)に組み込んだ。しかし灯台の電池交換などの管理も出来ないいデタラメさではある。

 ロシアやアメリカそして支那などは、追いはぎ強盗かっぱらいのタグイが成り上がって治めている国家である。ロシアや支那は、ゴロツキが造った国とはみなさんご存じ。アメリカとてもおなじ様なもの。トヨタのプリウスには、結経欠陥はなかった。米国運輸省が認めたと最近報道されている。かすめ取った40億円のカネはどうするのか。おっと話が脱線、元へもどそう。

 貝殻島は露助が攻めてきた当時は、日本の漁業者が自由に昆布漁をしていた。それがたぶん美味しい昆布が獲れるのを知ったのだろう。 『 その上前をはねてやれ 』 こう思うのが、強盗の卑しい根性ではある。1948年の12月に駆逐艦コワゾール号が再調査をして、貝殻島はソ連の支配下に編入された。その境界線がマッカーサー・ラインという。竹島を奪ったのもへんてこな名前の、李承晩ラインであった。安保に変な幻想をもっているアホウ、あるいはその日本への侵略性を知りながら、これを賛美している間諜たちにこの事実を突きつけねばならぬ。アメリカはソ連と結託して、貝殻島を奪ったのである。日本の北側はロシアの縄張りで、本州あたりはアメリカのシマだ。そして経済力をつけてきた支那が、『マッチ・ポンプ』の火付け役に割り込んできた。これで米穀が手にしている、『思いやり予算』というなのみかじめ料は安泰になる。雨から支那にわたるキックバックなどは、絶対に見えない。

 先の戦争で日本は悪者とされたが、実際はこれまで見てきたように、連合国の日本国侵略が太平洋での戦いの原因だったと知れる。 

 今でも日本は貝殻島の昆布漁など様々な場面で、ロシアに 採取料 を支払っている。

 居直り強盗の若親分が、現地を見に来た。

 如何にいねむりで売国の菅直人でさえも、『許すことのできぬ暴挙』と言わざるをえない。

 

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 ロシアのメドべージェフ大統領の言う如く、択捉海峡は、戦略的要衝ではある。核報復攻撃用の原子力潜水艦の通り道はここだけしかない。津軽海峡をぬけて太平洋に出るには、危険が多すぎる。本当は何らかの攻撃を受けたのだろうが、『公式発表では火災事故』をおこしやすい。

 なんのことはない。択捉海峡とて安全な海峡水道ではない。あまりいい気になると、そのうち潜水艦の火災事故が続発するかも知れない。灯台のメンテもできぬマヌケに、潜水艦探知網の発見や点検など出来ようはずもない。潜水艦からは哨戒機は見えない。しかしあたりをつけた後の哨戒作戦では、海に潜った熊公など丸見えだ。

 

 

 

 

本日の話題の記事

2011 02 10  北方領土での軍備増強指示 ロ大統領「わが国の戦略的地域」 【共同】

2011 02 06   北方領土「軍事化」目指すロシア 備えよ日本 【産経

日ソ中立条約

ポツダム宣言 (※1)
 ここには、第8項目めに下のように記されている

8 カイロ宣言の条項は履行されるべき。又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。
 彼らがの戦争目的が日本国領土の割譲であることの証左がここにある。「吾等の決定する諸小島」という文言から導き出された答えが、北方四島のみを日本の固有の領土とする見解である。本来は 「千島列島全島」 と 「樺太の南半分」 は歴史的な日本国の領土なのだ。
 ソ連は日ソ中立条約を犯して、不法に日本国領土に攻め込んだ。そして彼らの孫子の政権は、卑怯な押し込み強盗の血脈そのままで厚顔である。

2011 02 09  トヨタ車、電子系欠陥なし 急加速問題で米が最終報告 【読売】

 

 
日本の領土問題 Part-2 北方領土【領土の変遷】

 

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 過去記事などの ご紹介 

謎の大穴から、カプセル型機雷 そして今度は特殊魚雷

2010年05月12日 | 与太

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ロシア原潜クルスク号の引き上げ写真


 

潜水艦の中にいた118名が全員死亡した痛ましい事故は2000年8月12日のことです。

ロシアの原子力潜水艦・クルスク(Kursk)がバレンツ海で演習中に沈没した。原因はなにかが爆発して艦が大破、写真でもわかるように前部が失われている。


韓国の哨戒艦「天安」も真っ二つに切断されて、その艦体は前後とも引き揚げられています。しかし、田中 宇 氏によればもう1隻沈んでいる艦があるというのです。興味深い読み物です。韓国軍艦「天安」沈没の深層 です。お時間のある方は是非 お読み下さい。

 

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その沈降艦は、なんと米軍原潜で核装備 

まさか其れはデンパだろう。

 と思われる方は正常な判断と思われます。今回の田中氏の説は 読み物としては面白いのですが、想像力が柔軟すぎます。米軍の核報復・戦略潜水艦はでっかくて、浅い海には行けません。太平洋などの深い海中に潜んでいて、抑止力を発揮するのが任務。座礁の危険がある海域には絶対ゆきません。

(全記事は、ここ を クリック してご覧ください)

 

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日本の領土 北方領土の変遷

2011年02月10日 | 経済

日本の領土問題 Part-2 北方領土【領土の変遷】


 

  記事の紹介(抄出)です。

 

日本の領土問題 Part-2 北方領土【領土の変遷】

領土の変遷(地図はこのサイトより。←北方領土についてすごく分かりやすく書いてあります。)

ロシアとの領土問題はまず、国境の画定時期(条約)と、千島・北方4島・樺太・北海道の位置関係を知っておくことが大切です。

 

1855年 日露通好条約
択捉島とウルップ島の間に国境を画定。樺太は、国境を定めず日露両民雑居の地とされた。

 

1875年 千島樺太交換条約
千島全島を譲り受ける代わりに、樺太全島を放棄。この条約では樺太とウルップ島以北の千島列島と交換するとされている。(択捉以南はもともと日本領だから)

 

1905年 ポーツマス条約
北緯50度以南の樺太(南樺太)をロシアから譲り受ける。日本の最大版図。

 

1951年 サンフランシスコ講和条約
「南樺太と千島列島の放棄」・・・この千島列島とは、千島樺太交換条約における千島列島でありウルップ島以北のこと。
当時のソ連は講和条約に調印していないので、国際法上は日本の放棄した部分は帰属未定(白抜き)となっている。

 

2006 02 07 22 20
http://empire-of-japan.org/archives/50329601.html

  記事の紹介(抄出)終わりです。

  関連記事  記事索引  北方領土   索引

 

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■ 2009年7月9日
  「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。
  本稿はその保管用記事です。

■ 2010年3月2日
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