我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

ブータン

2009年01月10日 | 各国情報

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2011 11 21  ブータン国王夫妻:帰国 【毎日】

2011 11 17  ブータン国王が国会で演説 【ニコニコ】

2011 11 16  ブータン国王夫妻の歓迎式典 afp

 

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ブータン王国・山

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 2)外交
1949年,ブータンは,独立したインドとの間でそれまでブータンが英国との間で結んでいた条約を踏襲する条約を締結した。同条約第2条は,「インド政府はブータンへの内政不干渉を約する。ブータン政府は対外関係に関しインド政府の助言に基づき実施することに合意する」旨規定している。第3代国王の統治時代当初は,インドとの条約関係もあり二国間関係はインドのみに限定し,その他の対外関係も専らインドを介して処理してきた。しかし,1960年代に入るとこうした対外姿勢にも変化が生まれ,コロンボ・プラン(1962年)及び万国郵便連合(1969年)に加盟する等徐々に国際社会との接触を広げ,1971年には国連加盟を果たした。
1972年の第4代国王即位後は,非同盟諸国会議に加わる等非同盟外交を同国外交の基本方針とする姿勢を鮮明に打ち出すとともに,近隣諸国との関係強化を図りつつ,独立と主権の保全に腐心している。ブータンは1980年代に入るとバングラデシュ,ネパールをはじめとする近隣諸国のほか,西欧,日本等との間で国交を樹立(日本とは1986年に国交樹立)する等対外関係を拡大し,2001年には,豪州,シンガポールと,2003年にはカナダとも国交を樹立した。現在,25カ国及びEUとの間で外交関係を有している。(但し,国連安保理常任理事国とは外交関係を有していない)。また,ブータンは地域協力機構として1985年12月に発足したSAARC(南アジア地域協力連合)を重視し,その発展のため積極的な対応を行ってきている(ブータンは原加盟国)。2010年4月には,首都ティンプーにてSAARC首脳会合を開催。また,2004年4月にはACD(アジア協力対話)に加盟した他,2004年8月にはBIMSTEC(多面的技術経済協力のためのベンガル湾構想)に加盟した。
2007年2月には第5代国王が訪印し,改定印「ブ」平和友好条約に署名した。これにより,「ブータン政府は対外政策に関し印政府の助言に従う」とされていた条約第2条の文言が改定され,これに代わり相互協力関係の維持及び拡大を謳う文言に差し替えられた。また,ブータン政府による軍需品の輸入に関する条約第6条の改定の他,現状にそぐわない条約の規定が取り払われ,経済協力,教育,保健,文化,スポーツ及び科学技術の分野での協力関係の促進を謳った新たな規定に差し替えられた。
ブータンにおける外交上の主要な懸案事項は,ネパール系ブータン難民問題である。1980年代,ブータン政府は,ゾンカ語の普及やブータン式の服(「ゴ」,「キラ」とよばれる)の公式の場での着用義務付け等国家のアイデンティティー強化のための施策を進めた。これに反発して,1990年秋,南部ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され,反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生した。1991年に入り事態は一応沈静化したものの,ネパール系ブータン難民がネパール国内に流入した。2007年11月より第三国定住プロセスが開始され,2011年8月までに,約5万人の移住が完了した(内訳:米約4万2千人,カナダ約2400人,豪約2千人等)。難民の第三国定住プログラムとしては世界最大規模となっている。キャンプ内には,約6万2千人の難民が残っており,このうち約4万7千人が第三国定住を希望している。2011年4月にティンレイ首相がネパールを訪問し,2003年から中断していた両国政府による難民帰還に関する協議再開に合意した。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/kankei.html

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 西岡京治 (にしおかけいじ)

 ブータンで最も尊敬された日本人
 国際協力事業のモデルとなる  身の丈にあった開発を

 神秘の国ブータンで、一人の日本人が28年間、農業技術指導を行った。農作物の生産力を飛躍的に増大させ、若いリーダーの育成に成功した。一人の日本人の「無私の貢献」がブータンの未来を拓いた。ブータンを愛し、ブータンのために生き、ブータンのために死んだ西岡京治は、日本人の誇りである。(kiji-sekai-nishioka.htm - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞)

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国民総幸福量  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国民総幸福量(こくみんそうこうふくりょう、英: Gross National Happiness, GNH)または国民総幸福感(こくみんそうこうふくかん)とは、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」を示す“尺度”である。国民総生産 (Gross National Product, GNP) で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものである。現在、ブータン政府は国民総幸福量の増加を政策の中心としている。政府が具体的な政策を実施し、その成果を客観的に判断するための基準にするのが主な用途で、1990年代からの急速な国際化に伴って、ブータンで当たり前であった価値観を改めてシステム化する必要があったという。

2005年5月末に初めて行われたブータン政府による国勢調査では、「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した[1] [2]。

 


概要 [編集]2年ごとに聞き取り調査を実施し、人口67万人のうち、合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、8000人のデータを集める。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層の違いを把握する。国内総生産(GDP)が個人消費や設備投資から成り立つように、GNHは 1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、8.生活水準、9.自分の時間の使い方の9つの構成要素がある。GDPで計測できない項目の代表例として、心理的幸福が挙げられる。この場合は正・負の感情(正の感情が 1.寛容、2.満足、3.慈愛、負の感情が 1.怒り、2.不満、3.嫉妬)を心に抱いた頻度を地域別に聞き、国民の感情を示す地図を作るという。どの地域のどんな立場の人が怒っているか、慈愛に満ちているのか、一目でわかるという[3]。


 展望 [編集]ブータン国立研究所所長である、カルマ・ウラはGNHについて次のように述べている。

「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々は本当に幸せだろうか。先進国でうつ病に悩む人が多いのはなぜか。地球環境を破壊しながら成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか。他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ。金融危機の中、関心が一段と高まり、GNHの考えに基づく政策が欧米では浸透しつつある。GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないか[4]。」

また、本項と直接関係はないが、中国の地方政府が2011年から始まった5カ年計画で、「幸福指数」を政策目標にかかげるケースが相次いでいる。GDP偏重になるあまりに、過剰投資や貧富の格差などの社会問題を生みだしていたとの認識が広がっているためで、重慶市や北京市、広東省、貴州省などが具体案を掲げている。 (Wikipedia)

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