妹を見舞う<o:p></o:p>
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珍しく目覚めたのが6時でした。夜中に一度トイレに起きていますが、近ごろにない睡眠時間でした。やはり昨日は体もそうですが。精神的にかなりの疲労があったのかも知れません。<o:p></o:p>
前日の夜姪から母親の状態がいよいよ最悪の状態にあるという電話があり、佐原の妹に連絡を取り見舞いに行く相談を交わしたのです。病に臥せっているのは一番下の妹で、年齢は73才になっており、肺ガンが末期の病状なのです。妹はその状態を兄弟たちに知らせることを一人娘に厳しく禁じており、深刻な状態にあることを知ったのは、最近ということなのです。<o:p></o:p>
兄弟とはいえ、お互いに年齢を重ね住む場所も遠く離れており、それぞれ疎遠な状況にあることはいがめません。病に臥せる妹は埼玉に住み、一番の身近にいるのが水戸の小生と、千葉の妹なのです。後は年齢が80を悠に越え、足元も危い姉が東京と横浜、そしてひとりの妹は福岡と離れていては、所詮、及ばずながらも力になってやれるのは小生と千葉の妹しかいないのです。<o:p></o:p>
一度三度目の入院の時危険な状態になりましたが、抗癌剤が奇跡的に効き、いくらか小康を得たとき妹と見舞いに行くと姪に伝えたことがあります。そのとき折り返し母は勘がいいほうなので、急に叔父さんたちが見えると何か察するかも知れませんのでとのことなので、見舞いを見合わせたことがありました。<o:p></o:p>
しかしもうそんなことは言っている場合ではないのです。姪の話では手術もできず、抗癌剤も使用できない状態なのです。しかし妹は最初から延命装置は拒否していて、姪も主治医にそれを伝えており、死期を早めても苦痛のないようお願いしていると言います。<o:p></o:p>
病室のベッドに横たわる妹は坊主頭で、きょとんとした表情でまるでお地蔵様のようでした。いや、それより仏様のような優しい面持ちでした。元来色白なのですが、薄いピンクに頬が染まっています。妹の「分かる、あたしだよ、貞アンちゃんも緑ねえさんも来てるよ、分かるかい」と投げかける言葉にうんと軽く頷き、分かると返事が返ります。しかし姪に言わせれば一時のことで、直ぐに意識が混濁の状態に戻ってしまうと言います。<o:p></o:p>
いずれにいたしましても一見した限りでは、管につながれている状態にはなく、それが一つの救いでありました。<o:p></o:p>
帰りの車中でかみさんは盛んに姪っ子を褒め上げます。姪は脳梗塞で倒れた父親を現在は老人ホームに預け、母親の看病を母子家庭の境遇ながら勤めのかたわら成し遂げているのです。一人娘の孫もアルバイトをしながら大学に通い、母を助けて祖母の世話を笑顔を絶やさずにしています。<o:p></o:p>
かみさんはほっした表情で、賞賛の言葉はその孫娘にも及びます。その根底にはきっと、自分たちの老いの行く末を見詰めているのだと感じられました。<o:p></o:p>
お早うございます。
結構朝晩はかなり冷え込んできましたが、北海道からみれば南国のようなものです。北海道の天気予報を見るたびにびっくりしています。
先日はお世話になりました。
近くにいればお手伝いもできるのですが、遠くて何も出来ません。雅代さんも大変でしょうけど、体に気お付けて頑張って下さい。
あっこちゃんに会えてとても嬉しかったです。緑
今日は。
ありがとうございます。
人生何が起きるか、一寸先は闇と申しますがまさにその通りです。
真逆ばっちの妹がと、世の無情を感じずにはいられません。
妹さまのご病気、毎日気がかりですね。
良いお見舞いの言葉も出ませんが、優しい姪御様の頑張りを我が娘の時と重ね、痛々しく思います。
仕事を持つ身の介護は想像以上に疲れます。
伯父様叔母様である、うたのすけ様ご夫妻のお見舞いを嬉しく受け止めていらっしゃる事と思います。
ただただ苦しまず、安らけるベットでありますように・・・・・。