十二月十一日 晴、行程七里羽犬塚、ある宿とあります。山裾の静かなお堂の第十八番の札所に拝登。そこから急ぎ久留米に出て郵便局に留置の郵便物を受け取ります。そこから羽犬塚まで歩き目に付いた宿に飛び込みました。そこで一言「きたなくてうるさいけれど、やすくて親切だつた」どこかいいところを見つける山頭火です。<o:p></o:p>
霜、うららか、雲雀の唄、櫨の並木、苗木畑、果実の美観、こう書置き防備録とすると言います。なるほど俳句作りの備えですか。乱にあって治を忘れぬ心がけ、見習わねばなりません。<o:p></o:p>
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大霜の土を掘りおこす<o:p></o:p>
枯草ふみにじつて兵隊ごつこ<o:p></o:p>
さうろうとしてけふもくれたか<o:p></o:p>
街の雑音も通り抜けて来た<o:p></o:p>
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十二月十二日 晴、行程六里、宿は原町常盤屋。寝過ごして九時出立して途中少しばかり行乞。札所を二箇所ほど詣り、いそいでこの宿に泊まったと言います。しかし共同風呂というものに入り、酒一合飲んだらすっかり一文無しになり、明日からはなにがなんでも行乞せねばならぬと背水の陣です。<o:p></o:p>
「行乞! 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、行乞の客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである、根本的にいへば、私の生存そのものの問題である(酒はもう問題ではなくなつた)。」今夜の宿も困りもの、蝋燭の灯りでこれだけ書いた、こんなことにも旅のあわれが感じると神妙であります。こうも語ります。「道路山道の石地蔵尊はありがたい、今日は石地蔵尊に導かれて、半里の道を迷はないで巡拝することが出来た。」<o:p></o:p>
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日向の羅漢様どれも首がない<o:p></o:p>
山道わからなくなつたところ石地蔵尊<o:p></o:p>
明日は明日のことにして寝ませうよ
人生やりきれなさの、どんずまり。それでもこんな句をさらりと作るあたりが、さすが山頭火です。
目覚めると枕もとに現金封筒
そんな夢しか見ない、三等下です。
最後のお金まで 飲んでしまう気にはとてもなれません。お酒の勢いでしょうか? 托鉢で食にありつける良き時代ですか。 今でも有名な寺では修行僧が行なうのをテレビで見ました。
今日は。
いえいえ、山頭火もそんな夢を確実に見たと思います。うたのすけ請け負います。
今日は。
御婦人には到底理解できぬ、酒飲みのアホな心理と思います。