その十二 都落ちの心境は<o:p></o:p>
有楽町はコンクリートの建物だけが蒼い月光に浮び、その間々にはまだ赤い火がチロチロと地上に燃えていた。人気のない月の町が赤あかと燃えているのは、恐ろしい神秘的な光景であった。<o:p></o:p>
京橋から地下鉄で上野にゆく。上野駅の地下道は依然凄まじい人間の波にひしめいていた。<o:p></o:p>
汽車にのってから気分が悪くなり、窓から嘔吐した。越後に入るまで、断続的に吐きつづけた。水上温泉のあたり、深山幽谷が蒼い空に浮んで、月明は清澄を極めていたが、苦しくて眠られず、起きていられず、悶々とした車中の一夜を過ごした。<o:p></o:p>
五月二十七日<o:p></o:p>
久しぶりに日本海の荒涼たる波濤を見る。しかしこれより北へははじめて旅するのである。<o:p></o:p>
越後寒川附近。人けのない白い砂浜に赤茶けた雑草がそよぎ、汀には太い丸太がころがっているのみ。家の屋根々々には無数の石がのせられ、寂漠とした海とよく映り合っている。裸の子供が三、四人砂浜で遊んでいた。<o:p></o:p>
或るところでは「西」と白く染めぬいた赤い旗が立っていた。西風の意味であろう。浜には可能の最大限度と思われる位置まで田が作られている。或るところでは、浜で大きな木造船を作っていた。<o:p></o:p>
列車は庄内平野に入った。田圃は青い畦で巨大な美しい碁盤のようだ。ふいにこの北国の野が憂愁にかげったとおもったら、はげしい驟雨がわたり出した。<o:p></o:p>
羽前大山駅についた。驟雨は去って日さえさし出した。<o:p></o:p>
歩いて勇太郎さんの家にゆく。すなわち高須さんの奥さんの実家である。ご両親のおじいさんおばあさんのほかに、奥さん、その妹さんの満ちゃん、満ちゃんの子供男の子二人、それから啓子ちゃんという可愛らしい女学生がいた。これはだれに属する女の子かよくわからない。<o:p></o:p>
完全に焼け出された顛末、自分がここへ漂白してきたいきさつを報告。<o:p></o:p>
夕刻、奥さん、勇太郎さんと北大山駅近くの善宝寺という寺にいって見る。<o:p></o:p>
碧い空に赤松が夕日を受けて燃えるようにかがやき、糸垂桜はまだ咲いていた。五重塔もある美しい大きな寺だ。本堂に入り、廊下の壁に高くかかげられた竜や王昭君の絵や、経机に幾百となく積みあげられた大般若波羅蜜多経や金色の祭壇を見て出る。<o:p></o:p>
この寺にも東京小岩の学童が疎開していて、この五月に来たそうだ。みんな一生懸命に石段などを掃いていた。<o:p></o:p>
山門を出て、ひなびた町を帰る。カラタチの垣根に白い花が咲き、赤い椿の花がこぼれ、牛の鳴き声がするといった町だ。家の屋根はほとんど杉皮でふかれ、樽桶製作という看板が目につく。この町は酒と糟漬の名産地だそうだ。鳥海山はなお雪を株って遠く霞んでいたが、雪のため羽黒、月山は見えず。
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