フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 2023年は今日までです。今年もいろいろありましたが、今回は「私にとっての2023年」を箇条書きにして、今年を締めくくりたいと思います。

・65歳になり、前期高齢者の仲間入りをしました。
・終活の一環として多少の断捨離をしました。
・過去に書いた村上春樹に関する文章1本をまとめ直しました。
・7年ぶりに(コロナ以降では初めて)海外に出かけました。
・中島みゆき以外の曲もカラオケで歌えるようになりました。
・約20年ぶりにゴルフをしました。
・一力遼棋聖(囲碁棋士)への推し活に力を入れました。
・生まれて初めて入院して手術を受けました。

 今年も1年間このブログを読んでいただき、ありがとうございました。
 来年2024年はどんな年になるでしょうか。皆さまにとっても私にとっても、平和で充実した年になることを心から願っています。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく日曜)の更新を心がけています。




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 さて今年もあと1週間ほどとなりました。1年間をふりかえるのは来週として、今週は10~12月期テレビドラマの中の『セクシー田中さん』について、もう一度書いてみたいと思います。
 この作品については、初回を見ただけの段階で簡単なコメントを書きましたが、先週まで見て(最終回は今日この後の放送です)、実によく出来ているという印象に変わりました。なにより、主人公たち1人、2人だけではなく、登場する人物たちそれぞれが十分に描かれ、人間としての厚みを持っていると感じました。
 普段は地味な40歳のOL田中京子(木南晴夏)は実はベリーダンサーでもあります。23歳のOL倉橋朱里(生見愛瑠)は田中さんに憧れてベリーダンスを始めます。作品はこの2人を中心に描かれますが、その2人の合コン相手となった小西一紀(前田公輝)やその同僚の笙野浩介(毎熊克哉)が2人にかかわってきます。興味深いのはこの小西や笙野です。小西は典型的なチャラ男、笙野は前時代的な男女観の無神経男、として登場してきますが、物語が進むにしたがって、小西と笙野の人間性が表に表れてきます。特に笙野は「前時代的な男女観の無神経男」で、ベリーダンスをしている田中さんに向かって、「おばさんがなんて格好をしているの、痛々しい」といった暴言を吐いてしまうような人間です。そういう無神経男であることは確かなのですが、それでも根は気持ちのやさしい人間であり、田中さんと接していくにしたがって、自分の無神経さに気づき、考え方を少しずつ変えていきます。
 主要な登場人物4人みなそれぞれに欠点や弱点があり、けっして突出した立派な人間ではありませんが、その欠点や弱点も、そしてそれぞれの魅力的なところも、併せて描かれていくところが、この作品のとてもよく出来ている部分だと感じました。
 壮大なスケールの物語とか、豪華俳優陣の共演とか、そういう目立った特徴は『セクシー田中さん』にはありませんでしたが、こういう作品が制作・放送されていることに、テレビドラマ研究者として嬉しく、かつ安堵する気持ちになりました。いい作品を見させてもらいました。

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 昔若いときにこんな本を読んでいた……というのは一種の黒歴史という面があります。私の場合、高校生のときに加藤諦三や森村桂を読んでいたことをこのブログで暴露し、自ら恥ずかしい告白をしました。

 → 断捨離で表に出た黒歴史 (2023年5月28日)
 → 黒歴史はまだあった~森村桂の文庫本 (2023年9月3日)

 今日はその後日談のようなことを書きたいと思います。9月のブログにも書いたように、私が愛読していた1970年代の森村桂は、かなりの人気作家でした。小説家というよりは自分の体験を題材にしたエッセイストの面が強く、その書いた文章は森村桂という人そのもののイメージを形成していました。そのイメージとは、「型破りな行動力のあるお嬢さん、でも結婚に夢を持って憧れて、その結果自分の書いた本の読者と運命的な出会いをして、幸せな結婚をした女性」というものだったと思います。
 しかし、その後森村桂は、そのたくさんの著書のモデルとなった配偶者とは離婚し、別の男性と再婚し、軽井沢でケーキ店を開業し、やがて亡くなった……という経過をたどります。私の森村桂愛読は、私自身の高校生時代の2年間ほどで終わりましたので、実は元の「運命的な出会いをして、幸せな結婚をした女性」というイメージのまま、私の中ではあまりイメージの更新がされていなかったのです。
 ところが、近頃になって少し森村桂のことを調べてみたところ、彼女が再婚したのが1979年のようなので、私がもう少しだけ森村桂愛読を続けていたら、私の中での森村桂のイメージは大きく変わっていたかもしれません。そうしなかったのは、そして、同じイメージを持ち続けてきたことは、私にとっては幸せなことだった気もします。ただ、今年になって少しだけ森村桂のことを調べ、再婚後の森村桂の本『それでも朝はくる』や再婚相手三宅一郎の著書『桂よ、その愛と死』を読んでみて、私が高校生のときに持っていた森村桂のイメージが大きく変わりました。どう変わったのかを簡単に書き尽くすことはできませんが、森村桂の育った家庭、最初の結婚の背後にあった苦しみ、その後の作家としての葛藤、などが強く伝わってきました。
 『それでも朝はくる』や『桂よ、その愛と死』を読まない方がよかった、という気持ちも強く湧いてきました。『それでも朝はくる』では、森村桂の最初の結婚相手がかなり悪辣な人物として描き直されています。私の高校生のときに持った、森村桂の幸せな結婚生活のイメージが根底から崩されてしまいました。また、『桂よ、その愛と死』では、森村桂の再婚相手の立場から、森村桂自身やその母親、最初の結婚相手のいわば暗い側面が重点的に描かれています。
 おそらく、森村桂とその最初の結婚相手のどちらからその関係を見るかで、見方はまったく変わってくるのでしょう。また、森村桂の再婚相手の書いていることをそのまま全部信用していいのだろうか、という疑問も残りました。ただ、どの文章もみな一人の人間の「ある側面」でしかなかったので、それらを複数折り重ねていくことでしか、森村桂という人に近づいていくことはできないのだろうと思います。いずれにしても、私が高校生のときにもっていた森村桂という人のイメージは、50年近い年月を経て大きく変わることになりました。
 森村桂の死は2004年のことでした。「関係者によると自殺と見られる」という報道がありました。今さらですが、高校生の頃に愛読した作家の冥福を祈りたいと思います。

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 紙資料からデジタルコンテンツへという変化は、時代の流れとともに必然です。私の職場では、新型コロナウイルスが流行した2020年頃から、一気にペーパーレス化が進みました。衛生面を考えれば当然のことです。
 とはいえ、私自身はおおいに苦労しました。紙資料がデータ化されたことで、ともかく読むのが目につらいのです。新型コロナウイルスが流行した2020年頃は、私が大学の行政職に就いていたため、毎日たいへんな数の会議に出席し、膨大な量の資料に目を通す必要がありました。それまでは紙資料で配付されていて、SDG's的にいえばよくなかったのですが、目へのやさしさからいうと、紙資料の方がはるかにましでした。毎日会議ごとに、数十ページから数百ページの資料に目を通すため、コンピューター上で読むことになってからは、目がつらくてしかたありませんでした。

 そこで思い出したのですが、私個人にとって忘れられない今年の大きな出来事は、日本棋院から刊行されていた『週刊碁』という新聞が、8月28日(月)発売の2023年9月4日号(通巻2320号)をもって休刊となったことです。これこそ、囲碁愛好者の減少だけでなく、紙資料を利用する人が減ったことの顕著なあらわれでした。時代の必然とはいえ、私には寂しい出来事でした。
 私が囲碁を覚えたのは45年ほど前。「父親の老後に囲碁の相手でもしてやろうか」くらいに思って、大学生だった頃に自力で覚えました。ただ、凝り性の私は、父親のことを別にして、自分自身が囲碁の奥深さにはまってしまいました。単に自分が碁を打ちたいだけではなく、プロ棋士の勝負の世界にも強くひかれるものがありました。当時はインターネットもYouTube放送もなく、プロ棋士の世界の情報を一番早く伝えてくれるのが、この『週刊碁』でした。定期購読をするようになり、毎週月曜日に一般紙と一緒に自宅に届くのが楽しみでした。

 後から知ったことですが、『週刊碁』の発刊は1977年。私が碁を覚えたのはそのすぐ後でした。伝え聞くところによると、『週刊碁』の最盛期には20万部を発行していたそうですが、近年は2万部ほどにまで落ち込んでいたそうです。私自身も、囲碁の世界の情報はもっぱらYouTube放送、ホームページ、X(旧ツイッター)などに頼っていて、紙媒体を利用することはほとんどなくなりました。かつて愛した情報紙がなくなるのは寂しいですが、これは時代の流れ、必然なのだと思います。『週刊碁』の代わりに「棋道Web」という有料デジタルページが開設されているので、今後はそちらを楽しもうと思っています。

 とはいうものの、私はやはりアナログへの愛着を持ち続けています。囲碁関係の紙媒体はほとんど使わなくなりましたが、推し棋士の一力遼が棋聖位を防衛したときや、本因坊位を獲得したときには、それを特集した月刊誌『囲碁ワールド』を記念に購入し、保存してあります。『週刊碁』の休刊前最終号も記念にとっておくことにしました。今進めている断捨離とは相反することなのですが、紙に書かれたもの、紙に印刷されたものへの愛着は、生きている限り捨て去れないもののようです。

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 日本大学のアメリカンフットボール部から大麻所持による逮捕者が出ている件については、単にアメフト部の問題だけではなく、大学のガバナンス(統治・管理)の問題が指摘されています。これについては、さまざまな報道がありますし、SNS上のさまざまなコメントも行き交っていますので、とても一回でまとめることはできません。ですので、ここで私が書くことは、この問題の特定の一面についてのコメントです。しかし、書いておきたいのは「逮捕された部員個人や担当者がいけないことはもちろんだが、組織としてのガバナンス体制の方にもっと問題がある」「林真理子理事長にはがんばってほしいが、言動が迂闊すぎる」とうことです。

 まずはガバナンスの問題。麻薬所持で学生が逮捕されるというのはゆゆしき事態です。当該学生個人は処分されてもしかたありません。しかし、もっと重要なのは、そういう問題が起こらないような指導や教育が通常なされていたのか、という点です。問題が起こったらその人物を処分するだけではなく、組織として、仕組みとして、そういう問題が起こらないような体制をとっているかが重要です。どんなに体制を整えても、問題を防ぎきることはできませんが、少なくとも「これだけの体制を整えていました」といえることが重要です。また、問題が起こったら当事者処分だけではなく、「これまでのこの部分をあらため、これからはこういう体制を整えていきます」という宣言を学内・学外に公表することが重要です。日本大学は、11月30日の締切日に改善計画を文科省に提出しましたが、その前に「学長・副学長に辞任を求める」「アメフト部を廃部にする」という方針を出しました(廃部については継続審議になりましたが)。責任をとるべき人は理事長を含めた3人だけなのでしょうか。また、対応の順番が違うのではないでしょうか。まず先に問題のある人物をやめさせる、問題が起こった組織をなくす、という対処をしようとしています。しかし、「これまでのここをあらため、これからはこういう体制を整えていきます」という姿勢の方が重要です。アメフト部の廃部の前に、運動部を日本大学の中でどのように位置づけ、選手の心身の健康を保っていくのか、その方針を出さなければいけません。文科省へ提出された改善計画についてはまだ概要しか伝わっていませんが、報道された内容では「まだこれから」という部分も多いようです。繰り返しますが、処分の基盤となる改善策がより重要で、そこにこそ日本大学の今後を見たいのです。

 次に林真理子理事長の対応について。私も文学を専攻している人間ですから、林真理子理事長にはがんばってほしいです。しかし、文学と学校行政はまったく異なります。正反対といってもいいくらいです。私は運動部担当の澤田康広副学長をまったく評価しませんが、その澤田副学長へ辞任を迫る林理事長のやり方は稚拙でした(その後、澤田副学長は林理事長をパワハラで告訴しました)。澤田副学長の一連の対応や記者会見はひどいもので、大学の評判を大きく落としました。さらに理事間の会話を録音して無断で公開するというのも、理事として許されない行為です。ですから、私はこの副学長が退任することは当然のことだと思います。しかし、だからといって、地位にある人間をやめさせようというなら、そのための周到な準備が必要です。いうなれば「外堀をすべて埋めて、嫌でもやめざるを得ない状況」を作っておかなければいけません。「一人の人間の首を切る」というのはそういうことです。「これだけ大学の評判を落とした人間がその地位にとどまっていられるはずはない」という常識を基準に、林理事長は辞任を迫ったのかもしれませんが、地位のある人間ほど、せっぱつまれば何でもしますし、どんなえげつないことをするかわからないものです。地位のある人間なら潔い行動をとるものだという常識が通用するはずがない、という認識から出発する必要があります。その意味で、林真理子理事長が直談判で澤田副学長に辞任を迫るというのは、言い方は失礼ですが、稚拙な対応だったとしかいいようがありません。

 一連の上層部の迷走の結果、何より日本大学のほとんどの真面目な学生たちがつらい思いをしています。同じ大学人として、日本大学の再生を願っています。


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