フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



【私の意見の要点】
・国民の税金を使って派遣されるオリンピック選手団には高度な規範が求められる。個人や所属団体の費用と責任で出場する試合とは異なる。したがって、規範に反した選手が出場できなくなったことは、残念ではあるがやむを得ない。
・一方で大学は教育機関。学生を指導し成長させる役割を担っている。その大学が学生選手に寛大な姿勢を示すことは必要。しかし、オリンピックに出場すべきかどうかを判断するのは大学ではない。大学がそこに意見を述べる(口を出す)ことは、しない方がよかった。

 オリンピック競技が始まりましたが、その直前に体操代表の19歳女子選手が喫煙・飲酒をして、出場を辞退することになりました。19歳の喫煙・飲酒は法律違反であるのと同時に、日本のオリンピック選手団の行動規範にも反しているとのことから、今回の「辞退(出場停止ではなく、表面上は本人の辞退という形をとった)」という結果につながりました。
 このことがSNS上でたいへんな議論に発展しています。ごく簡単にまとめるとすれば、一部の元選手や有名人が「いけないことをしたのは確かだが、オリンピックを辞退するほどのことか」と疑問を発信しているのに対して、ネット上の意見の大半は、「法律にも規範にも反している以上、出場辞退は当然だ」という論調です。
 今回さらにネット上の意見を喚起したのは、選手の所属する大学が発表したコメントです。そこでは、「たとえオリンピック出場という大きなストレスを抱えていたとしても、その行為自体は認められるものではない」とした上で、「本学としては、当該選手に対する教育的配慮の点から、常習性のない喫煙であれば、本人の真摯な反省を前提に十分な教育指導をした上で、オリンピックに出場することもあり得ると考えておりました。したがって、この度のオリンピック出場辞退という結果には、本人が負う社会的ペナルティーの重さへの懸念から、誠に残念な思いでおります。」とする声明を発表しました。これがまた大きな反響を呼び、大学の姿勢の甘さを避難する意見がSNS上などで飛び交いました。「大学が法律違反やルール破りを公認するのか」「喫煙や飲酒が一度きりのことだとどうして断定できるのか」など、厳しい意見が続々と示されています。

 ここから私の意見です。大学は教育機関ですから、所属する学生(選手)に対して寛大な姿勢を見せ、過ちがあってもそれを糧に成長させようとすることが必要です。学生は(通常は)学費を自ら支払って大学に所属するのであり、その学費と引き換えに大学から教育を受ける権利を手に入れています。逆にいえば、大学は学生を成長させようと努める義務を担っているのであり、簡単にその義務を放棄してよいわけではありません。
 しかしながら、国民の多額の税金を投入して派遣されるオリンピック選手団には、高度な規範が求められます。大学が学生(選手)に示す姿勢と、社会が選手に示す姿勢はまるで異なります。その点を考えるなら、今回規範に反した選手をオリンピックに派遣したくないという多くのネット上の意見は、私は仕方のない感情だと思います。繰り返しますが、国民の多額の税金が投入される以上、その判断が「世論」に沿うものでなければならないのも、一つの道理だと思います(ネット上の意見が「世論」なのかという点に留保が必要ですが、少なくとも多数の人の意見に沿うという方向性は必要だと思います)。その点で、大学の教育の論理と世論の方向性が食い違うなら、今回は大学の論理は通用しないといわれても仕方ありません。その意味で、今回辞退した学生(選手)の所属大学が、「オリンピックに出場することもあり得ると考えておりました。」「この度のオリンピック出場辞退という結果には、本人が負う社会的ペナルティーの重さへの懸念から、誠に残念な思いでおります。」といった声明は、出すべきではなかったと私は考えます。

 私は大学に勤める人間ですから、今回の所属大学の声明の背景となった「姿勢」「気持ち」には十分共感します。また、協会が「処分」したり「出場停止」にしたりするのではなく、表面上は「本人の辞退」という形をとらせたことにも、ある種の気持ち悪さを感じます。しかし、そうだとしても、今回の所属大学の声明内容は、教育をする大学と、国民の税金で派遣する協会という、立場の違いに関する線引きが十分ではなかったと感じます。言い換えれば、大学としての声明は、「本人も深く反省していることから、本学としては今後の再起に向けて本人を全面的に指導及びサポートをしていく所存です。」という内容だけにとどめておく方がよかった、と私は思いました。

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 7~9月期のテレビドラマ、いわゆる夏ドラマの感想を書く3回目です。まだ感想を書いていない作品について書いていきます。

『南くんが恋人!?』(テレビ朝日系、火曜21時)

 原作は内田春菊の漫画作品で、5度目のドラマ化。テレビ朝日系では3度目のドラマ化だそうですが、今回は小さくなるのが女子生徒ではなく、男子生徒の方になりました。時代の変化でしょうか。もともと原作漫画と映像作品はかなり違っていますが、それにしても今回は大きな変更です。変更といえば、1994年版(主演は武田真治・高橋由美子)と今回版の脚本が同じ岡田惠和で、どちらも自動車事故に遭いそうになって体が小さくなりますが、2004年版(主演は二宮和也・深田恭子)の場合は、自転車で川に落ちて体が小さくなってしまいました。過去の作品を知っていると、そういう比較も楽しく見ることができます。1994年版と今回は同じく、カップ麺の器に乗って川に浮かぶ場面があり、個人的には懐かしく思いました。

『マル秘の密子さん』(日本テレビ系、土曜22時)

「彼女はどんな手を使っても、依頼者を必ず成功させる、謎多き女」というのがキャッチコピーです。子役出身で、容姿は可愛らしく、見るからに「いい子」っぽい福原遥が「謎多き女」を演じるところが見どころです。たしかにそのギャップにはちょっとやられた感じがしました。ふだん「いい子」に見える子が実は思いきり腹黒かったら、見た目通りの人より何倍も怖いだろうなと思いながら見ていました。ただ、初回を見たら、この話は1話完結ではないんですね。この軽めの作りだったら、毎回1話で終わってほしかったかな。

『ひだまりが聴こえる』(テレビ東京系、水曜深夜)

 原作は文乃ゆきの漫画作品で、過去に映画化されたこともあります。難聴の男子大学生をめぐる話。障がいを持つ主人公を描く作品群はいつの時代にもありますが、1990年代半ばに特に多く、その分析は私の授業の持ちネタの一つです。この作品に対しても「また障がいものか」という否定的な先入観が少しありましたが、実際に見てみるとかなり好印象に変わりました。障がいを描く作品のほとんどがそこに恋愛や男女の関係がからみます。そこでは、男女の恋愛の障壁として障がいが都合よく使われるという面がありました。その点があまり前面に出ていなくて、見ていてさわやかなのがこの作品のよいところと思いました。おそらくこれからBL(ボーイズラブ)的要素が出てくるのでしょうけど、それなしでもせっかくいい出来になっているようなので、あまりそこに深入りして、多くのBL作品と同じになってほしくないな、と思いました。

『錦糸町パラダイス』(テレビ東京系、金曜深夜)

 俳優の柄本時生と今井隆史らが自ら企画して制作された作品ということで、実は大きな期待を持って見始めました。幼なじみの3人(柄本時生、賀来賢人、落合モトキ)が清掃請負会社を作って、緒に働く話。そこにジャーナリスト(岡田将生)やIT実業家(朝霞航大)らがからみます。2回分見終わって、まだ面白いのか面白くないのかすらよくわかりません。まだ謎が多いので、それを明らかにしていくところが眼目なのか、それでも往年の『俺たちの旅』のような3人の若者の青春ドラマにしていくのがメインなのか、2回見てもわからないところがかえって特色かもしれません。正直言って、視聴者がついてきてくれるのか心配ですが、私は期待感をまだ失っていないので、この登場人物たちの今後をもう少し追いかけてみたいと思っています。

『クラスメイトの女子、全員好きでした』(日本テレビ系、木曜深夜)

 大人になった作家志望の男性が、中学時代のクラスメイトの女子を思い出して、毎回一人ずつ取りあげてそれをエッセイ化する、という話です。放送時間のわりにはゆるい話なので、正直言ってやや退屈します。しかし、なんだか懐かしいです。そういえば、自分のクラスメイトにもこんな子がいたな、とか、そういうことを誰でも思ってしまうのではないでしょうか。気合いを入れて見る作品ではなく、気合いをいっさい入れずに力を抜いて見るからこそ面白い作品だと思いました。

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 7から9月期のテレビドラマ、いわゆる夏ドラマの感想を書く2回目です。今回は作品内容にも触れつつ、出演している俳優さんに注目して、感想を書いてみました。

『ブラックペアン シーズン2』(TBS系、日曜21時)

 2018年放送の同名ドラマの続編ですが、主人公以外はみな同じ設定・人物なのに、主人公の医師(二宮和也)だけが別人物として登場します。日曜21時の日曜劇場は今やTBS系の看板枠。毎回制作費のかかる、大がかりで非日常な作品で楽しませてくれます。とはいえ、今回はその非日常にあまり入り込めませんでした。二宮和也の演技力は折り紙付きですが、今回の演じる役のような「悪魔的」「カリスマ的」な人物にはどうしても見えなくて、竹内涼真との身長差ばかりが目についてしまいました。見ているうちにだんだんと二宮が「カリスマ外科医」に見えてくることを願っています。

『マウンテンドクター』(フジテレビ系、月曜22時)

 「山岳医療」という聞きなれない分野の医療チームを描いた作品。大森南朋が癖のあるベテラン山岳医を、杉野遥亮が過去の山の事故の苦い記憶を乗り越えるために山岳医を目指す若い医師を演じます。この配役は見事にはまっています。杉野遥亮は演技のうまい/へた以前に、そこにいるだけで何か前向きの、きらきらしたオーラを感じさせます。私がそんなことを感じた俳優は、40年前の富田靖子などごくわずかです。とはいえ、山登りにまったく興味のない私は、「山岳医療」という題材にもまったく興味が持てませんでした。山登りして事故に遭うなんて、自業自得であるのに加えて、なんて迷惑な人たちなんだろう、と思ってしまいました。ごめんなさい。

『西園寺さんは家事をしない』(TBS系、火曜22時)

 同名漫画のドラマ化作品。独身38歳の西園寺さん(松本若若菜)は、仕事はバリバリこなすが家事をいっさいしたくないという性格。その女性の年下の同僚(松村北斗)がシングルファーザーとわかり、つい自宅隣接の貸間に住まわせる…という話。ハートフルラブコメディという触れ込みで、たしかに単なるラブコメよりも、西園寺と年下男子両方の生き方に触れる部分が多いと思いました。ハートフルであるのは間違いありません。ただ、私の偏見かもしれませんが、松本若菜は綺麗すぎて、ラブコメには似合わないと思ってしまいました。あるいは、先日まで見ていた『君が心をくれたから』で演じていた役(家族を見守るために現世に現れることになった霊=死への案内人)が似合いすぎていたためかもしれません。松本若菜の美しさはどこか尋常ではないものを感じさせます。そういう俳優といえば、たとえば菜々緒もそうでしょう。そういう俳優には、どこか人間離れした役を演じてほしいと思いました。

『青島くんはいじわる』(テレビ朝日系、土曜23時)

 こちらも漫画原作。35歳のお局OL(中村アン)が20代のイケメン男子(渡辺翔太)に翻弄される話。「この前まで髪をかき上げていた中村アンが干物女に見えない」「渡辺翔太が女性にもてすぎて困っているイケメン20代じゃないだろう」「少女漫画あるあるの場面ばかりでド定番すぎる」といった辛辣なコメントが飛び交っているようですが、私はけっこう嫌いじゃありませんでした。中村アンはけっしてコメディエンヌの才能があるとは思えないのですが、そのお堅い(完璧っぽい)感じがむしろこの作品には合っています。その堅物っぽい30代女性が年下男子に振り回されているところから、期せずしてコメディエンヌっぽさを醸し出していると思いました。ベタなラブコメですが、私はどちらかといえば、『西園寺さん~』より『青島くん~』の方が好みです。


『あの子の子ども』(フジテレビ系、火曜23時)

 こちらも漫画原作。高校生カップルの妊娠を描いた同名漫画のテレビドラマ化。60代の私には、『3年B組金八先生』第1シリーズ(1979-1980)の「15歳の母」や、『14歳の母』(日本テレビ系、2006年)を思い出します。いずれも名作で、『金八先生』の方は杉田かおると鶴見辰吾が中学生カップルを、『14歳の母』の方は志田未来と三浦春馬が中学生カップルを演じていました。この『あの子の子ども』を含めて共通しているのは、どのカップルも幼いなりに真摯に相手のことを想っていること、けっして遊びや興味本位で性行為をしてしまったわけではないことです。実際には、そうではない(ドラマほどの真摯な気持ちをともなわない)妊娠の方がはるか多いでしょう。その意味ではあまりリアリティのある設定ではないのかもしれません。しかし、こうした設定が繰り返されるのは、この設定が恋愛と命と若さとを考えさせる格好の題材だからかなのでしょう。過去に演じてきた若い(幼い)俳優たちはみな有名な(いろいろな意味で有名な)俳優になっていきました。今回演じる桜田ひよりと細田佳央太は、けっして突出した魅力を持つ若手俳優とは思いませんが、その一方で「普通の子」「普通の人」を演じられる稀有な資質の持ち主だとも感じます。過去の俳優たちのように、映像の世界に欠かせない存在に育っていくことを願います。

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 7月に入り、今年も残すところあと6か月となりました。7~9月期のテレビドラマ、いわゆる夏ドラマが始まってきましたので、このブログ恒例のテレビドラマ感想を書いていきます。

『新宿野戦病院』(フジテレビ系、水曜22時)

 クドカン(宮藤官九郎)の新作で、今クール最大の話題作。たしかに宮藤官九郎の作品には『あまちゃん』や最近の『不適切にもほどがある!』といった話題作が多くあります。とはいえ、クドカンのドラマは視聴者に評価された作品ばかりではありません。クドカンなりの尖り方があるので、いわゆるヒットメーカー的な、視聴者に喜ばれようとする脚本家ではありません。今作はその尖り方が目立っていて、最初からとにかく騒がしい! その騒がしさのために、ドラマから脱落してしまう視聴者もかなりいることでしょう。しかし、新宿歌舞伎町の、しかも場末のわけあり病院を舞台に選んでいるのですから、その騒がしさや猥雑さ、うさんくささは、むしろ作品に無くてはならないものでしょう。その騒がしさを受け入れる視聴者だけが、今回は作品から受け入れられた視聴者ということになるのだと思いました。

『海のはじまり』(フジテレビ系、月曜21時)

 『silent』のスタッフが再集結、ということがあちこちに謳われています。たしかに雰囲気が似ています。ただし、同じ生方美久の脚本でも、『silent』『いちばんすきな花』『海のはじまり』と、その描く課題はすべて違っているところに、この脚本家の才能を感じます。『silent』はたしかに素晴らしかったですが、創作をする人間にとって、最初の作品や出世作と近い作品しか,その後も創作できない、という場合がよくあります。言い換えれば、出世作をなかなか越えられない創作者は少なくないのです。
 今作は「親子の愛」がテーマだそうです。ネット上の意見を見ると、初回を高く評価する声がある一方で、無理な展開を「ホラーみたい」と酷評する意見もあるようです。しかし、フィクションとは現実にあるかどうかで評価されるものではありません。現実にもある、不自然でない、というだけのフィクションなら、それは退屈で飽きられてしまうでしょう。問題は、不自然で無理な展開を代償に何を手に入れているか、です。初回はまだ設定の段階なので、何を手に入れているか、の評価は次回以降に託されています。自分に子がいるとわかった主人公(目黒連)の今後がどうなるか、無理な設定ゆえに描けるものが何なのか、今後に注目していきたいと思います。

『笑うマトリョーシカ』(TBS系、金曜22時)

 早見和真の同名小説のドラマ化。新聞記者(水川あさみ)の父親が突然の事故死。記者は、父親が、将来の総理大臣候補といわれる若手大臣(櫻井翔)を取材していたことを知り、大臣とその秘書(玉山鉄二)の関係を不審に思う…というのが初回の設定です。これはなかなか硬派な題材で、局は違いますが『エルピス』を思い出しました。『エルピス』同様に上層階級の構造的な悪に切り込んでいるように見えますが、2回目まで見た限りでは謎解きの要素がかなり強いようです。初回の見込みとはまるで違う方向に、2回目では進んでいきました。私はこの手の、3か月間謎で引っ張る作りの作品があまり好きではないのですが、予測を裏切るという意味では、目が離せない作品になるかもしれません。

『ギークス~警察署の変人たち』(フジテレビ系、木曜22時)

 同じ警察署に勤務する鑑識官(松岡茉優)、産業医(田中みな実)、交通課員(滝沢カレン)の3人が事件の謎を解いていく、という話。『相棒』や『ガリレオ』など謎解きものの名作は多々ありますが、既に飽和状態に達していて、なかなか新しい趣向を生むのは難しいかもしれません。私もやや食傷気味です。ただ、今回は3人それぞれの特徴を活かして、それを融合させる謎解きがなされる、という趣向のようですので、どこまで化学反応が起こるのか。その点に少しだけ期待して見ようかと思っています。

『ビリオンスクール』(フジテレビ系、金曜21時)

大企業のワンマンCEO(山田涼介)が、AI開発のために学校の実地調査を目論見、正体を隠して高校の教師になる…という話。「先端テクノロジーを関連させた学園コメディー」という狙いだと思いますが、私はあまり笑えませんでした。これはもう好みの問題かもしれません。私は先端テクノロジーも苦手ですし、大声出して騒ぎ散らすような笑いも苦手です。私の感覚が既に古いのかもしれませんので、こういう作品はお若い皆さんにお任せしたいと思います。ごめんなさい。


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 今年4~6月期に放送されていた『95』を見ました。いつものことですが、多くのドラマを見る時間がなかなかとれないので、録画をためておいて、後から一気見することがよくあります。『95』がそれでした。
 初回だけ見てこのブログに書いたときは、私はこの作品にかなり好意的でした。その後見ていくと、私の苦手な暴力的なシーンが多く、その点で初回の印象がかなり変化しました。「暴力的な若者たち」という意味では、『池袋ウエストゲートパーク』に近いという意見も多いようです。たしかに、作品内容はかなり暴力的で、私は目を背けたいと思うこともしばしばありました。しかし、それでもこの作品を評価したい気持ちは変わりませんでした。「甘さ」も「苦さ」も同居し、「かっこよさ」も「かっこわるさ」も同居し、「やさしさ」も「暴力」も同居する。青春群像劇とはこういうものなんだろうな、という気持ちを新たにしました。
 そんな中で、主人公は苦悩し、苦闘しながら、成長していきます。「俺たち、かっこいい大人になってやろうじゃないか」という作品中の若者たちの言葉は、既に若者ではなくなっている私たちにも問いかけてきます。「自分は自分が若い頃に望んでいたような大人になっているだろうか」と。この作品中の若者たちの言動にそのまま共感はできなくても、その問いかけには普遍性が込められていると思います。そういう思いを持つことができただけでも、この作品を見た価値があったと思いました。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。と言いつつ、今回は日曜日の更新になってしまいました。実は前に書いておいたために、かえって土曜日になってアップするのを忘れてしまいました。約1200人(週平均アクセス人数:アクセス数は3000~4000ほど)のブログ愛読者の皆さま、申し訳ありませんでした。



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 最近、というとこの1年以内のことですが、回転寿司チェーンの「〇〇寿司」にわりとよく行くようになりました。私が外食するのは、一人の場合と家族一緒の場合がありますが、どちらの場合でも、この「〇〇寿司」に何度も行きました。家族を連れていっても楽しんでもらえますし、一人で行ってもわりと居心地よく食事ができます。

 私はもともと生ものがあまり好きではありませんでした。よく火の通った料理、こんがり香ばしい料理が好みでした。寿司と焼肉だったら、だんぜん焼肉派でした。それが年齢とともに油の多い食材は前ほど食べなくなり、寿司系をよく食べるようになりました。ただ、以前の回転寿司(寿司の皿がベルトで回ってきて、そこから好きな皿を選んで取る寿司店)はあまり好きではなかったので、そのイメージが残っていて、外食で回転寿司に行くことは長年していませんでした。それが昨年秋に「〇〇寿司」に行ってみて、今の回転寿司はかなり違っていると知りました。私が世の中からそうとう遅れていたのですが、タッチパネルで注文して、自分(たち)の注文した料理の皿がベルトで目の前まで運ばれてくるシステムになっていました。家族で行けば、みんなそれぞれ好きな料理を注文して楽しんでくれます。一人で行く場合は、テーブル席でもカウンター席でも、空間的に居心地がよく食べて帰れます。
 ちなみに私は食べる順番にこだわりがあるので(炭水化物が後と決めているので)、注文順は以下の通りです。まず「あおさのみそ汁」、次に「まぐろ大葉はさみ揚げ」、それからようやくシャリものに移行して「かに味噌軍艦」。ここまでは毎回のお約束です。ただし、「まぐろ大葉はさみ揚げ」は常時あるメニューではないので、ない場合は、茶碗蒸しとかにして、それからごはんもの(炭水化物)に移行するようにしています。
 こういう店の戦略にまんまと乗せられているのは癪ですが、よく出来ているものは出来ていると認めざるを得ないというのが今日の話でした。話のネタがなくなったので、代わりに寿司ネタでごまかした気もしないではありませんが、そこはなにとぞご容赦ください。

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 朝の連続テレビ小説『虎に翼』は先週から戦後編に入っています。作品そのものへの感想ではありませんが、ときにちらりと映る傷痍軍人の姿を見ると胸が痛みます。
 私は1958年生まれ。戦後13年も経ってからの生まれですが、それでも町で傷痍軍人を見かけたことはありました。私が物心ついてからのことですから、戦争が終わって17、8年は経っていたことになります。片腕や片足を無くした人がアコーディオンを弾いたり、深々と頭を下げたりしながら、道を通る人びとに施しを願う姿は、子ども心に痛ましい思いがしました。それで父親に「お金をあげて」と頼んだのですが、父の答えは、「いまどき本当の傷痍軍人のはずがない。あんなのはヤクザが喧嘩して、手や足を失った人たちに決まっているんだ」と言って、取り合ってくれませんでした。子ども心に、「ずいぶんひどいことを言う人だ」と、自分の父親を悲しく思ったのをよく覚えています。よく覚えているという以上に、今でも心の傷になって残っているとさえ思います。
 今となってみれば、たしかに戦後20年近くも経ってからの傷痍軍人という存在は、疑わしい面があったのかもしれません。父親の言ったことは本当のことだったのかもしれません。それでも私の心には深い傷が残りました。ドラマの中であっても、傷痍軍人の姿を見ると今でもその記憶がよみがえり、悲しくなります。
 戦争を描くドラマを見てつらい思いをすることについては、実際に戦争を体験した人たちには遠く及ばないと思いますが、戦争体験者でなくても多少のつらい思いはあります。私にもそういう思いがあるということを、ドラマを見て、あらためて思い出してしまいました。


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 YouTubeでたまたま見つめた、茨城弁でゴルフする動画が好きです。
 私は茨城の出身ではありませんが、子どもの頃は宮城県仙台市で育ちました。生まれは東京ですが、父親の転勤で愛知県に引っ越し、さらに小学校5年生のときに仙台市に引っ越しました。それから高校を卒業するまで仙台に住み、いわゆる東北的な方言を聞きながら育ちました。だから、東北的な言葉は、私の幼少期から青年期へ至る時期のなつかしさと一体になっています。今回紹介する動画は、茨城の言葉だそうですが、本来の茨城弁というよりはやや誇張した喋り方のようで、自然な方言ではないのかもしれません。とはいえ、私には十分親しみが感じられ、そして笑えましたので、今回はこの動画を皆さんと共有したいと思います。

【人気企画】同郷の2人と茨城弁でゴルフしたら聞き取れなくて大爆笑ww 金澤志奈♡井上莉花♡入江亜衣 (youtube.com)

【2023年版】爆笑!茨城弁でゴルフしてみたら笑いが止まらないww (youtube.com)

 私は仙台の方言に親しみもなつかしさもありますが、それを同級生に話したところ、「それは宇佐美君が仙台の人じゃないからでしょうね」と言われたことがあります。たしかにネイティブではないからこその「なつかしさ」なのかもしれません。それでも私にとっては特別な「なつかしさ」なのでした。

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 映画『碁盤斬り』を見ました。私は、テレビドラマ研究者で、映画もよく見ますが、映画館に行くことは多くありません。村上春樹原作の『ノルウェイの森』『ドライブ・マイ・カー』や新海誠『君の名は。』など、特別な作品しか映画館に行きません。その特別な作品として、今回は『碁盤斬り』を見てきました。
 設定はこうです。

浪人・柳田格之進は身に覚えのない罪をきせられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われ、娘のお絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らしている。しかし、かねてから嗜む囲碁にもその実直な人柄が表れ、嘘偽りない勝負を心掛けている。
ある日、旧知の藩士により、悲劇の冤罪事件の真相を知らされた格之進とお絹は、復讐を決意する。
お絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び……。
父と娘の、誇りをかけた闘いが始まる!

 まだ全国上映中なので、既に公開されている情報以上のことには、ここではできるだけ触れないようにします。
 基本的には『たそがれ清平衛』(2002)や『武士の一分』(2006)などに連なる、時代劇の系譜にある作品です。主人公は不器用な武士。争いごとは望まずに生きている。しかし、その主人公がやむなく闘いに向かわざるを得なくなる……。そういうところは過去のヒット作に連なります。しかし、そこはバイオレンス映画などに実績のある白石和彌が監督し、囲碁高段者で知られる加藤正人が脚本を書いているので、過去の時代劇とは異なる魅力を見せてくれています。
 一つは主人公像の魅力。詳しくは書けませんが、草彅剛演じる主人公は無骨・不器用でありながら、実はそれだけでは終わりません。そこは実際に見て確かめてほしいところです。もう一つの魅力は囲碁で、俳優陣の囲碁を打つ姿の美しさは見ものです。囲碁のわからない方でもそこは楽しめます。ちなみに、草彅剛はじめとした俳優陣は、プロ棋士の指導を受けて指使いの練習をかなりしたそうです(囲碁のルールは知らないままだったそうですが)。
 現在、時代劇は隆盛とはいえませんが、その中で『たそがれ清平衛』や『武士の一分』が過去にはヒットしました。この『碁盤斬り』が、それに続く時代劇傑作としての評価を得そうです。

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 NHKで放送中の『燕は戻ってこない』を見ました。といっても、全10回放送予定のうち、これまで放送されているのは4回までです。放送されているテレビドラマをすべては見られないので、私は各作品の初回だけ見て、あとはためておくことも多くあります。しかし、この『ツバメは戻ってこない』の初回を見て、つい続きを見てしまい、さらには原作小説も一気に読んでしまいました。
 設定はこうです。収入の少ない派遣社員としてぎりぎりの生活をしているリキ(石橋静河)は、友人から「卵子提供」をして金を稼ごうと誘われます。話を聞くことにすると、「卵子提供」ではなく「代理出産」を持ちかけられます。最初は後ろ向きだったリキですが、生活苦や現在の住環境から抜け出したいために、「代理出産」を考えるようになります。リキは、依頼者である元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻の悠子(内田有紀)に会い、次第に引き受ける方向に話が進んでいく…という話です。タイトルの意味は、燕の母親が雛の待つ巣に戻ってこない、つまり遺伝的な親子が一緒に暮らす親子になるとは限らない、親燕は雛とは別のところで生きていくのかもしれない、ということを含意していると推察します。
 原作も読みました。桐野夏生らしい、きれいごとでは済まない人間の内面を深くえぐっています。特に、どうしても自分の遺伝子を持った子を持ちたいという夫の願望についていけず、「代理出産」依頼をためらう妻の悠子と、気の進まない代理母を引き受けてまで現在の生活を抜け出したいと考えるリキの気持ちが、実に詳細に描かれていきます。テレビドラマを見ていると、自分の遺伝子を受け継ぐ子がほしいという基の願望や、人間を格付けするような発想の基の母親(黒木瞳)らについては、やや一面的にしか描かれていないようにも感じられます。テレビドラマは小説に比べれば十分な描写ができないことは原理的にやむを得ないでしょう。実際に原作小説に描かれている内容のいくつかはテレビドラマをでは省かれています、ただし、それらを差し引いても、かなりよく出来た作品だと感じました。
 私は日頃から、「民放で放送できるようなテレビドラマ作品であれば、NHKが受信料で制作する必要はない」ということを言ってきました。その意味でいえば、この『燕は戻ってこない』は、そのテーマの深刻さと地味さからいって、民放では制作されない内容のテレビドラマでしょう。これはNHKが引き受けるべき作品だと思いました。先に書いたように、原作小説から省かれた部分はたしかにテレビドラマ作品にいくつもありますが、それでも多くの映像化作品に比べて、原作への忠実度はかなり高いといえます。それはNHKだからこそ、「もっと面白いドラマに書き直そう」「エンタメ色を濃くして視聴者に受けるように改変しよう」という方向があまり見られないように感じます。
 見ていて楽しい作品、すっきり気持ちのよい作品ではありませんが、NHKがこの作品を映像化したことには敬意を表したいと思いました。

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 今年度は、私が中央大学に勤めてから35年目の年度となります。そして、35年目になって、初めて国語教育関係の科目を担当しています。そのことには多少の感慨があります。
 これまで機会がありませんでしたが、私が大学で国語教育関係の科目を担当してもおかしくはないと思います。私自身が教育学部(教員養成系学部)の卒業ですし、高校の非常勤講師の経験もあります。また、国語教育関係の論文を5本ほど書いていますし、検定国語教科書(明治書院)の編集委員を10数年務めていました。さらには勤務先の教職課程の責任者(運営委員長)も務めていたので、これまで国語教育科目を担当しなかったのが不思議なくらいかもしれません。特に避けていたわけではなく、中学や高校の教員実務経験のもっと豊富な方に担当していただく方がよいと思って、これまで自分では担当してきませんでした。
 今年度に学部と大学院の両方で国語教育関係の科目を担当することになったのは、科目と担当教員の配置の編成上の都合であり、何か特別な理由があったわけではありません。とはいえ、これまで国語教育に少しは関係してきた人間として、私の大学教員生活最後の数年にこうした巡り合わせになったことには多少の感慨があります。
 私が大学進学する際の話です。自分が高校教員になるというはっきりした将来設計があって、私は教育学部(教員養成系学部)を選びました。しかしながら、実際に教員の実態を見るようになり、子どもの頃から描いた、自分が教員になるという将来像に疑問を持つようになってしまいました。その疑問の詳細はここでは省きますが、教員の仕事に不満があったといったことではありません。むしろ自分は教員にふさわしくない、という思いを強く持つようになりました。18歳から20歳くらいのことです。そして、目標を失ってだらしのない生活をするようになりました。しかし、自分で言うのもなんですが、根は真面目な性格なので、そのうちに、だらしない生活をして怠けているのにも嫌気がさしてきました。それで目の前の勉強に真剣に取り組んでみようと思うようになった、というのが今の道に進んだ経緯でした。
 ですから、私にとって教員の仕事は、私の「原点」であると同時に、一度は背を向けた世界でもあります。大学教員としての最後が近づいた頃になって、そういう科目を担当することになったことには、何か特別な巡り合わせがあるように感じました。「多少の感慨」があると書いたのはそういう理由からです。ただし、そういう個人的な感慨は、履修してくれる学生たちには関係ないことですので、その気持ちは心の中にしまっておき、まずは履修してくれる学生たちのために有益な授業ができるよう、努めたいと思っています。

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 『君が心をくれたから』を見て号泣(この場合は大泣きの意味)した話です。
 『君が心をくれたから』は今年1~3月期放送のテレビドラマですので、それをなんでいまさら、と思われるかもしれません。私はテレビドラマ研究者として、毎回放送されるテレビドラマ作品をできるだけすべて見るようにしていますが、いくら仕事しながらの視聴とはいえ、それでもすべての作品を全回見るのは時間的に不可能です。それで1~2回見てからそのままにしている作品も少なくありません。『君が心をくれたから』もそのうちの一つでした。
 母親に虐待されて育った逢原雨(永野芽郁)は、高校生の頃、自分を励まして勇気を与えてくれた同級生の朝野太陽(山田裕貴)に恋心を持ちます。10年後に再会した後に事故で瀕死の重傷を負った太陽の命を救う奇跡を起こすためには、自分の五感をすべて差し出すことが必要だと(死への案内人から)言われ、それを承諾する…という話です。あまりにつらすぎる話なので、初回だけ見てその後を見られずにいました。しかし、先日の連休でふと見てみようかという気になって第2回を見てみたところ、見事にはまってしまいました。毎回泣かされました。
 私は初回だけ見た時点で、このブログに次のように書いていました。

 ラブストーリーによくある要素が満載です。「初恋」「高校生の頃」「出会い」「雨」「地方都市の風景」……。それだけならあまりにもありふれた作品ということになるのですが、ここに異質な要素が一つだけ加わります。「事故にあった彼の命を救うためには、死神?に自分の心(5つの感覚)をすべて差し出す」というのが、その異質な要素です。私はありふれたラブストーリーも、ファンタジーの加わったラブストーリーも好きですが、これはファンタジーというにはあまりにも残酷な設定です。こわいくらいです。こわいもの見たさで、今後もこわがりながら見てしまいそうです。(2024年1月14日)

 こう書いたものの、残酷すぎて、こわすぎて、実際には見られなかったのです。しかし、気を取り直してあらためて見て、毎回大泣きしました。特に第4回の観覧車の場面は号泣ものでした。そして、全体を通してこの作品が「めったにない特別な作品だ」という印象を強く持ちました。ラブストーリーでありながら、家族のあり方も重視されていて、恋人への思い、家族への思いが、毎回強く描かれていました。
 もっとも強く感じたのは、この作品が現代の視聴者に媚びたり、現代の風潮を安易に取り入れたりはまったくしていない、ということでした。「今は恋愛ドラマが流行らない時代だがら少しパターンを変えてみようか」とか、「今はこういうファッションや食べものが人気だからそれを取り入れてみようか」とか、そういうところがまったくありません。この作品は今流行している現象や人気のあるパターンといったものに、いっさい目もくれていないのです。人の思いをまっすぐに描く、というありふれたことを貫いています。長崎の美しい町や景色がふんだんに映像に取り入れられているものの、この作品の内容はいつの時代のどこの場所でもあっていいのであり、その意味で、人の思いを描くという一点でいささかのブレも感じられません。
 さらに感じたのは、各所に見られる符合の要素です。この場合の符合とは、ドラマを丁寧に見ていると気づく、「ああ、そうだったのか」という思いです。この作品を見ていると、数回前に人物が発した言葉や行動が思い出され、それと重ね合わされる場面がしばしばあります。「月明かりに消えてゆく」といった一言に実は重大な意味が含まれていて、それが何回も後になって物語を大きく左右するのです。一回だけの流れていくような会話、その場限りの意味の薄いコミュニケーションに慣れすぎてしまっている日常の私たちにとって、一度の言葉、一度の行動がこれほど深い意味を持っているのかと、頭を殴られるような思い、そして心が洗われるような思いがしました。
 最終回まで見通して、この作品への印象が一変しました。私の中で、ずっと心にとどめておきたい作品になりました。

(追記)
一つだけ余計なことを書きます。主人公の名前は「逢原雨(あいはらあめ)」。この名前には物語上重要な意味があります。しかし、ドラマの中で彼女が「雨ちゃん」と呼ばれるのを聞くと、大阪のおばちゃんが「飴ちゃん、食べる?」と言う、例のお決まりのフレーズが思い出されてしまいました。せっかくの「泣けるドラマ」なので、何度も頭の中から振り払おうとしたのですが、大阪のおばちゃんの発する「飴ちゃん、食べる?」のイメージが強烈すぎて、物語に浸るのにけっこう苦労しました。


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 私のこのブログでは、朝ドラや大河ドラマを取り上げることが少ないと、読んでいる人から言われることがあります。3か月ごとに各クールのドラマについて感想を書いていくスタイルなので、半年や1年間単位の作品については取り上げにくいという事情があります。3か月10回程度の作品の場合は、最初の1~2回である程度のイメージがつかめるのですが、長期放送作品の場合は、それが難しいという事情もありますので、ご容赦ください。

 ところで現在放送中の『虎に翼』について、あちこちから高評価が伝わってきます。私も面白いと思って、毎回楽しみに見ています。現在から過去の価値観を裁断するような居心地の悪さは感じますが(研究の世界でも、過去の文化や研究を現在の思想から裁断するような論文の書き方には、なんだか嫌な感じがしますが)、それを差し引いても、毎回引きこまれるような面白さがあります。
 その良さはいろいろありますが、今回一つ取り上げるとすれば、「良い意味で裏切られる意外性」という点があります。

 たとえば、主人公の猪爪寅子(伊藤沙莉)が法律家を目指して女子法科への進学を希望するところ。母親の猪爪はる(石田ゆり子)は普通に嫁入りすることを勧めていて、進学にずっと反対していました。しかし、裁判官の桂場(松山ケンイチ)から「女子が法律家を目指すのは時期尚早」と言われて激怒し、「お黙りなさい!」と桂場を怒鳴りつけ、その足で寅子に六法全書を買い与えます。この急激な転換にはあっけにとられ、そして喝采をしたくなりました。
 他にも、女子法科の同級生たちの素顔や実生活にそれぞれの事情や驚きがあります。その後法学部に進学した寅子と共に学ぶ花岡(岩田剛典)や轟(戸塚純貴)たちも、第一印象とは異なる意外な一面を次々に見せてくれました。特に轟は、女子学生への差別的な言動で最初に印象が最悪だったのですが、実は実直な好人物で評価が一変し、ハッシュタブ「#俺たちの轟」付きの感想が飛び交うほどの人気を集めています。
 さらに極めつけは、父親が政財界を巻き込む一大汚職事件(1934年の帝人事件がモデル)で逮捕されるという急展開。主人公女子学生の学びの話で一貫させると思いきや、その学び(法律や裁判に関する学び)と関係させながら、父親を歴史上有名な事件とかかわらせるというおおがかりな展開を見せてくれました。
 朝ドラというと、あれこれ工夫はありながらも「朝ドラ色」といったパターンがあることは、よく知られています。今回は「新しい道を切り開いた女性」という「朝ドラ」のパターンの一つにおさまりながらも、随所に視聴者を飽きさせない「意外」な展開を持ってきています。『虎に翼』の魅力は多々ありますが、この意外性がドラマの大きな推進力になっていると感じました。
 ドラマはまだ1か月すぎたところ。これからの展開に期待していきたいと思っています。

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 4~6月期のテレビドラマ、いわゆる春ドラマの感想を描き続けてきましたが、まだ書けていない作品もあるので、もう1回だけ書き加えます。作品数が多すぎて書き切れないので、パート2などのシリーズ作品については、残念ながら省略させていただきます。

『Believe 君に架ける橋』 (テレビ朝日系、木曜21時)

 「テレビ朝日開局65周年記念作品!」「希望と再生のヒューマンエンタメ大作が2024年春、衝撃開幕!!」と、おおがかりな宣伝文句が並びます。近年の私は、深夜枠で放送される、ゆったり見られる作品に惹かれるところが多く、いわゆる「大作」を見るのに疲れてしまいました。しかしながら、初回を見て、たしかに刑務所に服役してもかっこいいキムタクの姿や、豪華キャストの集結ぶりなど、やはり大作には大作の見るべきものはあると感じます。そこから先はもう趣味の問題かもしれません。

『ブルーモーメント』 (フジテレビ系、水曜22時)

 こちらも「大作感」「おおがかり感」満載です。『お帰りモネ』の気象予報の題材を『コードブルー』仕立てに作り上げた作品、といった印象です。人の命を左右する気象予報の世界の判断の重さを再認識しますし、いろいろと勉強になりました。ただ、『正直不動産』のすっとぼけた山Pの方に親近感を持ってしまうのは私だけでしょうか。

『イップス』 (テレビ東京系、金曜21時)

『Believe』と『ブルーモーメント』が「大作感」満載なら、この『イップス』は「小作感」でいっぱいです。「書けなくなったミステリー作家」(篠原涼子)と「イップスで捜査できなくなった刑事」(バカリズム)のコンビが事件を解決していくという設定。悪くいえばかなり安っぽいのですが、肩肘張らずに見られる安心感はおおいにあります。先に犯罪の手口が示されてから、後で犯人を問い詰めていく展開、そしてどこかコメディタッチの雰囲気など、「古畑任三郎」を小粒にした作品といったところでしょうか。

『ミス・ターゲット』 (テレビ朝日系 日曜22時)

 美貌とテクニックを誇った結婚詐欺師(松本まりか)が、詐欺から足を洗って本気の婚活に取り組む……という設定。元結婚詐欺師でありながら、実は普通の恋愛経験がゼロなのだとか。これは前に書いた「恋愛苦手な人の恋愛ドラマ」という、今のトレンドに合ってはいます。とはいえ、初回の見どころは松本まりかのコスプレかな?という印象でした。特に松本まりかファンではないので、私の印象は今ひとつでしたが、令和の『やまとなでしこ』(2000年放送、松嶋菜々子主演作品)になることを願います。

作品数が多くて、全部の感想を書ききれませんでした。まだ感想を書いていない作品とそのスタッフの皆さん、ごめんなさい。

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 4~6月期のテレビドラマ、いわゆる春ドラマがその後も続々と始まっています。今週に続いて、恒例のテレビドラマ批評(勝手な感想)を書いていきたいと思います。今回はプライムタイムのドラマに加えて、深夜枠作品についても、いくつか書いていきます。

『アンチヒーロー』(TBS系、日曜21時)

 伝統の日曜劇場枠は、現在の民放ドラマではもっとも視聴率もとれ、話題にもなる放送枠といえるでしょう。長谷川博己が、裁判に勝つためには手段を選ばない、一種の悪徳弁護士を演じます。深夜に放送される低予算でほのぼのした作りの作品も好きですが、これだけ力の入った作品を見せられれば、それはさすが、という他ありません。キャラが立つという言い方がありますが、これだけ徹底したアンチヒーロー像が描かれれば、そこにひきつけられるものがやはりあります。私って「頭のいい悪い人」が好きなんだなあ、と再認識しました。
 余談ですが、主演の長谷川博己は中央大学文学部の卒業。インタビューで「僕が卒業した大学は法学部が有名な大学で…」って。「中央大学」ってはっきり実名で言ってくれよ!

『アンメット ある脳外科医の日記』(フジテレビ系、月曜22時)

 交通事故で脳に障害を負い、翌日には前日の記憶がなくなってしまうようになった外科医・河内ミヤビ(杉咲花)が主人公。初回を見て、毎日ある訓練をしていけば、記憶がなくなっても技術は向上していく、といった部分が特に印象的でした。つまり、記憶がなくなっても毎日元に戻ってしまうのではなく、日々努力したことは確実にその人の中に残っていく、という初回のテーマは感動的でした。とはいえ、これは娯楽に重点を置くテレビドラマの世界では、とっつきやすいテーマとはいえません。いいことを語ってくれている作品ではありますが、多くの視聴者に受け入れてもらえるのかについては、やや心配になりました。

『9ボーダー』(TBS系、金曜22時)

 39歳(木南晴夏)と29歳(川口春奈)と19歳(畑芽育)の3姉妹。「3姉妹がモヤり、焦りながら、自分の生きる道を模索 金曜日がハッピーになる ヒューマンラブストーリー!」だそうです。
 過去に女性の生き方を模索した群像ドラマが多くありました。鎌田敏夫の『29歳のクリスマス』(1994)、岡田惠和の『彼女たちの時代』(1999)など、名作がたくさんありました。それぞれに時代をとらえているところが見事でした。昨年深夜枠で放送されていた『かしましめし』も思い出します。初回を見る限り「ハッピー」な感じはあまりしないのですが、ここから少しずつハッピーになれるよう模索していくところこそ、この作品の肝心なところなのかもしれません。

『お迎え渋谷くん』(フジテレビ系系、火曜23時)

 彼氏いない歴の長い28歳の真面目な保育士(田辺桃子)と、恋愛経験のない24歳の若手イケメン俳優(京本大我)のうぶキュン物語。恋愛ドラマの歴史を考察してきた立場からいえば、「恋愛苦手な人たちの不器用な恋愛」というのは、現代のトレンドではあります。こんな若手イケメン俳優がいるはずないだろ!といったツッコミはさておき、その不器用さがほほえましく見られます。田辺桃子も京本大我もコメディが似合うとは思えませんが、いかにものコメディアン、コメディエンヌ俳優ではないことのギャップ感は、わるくないとも感じました。私はこの作品からは脱落しないで、最後まで見通せそうです。

『季節のない街』(テレビ東京系、金曜深夜)

 以前と異なり、有料テレビで放送された作品が後から地上波で放送されるようになる、というパターンが出てきました。この作品もそうです。企画・監督・脚本は宮藤官九郎。そして、この作品に豪華キャストが結集しています。通常の深夜ドラマでは不可能な組み合わせでしょう。
 山本周五郎の同名原作小説、黒澤明監督の映画『どですかでん』を引き継ぎながら、12年前の災害「ナニ」の後の仮設住宅の人びとという、独自の世界を描き上げています。「重い(重すぎる)内容をまるで軽い話のように描いていく」のが宮藤官九郎の真骨頂で、それは『あまちゃん』はじめどの作品においても変わりませんでした。この作品でも同様の要素はありますが、ときに(特に第2回は)あまりに重い内容も見られました。クドカンが自分の描き方を貫きつつも、通常の民放ドラマでは扱いにくい世界を、ここでは描こうとする熱意のようなものを感じました。

『約束 ~16年目の真実~』(日本テレビ系、木曜24時)

 16年前に父親が連続殺人犯として逮捕された少女が、その後女性警察官(中村アン)になる、という設定。16年前の時間の舞台となった町にもどってきた女性警察官が、次第に過去の謎に向き合っていく…とう物語のようです。「予測不能×完全オリジナルの”心理サスペンス”」だそうです。笑わない中村アンはわりと好きなのですが、設定としてはかなりありがちな話です。しかも、主人公の叔父の岡部たかしがいかにも犯人っぽい。そう思わせておいて実は違う……、だと思いますが、もし本当に犯人だったら私怒りますよ!

『君が獣になる前に』(テレビ東京系、金曜深夜)

 地下鉄サリン事件をこんなふうに扱うこと、血が流れたり飛び散ったりする映像が多いこと、私はいずれも生理的に受けつけません。ごめんなさい。脱落します。

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