フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 メジャーリーグ大谷翔平選手の専属通訳として有名かつ人気だった水原一平氏が、違法スポーツ賭博にかかわっていたという疑惑が報じられました。これについてはまだ詳細が明らかになっていないので、現時点でことの良し悪しを判断するのは厳に慎むべきと思います。
 そんな中で興味深かったことは、水原元通訳の負債を大谷選手が補填していたとしたら、その行為をどう評価するかの文化差でした。「水原元通訳の負債を大谷選手が補填していたとしたら」というのがそもそも仮定の話ですから、それへの私のコメントは保留しますが、もしそうだった場合、「日本では美談だが米国では愚かな行為として評価される」という報道があったことです。つまり、日本では、自分にとって大切な人物を救うために自分の資産を無償で提供する行為として肯定的に評価されるものの、米国では、違法な賭博業者に資金を流す(儲けさせる)といういけない行為だというのです。
 たしかに日本では「犠牲的行為」を賞賛する傾向が強いように思います。そこからいくつかの連想が働きますが、たとえばスポーツの世界では、日本人選手は「他選手のサポートの役割」を進んで引き受けようとする傾向があります。サッカーの分野でいえば、「オレがオレが」の自己主張の強い選手が世界的には多い中で、日本選手が目立ちにくい地味な役割を果たすことが多くあります。かつて日本代表監督を務めたイビチャ・オシムはそれを「チームの中で水を運ぶ選手」と呼んで、たとえば鈴木啓太選手らを尊重し、優先的に起用しました。ただし、欧州移籍をした日本選手の自己主張が足りないために、チームの中で存在感が持てないという場合も少なくありません。ですから、「犠牲的行為」の良し悪しは時と場合によります。
 さらに昔の話ですが、今ではバレーボールの世界で当たり前になっている時間差攻撃というのは、日本で考えられた攻撃方法でした。一人の選手がクイックのタイミングでジャンプし、それをおとりとしてもう一人の選手が後からアタックを決めるという攻撃です。これはかつて松平康隆日本代表監督が考案した攻撃方法ですが、他の選手のおとりになる犠牲的役割の選手がいて、初めて成り立つ攻撃方法でした。こうした攻撃方法は日本的な発想から生まれて、やがて世界に広がっていきました。
 ですので、「日本的美談」「犠牲的精神」はよい方向に作用することもありますが、一方で世界的に通用しないこともあります。今回のことはまだ事実関係が明らかになっていませんが、「世界的に通用しない愚かな日本的行為」だった、という残念な結末にならないことを願っています。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく日曜)の更新を心がけています。

(3月26日07時57分追記)
大谷翔平選手が会見をおこない、水原元通訳の最初の発言を前面否定しました。つまり、「水原元通訳の負債を大谷選手が補填していた」という話は水原元通訳の嘘だったと、大谷選手は話しました。大谷選手は水原元通訳の返済にまったく同意も関与もしていない、水原元通訳の窃盗と詐欺だったとのことです。もし大谷選手の話が事実とすれば、このブログに書いた話は事実に基づかない仮定の話で、成り立たないことのようです。「仮定の話」と書いてはおいたものの、なんだかかっこわるいブログになってしまいました。





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