フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 




 先週は「高所恐怖症」について書きました。セントポール大聖堂の体験から、突然高いところが恐くなったわけではありませんが、その頃から恐い気持ちが強くなったような気もします。

 「高いところ」と書きましたが、正確に言えば「高さ」が恐いのではなく、下が見えて落ちそうになってしまうことが、恐いのです。イギリスの話が多くて恐縮ですが、たとえば、2006年にロンドンのある劇場でミュージカルを見たときのこと。通常は1階席(Stalls)か、せめて2階席(Dress Circle)で演劇を見るのですが、そのときはあいにく満席に近くて、3階席(Upper Dress Circle)のチケットしか買えませんでした。下の写真は日本の劇場の写真ですが、1階、2階、3階というのは、このような感じです。

     

 そうしたら、ミュージカルが始まる前になんだか「不快」なのです。しかし、自分でもなぜ「不快」なのかわかりません。楽しみにしていた観劇のはずなのに、ただ、なんだか「いやだなあ」と思っていたら、突然気づきました。「ああ、この席に座っているのが恐いんだ!」と気づいたのです。
 写真でわかるように、すべての席から舞台が見られるように、座席には傾斜がついています。1階、2階、3階と高くなるほど、その傾斜は急になります。高さそのものはそれほどでもありませんが、3階席の傾斜によって、前に転げ落ちそうで、恐くてたまらなかったのです。

 これと似たようなことは、スポーツ観戦でもありました。日本のスタジアムには、それほど傾斜がきついところはないのですが、私が恐かったのはイギリス、マンチェスター・ユナイテッドの本拠地 Old Trafford stadium です。多くのサッカー競技場、特に日本の競技場の観客席は一層式または二層式で、観客席に座れば、他の観客席もすべて見渡せます。しかし、Old Traford などの競技場は6階建て、7階建てになっていて、上の写真の劇場のような客席が6層、7層に重なっていることがあります。となると、当然、上に行くほど、傾斜が急になります。

  
  マンチェスターにある Old Trafford stadium の外観

 ご存知のように、マンチェスター・ユナイテッドは、世界でも人気リーグであるイングランド・プレミアリーグの、その中でもビッグ4と言われる人気チームの1つです。私が観戦しようと思ったときもチケットはほとんどなく、事前にネット販売で、上の方(ピッチから遠くの方)の席を確保するのがやっとでした。
 というわけで、行ってみたところ、階段を登る、登る。とにかく階段を登って席につくと、見え方は下の写真のような感じ。日本の競技場のような空まで見える見え方ではなく、下の座席と上の階の屋根で区切られた隙間からピッチを見るような感じ。これも、日本の競技場よりは芝居を見る劇場に近い印象です。

  
   Old Trafford stadium 上の方の席からの眺め


 そして、劇場の場合と同様に、このときも「高所恐怖症」が出ました。7階(?)席の座席の傾斜がきつく、サッカーを見ていても、なんだか下にころげ落ちそうで恐くなりました。気温は低いのに手に汗をかきそうなくらい、座席の端をしっかりと握って、試合を観戦したことを憶えています。

 その一方なのですが、高いから恐いというわけではなく、平気なものもあります。そのひとつが飛行機で、飛行機に乗ることはあまり恐くありません。通常の大型機だけではなく、下の写真のような小型飛行機にも乗ったことがありますが、それも別に気になりませんでした。
 飛行機が恐かったら、海外はもちろん、国内の出張や旅行などにも支障が出てしまいます。それがないということで、「高所恐怖症」と言っても、特に日ごろの実害はありません。今回、教え子の結婚式に出られなかったのは少し残念ですが、新郎、新婦、ご家族ともに幸せそうな披露宴に出られたので、私の方はそれで十分でした。
 私のこの「高所恐怖症」とは、これからもぼちぼちとつきあっていきたいと思っています。


  


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





(ロンドンにあるセントポール大聖堂)

 テレビドラマに関する感想が続いたので、今回は別の話をします。
 今週、中央大学大学院の修了生の結婚披露宴に出席してきました。とてもいい披露宴でした。
 それはいいのですが、場所が横浜のマリンタワーでした。結婚式がタワーの展望台、披露宴は下の会場でした。しかし、私は高所恐怖症なので、結婚式は失礼して、披露宴から出席しました。

 私は高所恐怖症なので、高いところに上ることはしないようにしています。パリのエッフェル塔にも、ニューヨークのエンパイア・ステートビルにも行っていますが、建物の下までしか行っていません。フィレンツェの鐘楼などはそれよりだいぶ低いのですが、その程度の高さですら上には行っていません。

 中央大学文学部の臨床心理士さんに聞いたら、生まれつき高いところが恐い体質があるわけではなく、恐怖は学習するものだそうです。たしかに私自身も、子どもの頃から高いところが恐かったわけではないように記憶しています。しかし、いつから高所恐怖症になったかというと、はっきりしたきっかけは思い出せません。
 しいて考えてみると、「あれかな?」と思いあたることがないわけではありません。それは今から21年前、1995年にセントポール大聖堂(ロンドン)でした体験です。

 その頃の私は、高いところがそれほど好きではないものの、今ほどの高所恐怖症ではなかったような気がします。
 セントポール大聖堂は写真のように屋根のドームが印象的で、その内側に階段が作られています。その階段を上っていくと、ドームの頂上部に出られるような設計になっています。その当時の私は、「頂上部に出たら、ちょっとだけ外を覗いて、またすぐ降りてくればいいや」と簡単に考えて、ドーム内側の階段を上っていきました。それがそもそもの失敗の原因でした。
 階段は2種類あって、1つは上り専用、1つは下り専用の一方通行なのです。つまり、上っていった階段をまた下ることはできません。そして、上り専用階段を終えて、下り専用階段に移動するためには、ドーム頂上部で外に出て、そこを半周歩いて回らないといけないのです。下の写真の「ココ」と書いた部分です。
 そのことを知って私は愕然としました。ドームの内側を歩く分には外が見えませんから、特に恐くありません。しかし、頂上部に達すると外が見え、自分がきわめて高いところにいることを思い知らされます。しかも、通路の幅はわずか。手すりは腰までくらいしかありません。そこを半周歩かなければいけないというのは、私にはもう「拷問」でした。処刑されている犯罪者になった気分でした。





 書いていたら、そのときの恐怖がよみがえってきました。今晩、夢でうなされそうです。
 あのときの体験があったために、私の高所恐怖症がひどくなったのかもしれません。それ以降、高いところに上がるのが恐くなりました。
 この話はまだ先がありますが、書いている余裕がないので、今回はここまでとさせてください。


※このブログはできるだけ週1回の更新(なるべく土日)を心がけています。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 テレビドラマへの感想を書く恒例の回の3回目です。

 前回書いたように、10数年ぶりにインフルエンザにかかりました。人にうつさないように出校停止となっていましたので特に大きな出来事はなく(なんだか停学処分をくらった学生のような気分です)、恒例のテレビドラマ批評をすることにしましょう。
 これまで2回既に書きましたが、まだ感想を書いていなかった作品について書いていきたいと思います。

『フラジャイル』 (水曜22時、フジテレビ) 9.6%→10.0%→10.0%→9.7%→9.5%

 原作は草水敏(作)恵三朗(絵)によるマンガ作品。
 主人公の岸京一郎(長瀬智也)は病理医。臨床医から病理医に転向する若手医師の宮崎 智尋(武井咲)の目から見た病理医の世界が描かれていきます。
 推理もの・警察ものほどではないにしても、病院ものはこれまでにも数多く制作されてきました。これはもう国を問わず、テレビドラマのヒットジャンルの一つ
です。ところが、そのほとんどは、臨床医を主人公にしています。当然でしょう。病院を舞台にするのは、そこにかかわる生と死のドラマを描くためであり、そのためには患者の生死とより密接にかかわる臨床医であることが求められます。
 しかし、この『フラジャイル』の特徴はあえてその臨床医ではなく病理医たちを中心人物にしていること。そして、脚本は橋部敦子です。
 橋部敦子と言えば、『僕の生きる道』シリーズをはじめ、『僕のいた時間』『遅咲きのヒマワリ』などのいわゆるヒューマン・ドラマを数多く手がけた名脚本家です。しかし、そういう作風だけに、、どちらかと言えば、続きもの(ストーリーが1話ごとに完結せず、続いていく作品)を多く書いているイメージがあります。それが病院もの、1話完結もの、というのが私には少し意外でした。
 ところが、見ているとやはり橋部の特徴はよく出ています。1話完結の病院もの、というと、もうある程度確立したジャンルで、見る前からわかってしまうところがありました。しかし、病理医だからこそ、患者と直接顔を合わせる臨床医ではないからこそ、純粋に病を見つめ、その原因を徹底して追究する姿が描かれます。その点で、数多くある病院ものの中で、他作品とは異なる個性を持っている作品になっていると言ってよいでしょう。


『家族ノカタチ』
(日曜21時、TBS系) 9.3
%→10.0%→10.3%→9.9%→8.6%

 若者の晩婚化、草食化、直接的に言えば、結婚しない化の傾向は顕著です。これは、古い世代の私にには理解できません。
 先日も中央大学文学部の「Bun Cafe」というところで昔話をしたのですが、私が高校生のころの宮城県は、県内ほぼすべての高校が男女別学。公立・私立を問わずにすべて(新設高1校を除いて)別学でした。そこで起こっていたことは、宮城県内高校生たちの野獣化! とにかくその頃の男子高校生たちは女子校生とつきあいたくてたまらなかった。同時に県内の女子高生たちは男子高生とつきあいたくてたまらなかった。その頃「合コン」という言葉はありませんでしたが、県内あちこちで、それに類する「合ハイ」だの、交歓会だのが頻発していたのでした。もう「恋の無法地帯」状態です。
 それとは隔世の感。今の若者は、なんで恋愛しないでいられるんでしょうかねえ。それがよくわかるのがこの作品。主人公・永里大介(香取慎吾)39歳は、こだわりのある自分の生活が大切で、結婚する気持ちはまったくない。そういう人物として描かれています。
 ただ、この手の作品は過去にも『結婚できない男』(尾崎将也脚本・阿部寛主演)などがありました。その『結婚できない男』でも、主人公・桑野信介はこだわりの強い、他者と折り合いのつけにくい人物でした。ところが、その主人公も最終回では結局は女性を部屋に招き入れ、男女の関係になることが示唆されて終わりました。さて、今回『家族ノカタチ』の主人公・長里大介
は、結末においてどうなるのでしょうか?
 


『スミカスミレ』 (金曜23時、テレビ朝日系) 7.8%→4.6%

 高橋みつばの原作マンガの映像化。生涯独身で、人生を楽しんでこなかった65歳の如月澄(松坂慶子)が、ある日20歳に若返り、如月すみれ(桐谷美玲)として人生をやり直す話です。
 近年、タイプスリップものや、体が入れ替わる話なども多く、今の時台設定のまま過去の自分になってしまうというのも、それらの一つのヴァリエーションと言えるでしょう。テレビ作品としての見どころは、20歳の外見のすみれ(桐谷美玲)が内面65歳の人物を演じるところ。外見と内面のギャップを見ていて笑えるかどうかが、重要なポイントです。
 ただ、私が見るところ、桐谷美玲は内面65歳を演じていても、つまりどんなにダサい服装をしていても、昔っぽいことを喋っていても、やはり若くて可愛らしく見えます。つまり、桐谷の若々しい魅力が、この作品ではかえってマイナスになっているように感じるところがあります。同じ時間枠では、『民王』という作品において、総理大臣役の遠藤憲一がおバカ息子と体が入れ替わってしまうという設定がありました。こちらは外見が強面の遠藤憲一が、内面がおバカな大学生という演技にかなり笑わせられました。それに比べると、65歳の内面の桐谷美玲で笑いをとるのは、やや難しいように感じました。桐谷美玲にはやはり年齢相応の役をやってほしい気がします。
(私が考える桐谷美玲の一番の当たり役は、映画『ツナグ』の日向キラリ役だったような…)


『ミセン』 (金曜10時、BS-JAPAN) 

 この欄では原則として日本のテレビドラマについて書いていますが、今回は特別に韓国のテレビドラマを取り上げます。
 日本のテレビドラマの特徴はこうだ、韓国のテレビドラマの特徴はこうだ、などと簡単に言うことはできません。しかし、私はテレビドラマ研究者として、その簡単に言えないことをあえて簡明にまとめて話をしたり、文章に書いたりしてきました。ところが、そのような意味では、多くの韓国テレビドラマの特徴にあてはまらない典型例がこの『ミセン』なのです。
 『ミセン』の主人公チャン・グレ(イム・シワン)は26歳の男性。囲碁棋士を目指して子どもの頃から修業を続けますが、結局はプロ棋士になることができず、その年齢になった初めて会社勤め(インターン)をします。社会経験の少ない、元プロ棋士の卵が会社ではじめからうまくいくはずもなく、そこで実社会の苦労をしていきます。
 と書くと、きわめて現実的な話であることがわかります。韓国テレビドラマによく出てくる、出生の秘密も、交通事故・記憶喪失・不治の病も、そして、大金持ちと貧しいものの貧富の差や身分違いの恋愛の苦悩も出てきません。しかも、そんな地味で現実的な作品が、韓国で大きな支持を視聴者から得たことが重要なのです。
 そのような韓国テレビドラマらしくない韓国テレビドラマの話題作が、日本で初放送。これは見逃すわけにはいきません。 



『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』 (月曜21時、フジテレビ系) 11.6%→9.6%→10.0%→8.9%

 またかと思われそうですが、今回もまたこの作品について書きます。3回目です。この作品については、あとからあとから書きたいことが出てきます。
 作品は5回放送され、そこで2011年3月まで話が進みました。重要な舞台の一つに福島県が選ばれていますし、当然ここで東日本大震災となると私は予想していました。ところが、第5回放送分の最後の予告を見ると、第6回では2016年現在まで話が飛ぶらしい。しかも、主人公の曽田練(高良健吾)がすっかり変わってしまうようです。脚本の坂元裕二に見事にしてやられました。私の予想は大きく外されましたか。
 ちなみに、私にも俳優さんの好き嫌いはありますが、練を演じる高良健吾は、私の好きな男優です。特に、演じる役によってまったく違う人に見えるところを評価しています。『おひさま』の丸山和成やこの『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の練は、とにかくまじめで誠実な人物。一方で、映画『蛇とピアス』のスネークタン男・アマは、凶気を抱えた若者でした。『花燃ゆ』の高杉晋作は、内面に不真面目さ、ニヒルさと、同時に熱い気持ちを共有する複雑な人物でした。このように、どんな役も自分のものにしてしまう高良健吾を使って、一つの作品の中で人物像豹変させるとは。これは脚本家に見事にやられたという感じです。
 一方で、このところの坂元裕二脚本を見ていて、一つだけ不満に思うところがあります。それは方言の使い方です。
 坂元裕二脚本においては、地方出身者(それも東北地方出身者が)、ふだんは標準語を話しているものの、気持ちがたかぶり、熱く本音を語るときになるとつい郷里の東北訛りが丸出しになるという場面がよく出てきます。たとえば、『最高の離婚』の上原灯里(真木よう子)やこの『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の市村小夏(森川葵)がそうです。しかし、そういうことってあるのでしょうか。少なくとも私にはリアリティがあるとは思えません。
 私は東京出身ですが、東北地方で育ったので、その頃は東北方言で話していました。友人もたくさんいます。大人になってもつきあいのある人もたくさんいますが、興奮すると東北方言に戻る人は見たことがありません。東北人が東北方言に戻るのは、興奮したときではなく、同じ東北人同士で安心して気をゆるした場合に限られます。
 これは推測にすぎませんが、脚本家の坂元裕二は大阪の出身。大阪人にはもしかすると、興奮して大阪弁に戻るということがあるのかもしれません。しかし、東北人が東北人以外の人に向かって、興奮したから突然東北方言に戻るというのは、私は一度も見たことがありませんし、リアリティを感じられません。この点だけは不満です。
 とはいえ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』は今クールの中で私がもっとも気に入っている作品。これからの展開を注意深く見ていこうと思っています。



※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。 



コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




 テレビドラマへの感想を書く恒例の回の2回目です。

 と、その前に余談ですが、インフルエンザにかかりました。毎年軽い風邪くらいはひきますが、そんなにひどいことになったことはないので楽観していたところ、みごとにやられてしまいました。出校停止となり、タミフルを飲んでしばらく休養することになりました。迷惑かけた同僚の皆さま、ごめんなさい。

 テレビドラマに話を戻します。もう何年も前からですが、テレビドラマの世界では1話完結の推理もの、警察ものが大流行。今クールは特にそういう作品がそろいました。今回はそれらの作品についての感想を書きます。

『スペシャリスト』 (木曜21時、テレビ朝日) 17.1%→12.5%→14.1%→11.8%

 これまで単発ドラマとして放送されていた設定を、今度は連続ドラマにした作品。その逆の方が多いのですが、単発放送が好評だったための連続ドラマ化でしょう。実際に、単発ドラマファンの期待もあって、初回17.1%という高視聴率で発進しました。その後、視聴率の上下はあるものの、たくさんある推理もの、警察ものの中で人気を集めているようです。
 この作品の特徴は、刑事・宅間善人(草なぎ剛)が冤罪のために10年以上刑務所にいたということです。その間に多くの犯罪者に接した宅間は、犯罪者の心理が手にとるようにわかってしまうというのです。決めセリフは「わかるん
ですよ、俺。だって、10年間入ってましたから」。たしかにこれは痛快です。テンポも速く、脚本も綿密に練られています。
 とはいえ、「わかるんですよ」で全部が済むなら、それは超能力と変わりません。さすがに犯罪者と多く接しているからこそ、犯罪をおかす人の気持ちがわかるんだなあ…。そう思える話になっていることが重要です。これからも視聴者にそう思わせられるかどうか、その点が鍵になるように思います。
 

『ヒガンバナ』
(水曜22時、日本テレビ系) 11.2
%→10.6%→11.2%→10.4%

 この作品も、単発ドラマから連続ドラマ化されました。特色は、女性犯罪被害者対策を目的とした女性刑事の集まる部署を描いていること。その部署は通称「ヒガンバナ」と呼ばれます。その中にいる女性刑事・来宮渚(堀北真希)は、事件関係者と「シンクロ(同調)」するという特殊な能力を持っています。決めセリフは「シンクロしました、私」。
 こう書くと『スペシャリスト』と共通する部分も多いようです。主人公がともに毒舌なのも似ています。違うのは主役を演じるのが堀北真希であるということ。堀北真希といえば、『梅ちゃん先生』などの当たり役がありますが、どちらかといえば「お嬢さん的」「感じのいい」「内気な」人物を演じることが多く、視聴者にもそういうイメージが定着しているように感じます。
 それが今回の役はかなりの毒舌。おお、ホマキもこういう役をやるんだ! という驚きがありました。私はまだ見慣れない感じの方が強いのですが、結婚後の第1作目でもありますし、堀北真希の女優としての幅を広げる契機になることを願っています。


『臨床犯罪学者火村英生の推理』 (日曜22時半、日本テレビ系) 11.1%→9.9%→9.5%→9.7%

 有栖川有栖の原作の映像化。特徴は、主要な人物が警官や刑事ではなく、学者と作家だということ。しかも、その学者は「その犯罪は美しいか」と問う、一種の犯罪オタクでかなり危ない人間だということです。
 配役としては、斎藤工と窪田正孝がバディを組むところに特徴があります。近頃すっかりセクシー路線の「男・壇蜜」となった斎藤工が臨床犯罪学者を、『Nのために』の成瀬慎司や『デスノート』の夜神月(ライト)など、重たい役が多かった窪田正孝がちょっと間の抜けた推理小説作家を、それぞれ演じています。
 他の推理もの、警察ものに比べて目立つのはコメディ要素が強いこと。『昼顔』などでやさしいナイーブな男性を演じた斎藤工ですが、ここでの変人ぶりはなかなかのものです。芸達者な窪田との掛け合いも面白くできています。ただ、私としては、窪田の関西弁には不自然さが残り、窪田の起用なら関西弁の設定は変更してもよかったと感じました。


『怪盗山猫』 (土曜21時、日本テレビ系) 14.3%→13.6%→11.1%→10.0%

 推理もの、警察ものとは少し違いますが、事件を起こす側が主人公のこの作品も加えておきます。原作は神永学の『怪盗探偵山猫』。既に言われていることでしょうけど、一種の『ルパン三世』です。
 主人公は軽薄な(ちゃらい)男。しかし、彼は義賊であり、ただ盗むのではなく、それによって大きな悪を暴きだします。土曜日21時は小中学生と母親が一緒に見ることのできるほぼ唯一の時間枠。その意味では、視聴層に合った作品で、そこそこ面白くできていると思います。
 配役の点。亀梨和也はちゃらい男が似合っていてよいと思います。謎の女に大塚寧々、雑誌記者に成宮寛貴も適役でしょう。天才ハッカー役に広瀬すずには、見ていて疑問がありました。それなら広瀬すずである必要はない気がするので、せっかく広瀬を起用しているのに、この役はもったいないと思いました。ところが、似合っていない役を演じながら結局そのように見せてしまう広瀬すずの演技力が、今ネット上で評判になっています。アイドル的な女優から演技派の女優へ。この作品がその契機になるかもしれません。



「ナオミとカナコ」 (木曜22時、フジテレビ系) 7.9%→7.7%→8.7%→7.6%

 これも他の推理もの、警察ものとは異なりますが、今回に入れておきます。多くの推理もの、警察ものは、犯罪が終わった後にその事件の真相を明らかにします。この作品は、犯罪がおこなわれるまでの犯罪をおかす人間の気持ちを詳しく描き出します。
 夫(佐藤隆太)の激しいDVに苦しむ服部加奈子(内田有紀)はそのことを大学時代の親友・小田直美(広末涼子)に知られます。そして、どうやってもそのDVから逃れられないのなら、夫を殺そうと二人で計画します。
 繰り返しますが、この作品は犯罪がおこなわれるまでの、犯罪をおかす人間を詳しく描いています。今はやっている一話完結の推理もの、警察ものでは、謎解きに重点を置きすぎていて、犯罪をおかす人間の気持ちが、ともするとおろそかになってしまうことがあります。簡単に言えば、「そんなことくらいでそんなことしないだろ~」という疑問を感じることが多いということです。この作品でも、常識的に言えば、どうしても夫を殺さなければならないのかという疑問はありますが、ここまで詳しく犯罪をおかすまでを描かれると、たしかにこれまでの推理もの、警察ものに欠けていたものを補っている作品だ、という印象は持ちました。

作品の内容そのものではありませんが、高畑淳子演じる中国人は「私、〇〇するあるよ」といった喋り方をよくします。日本では古くから、中国人がそういう日本語の喋り方をするというイメージがありますが、これは思い込みに過ぎないということが、既にかなり以前から明らかになっています(私の教え子の中国人留学生でそういう喋り方をする人は一人もいません)。いまだに「~あるよ」文体で脚本を書くというのは、いくらなんでも時代遅れではないでしょうか。



今回も書けなかった作品についてはまた後日書きたいと思います。
それからもう一つ、前回も書いたこの作品について、追加のコメントをします。

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』 (月曜21時、フジテレビ系) 11.6%→9.6%→10.0%→8.9%

 今は流行らないと言われる王道のラブ・ストーリーですが、私は大好きです。
 とはいえ、第4回で曽田練(高良健吾)が杉原音(有村架純)に、「杉原さんを好きだけどあきらめる」という告白をする場面には驚きました。良いか悪いかでいえば、こういう行動は良くありません。日向木穂子(高畑充希)を見捨てられないから、自分の音への「好き」という気持ちをあきらめるという告白。それは誰にでもいい顔をするという不誠実さと紙一重の行為ですし、ここで練に不誠実な印象を持った視聴者も少なくなかったと推測します。
 ただ、私はこの作品を好意的に見ているので、この場面も悪くは解釈していません。これは練の弱さなのだと理解しています。つまり、良いか悪いかでいえば、その行為は良くないこととわかっている。しかし、それでも音に対して冷たくしきれなくて、自分の本心を言ってしまう。そういうきわめて人間くさい場面だと考えています。
 練は、人から「練君の周りには寂しい人が集まってくる」と言われるような、誰にでも限りないやさしさを発揮します。しかしその「やさしさ」は本当の「強さ」に裏付けされたものではなく、「弱さ」と同居している危うい「やさしさ」なのだとこの場面で感じました。
 これから3人がどうなっていくのか。そして、坂元裕二の脚本がどのように描いていくのか。今後の放送から目が離せません。

 余談を一つ。
 有村架純と高畑充希。二人ともとてもよい女優さんなのですが、顔があまりにも同系統です。同じ作品の重要な役を演じる女優さん二人がこれほど似ているのは珍しいのでは。これが韓国ドラマだったら、実は二人は姉妹だった!なんてことになるのかもしれませんが(笑)。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。 



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




            (真田幸村ゆかりの上田城)


 テレビドラマへの感想を書く恒例の回です。
 とはいうものの、あいかわらずの校務多忙で書くのが遅れ、1~3月期のテレビドラマ作品ももう中盤に近くなってしまいました。また、すべて一度に書けないので、「その1」として感想を書いておきます。かなり何年も前から推理もの・警察ものが多くなっていますので、そのジャンルの作品は後日にして、今日はそれ以外の作品について書きたいと思います。

『真田丸』 (日曜20時、NHK) 19.1%→20.1%→18.3%→17.8%

 1~3月期の作品ではありませんが、まずは今年最大の注目作品である大河ドラマから。
 開始まだ2回目の時点ですでに週刊誌からの取材もあり(『週刊現代』1月25日発売号)、注目もされ、評判もよいことがわかります。
 一言でいえば実に面白いです。開始そうそうの内容は、真田家の主君の武田家が織田信長に屈して滅ぼされ、真田家も存亡の危機を迎えるというもの。もう生きるか死ぬかの瀬戸際の状況です。それなのに、各所にコントのような笑いをちりばめた脚本は、三谷幸喜ならではです。しかも、歴史の細部にはかなりのこだわりが見られます。
 大河ドラマと三谷幸喜ということでいえば、2004年の『新選組』がありました。見どころはさまざまありましたが、主人公の近藤勇というのはいわば馬鹿真面目な人間。三谷幸喜の持ち味との相性はあまりよくなくて、脚本家の特徴が出しにくかったように感じました。その点で、今回は三谷幸喜らしさが実によく出ています。
 これまでの大河ドラマとは雰囲気がかなり違うので、戸惑う大河ファンもいると思いいますが、ここに書いたような意味で、おおいに期待できる滑り出しになっています。
 

『この恋を思い出してきっと泣いてしまう』
(月曜21時、フジテレビ系) 11.6
%→9.6%→10.0%

 今は流行らないと言われる王道のラブ・ストーリー。いいじゃないですか。私は古い世代の人間のせいか、こういうのは大好きです。
 事件や出来事を見せるのもテレビドラマを含めたフィクションの役割です。しかし、特にテレビドラマの場合、そこに描かれる人物に好感を持てるかどうか、という基準で考えることも可能です。それによって、毎週毎週その時間にその人物に会おうという気持ちになれるからです。
 この作品に出てくる人物は、今の時代においてはやや非現実的かもしれません。あまりにも人のよい青年、絵に描いたような不幸な若い女性、屈折した思いを抱える女性…。その人たちの気持ちが交錯し、揺れ動きます。できすぎていると言えば、できすぎています。しかし、だからこそ、そこに感情移入したり、人物を応援したくなります。
 脚本は、今もっとも活躍していると言ってよい坂元裕二の担当。近年も、『Mother』『Woman』のようなシリアスなドラマから、『最高の離婚』のようなラブコメまで、多彩な作品を書いています。この人の脚本で作られたドラマは細部まで見過ごせません。
 たとえば、初回のファミレスで曽田練(高良健吾)と杉原
音(有村架純)が食事する場面。少ないセリフのひとつひとつに深い意味がこめられています。また、セリフがない場面にも、人物の感情があらわれるように構成されています。つまり、セリフがあってもなくても視聴者をひきつける、そういう力が脚本にはあります。
 もっと軽く見られて痛快な作品の方が視聴率的には有利ですが、この作品はもっとじっくり見たくなる作品に仕上がっています。

※余談ですが、第2回以降のロケ地には私のよく知っている地域が多く、「あ、ここだ!」と楽しみながら見せてもらっています。

『私を離さないで』 (金曜22時、TBS系) 6.2%→6.2%→7.7%
 イギリスで活躍する日系人作家・カズオイシグロの原作小説を、綾瀬はるからのキャストで映像化。となれば、おおいに興味はひかれると思うのですが、視聴率は初回からふるいません。
 しかし、最初は視聴率が高くても徐々に下げていく作品も多いなかで、初回から視聴率を下げたことがありません。つまり、この作品を一度でも見た人は、この作品の今後に期待しながら見続けているということです。逆に言えば、第1回から見ようと思った人が少なかったということ。いくらカズオイシグロの問題作といっても、この深刻で衝撃的な題材のドラマを見るのは、少し心の負担が重すぎるのかもしれません。
 脚本は、『JIN―仁―』『ごちそうさん』などで、人間味豊かな題材を描くことに定評のある森下佳子。しかし、過去の作品は深刻な題材を扱っても、そこにある種の希望も見出せた作品でした。それに比べて今回は、そのような希望が見つけにくい題材で、そこに違いがあるように感じられます。視聴率はふるいませんが、原作の世界をどのように映像化していくか、私は注目していきたいと思っています。


『ダメな私に恋してください』 (火曜22時、TBS系) 9.0%→9.3%→8.2%→9.8%

 「職なし、金なし、彼氏なし」の30歳女性ミチコに深キョン(深田恭子)、元上司の35歳ドSキャラ男性に今話題のディーン・フジオカ。ミチコに好意を持つ26歳のさわやか男性に三浦翔平。「ダメダメの女性主人公とキャラクターが正反対の2人の男性」というのは、少女マンガ定番の設定です。
 ただ、それを演じるのが深キョンと、『あさが来た』で大ブレークしたディーン・フジオカというところがミソ。初回を見たとき、深キョンも実年齢33歳とはいえこういう役が似合うかなあ(もう深キョンじゃないか)とか、なんでディーン様がドSキャラなのかとか、そのあたりがもうひとつピンときませんでした。とはいえ、ディーン・フジオカ演じる黒澤歩のやさしい面もあらわれ、いわば男ツンデレぶりが見えてきました。ミチコ演じる深キョンの永遠のフシギちゃんぶりによって、「職なし、金なし、彼氏なし」の30歳女性も見慣れてきましたので、ここからに期待したいと思います。


 「お義父さんと呼ばせて」 (火曜22時、フジテレビ系) 9.6%→6.2%→5.5%

 28歳年上の男性を好きになった23歳のOL花澤美蘭(蓮佛美沙子)、美蘭の恋人で昔タイプの営業マン大道寺保(遠藤憲一)、美蘭の父親でやり手の商社マン(渡部篤郎)の3人が主要な人物。ちなみに父親と正反対な男性を好きになってしまうというのは昔から実によくある話。たとえば、夏目漱石の小説にも、自分の父親と夫を比べてその違いを痛感する女性がよく出てきます。明治の時代には広く男女交際できたわけではないので、比べられる対象が自分の身内くらいしかいなかったという面はあります。それが現代になっても、やはり自分の身内と比べて、「そういう人がいい」「そういう人でない人がいい」という結婚相手への基準になっているのかもしれません。
 ところで、私が注目したいのは配役。父親と同年齢51歳の男性を好きになって困ってしまう主人公には、若手幸薄顔(さちうすがお)女優NO.1の蓮佛美沙子。その恋人には芸能界きっての強面(こわもて)にもかかわらず、近年すっかりお笑い俳優に定着した遠藤憲一。アントニオ花澤と呼ばれるちょい悪おやじには、「ちょい悪」から「極悪」まで癖のある役なら何でもこなす渡部篤郎。いずれもはまり役で、このキャスティングは見事です。
 特別なところはありませんが、ちょっと笑ってちょっとほのぼのできる安定作品になっています。

他の作品についてはまた後日書きたいと思います。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )