フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 2022年のテレビドラマが始まって約1か月となります。何回かに分けて、その感想を書いているので、今回は、NHKドラマ(大河ドラマと朝ドラは既に書きましたので除外)について書いてみたいと思います。

恋せぬふたり(NHK、月曜22時45分)

 アロマンティック・アセクシュアルを取り上げたドラマ。アロマンティックとは他者に恋愛感情を抱かないこと。アセクシュアルとは他者に性的に惹かれないこと。その当事者男女を、岸井ゆきのと高橋一生が演じています。
 テレビドラマ史を研究対象にしていると、その歴史的変遷を視野に入れることになります。かつては異性愛を描くことがスタンダードであり、当然でした。近年になって性的多様性やLGBT理解が進みましたが、それでもドラマで描かれてきたのは、ほとんどが同性愛指向でした。しかし、性的多様性とはその名の通り「多様性」ですから、同性愛だけが異性愛を相対化するものではありません。だからこそこういうドラマが必要なのだと思います。
 もちろん、ドラマですから現実をそのまま写すわけではありません。この作品で描かれる男女が出会ってすぐに気が合って同居すること、高橋一生演じる高橋が性的多様性について先生のように何でも説明してくれることなど、都合のよい展開と感じるところはいくつかあります。とはいえ、理解の第一歩は知ることから始まりますし、知らないことを理解することはできません。ドラマはまだ中盤ですが、アロマンティック・アセクシュアルの人たちの生きづらさがどこにあるのか、ドラマと一緒に勉強していきたいと思います。

しもべえ(NHK、金曜22時)

 原作は村田ひろゆきの同名漫画作品。17歳の高校生・ユリナ(白石聖)が興味半分であるアプリをダウンロードしたことから、ピンチになると変なおじさん・しもべえ(安田顕)があらわれるようになる…という話。それだけのことで、特に見どころがあるとも思えないのですが、なんか面白いのです。しもべえを演じる安田顕の存在感でしょうか。いってみれば、どらえもんの代わりにまったく喋らない変なおじさんが毎回出てくるようなもので、その不思議さについつい引きこまれてしまいます。余談ですが、矢田亜希子が高校生のお母さん役をするようになったんだなあ…というのも私の気になるポイントでした。私の中では『やまとなでしこ』(2000)の若葉ちゃんの印象が強いのですが、あのドラマから20年以上経っているので、母親役になるのも当然かもしれません。

 わげもん(NHK、土曜21時)

 『しもべえ』のシンプルさと対照的に、こちらは登場人物も多く、内容はなかなか複雑です。江戸時代末期が舞台で、鎖国中の日本で唯一外国との交易が許されていた長崎・出島をめぐる話です。永瀬廉演じる若い通詞が失踪した父親の謎を探っていくという縦軸を追いながら、毎回外国人をめぐるさまざまな出来事が起こります。永瀬廉に時代劇カツラが似合うかどうかは別として、他にはない作品になっていることは確かです。
 私は大学院生の頃、前田愛という日本文学研究者(立教大学教授)から多くのことを学びました。前田の研究は多々ありますが、なかでも著名な『都市空間のなかの文学』で文化記号論に基づく都市空間論を展開しました。ごくごく簡単にいうと、空間を外と内に分け、その境界を越えるときにドラマが生まれる、という考え方がそこで提示されています。その境界とは、国境のような明確なものもあれば、人と人の間にある心理的な境界の場合もあります。
 その考え方でいえば、鎖国はそのような境界のもっとも典型的なもので、日本という国と内と外が截然と分断されていた時代の話です。そして、その境界を唯一越えられる場所が長崎・出島なのであり、そこに生まれるドラマに注目したのがこの『わげもん』という作品になります。登場人物が多く、話が複雑すぎるような気がしますし、もう少し娯楽性があっていいようにも思いますが、この作品が描く境界性の意味については、たいへん興味深く作品を見ることができました。

生きて、ふたたび 保護司・深谷善輔(NHK・BSプレミアム、日曜22時)

 1月スタートの作品ではありませんし、地上波でもないのですが、この作品についても書いておきましょう。長年高校教員を務めた深谷善輔(舘ひろし)が保護司となるという話です。
 保護司は、過去に犯罪を犯した人びとの更生を手助けする仕事です。当然ながら、その更生は簡単ではありませんし、個々のケース、個々の人物によって、その抱えている課題さも同じではありません。そのそれぞれの困難さに丁寧に向き合うきわめて良心的なドラマで、これは民放ではできない、NHKならではの作品といえます。唯一気になるのは、なぜ主役が、ダンディーが売り物の舘ひろしなのか、ということですが、舘はそのダンディーさを封印して、地味な保護司に徹しています。担当する元受刑者の苦しみを思って、憂いの表情で振り返る場面で、深谷善輔ではなく舘ひろしが出てしまっている一瞬があったようにも思いますが、全体を通して、このキャスティングには成功していると私は感じました。

 何度も書いたことですが、NHKが民放が制作するようなドラマに手を出す必要はないと思っています。それはむしろ民業の圧迫になるので、してほしくありません。NHKには、ぜひNHKでないとできない題材、NHKならではの制作を期待したいと思います。

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 2022年のテレビドラマも続々と始まっています。何回かに分けて、その感想を書いていきたいと思います。先週に続いて「プライムタイム編・その2」です。

ミステリと言う勿れ (フジテレビ系、月曜21時)

 原作は田村由美の同名漫画。主人公は大学生・久能整(くのうととのう)で、捜査には素人のはずの主人公が、みごとに謎を解決していきます。
 原作のイメージと違っているという声があるようですが、これはどの映像化作品でもたいてい言われることですし、テレビドラマ版の評判はなかなかよいようです。実際、整が長々と喋りまくる内容は、理屈っぽいながら発想の転換を含んで、なかなか興味深く聞かせます。ただ、初回が1話完結だったので、そのつもりで第2話もみたら、第2話は第3話に続きで、あれ?と思いました。
 内容的には面白いと思うのですが、この手の謎解きものの流行に対して、私は少し距離を置いています。けっしてこの『ミステリと言う勿れ』という作品がいけないというのではなく、多くの謎解き作品全般についての私の姿勢です。というのは、私は「犯罪」というものに対して、犯罪者の側からものを考えたいと思います。警察や探偵やその他の人間が、ゲームのように犯罪者を暴いていくことに、あまり興味が持てません。「犯罪」を犯してしまう人間は、それがいけないことであるとか、処罰されるかもしれないとか、そういうことを乗り越えて犯罪に踏み込んでしまうのです。あるいは、処罰されるなんていういうことが浮かばないほど、誰かを憎んだり恨んだりしているのかもしれません。だとすると、それを越えてしまうほどの人間の感情の高ぶりこそがドラマなのだ、と私は思います。犯罪を犯してしまう動機の薄弱な、謎を解くためにあつらえたような事件には興味が持てません。
 犯罪者の心理まで考えられたドラマというと、やはり『相棒』あたりでしょうか。不自然な犯罪の謎解きをSNSでみんなで楽しむような、そういうドラマへの参加のしかたについては、申し訳ありませんが、私はあまり積極的になれません。

逃亡医F(日本テレビ系、土曜22時)
ドクターホワイト(フジテレビ系、月曜22時)

 ドラマの中で医者ものは多いのですが、今回は、ある条件下におかれた医師を描く作品が2作品並びました。
 『逃亡医F』の主人公は、恋人を殺した疑いで警察に追われている青年外科医師(成田凌)、『ドクターホワイト』の主人公は、記憶を失っているが医師として驚異的な洞察力・判断力を発揮する女性医師(浜辺美波)。前者は、病院も手術室もない状況で、その時そこにあるもので外科手術をするというハラハラドキドキ感を視聴者に持たせます。後者は、多くの医師が思い込みで見過ごしてしまう病気のサインを、何の予断をも持たないために正確な判断を下していきます。とはいえ、前者には、「毎回都合よく(都合わるく)そんな外科手術が必要な事件が起こるのかよ」とツッコミたくなりますが、ドラマですからそれは言わないでおきましょう。後者もまた、そんなにうまく部外者に間違いを指摘されるような病院ってなんなんだ、という気がしないではありません。初回で「CT画像に腫瘍が写っている」という病院の診断に対して、主人公は「これは患者が動いたことによる画像の揺れ」と断定していました。「え!そんな誤診があるような病院、大丈夫なの?そりゃないだろう」
と思ってしまいました。

 DCU(TBS系、日曜21時)

 初回は高視聴率で滑り出しましたが、ネット上の評判はいろいろのようです。「面白くて引きこまれる」という高評価と、「日曜劇場のパターンが強くて鼻につく」という低評価が交錯しているようです。「日曜劇場のパターン」というのは、「使命感に燃える熱い男たち」「悪だくみや策略を暴いていく主人公たち」「落語家ほか、俳優ではない有名人の起用」などでしょうか。私も、その点には同感するところがあります。
 一方で、視聴率がとれるというのは貴重なことです。私はつねづね、「ドラマの評価は視聴率ではない」ということをいってきました。それは変わりません。しかしながら、「視聴率が高くなくてもよいドラマ」が成り立つのは、「視聴率のとれるドラマ」も一方に存在しているからです。すべてのドラマの視聴率が低かったら、ドラマという業界自体の存在が危うくなります。
 ドラマは個人の趣味でできるものではなく、制作に多額の費用がかかります。その費用は、民放であれば、CMを出してくれるスポンサーの広告費があてられます。となれば、リアルタイム視聴をしてくれる視聴者の数は重要です。ですので、日曜劇場のような高視聴率ドラマ枠があるからこそ、ドラマ業界に制作費が確保されるという構造があります。私の近年の関心は、深夜に放送される低予算のドラマに向くことが多くなっていますが、だからといって、そういうドラマだけでいいわけではありません。その意味で、マンネリといわれようとも、日曜劇場には頑張ってもらいたいと思っています。


となりのチカラ(テレビ朝日系、木曜21時)

 『GTO』や『家庭府のミタ』などの脚本を手がけた遊川和彦の脚本・演出作品。遊川の脚本作品であるNHK朝ドラ『純と愛』の撮影風景を見た際、遊川が主演女優に厳しい演技指導をしている様子が収録されていました。脚本家が撮影現場にいることはあるものの、演出家(監督)がいるにもかかわらず、かなりの突っ込んだ演技指導をすることはあまりありません。その後、遊川は『ハケン占い師アタル』(2019)の演出をしていますから、脚本だけではなく、演出も手がけるようになることは自然の成り行きなのかもしれません。
 一方、今回の主役・中越チカラを演じるのは松本潤。『花より男子』の役柄もあって、嵐のメンバーの中では「オレ様キャラ」のイメージもあるようです。しかし、俳優として演じてきた役柄は多彩ですし、私は『夏の恋は虹色の輝く』のような、気の弱い真面目な青年を演じた作品の印象も強く残っています。その意味で、松本潤の俳優としての可能性と、遊川の脚本・演出が相まって、どのような映像になって放送されるのか、その点を楽しみにしています。

妻、小学生になる(TBS系、金曜22時)

 原作は村田椰融の同名漫画作品。原作漫画は現時点で未読ですが、連載中の作品なので、ドラマは原作と別の終わり方になるものを思います。
 現時点では初回だけの印象ですが、私は初回を面白く見ました。近年は、入れ替わりものだけではなく、魂が移るとか、死者が蘇るとか、そういったファンタジー要素を持つ作品が多く発表されています。そのひとつという意味では、やや「またか」という感想を持ってしまいます。ただ、今回の見どころは、死んだ妻(石田ゆり子)が10歳の小学生(毎田暖乃)に転生してあらわれる、という新しい工夫です。近いのは東野圭吾『秘密』ですが、それよりももっと年齢差の大きい設定にしているのがこの作品です。
 となると、それがどのように視聴者に映るのかは、その演技や演出にかかる部分が大きくなってきます。その役を演じているのが毎田暖乃で、朝ドラ『おちょやん』の主役(杉咲花)の子ども時代を演じた子役といえば、多くの人がわかることでしょう。たしかに、毎田の演技は、そこに石田ゆり子がのりうつっているように感じることがあり、まさに天才的な子役だと思いました。ただ、子役の演技だけで3か月視聴者を引きつけることはできないでしょう。今後は、小学生になった妻が現れることで、家族がどのように変わっていくのかが描かれていくことと思います。夫(堤真一)は、働きぶりも変わり、年下女性上司との関係も変わっていくことが伏線にあらわれていますし、娘の変化も予見されます。ある意味で「家族の再生」の物語になるのでしょうから、その再生のしかたに注目していきたいと思っています。


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 2022年のテレビドラマも続々と始まっています。何回かに分けて、その感想を書いていきたいと思います。まずはプライムタイム編です。

鎌倉殿の13人 (NHK、日曜20時)

 今期の最注目作品です。鎌倉幕府の実権を担うことになっていく北条義時が主人公。三谷幸喜が大河ドラマ脚本を担当するのは3作目となりました。以前にも書いたことですが、私は『新撰組』よりも『真田丸』を評価しています。それは作品の質がどういうということではなく、三谷幸喜と歴史上の人物との相性の点で、近藤勇よりも真田幸村の方が相性がよかったと思うのです。三谷の脚本では、傑出した人よりも普通に近い人、ストイックな人よりも人間味のある人、無口な人よりもおしゃべりな人、の方がより生き生きと描いていると感じます。北条義時は、戦国武将のような歴史上の英雄ではありませんし、幕府の中でも独裁ではなく合議制を推し進めた人でもあります。これは三谷脚本が得意とする人物像ではないでしょうか。そこに期待をしています。

ファイトソング(TBS系、火曜22時)

 NHK朝ドラ『おかえり、モネ』で主演した清原果耶の民放初主演作、という意味で、大河ドラマの次に注目されている作品です。しかも、脚本は『ちゅらさん』『おひさま』『ひよっこ』を書いた岡田惠和です。清原果耶は、優等生のイメージが強いものの、同世代でも指折りの演技力の持ち主だと思います。一方の岡田惠和の脚本は、悪い人がまったく出てこない、メルヘンのようなあたたかい作風が持ち味です。その相乗作用は初回後半に既に表れていました。有望な空手選手だった女性大学生(清原果耶)が、交通事故で空手を断念。一方のシンガーソングライター(間宮祥太郎)は過去の1曲だけのヒットで一発屋と呼ばれ、今は傷心の日々。この2人が共鳴し合うところが初回の見どころです。ちなみに、ハウスクリーニング店のチラシが飛んできて目に入るところで、私は『ちゅらさん』を思い出しました。『ちゅらさん』の恵理(国仲涼子)と文也(小橋賢児)が出会ったのはまだ子どもの頃。沖縄小浜島で民宿をしていた恵理の家に、文也母子が泊まりに来たのが出会いです。こうした運命の出会いが自然に見えるのも、岡田脚本のメルヘンのような作風があってのことだろうと思いました。次回以降、花枝の幼なじみ慎吾(菊池風磨)も絡んで、3人の今後が楽しみです。

 ゴシップ!(フジテレビ系、木曜22時)

 出版社で経理部に勤務する凛々子(黒木華)は、仕事はきっちりするものの、空気(雰囲気)を読むのが苦手。その凛々子が会社のニュースサイトに異動させられ、そこでゴシップ記事を集めてページビューを稼いでいく、というストーリーです。黒木華は、お仕事ドラマから泣かせるドラマまで何でもこなせる万能俳優。その黒木の演技は見ものですが、ドラマとしての見どころはややわかりにくく感じます。凛々子に感情移入して痛快…というドラマではないので、凛々子が追いかける人間の隠れた心理を明らかにしていく…というところが眼目でしょうか。狙いがもう少しシンプルでもいいように感じます。
 ところで、凛々子の人物造形には、かなりメンタル面の症例が反映しているようです。つまり、発達障害(その中でも自閉症スペクトラム)の特徴を強く意識して、人物造形がなされていると思います。ていねいに調べてみると、ドラマの中に登場する身体的な障害は聴覚障害が多く、精神的な障害は自閉症スペクトラムが多い、という現象が指摘できます。ただ、これはたいへんセンシティブな問題を含みますので、いずれ別の機会に、あらためて考えてみることにしたいと思います。

ムチャブリ!私が社長になるなんて(日本テレビ系、水曜22時)

 八方美人の社長秘書(高畑充希)が突然、子会社の社長に抜擢されるというお仕事ドラマ。日テレ水曜22時は、『ハケンの品格』など、伝統的に「働く女性」を描くことの多いドラマ枠です。今回も、ムチャブリを連発する横暴なやり手社長(松田翔太)、優秀なイケメン後輩社員(志尊淳)、こだわりの強いレストランスタッフら、と、個性的なメンバーが勢揃いという感じです。高畑充希は30歳(先述の黒木華は31歳)。個性的かつ幅広い役柄をこなせる貴重な女優です。そのような配役面からの楽しみは多いのですが、初回を見る限り、私はあまり楽しめませんでした。「自分の職場の周囲にこういう人がいたら自分ならこういう対処をする…」といったことを真面目に考えてしまい、楽しめないのかもしれません。私の場合、どちらかといえば、ドラマの中では非日常でありたいと思います。横暴な社長に振り回される女性社員の話は、多くの視聴者から共感されるのでしょうか。あるいは、主人公が少しずつ困難な状況から光を見つけていく、そういうこれからの展開に期待するべきなのかもしれません。

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 世間的に年末年始はお休み期間というのが通常ですが、多くの大学教員にとって、年末年始は卒業論文の査読期間になっています。卒業論文の締切が大学や学部によって違うので、一概にはいえませんが、私の場合はもう30年以上、年末年始に多くの卒業論文を読み込み、評価し、コメントをまとめています。今年度は24本の卒業論文の審査を担当しました。そのリストを掲載します。順番は、文学・小説系とサブカル・映像系に分けた上で、おおまかな時代順になっています。

【文学・小説系】
木村泰矢  芥川龍之介『杜子春』論
内藤夕衣  川端康成『女であること』論
田島圭悟  「加藤文太郎」論
串田美優  小松左京 『復活の日』論
三浦泰至  山田詠美『ひよこの眼』論
熊澤りさ  森絵都 家族論
生井瑞季  重松清 いじめ文学論
加藤颯悟  『蛇にピアス』論
廣野楓花  『勝手にふるえてろ』論
小林真生  朝井リョウ『何者』『何様』論
梶原舞佑子 『乳と卵』『夏物語』比較論
大山ひかり 湊かなえ『ブロードキャスト』論

【サブカル・映像系】
蒋雨瑄   小津安二郎・侯孝賢作品研究
湯淺里幸子 手塚治虫『どろろ』論
青木菜々子 漆原友紀『蟲師』論
鹿野颯太  『MAJOR』論
園田凜太郎 ドラマ『やまとなでしこ』論 
渡邊夏帆  長編アニメーション映画『ハウルの動く城』論
土居千夏  新川直司『四月は君の嘘』論
小久保亜美 『カゲロウプロジェクト』論
金島柚茉  僕のヒーローアカデミア論
武田直之  新海誠 映画『君の名は。』論
堀部心   『きみの鳥はうたえる』論
松山みずほ テレビドラマ『カルテット』論

 コロナ禍以前は、学生が印刷した論文を冊子にまとめていました。ですので、このブログにも写真を掲載できました。→「2018年度の卒業論文」 昨年度から紙提出がなくなり、データのみの提出になりましたので、それ以降は写真の掲載ができません。
 私は紙で文章を読む方が読みやすいし、冊子にまとめる(レイアウトや装丁を含めた)作業もひとつの教育だと思うので、冊子提出がないのは残念に思います。とはいえ、紙を使わずデータのみにするというのは時代の流れですので、やむを得ないことでしょう。
 私が勤める学部では、卒業論文や卒業研究を特に重視しています。他の科目にはない学生の皆さんの主体性と研究の密度の濃さのあるのが、この卒業論文制作です。一定のレベルにみんなが到達することも大切ですが、それ以上に、個々の学生の皆さんが、この卒業論文制作を通して成長することが重要です。
 多くの学生の皆さんにとって、卒業論文制作は、一生のうちでまとまった論文を書く唯一の機会でしょう。ゼミという卒業論文制作の学びの場が、学生の皆さんにとって、他では得られない貴重な学びの機会になっていたことを願っています。

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 今回は2022年最初のブログ更新です。本年もよろしくお願いいたします。
 さて年のはじめの更新にあたって、現在の気持ちを書いていきます。あまり前向きの話ではありませんが、いかに自分のしてきたことに始末をつけるか、どのように収束させるか、ということを考えるようになっています。
 私は現職の中央大学に勤務してもうすぐ丸32年になります。私が中央大学に就職したのが32歳のときでしたので、私の生きてきたうちのちょうど半分を中央大学教員として過ごしてきたことになります。しかし、前半の32年には、子どものうちの物心つかない期間も入っていますし、中学3年間、高校3年間など、小刻みに所属が変わることもありましたから(その頃は3年間でも短いと思っていませんでしたが)、同じ組織に32年も所属している後半の人生は、前半とはまったく異なる性格を持っていて、自分の人生の大半であるかのように感じます。
 32年も同じ組織に勤めているので、これがずっと続くような錯覚を持ってしまいますが、考えてみればあと6年で定年退職となります。それをあらためて意識したのは、昨年10月末に学部長の任期を終えるときです。1号館という大学本部棟に学部長室があるので、任期中の4年間はそのスペースを使用させていただいていました。その間に本や資料が増えてしまったので、学部長室を撤収するにあたっては、個人研究室をかなりかたづけました。その作業をすることで、6年後にはその個人研究室も撤収するということを否応なしに意識することになりました。
 「個人研究室をかなりかたづけました」と書きましたが、以前にも書いたように(→「断捨離できない男/私」)、実際にはそうとう悲惨な状況にあり、「かたづけました」といっても、他の人の個人研究室に比べたら、まだまだかたづいていない状況にあると思います。それでも、本や資料をかなり処分しなければ学部長室の持ち物を運びこめない状況にありましたから、断捨離できない私にしては、主観的にはがんばってかたづけた、というわけです。この作業はけっこうたいへんでしたが、私にとっては、定年退職へのよい準備作業/予行演習になったと思いました。
 私の教員としての生活はあと6年です。命があれば、その後も研究者としての活動ができなくもありませんが、主たる教育・研究の場がなくなるわけですから、定年退職後はもはや教育者・研究者としては余生ということになるのでしょう。昨年10月から11月にかけては、学部長室と個人研究室をかたづけながら、自分の教育者・研究者としての時間が残り少ないことを意識しました。
 あと6年を無駄にしたくないですし、まだまだ教育者・研究者としての意欲は無くしていません。それでも、自分の教育者・研究者としての生活は残り少なくなっていることは確かなので、それをどのように収束させていくのか、年頭にあたってそのことをあらためて考えました。

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