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フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 映画『ドライブ・マイ・カー』が日本と米国のアカデミー賞を受賞したり、ノミネートされたりしています。この作品の原作は村上春樹の短編小説で、この原作小説と映画化作品の関係について、考察した記事を掲載しました。掲載した場所は、中央大学の情報発信ウェブページである「Chuo Online」、考察記事のタイトルは「『ドライブ・マイ・カー』 ―小説の問い/映画の答え―」です。
 記事にも書きましたが、文学部の私のゼミ(3、4年生連続の専門演習)を履修している学生たちの卒論テーマには、小説を原作とする映画の研究や、漫画を原作としたアニメの研究などがよく出てきます。そこでは、「小説のこのセリフが映画ではこう変更されている」とか、「漫画のこの場面がアニメではこういう場面に変えられている」とか、そういうことがよく論じられます。それも注目すべき箇所ではありますが、同じタイトルであっても異なるジャンルの異なる作品である以上、内容に異なる部分があるのは当然で、それを単純に比べれば研究になるというわけではありません。
 今回は、作品の部分的な箇所の比較ではなく、作品の質、主張、他作品との関係、といった本質的な比較をしたいと考えました。詳しくは、記事をご覧いただければ幸いです。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけていますが、今回アップし忘れて、掲載が月曜午前になってしまいました。どうもすみません。





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 尾崎紅葉は明治の人気小説家であり、文壇の大家でしたが、現在までその事典類が刊行されたことはありませんでした。そこで、6年ほど前から『尾崎紅葉事典』を刊行するべく準備を進めてきました。編者は、山田有策、木谷喜美枝、市川紘美、大屋幸世と、私・宇佐美毅の5人、出版社は翰林書房です。
 私はこれまで、単著、共著、編著の出版を、それぞれ何度かしてきましたが、事典の編者を務めたことはありませんでした。そのため、今回の仕事にはやや難儀をしました。しかも、私はかつては、たしかに明治文学研究者でしたが、現在はほぼ足を洗っている状態。再度明治文学にかかわるとは思っていませんでした。私にとっては久しぶりの、明治文学研究者としての刊行物です。
 編者は上記の5人ですが、大屋幸世氏は、この事典の準備を始めた初期に急逝され、あとは4人で進めてきました。「尾崎紅葉は明治の人気小説家であり、文壇の大家でした」と書きましたが、現在では尾崎紅葉を研究対象にしている研究者も少なく、資料もあまり多くは残されていないため、刊行までは種々の難航がありました。編集作業を翰林書房の今井静江さんや経験者の松浦法子さんにも加わっていただき、準備から6年かけて、ようやく刊行にこぎつけました。執筆を引き受けてくださった多くの研究者と、今井さん、松浦さんには心からお礼を申し上げます。
 私の村上春樹研究は、30年後、50年度にはたぶん忘れられていることでしょう。私のテレビドラマ研究は、その時代ならではのテレビドラマの状況を知る資料として、もしかしたらかすかに残っているかもしれません。それらに比べると、この『尾崎紅葉事典』は、多くの読者に読まれるとは思いませんが、後々の時代まで、貴重な資料として残っていくのではないかと思っています。また、編者の一人として、そうなることを願っています。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の刊行を心がけています。



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 多くの大学同様、私が勤める中央大学でも、集合型の授業ではなく、いわゆるオンライン授業がおこなわれています。オンライン授業とは、ライブ型・リアルタイム型だけの方法とは限らず、課題学習型なども組み合わせながらおこなっています。

 さて、私の担当する授業は、学部1、2年生向けの講義から、3、4年生のゼミ演習や大学院演習など、さまざまです。その中の学部1、2年生向け講義科目は、ライブ型・リアルタイム型で実施しています。例年以上に履修者が多く、現在234名が登録していますし、毎回その大半が出席してくれています。私の講義科目は毎年朝9時からの1限に入っているので、「朝9時までに通学するのはつらいけど、家で授業を受けられるなら1限でもいいか」と思ってくれる学生が、今年は多いのかもしれません。

 その講義では、毎回なんらかのアンケートをとっているのですが、最近「専業主婦/専業主夫」希望に関するアンケートをとりました。テレビドラマに関する授業をしていることの関係で実施したアンケートですが、その背景や詳細はここでは省きます。ただ、専業主婦願望については「(株)ユーキャン(株)アイシェア 共同意識調査(2010年)」という有名なアンケートがあるので、それにならいつつ、大学向けにアンケートをとってみました。
 そこではたいへん興味深い結果が見られました。女子学生についていえば、なんらかの形で将来は専業主婦になりたいという人が、半数を越えていたことです(約54%。「経済的に余裕があれば」「子どもができたら」などを含めて)。ちなみに、同じアンケートを男子学生にもしたところ、約17%が専業主夫になりたい(同じく「経済的に余裕があれば」「子どもができたら」を含めて)と回答しました。
 女子学生の専業主婦希望はもう少し少ない、と私は予想していました。それは、先に示した共同意識調査が「働いている独身女性」向けであり、しかも10年も前の調査だからです。私のアンケート対象はこれから社会に出て行こうとする女子学生であり、しかも共同意識調査から10年も経っているので、専業主婦希望はそのときよりも減っているのではないかと予想したのです。しかし、問いのしかたが違うとはいえ、共同意識調査とほぼ同様の数字が出たことは意外でした。こうした興味深い数字の意味を、今後も考えて続けていきたいと思っています。

   

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 毎日新聞文化欄記事にコメントを掲載しました。記事名は「サザエさん アニメ今秋50年 ほっとする群像劇 「変わらない」盤石の作風」で、掲載日は2019年7月6日(土)の夕刊です。

 毎日新聞電子版の記事頁はこちらです。
 ⇒ https://mainichi.jp/articles/20190706/dde/018/200/014000c

 『サザエさん』アニメのフジテレビウェブサイトはこちらです。
 ⇒ https://www.fujitv.co.jp/sazaesan/

 たかが漫画と思うなかれ。『サザエさん』はもはやただの漫画ではありません。だからこそ、この記事は、毎日新聞がかなりの力を注いだ実に詳しい記事になっています。私はテレビドラマ研究者ですので、漫画・アニメは専門分野の中心とまではいえないものの、当然研究の視界には入れています。今回取材をいただいたので、この作品は現在の日本社会の中でどのような地位を獲得しているかを中心にコメントさせていただきました。この作品が浸透してきた経緯については、多くの識者の意見があるのでそちらに譲りますが、私は現代文化論の立場から、この作品がもはや作品の良しあしや好き嫌いを超えた存在になっていることを語らせていただきました。

 テレビドラマを中心に研究をしながら、今後もこうした重要作品も視野に入れていきたいと考えています。

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 日本臨床救急医学会の第22回総会・学術集会で講演をさせていただきました。

 http://www2.convention.co.jp/jsem22/
 http://www2.convention.co.jp/jsem22/program/program.html#p02

 小説やドラマの研究者である私が、なぜこの医療関係者の学会で講演したのか、不思議に思われるかもしれません。この学会では、毎年2名を学会外から招き、特別講演を担当してもらうということで、今回は私をその一人に指名していただきました。
 今回の学会の総合タイトルが「救急医療のリアリティー」ということだったので、私はいろいろ考えた末に、次のようなタイトルで話をさせていただきました。

 フィクションの中のリアリティー
  ――救急医療はどのように描かれているか――

 もともとは小説を中心に考えていたのですが、実は救急医療が小説の題材に取り上げられることは多くありません。それに比較して、テレビドラマなどの映像作品に描かれることが圧倒的に多く、その意味では、救急医療は文学的ではなく映像的な課題ということができます。それでテレビドラマを中心に救急医療の描かれ方を検討してみました。ただ、小説よりテレビドラマに描かれるからといって、救急医療が倫理的な課題ではないかといえばけっしてそうではなく、実は高度に倫理的でもあるという逆説的な構図になっているということを、今回の講演を通じて考えてみました。
 医療関係者の方にどれだけお役に立てたかわかりませんが、フィクションという別の世界から救急医療を見るとこうしたことが考えられるという点で、違う視点を提供できていたら幸いです。

 さて、自分の講演以外の感想ですが、新たな発見や学ぶところが多々ありました。今回参加させていただいた日本臨床救急医学会は、医師だけではなく、看護師、薬剤師、放射線技師、救急隊員ほか、11の職種の医療関係者で作る学会だそうです。懇親会にも参加させていただいたのですが、そういう学会員構成の特徴もあるのか、加藤正哉会長の人柄のせいもあるのか、予想していたよりもざっくばらんな雰囲気の懇親会で、部外者の私が出席していても、とても楽しく感じられる会合でした。
 そこで強く印象に残ったことを一つだけ書きます。懇親会の最後の方で「King of Talk」の表彰と賞品贈呈というのがありました。それが何かわからなかったので聞いたみたところ、懇親会の立食パーティーの間に11職種全部の出席者と会話をして、その名前を書き込んでもらった人の中から、会長が賞品を贈呈するというシステムになっているのだとか。
 これには感動しました。11職種がただ集まっているだけで、実際にはばらばらだというわけではなく、違う職種の間の会話、交流を重視していることが、こうした行事にあらわれているのだと感じました。そういえば後から気づいたのですが、この懇親会には「多職種間意見交換会」という名前がついていたのでした。懇親会が終わってから、その意味をあらためて実感しました。

 専門外の学会で講演するのは、構想を練るのも準備をするのも、実はかなりたいへんでした。しかし、異なる世界の学会に出席したからこその発見があり、勉強もさせていただきました。そして、楽しい時間を過ごさせていただきました。この場を借りて、加藤正哉会長と学会の皆さまにお礼を申し上げたいと思います。


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 次の書籍の書評を執筆して、最近掲載誌が刊行されました。

  松村友視著『近代文学の認識風景』 (インスクリプト)
  『国語と国文学』2018年12月号

 この書籍は2017年1月に刊行され、私の書評もかなり以前に依頼をされていましたが、掲載誌の都合でこの時期の掲載となりました。
 著者の松村友視氏は、作家の村松友視氏とはもちろん別人で、慶応大学名誉教授。泉鏡花を中心とした明治文学の研究者で、この本ではその鏡花の他に、森鴎外、嵯峨の屋御室、宮沢賢治などの文学者を論じています。詳しくはこの書籍、または私の書評を見ていただきたいので繰り返しませんが、実に立派な研究書です。『国語と国文学』誌から私がこの本の書評者を指名されたことは、責任が重いと同時に名誉なことと思いました。
 今書いているこの場所は、ブログであって研究誌ではないので、少し個人的な思い出を書きますが、私が大学院の学生だった頃、松村氏の研究論文をよく読んでいました。私は、今は村上春樹作品やテレビドラマ論などの現代文化論を専門分野としていますが、もともとは日本の明治期小説の表現研究から出発しました。松村氏とは研究視点が異なるものの、嵯峨の屋御室研究や泉鏡花研究の論文からは大きな影響や示唆を受けました。それから30年以上が経って、松村氏の書評者になるのは感慨深いものがありました。
 私も松村氏の著作を真摯に読ませていただき、久方ぶりに明治文学研究者に戻った気持ちになりました。

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 宮城県私立学校国語教育研究会の講師を務めました。
 この会合の趣旨は、研究会の名称がよく示しています。宮城県の私立中学・高等学校に勤める国語科の先生方が、その教科の内容や特色について研究する会合であり、そこで私は、「これからの国語教育―フィクションの力/映像の力」というタイトルで講演をさせていただきました。

 ちなみに、研究会がおこなわれた宮城県仙台市は、私が小学校から高校までを過ごした都市です。ただ、今回は私が育ったこととは関係ありません。私が中央大学で指導教員を務めた黒澤佑司さんが宮城県で国語の教員をしていて、今年度この研究会の当番校、幹事をしているという縁から、この講演の依頼をいただきました。活字離れなどと言われることの多い近年の中高生を、国語という教科を通じてどのように指導していくか。その際に映像と言語をどのような関係としてとらえるべきか。私なりの考えをお話しさせていただきました。

 私は文学研究者、テレビドラマ研究者ではありますが、高等学校の検定国語教科書の編集に長年かかわってきましたし、国語教育に関する論文もかなり書いてきました。けっして副業といった意識ではなく、今後も文学と教科としての「国語」、フィクションと「国語」という課題を考え続けていきたいと思っています。


※研究会・講演は仙台市東部の宮城野区にある東北学院中学・高校でおこなわれました。講演後、黒澤さんに海沿いを案内してもらい、東日本大震災の跡を見学することができました。


(東日本大震災の記憶を残すために保存されていると思われる建物)


(仙台市立荒浜小学校は震災遺構として廃校後も保存されている)


(校舎には震災時の津波の高さを示す赤い線が=右上の看板内)



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 福島県いわき地区高等学校国語教育研究会の講師を務めるため、出張をしてきました。
 長い名称の会ですが、その名称の通りの研究会合です。学校の先生方は1年中お忙しいようですが、8月上旬のこの時期は、研修や研究会合がおこなわれることの多い時期にあたります。私はこのブログと同じ「フィクションのちから」というタイトルで、高校の国語という教科において、小説教材などのフィクション作品が持つ意義についてお話をさせていただきました。学習指導要領の改訂が予定されていて、国語が「論理国語」と「文学国語」に分離していくような状況の中で、今後文学教材が持つ意義を考えてみました。

 どこまでお役にたったかはわかりませんが、来てくださった先生方には、本当に熱心に聞いていただきました。近年、日本の教員の働く時間の長さ、たいへんさは多くのところで報道されている通りのはずです。そんなお忙しい教員生活の中で、時間を割いて私は話を聞いてくださった先生方には心から感謝したいと思います。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけていますが、イベントがあったため、今回は珍しく週2回の更新となりました。




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 村上春樹が新作長編小説『騎士団長殺し』を発表したことが、マスコミに取り上げられることが多くなっています。その関係で私もいくつか取材を受け、日本テレビ『スッキリ!!』には録画出演しました。

 放送は3月2日(木)。『騎士団長殺し』発売とファンたちの歓喜のようすや、読者の反応のインタビューなどが放送されました。テレビなどでこうした放送がよくありますが、ひとつの話題にかける時間が短いこともあって、ごくごく皮相的な紹介にならざるを得ません。しかし、今回は朝の情報番組ということもあり、ニュース番組などよりは時間に余裕のある構成(約20分間の放送)になっていました。そのため、村上春樹作品の紹介、研究者や編集者のコメント、一般読者の反応など、こうしたテレビ放送にしては、かなり良心的な「村上春樹入門」特集になっていました。せっかくなので、私の大学の講義の初回導入に学生に見せてもいいかと思ったくらいです。

 さて、肝心の『騎士団長殺し』をどう評価するか。これは私の研究者としての本分なので、いずれ論文等で果たしたいと思います。ただ、現在のところ、私の周囲から聞こえてくる評判はあまり芳しいものではありません。私も感じるのは(あるいは村上春樹作品を読み続けてきた誰もが感じるのは)、これまでの村上春樹作品との重複が多すぎることです。女性に去られた男性、地下に閉じこめられる体験、現実の世界からの離脱、肉体関係を媒介しない不可思議な妊娠、戦争や侵略と現在とのつながり、などなど。これまでの村上春樹作品との重複がこの『騎士団長殺し』には目につきすぎます。
 もちろん、村上春樹作品は、過去の作品と重複させながら前に進み、新たな要素を書き加えることをしてきました。それ自体はこの作家の特徴なのですが、それにしても今回の作品はその要素が多すぎて、今まで描いてきた要素からどこへ前進したのかが見えにくくなっています。強いていえば、これまでの村上春樹作品で描かれた「女性に去られた男性」という構図が、この『騎士団長殺し』ではもう一度去った女性が男性のもとに戻り、再び新たな関係を築くという展開になっています。この点にわずかながら、これまでの村上春樹作品にない新たな要素を感じさせますが、それだけでは物足りないと言わざるを得ません。

 詳しくはまた研究の世界で果たしたいと思いますが、まずは村上春樹の新作への疑問を書きとめておくにとどめたいと思います。


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  (一番上が今回の講演についての横断幕)

 韓国・慶北大学で講演しました。
 慶北大学は韓国大邱広域市にある名門の国立大学です。今回の講演は、慶北大学校・大学人文力量強化(CORE)事業団の活動のうち、日本研究センター(グローバル地域学)「海外著名人招請講演」という行事としておこなわれました。私が著名人かどうかはともかく、せっかく招いていただいたので、喜んでお引き受けしました。

 グローバル地域学という趣旨から、講演課題は、韓国テレビドラマの日本受容に関するものとしました。先日の中央大学文学部主催「アートとドラマから見る韓国」でおこなった発表と重なる部分もありますが、前回は韓国をテーマにしていたので、韓国のテレビドラマを重視しました。今回は地域学の観点であり、講演扱いで持ち時間が長かったこともあり、韓国のテレビドラマと日本のテレビドラマの比較を重視し、日本のテレビドラマの考察を増やして講演をおこないました。

   


 慶北大学の日本学の先生方、日本語担当の講師の先生方、それに大学院生や学部生も来てくださっていました。講演はすべて日本語でおこないましたが、もちろん熱心に聞いていただき、気持ちよく講演をおこなうことができました。後からおこなわれた懇親会では、先生方や学生の皆さんとお話がはずみ、時間が足りなくて、もっといろいろとお話をしたいと心残りに思うくらいでした。

 学期中の海外出張ということで、今回はわずか2泊3日のあわただしい韓国滞在でした。本当はもっと長く滞在したかったのですが、期間は短くても、とても充実した出張になりました。
 今回の招聘の窓口になってくれたのは、日本の中央大学で博士号(文学)を取得した趙軒求先生で、このプロジェクトの実務責任者でもあります。趙先生をはじめ、関係者の皆さんには心からお礼を申し上げたいと思います。

   
   (講演会の告知ポスター)

   
  (今回の会場・国立慶北大学校)


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 私が千田洋幸さんと共同で編者を務めた『村上春樹と二十一世紀』(おうふう)が、今年9月に刊行されました。その執筆者で、出版祝を兼ねた慰労会をおこないました。


 こうした論文集というのは、単著とは違った苦労と喜びがあります。研究者である以上、やはり単著を中心に考えることが必要であり、単著によって評価を受けることは当然です。その一方で、個人ではできない研究の広がりを、こうした論文集では持つことも可能です。今回刊行した『村上春樹と二十一世紀』も、研究方法、論じ方が多岐にわたっており、村上春樹作品をまさに多面的に分析・考察した研究書になったと思います。

 今回の執筆者は編者を含めて全部で20名。残念ながら慰労会には3名が欠席でしたが、執筆者17名が参加。それに版元「おうふう」社の坂倉良一氏、装丁を担当してくださった安藤司氏も出席してくださり、総勢19名の慰労会となりました。

 先に書いたように、論文集には単著にない喜びがあります。ただ、私の現状は校務等に追われ、当分は研究に専念できそうにありません。またいずれ、このメンバーを中心に一緒に仕事をしてみたいと思いますが、そのタイミングが訪れるまで、しばらくは自分の目の前の仕事を精一杯こなしていこうと思っています。

     




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 NHKのテレビ番組「クローズアップ現代+」にコメント出演しました。
 放送日時は11月24日(木)22時から。現代のさまざまな現象を考察する番組で、この日のテーマは、恋愛しない若者たちについてでした。

 私は、日本のテレビドラマの変遷から、近年のテレビドラマでは恋愛が描かれにくくなっていることについてコメントしました。
 放送内容については、こちらをご覧ください。私は最後の方に出てきます。
 ⇒ 恋人いらないってホント? 出現!”いきなり結婚族”」


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 私が勤める中央大学文学部の主催で、「アートとドラマから見る韓国」というシンポジウムがおこなわれました。

 このイベントを企画したのは、中央大学文学部の榎本泰子教授です。榎本先生がワンアジア財団からの寄付講座としておこなった授業科目が、今年度前期に開設されていました。その科目からの連動する企画として、このシンポジウムがおこなわれました。
 この企画の趣旨を、中央大学ウェブページから引用しておきます。

 文学部2016年度前期プロジェクト科目「アジア共同体を考える-共に生きるための15のヒント」(ワンアジア財団寄付講座)の関連企画として、公開シンポジウムを開催します。現代韓国の社会と文化を、アートとドラマという二つのジャンルから読み解こうという意欲的な試みです。学生・教職員・市民のみなさまの参加を歓迎します。

第1部 韓国現代アートの世界
 報告者
   ヂョン・ヨンドゥ(アーティスト)
   徐京植(作家・東京経済大学教授)
 司会者
   大田美和(歌人・中央大学文学部教授)
第2部 テレビドラマから見る韓国
 報告者
   李香鎮(立教大学教授)
   宇佐美毅(中央大学教授)
 
司会者
   榎本泰子(中央大学文学部教授)

中央大学ウェブページ上の告知記事 ↓
http://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/communication/press/2016/11/49239/



(シンポジウム会場のようす)

 この告知文のリストにあるように、私も韓国ドラマに関する報告者の一人として、このシンポジウムに参加しました。私は韓国文化の専門家というわけではありませんが、日本のテレビドラマを研究対象にしている関係で、このシンポジウムの発表者に加わりました。

 写真のように、当日はおおぜいの来場者がありました。それだけではなく、内容的にもたいへん充実した報告や質疑がおこなわれました。中央大学文学部にはいわゆる「韓国学」関係の学科があるわけではありませんが、それでも「韓国」を視点として、「アート」と「ドラマ」、それに加えて、文学・文化・言語・社会・歴史……等々がここで交錯し、意味を生み出したという実感を持ちました。
 近年の研究は細分化しすぎてしまった反省もあり、学際的な研究の必要性が叫ばれています。このシンポジウムはそのひとつの可能性を示すことができたのではないか。そんな感触を持つことのできた一日でした。


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 私が編者を務めた論文集『村上春樹と二十一世紀』が刊行されました。
 千田洋幸さんとの共編著(おうふう、2016年9月)で、『村上春樹と一九八〇年代』(2008年)『村上春樹と一九九〇年代』(2012年)に続く、シリーズ3冊目。これがシリーズ完結編となります。
 目次を紹介します。目次は下記の通りです。


はじめに(編者

【論文編】
第Ⅰ章 長篇小説の世界
暴力を見ること×暴力を語ること――村上春樹『海辺のカフカ』の世界(野中潤
補完されるテクスト/招喚するテクスト――『アフターダーク』をめぐって(木村友彦
村上春樹の西海岸文脈――全共闘運動から『アフターダーク』へ(矢野利裕
未来を語る物語――村上春樹『1Q84』と舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』(石川治樹
村上春樹『1Q84』とよしもとばなな『サーカスナイト――「産むこと」をめぐって(早川香世
偶然と相似――村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を中心に(大川武司
読者による喪失体験からの回復と危機の隠蔽――村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の受容をめぐる研究(田村謙典
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』における物語化の暴力性――「唐突すぎる」切断/接続と連鎖する「選択」 (山田夏樹

第Ⅱ章 短編小説の世界
カタストロフのあとを生きる―『神の子どもたちはみな踊る』と『風の谷のナウシカ』(齋藤祐
「バースデイ・ガール」――「個」を損なう物語の在りか(深津謙一郎
「品川猿」論――「名札」は「蓋をして」「押入の奥」に「押し込」まれていた(駒ヶ嶺泰暁
連作短篇集『女のいない男たち』論―ワインをのむ女たちと、谷村がかたる三つの物語(平野芳信

第Ⅲ章 村上春樹作品の文化論的可能性
ユニクロと村上春樹(藤崎央嗣
村上春樹作品における少女と「暴力性」(戴暁晨
テクストから書物へ――モノ/現象としての村上春樹(長谷川達哉
死者と可能世界――村上春樹の一九九五年/『あの』の二〇一一年(千田洋幸
巻き込まれる男たち――村上春樹作品における〈成長すること〉の意味(宇佐美毅

【研究史編】
『アフターダーク』(矢野利裕
『海辺のカフカ』(野中潤
『1Q84』(早川香世
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(山田夏樹
『東京奇譚集』(松井史絵
『女のいない男たち』ほか(苗鳳科
講演・スピーチ(藤崎央嗣
エッセイ(鈴木さとみ
国語教科書に掲載された村上春樹作品(駒ヶ嶺泰暁


 共編者である千田洋幸さんと私と研究面でつながりのある執筆者が多いのですが、今回はシリーズ完結編ということもあり、深津謙一郎さん、平野芳信さんにも特別に寄稿をお願いしました。充実した論文集になっていますので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思っています。



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 今日5月29日、神奈川県平塚市で講演をしました。
 毎年何か所かで招いていただいている、中央大学学術講演会としておこなわれた講演会です。今回ご依頼いただいたテーマは、昨年から何度かお話をしている「NHK朝ドラの魔力」、場所は平塚駅南口すぐの平塚プレジール6階でした。

 「ご依頼いただく」という表現をしたのは、この学術講演会のあり方に関係しています。というのは、この学術講演会は中央大学の主催でおこなわれています。ただし、実際の運営や準備に関しては、中央大学卒業生組織である各地の学員会(中央大学卒業生の会)や、ときには父母連絡会にお任せしています。つまり、一定の開催費用を中央大学で負担し、中央大学の主催としておこなわれ、各地の学員会や地元の自治体などが共催として、実際の運営や準備をしてくださるという開催の仕方になっています。
 今回は平塚白門会からのご依頼で、「NHK朝ドラの魔力」のテーマで講演をさせていただきました。

 毎年何か所かのご依頼をいただきますが、今年は特に多くの支部からさまざまなテーマでご依頼をいただきました。そのうち何か所かからのご依頼は、校務との兼ね合いでお断りせざるを得ず、その点はたいへん申し訳なく思っています。しかし、今日の平塚での講演会を皮切りに、お引き受けした各地の講演会ではせいいいっぱい務めさせていただきたいと思っています。
 ちなみに、私の今後の講演予定は次のようになっています。6月18日以外は中央大学主催の学術講演会です。ここの載せた以外の公演予定もありますが、それは別の機会に紹介させていただきます。


6月12日(日)14時~ イオン多摩平の森 
中央大学学術講演会(学員会日野支部) 


6月18日(土)14時45分~ 中央大学駿河台記念館  
中央大学42年白門会主催


7月 2日(土)14時~ 東北公益文科大学鶴岡キャンパス 
中央大学学術講演会(学員会山形庄内支部)


7月15日(金)14時~ 北海道経済センター8階Aホール 
中央大学学術講演会(学員会札幌支部)


7月23日(土)15時~ ホテルメトロポリタン盛岡  
中央大学学術講演会(学員会岩手支部)


8月25日(木)18時~ ホテルマリエール飯田  
中央大学学術講演会(学員会飯田支部)


9月17日(土)15時~ 北トピア16階天覧の間  
中央大学学術講演会(学員会東京北区支部)


10月2日(日)16時~ 那覇市厚生会館  
中央大学学術講演会(父母連絡会沖縄県支部)



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