フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 




 白百合女子大学大学教授(そして中央大学にも講師として来ていただいている)井上隆史さんから、『三島由紀夫 虚無の光と闇』(試論社、2800円)という本をいただきました。この本の帯には、「今、最も新しい〈三島由紀夫〉を問う 『決定版三島由紀夫全集』の編集協力を務めた気鋭の研究者による発の論集」と書かれており、これがこの本の性格をよくあらわしていると思います。
          
 私の印象としては、資料扱いの精密さと推論のあざやかさの両方を持った論考という思いを強く持ちました。というのも、資料調査に強い人はそれに頼りすぎて論理に魅力がないことがあり、論理に頼る人は作品以外の資料を軽視することが多いように感じます。その点、井上さんは、三島由紀夫の全集の編集を手がけていることもあって、どの論文を読んでも三島に関する豊富な資料が駆使されていて、それが論理にいっそうの説得力をあたえています。その意味で、井上さんのお書きになるものは、資料と論理のどちらの面にもとても魅力のある論文になっているという気がしました。
 ひとつ私の印象を具体的に書くと、『鏡子の家』論におおいにひかれるものがありました。実は数年前にこの作品で卒論を書いた学生がいて、この作品に持った三島の思い入れの強さとこの作品への批評家たちの評価の低さのギャップが、その頃から気になっていました。井上さんは、なぜそのようなギャップが生じてしまったかと考察した上で、この作品をニヒリズムの観点から鋭く追求しています。そして、『金閣寺』を書いた三島がその成功と同時に抱え込んだ危険から、再度ニヒリズムを問い直した結果がこの『鏡子の家』という作品になったと論じています。
 私は、数年間かかえていた疑問が井上さんの論を読んでかなり解けたような気がして、おおいに勉強になった研究書でした。
          



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 ホームページ(中央大学・宇佐美毅研究室)を開設してから1年3ヶ月、アクセスカウンタを付けてから丸1年が経過しました。この間、このホームページにアクセスしてくださった方々に感謝いたします。
          
 ホームページ開設とアクセスカウンタ設置の時期がずれているのは、開設時にうまくカウンタをつけられなかったからです。私はコンピュータ関係には弱いので、最初はホームページを開設するだけで精一杯で、カウンタ設置はいくらやってもうまくできませんでした。その後いろいろ試してみて、3ヶ月後にやっとカウンタ設置ができたというわけです。
 ただ、いったん設置したカウンタも、容量の関係などでうまく作動しないことが多くて、そのために別のカウンタに取り替えなければならないこともありました。今のカウンタはだいたい正常に作動しているように思います。
 カウンタ設置からちょうど1年になり、その間のアクセスは1日平均12~13アクセスというところでしょうか。けっして多くはないと思いますが、1年間そのくらいの方々がこのページを見てくださっているということに感謝したいと思います。
 今後もこれまでのようなペースで随時ページを更新していきたいと思います。
           


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 今期テレビドラマでは、すっかりシリーズ化された作品となった『Dr.コトー診療所』の視聴率が好調で、毎回コンスタントに20%を越えています。視聴率とドラマの善し悪しは単純には結びつきませんが、視聴者がすっかりこのドラマになじんだ様子が伺えます。
 この作品が開始された頃は、毎回のように怪我人や急病人が出て、それを主人公の医師が奇跡的に救うという作りでした。その意味では、ハラハラドキドキを売り物にしていたようなところがありました。しかし、今はそういうシーンは少なくなって、南の小島の人々の暮らしや人間関係に重点を置いて描いているように思います。最初にハラハラドキドキで視聴者を引き付け、ドラマを見てもらうようになったら安定的な「癒し」のドラマに移行するという変化をつけたところに、視聴率的な成功があったように思います。
   
 ところで、今シリーズでは、これまでレギュラーで重要な役を担っていた柴咲コウが(出演はしているものの)東京に出てしまうという設定になり(柴咲のスケジュールの都合?)、その代わりに新米看護士のミナ(蒼井優)が主人公を支える重要な看護士役に加わりました。ただ、そのミナを通じて何を描きたいのか、今ひとつドラマの作り方がはっきりしないと感じていました。
 すると、11月2日読売新聞テレビ版に蒼井優さんの記事が載っており、そこに次のような文章があるのを読んで思い当たる点がありました。

 演じるミナは当初キャピキャピした性格の設定だったが、「私の中ではコトーにそういうイメージはなかった」ため、監督と話して設定を変更してもらった。(「 」内は蒼井優のことば)

 私はこれを読んで最初にかなり驚きました。蒼井さんのような若い女優さんの意見で、人物設定までが大きく変更されてしまうなんて……。一部のせりふを変えるくらいならともかく人物設定自体が変わってしまうというのは、よほど柔軟な製作現場なのか、あるいは蒼井さんが(若いとは言え)よほど発言力の強い女優さんなのか、というふうに驚きました。
 ただ、その変更は、必ずしもドラマとしてうまく機能していないように思います。先に感じていたように、新しいミナという看護士を通じてドラマで何を描きたいのか、いまひとつ明確になっていない気がします。簡単に言えば、ミナで「泣かせたい」のか「笑わせたい」のか。泣かせるにしてはミナのドジぶりがちょっと間抜けに見えるし、笑わせるにしては中途半端で笑えないし、というのが私の印象です。最初の「キャピキャピ」の設定を変えてほどほどの「いい子ちゃん」に人物設定を変えたために、そのあたりがはっきりしなくなってしまったと私は思います。
 多くの人の思いを融合させることは良いことかもしれませんが、それによって出来あがるものがより良くなるとは限らない…そういう難しさを感じさせる事例でした。
   



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 キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックの12年ぶりの顔合わせで話題になった、映画『イルマーレ』("The Lake House"、2006年米)を見ました。DVDになってレンタルされるようになってから映画を見る私にしては、見るのが早いじゃないかとと思われるかもしれませんが、映画館に行ったわけではなく、飛行機の中で見ました。
   
 ちなみに、私は外国に行くことは好きなのですが、飛行機に乗ることはあまり好きではありません。そもそも高い所が嫌いなのですが、それに加えて狭い所に(ヨーロッパだと12時間も)閉じこめられているのが窮屈に感じます。それであまりいい体調ではないことが多く、映画を見るのもおっくうであまり見ないようにしています。ただ、あまり退屈なので今回1本だけ見てみたのが、この『イルマーレ』でした。
 御存知の方も多いでしょうが、この作品は、韓国映画をハリウッドでリメイクしたものです。韓国オリジナル版を見ていないので評価については何とも言えないのですが、なかなかいい雰囲気に出来上がっている映画でした。
 まだ映画を見ていない方のために設定だけ書いて展開は伏せますが、これは、2004年の男性と2006年の女性とが偶然にも手紙を交換しあうことになる、という話です。これは原作版について言えることですが、この設定はなかなか見事なところをついていると思いました。
 と言うのも、手紙が知らない人に届いてそこから交流が始まるという設定は、たとえば岩井俊二『Love Letter』などを連想しますが、この映画はそこに時間を隔てるという要素を加味して新しい恋愛映画を作っていると感じました。また、これまでにも時空を超える話はよく作られてきましたが、たいていそれはタイムマシンとかタイムスリップといった話になっていました。だから、未来や過去に旅するとか、突然過去の○○時代にタイムスリップしていまうとか、そういうSF的な話になります。
 もちろん、この映画も現実にはあり得ない話なのですが、手紙だけが時間を越えてやりとりされていて人間が時間を越えることはないので、SF的な雰囲気ではなく大人のラブストーリーに仕上がっていました。結末の評価は人それぞれあるだろうという気がしますが、少なくともあまりいい気分ではない飛行機の中で、しばらく時間を忘れさせてくれる映画でした。時間を隔てる映画を見ながら時間を忘れるというのも何か不思議な体験でしたが……。
   


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