フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 4~6月期テレビドラマ、いわゆる春ドラマがほぼ出揃いました。恒例になりました放送中のテレビドラマについての私の感想を、先々週、先週に続いて書いていきたいと思います。今週は、プライムタイム作品でまだ感想を書いていない作品と、深夜ドラマ作品の感想を書いていきます。

ラストマン 全盲の捜査官(TBS系、日曜21時)

 まずは俳優が豪華。主役級の俳優陣が1つの作品に集結し、さらに脚本にも撮影にも凝っていることが初回でよくわかりました。
 福山雅治がFBIから派遣された全盲の特別捜査官、大泉洋が犯人検挙のためなら違法すれすれの捜査を厭わない嫌われ者の刑事を演じます。初回の犯人が宮沢氷魚ですから、その配役の豪華さがわかります。福山雅治演じる特別捜査官は、分析力・推理力に長けているだけではなく、目が見えない分だけ嗅覚も聴覚も異常なほど敏感という設定になっています。人間の嗅覚や聴覚がそこまで高度に機能するものなのか、これはもう人間じゃない、スーパーマンじゃないか、これならなんだってできるでしょ、という納得いかない気持ちもあります。一方で、その捜査の過程に、「すげえなあ」と単純に見とれてしまったのも事実です。福山の活躍だけではなく、作品から目を離させない力があるという意味で、今の民放テレビドラマができるエンタテインメントの到達点といえるでしょう。

Dr.チョコレート(日本テレビ系、土曜21時)

 大金と秘密保持を条件に難しい手術をやってのける闇の外科医…というと、まるで手塚治虫『ブラックジャック』のようです。しかし、その正体はわずか10歳の少女…というのがこの作品の眼目。しかも、その少女を囲む医師団はつわものぞろいで、これはこれでおおいに楽しめます。とはいえ、すご腕の闇医者が少女だという意外性は初回だけのインパクトなので、それだけでずっと見続けたくなるかは疑問です。その分よほど周囲に活躍してもらわないと、早めに飽きがくるのはないかと、余計な心配をしてしまいそうです。

日曜の夜ぐらいは…』(日本テレビ系、日曜22時)

私の好きな岡田惠和脚本の作品なので期待していますが、今日の放送なので、感想はまたあらためてとさせてください。


かしましめし』(テレビ東京系、月曜23時台)

 テレビ東京お得意の「深夜飯テロ」ドラマを想像して見始めましたが、料理が主ではなく、3人の人間ドラマがメインでした。それでいて、料理には、3人の気持ちを描くための重要な役割が与えられています。3人それぞれがつらい体験をしていますが、それが3人一緒に料理を食べることで癒やされていく…。もちろん、都合のよい設定や出来すぎの展開はありますが、それを含めて、このドラマを見ることでおだやかな気持ちにしてもらえる、そんな気持ちのよい作品に出来上がっています。

ホスト相続しちゃいました(フジテレビ系、火曜23時)

 広告代理店に勤める30代独身女性(桜井ユキ)が、叔父の遺言で突然ホストクラブを相続し、社長としてクラブを経営をすることになってしまう…という設定。私には、どうしてこの女性がホストクラブの経営をすることにしたのか(勤めている会社では兼業禁止なのに)、主人公の気持ちがまったく理解できません。とはいえ、「常識に囚われている女性が、ホストクラブ経営を通じて、その常識をとらえ直していく」という趣旨が、この設定にはこめられているようです。私は今のところ、それほど面白く見られないのですが、それは私が常識をとらえ直す柔軟性を失っているからなのかもしれません。


月読くんの禁断お夜食』(テレビ朝日系、金曜23時台)

 「食べさせたい男と食べたくない女が夜に織り成すグルメラブストーリー」だそうです。スポーツ・インストラクターのストイック女子(トリンドル玲奈)が料理上手な若者(萩原利久)から「禁断の夜食」をふるまってもらうという話。テレビ東京お得意の深夜飯テロかと思いきや、テレビ朝日系の深夜ドラマでした。そういえば、昔ラーメンのコマーシャルに、「わたし作る人、僕食べる人」という現代ではアウトなキャッチコピーがありました。近年は男女が逆にならないと通用しないのかもしれませんし、たとえば『作りたい女と食べたい女』のような両方女性というドラマも作られています。それはそれとして、この作品は、『孤独のグルメ』のような「食べたいものを自由に」「ガッツリ好きなだけ」という主張とは異なり、「美味しいものをヘルシーに食べる」というコンセプトで作られているのがポイントになっています。
(ただし、初対面の男性を1人暮らし女性の部屋に入れて料理してもらうというのは、いくらドラマで、男性の免許証を見せてもらっているからといっても、そして実は過去に接点があったとしても、さすがによろしくないなと思いました。)


隣の男はよく食べる(テレビ東京系、水曜深夜)

 原作は美波はるこの漫画作品。10年間彼氏のいない35歳の独身女性(倉科カナ)が、隣に住む25歳のイケメン男性(菊池風磨)とつきあうことに。そのきっかけは女性が鍵を忘れたことですが、その後は女性の作る料理を媒介に、2人の距離が急速に縮まっていきます。先に書いた『月読くんの禁断お夜食』との共通点、相違点が面白く感じられます。ともに「30代女性と年下男性の関係」「料理と食べることが接点」という点で共通しています。一方で、『隣の~』は30代女性が一方的に料理を作り年下男性に食べさせる、『月読くん~』は年下男性が料理を作り30代(30歳ちょうどという設定ですが一応30歳)女性に食べさせる、と正反対の構図になっています。『隣の~』の方がやや古風な構図にも感じられますが、近年に放送されていた『きのう何食べた』や『作りたい女と食べたい女』など、料理を提供する人と食べる人の関係をテレビドラマが多様に描くようになった、と受けとめることもできるでしょう。そういう意味で、今回の『隣の~』と『月読くん~』の対比には興味ふかいものがありました。

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 4~6月期テレビドラマ、いわゆる春ドラマが出揃いつつあります。恒例になりました放送中のテレビドラマについての私の感想を、先週に続いて書いていきたいと思います。今週は、過去の同じ系統作品に注目しながら、感想を書いていきます。土日に放送されたばかりの作品や午前0時以降の深夜ドラマの感想は、また次回とさせてください。

波よ聞いてくれ(テレビ朝日系、金曜23時台)

 こりゃすごいですわ。小芝風花が金髪のやさぐれ女を演じるコメディ。そして、いわゆるマシンガントークのしゃべりまくりドラマです。小芝風花のコメディエンヌとしての実力はすでに多くの作品で実証済みですが、この作品では、膨大なセリフをしゃべりまくります。圧倒されました。
 原作は沙村広明の漫画作品。ただし、漫画ではいくらしゃべっても、基本的には活字で表現されます。それを実写化して、生身の俳優にしゃべらせているところに、この作品の挑戦的な姿勢が感じとれます。「同系統の作品」となると、野島伸司脚本ドラマにしゃべりまくりドラマがありましたが、その場合は複数人物の掛け合いが多かったと思います。個人のしゃべりまくりというと、『リーガル・ハイ』(2012年、2013年)がやや近いのですが、そちらは弁護士役の理屈っぽいマシンガントーク。今回のような、やさぐれ女を主人公に据えたマシンガントークには思いあたる作品がなく、その意味でも次回以降見逃せません。

合理的にあり得ない(フジテレビ系、月曜22時)

 トラブルを起こして(起こしたらしいのだが種明かしはまだ今後?)探偵になった元弁護士(天海祐希)と高IQの頭脳明晰ながら女性が苦手な男性(松下洸平)がコンビを組んで事件にあたります。事件や犯罪がからむものの、深刻になりすぎず、コメディ要素を盛りこみながら天海の痛快さを活かしていく、そういう作品は『離婚弁護士』『BOSS』『緊急取調室』など多々ありました。それだけに目新しさはありませんが、「強いけれどちょっと笑える」女性像は、現代の視聴者が安心して見られる最大公約数的存在なのかもしれません。

unknown(テレビ朝日系、火曜21時)

 「秘密をかかえた男女の愛を描く本格ラブサスペンス」というのが謳い文句。結婚間近な普通の男女に見えて、実は女(高畑充希)は吸血鬼、男(田中圭)にも秘密がある…という設定です。人間と非人間の恋というテーマは古くからありました。ロボットが登場する『Q10』、映画なら『シザーハンズ』、韓国ドラマで『僕の彼女は九尾狐』や『トッケビ』など多くが思い浮かびます。ただし、今回は恋人の方にも何か重大な秘密があるという設定。人間と人間でないものの恋というテーマに、連続殺人や相手の人間の秘密をも盛りこむという欲張りな内容。内容がやや多すぎる気もしますが、まるで普通に見えるカップルとその背後の重大な秘密、というギャップには引きつけられるものがありました。

王様に捧ぐ薬指(TBS系、火曜22時)

 原作はわたなべ志穂の漫画作品。内容から真っ先に『花より男子』が思い浮かびました。大会社の御曹司と貧しい家の女性。しかし、完璧な王子様とかよわいシンデレラではなく、傲慢な御曹司と気の強い女性という構図が『花より男子』と共通するところです。それだけに既視感は否めませんが、「気の強い」という枠を越えて、かなり計算高く、かなりの毒舌女性像が描かれていて、ここまで徹底すればむしろ爽快なくらいです。「受け身の女性」から完全に脱皮しているところに、この作品の現代性が感じられます。

ペンディングトレイン(TBS系、金曜22時)

 いつもと変わらない、都心へ向かう朝の電車。しかし、その1車両だけが見知らぬ世界にワープしてしまう…という話。これは、年配の人ならたいていの人が『ロング・ラブレター~漂流教室』(2002年)を思い出すだろうと思います。ただし、『ロング・ラブレター~漂流教室』は、楳図かずおの漫画作品『漂流教室』(1972~74年)のドラマ化で、内容は漫画とテレビドラマもかなり異なっていました。だって、ホラー漫画の大家・楳図かずおの漫画作品ですからね。そのままテレビドラマになるとは思えません。ちなみに、『漂流教室』は、ある日突然、未来の砂漠のような土地にタイムスリップしてしまうクラスの話。テレビドラマ版は20年以上も前の作品ですが、主演の常盤貴子の眉毛がいつもほれぼれするほど綺麗に描けていたのが忘れられません。やはり女優さんは、砂漠に何日暮らしていても、綺麗に眉毛が描けるんだなと感心したことを覚えています。
 話を『ペンディングトレイン』に戻しますが、初回は確かにショッキングでした。しかし、『ロビンソン・クルーソー』でもあるまいし、サバイバルの物語を毎週10回も待ち続けるのはちょっとつらそうです。(ちなみに『ロビンソン・クルーソー』を本当に読むと、サバイバルの工夫などの説明が延々と細かくて、正直うんざりしてきます。おそらく『ロビンソン・クルーソー』を読んだという人の99%は、ダイジェストしか読んでいないだろうと思います。)
 その意味では、初回のインパクトとのギャップがありすぎて、2回目以降に飽きてくるという展開にならないことを願っています。


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 4~6月期テレビドラマ、いわゆる春ドラマの放送が始まっています。恒例になりました放送中のテレビドラマについての私の感想を、今週から何回か書いていきたいと思います。

だが、情熱はある(日本テレビ系、日曜22時半)
 オードリーの若林正恭と南海キャンディーズの山里亮太。その2人をモデルにし、実名で登場する伝記的ドラマ。誰でも知っている2人だけどドラマの主役になるほどの2人か、という気もするので、勇気ある企画と感じました。しかし、NHK『拾われた男』で松尾諭の伝記的ドラマが放送されたように、必ずしもトップスターだけがドラマの主役になるわけではない、という時代の雰囲気を示しているのかもしれません。
 加えてもう少し感想を書きます。「まだ何者でもない若者が、何者かになろうとしてもがく」というのは、ドラマに限らない普遍的なテーマなのかもしれません。伝統的にいえば「成長小説」(buildings roman)という文学ジャンルがありましたし、テレビドラマでいえば、古くは『ふぞろいの林檎たち』、近年でも『遅咲きのヒマワリ』や『コントが始まる』などがありました。多くの大人たちは既に「何者か」になってはいる。「安定した場所」は手にしているけど、自分はもう成長することも変化することもない…。そういう思いが、若者たちのもがく姿にかつての自分を重ねて、それをいとおしく思うのかもしれません。

わたしのお嫁くん(フジテレビ系、水曜22時)
 「ズボラ女子×家事力最強男子のラブコメ」という設定。「ズボラ女子」といっても、仕事力抜群の営業職女子(波留)が、部下の年下男性社員(高杉真宙)と同棲することになる話。仕事の出来る女性と家事力の高い男性などの組み合わせということでいえば、これまでの類似作品としては『君はペット』や『私の家政婦ナギサさん』などが思い浮かびます。新しい魅力的な設定とは思いませんが、互いの長所を認め合っているところに爽やかさがあり、見ていて気持ちよい作品になっていると感じました。

あなたがしてくれなくても(フジテレビ系、木曜22時)
 セックスレス夫婦の話。といっても、刺激的だったり扇情的だったりすることはなく、真面目な作りになっていると思いました。しかし、こういう設定の登場人物には周囲に必ず魅力的で心やさしい異性があらわれるんですよね。どうしてなんでしょう。いや、願望ややっかみじゃありませんよ(笑)

勝利の法廷式(日本テレビ系、木曜深夜)
 過去の失敗からなかなか立ち直れない女性弁護士(志田未来)と、性格の悪いミステリー脚本家(風間俊介)が、コンビを組んで法廷で活躍する物語。あまり期待を持たずに見たのですが、意外に面白く見ることができました。風間俊介は、このところ「いい人」を演じることが多く、前クール『silent』の演技がまだ強く印象に残っています。それだけに変人脚本家の役がしっくりくるかと気になりましたが、演技力のゆえか、すんなりと受け入れられました。

ケイジとケンジ、ときどきハンジ(テレビ朝日系、木曜21時)
このブログでは、シリーズものの2作目以降はあまり取り上げませんが、今回は第1シリーズと少し違うので、コメントしておきます。第1シリーズは『ケイジとケンジ』でしたが、なぜか「検事」役の俳優さん(背の高い東なんとかさん)が今回は出演していません。その分作品のパワーが縮小されるかと思いきや、片割れの仲井戸豪太(桐谷健太)がその分全開、やりたい放題!といった感じです。肩がこりません。気楽に見られます。

それってパクリじゃないですか(日本テレビ系、水曜22時)
あらゆる批評欄が一致して、「勉強になる」作品と書いています。たしかに。「知的財産権」について、楽しみながら学べる作品です。ただ、ずっと「お勉強」なのでしょうか。初回は面白かったですが、「お勉強」の時間が長いと飽きてきそうなので、今後の工夫に期待します。ところで、これまで重岡大毅は数々の「いい人」を演じてきました。『ごめんね青春!』に始まり、近年では『家族募集します』や『雪女と蟹を食う』などで、毎回「いい人」を好演してきました。今回はうってかわって、気難しい変人弁理士役。私の中ではすっかり「いい人」イメージが定着しているので、この機会に脱皮できれば、俳優として大成するきっかけになるかもしれません。

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 NHK朝ドラは『らんまん』が始まって1週間経ちました。関心は既に4月クールの春ドラマに向かっていますが、その前に『舞い上がれ!』をふりかえって、総括しておきたいと思います。『舞い上がれ!』のおおまかなストーリーは以下の通りです。
 子どもの頃に体が弱かった舞(浅田芭路→福原遥)は、大阪の家族から離れ、療養を兼ねて五島列島で祖母と暮らし、そこで空に舞い上がる地元の凧に憧れます。その後元気に成長した舞は大学生になり、人力飛行機サークルに入ります。そこから、空を飛ぶパイロットを志すようになり、大学を中退して航空学校に入学。厳しい訓練を経て飛行機会社のパイロットに採用されます。ところがリーマンショックで入社が1年延期になり、その間に父親が急死。父親が社長だった町工場の存続が危うくなり、舞は飛行機会社の入社を辞退し、母親と一緒に工場の経営にあたります。やがて経営を立て直した後、舞は町工場の技術を活かした新しいアイデアのものづくりに取り組むようになり、最後は空飛ぶ車の初飛行のパイロットとして、祖母をなつかしい五島列島に送り届ける。と、だいたいこういう話です。
 タイトルが『舞い上がれ!』なのに、「いつになったら主人公が舞い上がるねん?待たせすぎやろ。」とか、「空飛ぶ車ってヘリコプターそのまんまやん!」とか、いろいろツッコミたいことはあります。しかし、「空への憧れ」「ものづくりの技術の成果」「思い出の五島列島」などの要素がすべて最終回に向かって集約されていくという、この大団円の構成は実にうまく出来ていると思いました。
 とはいえ、私にはどうしても受け入れられないことがありました。それは、飛行機会社のパイロットに採用されながら、入社を辞退して家業の町工場を手伝うという転換についてです。朝ドラの多くのヒロインは、子どもの頃からの夢に一直線でした。だからといって、方針転換をするヒロインは見たくない、などというつもりはありません。人間には迷いがつきもの。方針転換することだってあるでしょう。しかし、この方針転換が、家族を大切にする美談のように描かれていることに納得がいきません。そんなに家業の町工場が大切なら、最初からなぜ工場に勤めなかったのでしょうか。大学に行かせてもらい、その大学を中退して航空学校に行かせてもらい、さらにパイロットに採用までされながら、やっぱり工場を手伝いたいという転換が、私には単なる迷走のようにしか見えませんでした。
 さらにいえば、なのですが、舞の母親の気持ちが私にはまったく理解できません。舞の母親の立場からいえば、自分の夫の経営していた工場を建て直すために、自分の子どもに夢をあきらめさせるわけです。私が母親の立場だったら、子どもにそんなことをけっしてさせないでしょう。しかもドラマとしては、それが美談のように描かれています。さらに結果として、工場はおおいに発展する、舞は工場の仕事を通じて新たな夢を見つける、最後はパイロットの資格も活かして空を飛ぶ……と、万事めでたく、すべてがあまりにも都合よく進んでいきます。残念ながら、私にはそうした展開から、ドラマ内世界に感情移入する気持ちがすっかり失せてしまいました。
 今回はいささか辛口の批評ですが、ドラマに期待し、ドラマを愛するがゆえに、半年間見続けた朝ドラの展開には納得がいかない、もやもやした気持ちが残りました。

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 2022年度の卒業式と2023年度の入学式が終わりました。私にとっては、中央大学に勤務して33年間が終わり、定年退職まで残り5年間となりました。まぎらわしいタイトルをつけてしまいましたが、私はまだ定年になる年齢ではありません。
 私のような勤務形態の人間には、定年退職の年齢・時期というものが、あらかじめ決まっています。一方で、スポーツ選手のように、現役選手としての引退は自分自身で決めたり、あるいは契約がなくなったりするなど、その時期が決まっていない職種もあります。ですが、私の勤務の定年は決まっているとしても、私の研究者としての定年・引退はあらかじめ決まっているわけではありません。研究者として研究をしたり論文を書いたりするだけなら、自分でやめようと思うまでは、ずっと研究者でいられるのかもしれません(周囲から評価されるかはまた別のことですが)。
 そんなことを思ったのは、継続的にしている断捨離・身辺整理のためです。このブログにも何度か書いたように、私はこのところ、自分の本や持ち物をできるだけ減らすように努めています。そこで感じるのは、自分があとどれくらい研究を続けられるかという「研究者引退」までの自己判断です。あと5年で大学教員を退き、授業や会議をしなくなる、ということは明確です。しかし、どの分野の研究をどれくらいの期間続けるのか、それがはっきりしないと、持っている本や資料を整理できるかどうかがなかなか決まりません。
 私は、年齢や時期によって、研究内容を変えてきました。生涯同じテーマに取り組む研究者を立派だと思う反面、自分自身は一つの研究テーマに区切りを付けたら、新しいテーマに取り組みたいと考えてきました。ですので、多分野の本や資料を持っていて、それらをすべて持ち続けるのは困難です。というわけで、過去に取り組んでいた研究テーマの資料は整理しています。それが合理的な判断だとは思うのですが、感情的にはそうは割り切れません。自分で自分の引退時期を判断するスポーツ選手のように、「おまえはもうこの分野の研究論文を書くことはないだろう。だからおまえにこれらの資料は必要ないんだ。」と自分に言い聞かせながら、過去の研究資料を処分するのはなかなかつらいものです。とはいえ、「終活」とはそういうものなのかもしれません。今はそういう思いをかかえながら、持ち物を減らすように努めています。

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