フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 このブログでも、過去に何度か断捨離をテーマに書いたことがあります。

 → 「断捨離を実行?」(2012年6月)
 → 「断捨離できない男/私」(2021年11月)
 
 このところ、何度目かの断捨離を試みています。しなければならない直接の理由もありますが、そうでなくとも定年退職まであと5年ということで、持ち物のサイズダウンは必須という状況になっています。
 2017年に勤務先で学部長職に就くことになり、学部長室に本やDVDを増やしてしまいました。2021年秋に学部長の任期を終えるときに、持ち物を減らす必要があり、そのときに書いたブログが上記の「断捨離できない男/私」です。そのときになんとか個人研究室に持ち物を納めたのですが、一時しのぎ感は拭えず、再度の整理が必要になっているという状況です。
 ということで、今回は書籍類とVHSビデオテープを中心に、残念ながら手放すことにしました。書籍類は研究上必要としてきたものなので、手元に置けないのはつらいのですが、いざとなれば図書館等を利用することにして、あきらめることにしました。また、VHSビデオテープに保存したテレビドラマ類については、多くがDVD化されていることもあって、今回あきらめることにしました。ただ、DVD化されていない番組等の録画については残念で仕方ありません。泣く泣くあきらめました。

 私も名実ともに高齢者の仲間入りしました。周囲に迷惑をかけないようにするためにも、一定の断捨離をしていかなければいけないと思っています。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく日曜)の更新を心がけています。







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 あるローカル駅を訪れました。走る列車は1両だけの編成で、列車の本数は1日に数本。乗客は2~3人でした。窓口はとっくに廃止され、今は無人駅になっていました。そんな駅に、こんな貼り紙が残されていました。
「列車内ではリュックを前に抱えるか荷棚に載せるか配慮をお願いします。」
なんだかおかしいような、どこか悲しいような、不思議な気持ちになる貼り紙でした。
(ネタ切れしたわけではありませんが、今週はいつもと違う雰囲気のブログにしてみました。)

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 私は勝負ごとが好きです。勝負ごとの典型的なものはスポーツでしょうが、他にもいろいろあります。私の好みはスポーツ観戦と囲碁観戦です。スポーツや囲碁を自分でもしますが、自分でするときは(熱くなる傾向はありますが)、勝負ごとというよりは楽しむ姿勢でありたいと思っています。しかし、見る方では完全に勝負にのめりこみます。
 過去に野球やサッカーの特定チーム、日本代表などを応援していたことがありますが、現在は囲碁棋士の一力遼棋聖を全力応援しています。一方で、勝負ごととはいえ、私はデジタルゲームや賭け事をしません。パチンコも競馬もいっさいしません。たぶん始めたら夢中になりすぎてしまうから、無意識に自分で自分を抑えているのでしょう。

 さて、今日書きたいのは勝負ごとのプロとファンの関係です。それを思ったのは、囲碁棋聖戦第3局に関する報道です。一力遼棋聖と芝野虎丸名人の対局直後、二人は棋戦関係者に促されて大盤解説会場へ出向き、応援してくれたファンに挨拶したとのことでした。第2局においても同様に、箱根応援企画に参加したファンに挨拶にやってきました。これらは囲碁・将棋界では珍しいことです。
 囲碁・棋聖戦:対局終え、大盤解説会場に姿現した両雄、一力棋聖は子供に「希望」「挑戦」とサイン : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

 囲碁・棋聖戦:芝野名人「左上の白が生きて、少し良くなった」、一力棋聖「下辺のフリカワリで損」…難解な対局を振り返る : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

 激闘を終えた対局直後の棋士の頭と心は、最高潮にまで激しています。そのときにファンの前に姿を見せて、心を静めて挨拶をするのは並大抵のことではありません。それどころか、一力棋聖はその会場で、サインを求めてくる子どもたちの色紙や本に、「希望 棋聖一力遼」「挑戦 棋聖一力遼」と揮毫したそうです。泣けてくるじゃありませんか。

 それで思い出したことがあります。もう何十年も前のことですが、私はプロ野球観戦に凝っていた時期がありました。その頃野球場に行って帰るときに、何か物足りなさを感じていました。後で考えると、それは選手たちの姿勢だったのだと思います。今の野球選手は違うのかもしれませんが、その頃のプロ野球選手たちは、試合が終わると、観客には見向きもせずに用具をまとめて帰っていきました。地上波放送も毎日のようにあり、ファンサービスなどしなくても、十分に野球の地位は安泰でした。プロ野球選手はそういうものだと、当時の私も思っていました。
 しかし、その後サッカー観戦にシフトしていったとき、サッカー選手は試合後にサポーター席にみんなで挨拶に来ることを知りました。サッカースタジアムにおいては、片方のゴール裏がホームチームのサポーター席、もう一方のゴール裏がビジターチームのサポーター席となっています。それぞれのチームの選手は全員そろって、そのサポーター席に挨拶に行くのでした。そのとき野球観戦を思い出して、「野球選手は傲慢だ」とそのときになって思いました。(繰り返しますが、今の野球選手は違うかもしれません。もう何十年もプロ野球観戦には行っていないので、今の野球選手のことはわかりません。)

 一力棋聖と芝野名人の態度を見て、野球やサッカーのことを思いました。野球やサッカーは団体競技ですので、試合終了時に全選手の頭と心が最高潮に激しているわけではありません。それに対して、たった一人で頭をフル回転させている棋士の対局直後の状態は、異常な興奮状態といってもいいくらいです。そんな中でファンに挨拶をし、(名前だけのサインではなく)揮毫までしたことに私は感激しました。これを機に囲碁界では、いかに対局直後の極限状態だとしてもまずファンに挨拶をする、そういうことが珍しくないことになっていったらいいと思いました。棋士の皆さんには酷な要望なのかもしれませんが、囲碁人口が減少している今、そういうファンを大切にするプロ囲碁界であってほしいと願っています。

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 2022年度に担当した卒業論文について書きます。中央大学文学部の国文学専攻では、3年生、4年生の2年続きゼミと卒業論文がセットになっているので、私が担当するゼミの学生たちの卒業論文題目が下記の通りです。

【文学作品】
笹原彩音 『銀河鉄道の夜』論 ―幻想第四次の住人はどこから来たのか―
廣瀬修大 吉本ばなな『TUGUMI』論
杉原紫  殊能将之「ハサミ男」論
川北香夏 梨木香歩『裏庭』論
越智和  「容疑者Xの献身」における献身
岸塚大地 米澤穂信『ボトルネック』論
河又礼 角田光代『八日目の蝉』論
色野託史 木下半太『悪夢のエレベーター』論
堀井愛恵 あさのあつこ『No.6』論
堀江航生 西尾維新『〈物語〉シリーズ』論
大河内雪乃 「蜜蜂と遠雷」論
佐々木統哉 三秋縋『恋する寄生虫』論
大池夏生 『ステイホームの密室殺人』論 ―〈密室〉から考えるコロナ禍―須賀葵 加奈子『夜が明ける』論
【漫画・アニメ】
小此木良太 高橋留美子『めぞん一刻』論
田中愛梨 テレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』論  
花田麻愛 映画『千と千尋の神隠し』論
西内来留実 映画『パプリカ』論
宇佐美遥 『鋼の錬金術師』論
美浦礼太郎 諫山創『進撃の巨人』論
根井貴史 「進撃の巨人」論
【テレビドラマ】
西理々香 テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』論
川北莉子 テレビドラマ『最愛』論
【舞台】
半田真里奈 成井豊『ハックルベリーにさよならを』論
坂本颯平 舞台『夜は短し歩けよ乙女』論
【その他】
大山敬 松本人志『遺書』論

 毎年のことではありますが、今年度の宇佐美ゼミの卒業論文のテーマは多彩でした。四年生二六人のテーマは、大きく分ければ文学作品と現代文化(映画、ドラマ、漫画、アニメーションなど)となりますが、今年は例年以上に多様なジャンルの論文テーマが選ばれていました。例年は、漫画、アニメーション、映画、テレビドラマなど、文学作品以外のテーマを選ぶ場合、研究の積み重ねがないためか、なかなかレベルの高い論文にするのは難しいという印象がありました。しかし、今年の場合は、必ずしも文学作品研究の方が高いレベルになっているともいえません。これは、文学作品以外の研究が定着してきたためなのかどうか、その点は今後も継続して見ていきたいと思っています。
 卒業論文は、多くの学生にとって一生に一度きりの論文制作ですから、学生が本当に論じたい対象で書かせてあげたいと私は思っています。ただし、考察対象となる小説やマンガやテレビドラマ作品がただ「好きだから」というだけでは、論文としての考察をすることはできません。当然のことながら、作品を客観的に対象化することや相対化することが必要になります。小説などの文学作品の場合は中学・高校の国語の授業でもある程度読んできていて、大学でも多くの授業がありますから、多くの作品の中の対象作品の位置づけを一応は考えることができる面があるようです。それに比べてマンガ・アニメやテレビドラマなどの作品を考察対象として選ぶ場合、ただ単に「この作品は面白い」という狭い感想に終わってしまいやすい傾向があります。こうしたポップカルチャー作品を研究対象に選びたいという場合には、できるだけ広い視点を自分で意識的に持つ必要があり、今後もそのような点に注意して、論文指導をおこなっていきたいと考えています。

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