フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 私が所属する「日本近代文学会」という学会組織の大会が、10月24日(土)25日(日)の2日間おこなわれました。
               
 今回の会場は関西学院大学。初めてこの大学のキャンパス内に入りましたが、とても美しい大学でした。スペイン風の建物と庭で統一されている大学で、建築基準のために4階建ての建物までしか建てられないことがかえって幸いしたとのことでした。
 私のイメージでは、大学というのは「新しくて無機質」な大学か、「古くて汚い」大学が多いような気がします。しかし、関西学院大学は「古くて美しい」大学でした。また、運営委員だけではなく、関西学院大学の教員やお手伝いの大学院生・学生の皆さんのおかげで、大会全体もたいへんなめらかに進んでいたように思いました。
               
 ちなみに、今回のプログラムは以下のようなものでした。

  2009年度秋季大会
   日時: 2009年10月24日(土)・25日(日>
   場所: 関西学院大学 西宮上ヶ原キャンパス
  ■ 24日(土) 1400より
   
研究発表
    木村洋   時代に煩悶あり
―『獨歩集』『運命』論―
    西元康雅  視覚とカメラ
―『細雪』の写真をめぐって
    野口尚志  太宰治と「津軽の言葉」
 ―「雀こ」を中心に
  ■ 25日(日) 1000より
   研究発表
    上村文人  
大江健三郎『人生の親戚』論
    柴田勝二  閉じ、開かれる時空
―大江健三郎における共同体
  《シンポジウム》  1300より
   〈複数言語〉の明治
     福井辰彦  もう一人のお伝―菊池三渓「臙脂虎伝」について―
     馬場美佳  〈調和〉への挑戦 ―尾崎紅葉の小説文
  
   ロバート・キャンベル 『米欧回覧実記』に流れる複数の言語態
 
    青木稔弥  アイデヤルの挑戦

 毎回2日目午後が企画発表になっており、今回は「複数言語の明治」という特集でした。現在の私たちは、小説を「均質なもの」「統一されたもの」というイメージで語ります。「作中で視点が入れ替わる」とか「作中で文体が変化するところがある」といった言い方をするのは、小説全体が統一され均質化されたものだという前提があるからです。しかし、その小説が出来上がる前の明治前半期の小説はまだまだ混沌としたものでした。そこには英語などの外国語や漢文や方言が入り交じる「複数言語」の世界があったとする企画で、その意図するところはたいへん興味深いものでした。
 ところで、その前の研究発表に関して、些細なことですがひとつ思ったことがありました。ある研究発表者が、その発表の最初に、「この発表を依頼されたときに私は最初断ったのですが、これまで書いたことをまとめる発表でもいいからと言うので、それで引き受けました」と前置きをしていました。
 ふーん、そういうものなんでしょうか? それって、「私は他の発表者のように自分から応募したのではなく、頼まれたから発表してあげてるんだよ」って言いたいのでしょうか。また、そういう「前置き」というのは要するに、「これから私が話すことはもう活字に書いたことの焼き直しですよ」っていうことにもなってしまうのではないでしょうか。本当にそういう依頼の仕方をしたのなら、依頼する方もどうかと思いますが、そういう事情で引き受けたと言い訳をしてから発表する方もおかしいような気がします。そういう裏の取引みたいなことって、聞いている人たちに関係ないことですし、ましてや最初に前置きするようなことなのでしょうか。私にはその感覚がわかりませんでした。
 たいへんいい学会だったのですが、そのことだけがなんだか引っ掛かりました。
         

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 作曲家・音楽プロデューサーの加藤和彦さんが亡くなりました。加藤さんの御冥福を、心からお祈りします。
               
私にとっての加藤和彦さんは、 『あの素晴らしい愛をもう一度』がすべてと言ってもいい存在でした。
 加藤さんが北山修やはしだのりひこと3人でデビューしたザ・フォーク・クルセイダースも、加藤ミカやつのだひろと始めたサディスティック・ミカ・バンドも(その後メンバーの入れ替わりがあり、高中正義や高橋幸宏も加入)、解散後の作曲家・音楽プロデューサーとしても加藤和彦さんも、申し訳ありませんが私にはそれほど思い入れのある存在ではありませんでした。つまり、私にとっての加藤さんは『あの素晴らしい愛をもう一度』一曲なのです。
 『あの素晴らしい愛をもう一度』は1971年に加藤和彦さんと北山修さんの二人で歌って出したレコードで、作詞が北山さん、作曲が加藤さんでした。当時はフォークソング・ブーム、ギター・ブームで、若者はみなギターを弾いてフォークを歌いました。この曲が出た年に13歳だった私は、当然ながらこの曲を一生懸命に練習して、ギターで弾いて歌えることを目指しました。
 もっともフォークと言っても、この曲には、それ以前のフォークソングが持っていた政治性・メッセージ性・メロディからはみ出すような歌詞の過剰といった特徴はなく、今聞くと『あの素晴らしい愛をもう一度』はセンチメンタルな歌謡曲と言ってもよいのかもしれません。ただ、13歳の私にとって、「フォークソング」と「ギター」と『あの素晴らしい愛をもう一度』はぴったりと重なり合うものであり、ひたすらにこの曲のスリーフィンガーを練習し続けたのでした。
 この曲は北山さんが加藤さんの結婚を祝って作ったとも言われているようですが、歌詞はそういう内容ではありません。むしろ、かつての愛を失ってしまった現在から、けっして取り戻せないその愛を夢見るという、とても哀しい曲です。
                
 ここまで書いてきた思ったのですが、私はこの歌詞にあるような「変わってしまう」ことをテーマにして、何度かエッセイを書いています。その一部は私のホームページにも掲載していてます。→
「あり続けること」
 人は「変わらない」でいたい、「変わらない」でいてほしい、という願いを持ちながらも、けっして「変わらない」でいることはできない。だからこそ、その「変わってしまう」ことに身を任せるという考えもあるでしょう。けれども、少しでも「変わってしまう」ことに抗おうことが尊い、というのが私の基本的な考えです。また抗いたいという気持ちの中に人間の美しさと哀しさがあるとも思っています。

   命かけてと 誓った日から 
   すてきな想い出 残してきたのに
   あの時 同じ花を見て
   美しいと言った二人の
   心と心が 今はもう通わない
   あの素晴らしい愛をもう一度
   あの素晴らしい愛をもう一度

 『あの素晴らしい愛をもう一度』という曲を初めて聴いた13歳の頃には、もちろんそんなことは考えませんでしたが、今となってみると、この曲にはそういう私の気持ちを重ね合わせられるところがあったのではないかと感じています。
 加藤和彦さん、安らかに。そして、素晴らしい曲を残してくれてありがとう。
               

(10月26日追記)
 上記のように、私にとっての加藤和彦さんは『あの素晴らしい愛をもう一度』一曲だと書きました。しかし、その後気になって少し調べてみました。そうしたら、加藤和彦さんの作曲やアレンジだと知らなかった曲があまりに多いことに驚きました。たとえば、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」も、トワ・エ・モワの「初恋の人に似ている」も、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」も、みんな加藤さんの作曲でした。また、泉谷しげるの「春夏秋冬」や吉田拓郎の「結婚しようよ」も加藤さんのアレンジなのでした。
 あらためて加藤さんの偉大さを思うばかりです。
 再び加藤さんの御冥福を心からお祈りします。



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 外食の話は書いても自分で作る料理のことは、しばらく書いていませんでした。料理をしていないわけではなかったのですが、レパートリーも尽きてきて、新しく載せるような料理を作っていませんでした。
 だからというわけではありませんが、今までと少し違う料理を作ってみました。ポークソテーのマンゴーソースかけです。前に柿ソースかけを作ったことがあるように、ポークは甘めの果物との相性がよく、また肉が軟らかくなるので、林檎などがよく使われます。今回はマンゴーを使ってみました。
               
 マンゴーは甘いがクセのある匂いが強いというイメージがあります。ただ、白ワインと合わせてソースを作ると酸味も出てきて、思っている以上に複雑な味のソースができます。今回は、野菜のチーズ焼きやブロッコリーを添えてメイン料理にし、白ワインとフランスパンの夕食にしました。
 ワインに合う料理になりました。
              
 



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 季節はもうすっかり秋です。
               
 今年の夏を思い出すと、それほど暑くなくて、過ごしやすかったように思います。そのわりに、今年の夏は、例年以上にすいか(西瓜)を食べました。
 私は果物がとても好きなので、買い物に行くと、「おたく何人家族なの?」と聞かれるくらいたくさん買ってきます。自転車で買い物に行っても、それくらいたくさん買うとカゴに乗り切れないので、例年すいかを丸ごと買うのは控えてきました。それが今年は何故か自分でも理由がわからないのですが、丸ごとすいかを何度も買いました。時には、自転車のカゴには乗らないこともありましたが、それでも何とか買ってきて、存分すいかを食べた夏でした。
 他にこの夏よく食べたものと言えば、枝豆と冷やし中華です。
               
 枝豆は居酒屋さんの最初のつまみとして定番ですが、私はかための茹で方が好きなので、外で食べる柔らかい(そして塩の多すぎる)枝豆が好きではありません。ブロッコリーなどの野菜類もすべてそうなのですが、柔らかく茹で過ぎた野菜や豆は好きではないので、自分でかために茹でて食べるようにしています。
 それから冷やし中華。若い頃はそれほど好きではなかったのですが、ここ数年、夏には週に4~5回のペースで食べていたかもしれません。自分で作るときは、もやしやキュウリを増やして麺を少なめにすれば、カロリーを控えめにすることができるので、そういう意味でも、ひんぱんに食べるメニューです。また、私はハムややチャーシューの代わりにちくわの細切りを乗せることが好きで、その方が軽い味になるように思います。
 涼しくなって過ごしやすいけど、夏の暑い盛りに食べるスイカ・枝豆・冷やし中華が少し懐かしい気もしています。
     
          

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 10数年前から、明治書院から発行している高等学校用検定「国語教科書」の編集委員を務めています。その任期が一昨年で一区切りし、今年からは新しい学習指導要領に沿った教科書編集がスタートすることになりました。
               
 私は大学教員で、研究分野を尋ねられれば「日本近現代文学」と答えています。ただ、出身大学は教員養成を目的とした大学で、学部も教育学部でした。ですから、取得した学位で言うと、教育学士・文学修士・博士(文学)となっていて、学部だけは専門が教育学ということになっています(実際には国語教員養成専攻でしたが)。
 だからというわけではありませんが、10数年前に高等学校の検定「国語」教科書の編集委員を依頼されたときには複雑な気持ちもありました。自分がかつて国語教育の勉強を捨てて(と言うとおおげさかもしれませんが)、文学の専門的な勉強へと進んだので、その自分が再び国語教育にかかわって、教員の方々の使う教科書を作ることには、多少の迷いもないわけではありませんでした。
 しかし、1期目の10数年を終えてみて、検定「国語教科書」の編集は勉強になることが多く、引き受けてよかったと思っています。「国語教科書」の編集にかかわりながら勉強したことが、いくつかの論文に結びついたこともありました(「これからの国語教科書」『中央大学文学部紀要』、「ジェンダーから見る国語教科書」『国文学』など)。また、大学の国文学専攻という組織に勤めていると、国語教員を目指している学生も多く、実際にそうなっている卒業生も多いため、自分が国語教育にいささかでもかかわっていることがプラスになることも多くあります。それらの意味でも、「国語教科書」にかかわってきたことはよかったと思っています。
               
 もっとも、編集委員は外から見るよりもずっとたいへんです。高等学校の「国語教科書」なのだから、実際には高校の先生方が編集をしていて、私のような大学教員の編集員はたいしたことをしていないのかと思っていた面がありました。
 しかし、私が編集委員を務めている明治書院の編集委員会は、高校教員・大学教員・書院の編集部員ということにあまりかかわりなく、自由に意見を述べ合って教科書を作っていきます。また、教材選びだけではなく、「学習の手引き」や「指導資料」作成などもみんなでおこないますので、大学教員だから楽というわけではありません。
 そういうたいへんさもありましたが、ここで書いたようなさまざまなプラス面もあり、再度この編集委員を引き受けることにしました。その発足の記念会が写真の会です。
 どんな文章が高校生と高校の先生に喜んでもらえるのか。どんな教科書が国語の力を身に付けるのに適しているのか。そして、そもそも国語の力とは何なのか。国語教育をめぐっては迷いも尽きませんが、引き受けたからには、明治書院の「国語教科書」が少しでも良いものになるように努力したいと思っています。

               





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