フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



  この2週間ほど、WBC野球大会のことで世間はおおいに盛り上がっていました。しかし、同じマスコミとはいえ、テレビと新聞では報道のしかたは、かなり異なっていました。私はテレビドラマ研究者ですので、通常はテレビ寄りの人間ですが、今回WBCについては、テレビが「盛り上げ」や「盛り上がり便乗」一辺倒だったのに対して、やや違和感を持ちます。その点新聞の方は、WBCという大会の問題点や運営の偏ったあり方を報じるなど、さすがと思うことが多くありました。そもそも、WBCとはどういう大会なのか、今回熱狂した人々の多くは、ほとんど知らずに見ていたのではないでしょうか。
 WBCは、サッカーワールドカップなどとは根本的に異なる、アメリカ・メジャーリーグとその選手会が中心となって実施している大会です。したがって、世界各国の平等性などはいっさいありませんし、どこの国が優勝しようと、収益の大半はメジャーリーグとその選手会に入るように出来ています。また、準決勝と決勝はアメリカでおこなわれ、その試合すべてをメジャーリーグの審判が担当して裁きます。これはもう「国際試合」とは呼べない構造になっています。その他ケチをつけようと思えばいくらでもできますが、それでも見ていて爽快な気持ちにしてもらえたことは確かでした。
 今回日本チームを見ていてよかったのは、選手たちがこの大会のために懸命に努力し、プレーする姿でした。前述のように、WBCはサッカーワールドカップとはは根本的に別ものです。選手がみな出場を念願しているわけではありません。過去のWBC大会では、選ばれた選手が出場を拒んだり、出場した選手が「こんな大会には二度と出たくない」と発言することもありました。そんな中でWBCが少しずつ浸透し、多くの(すべてではありませんが)有力選手がここに集まってきたのは今回の日本チームの明るい材料でした。
 そこに貢献したのが栗山英樹監督でしょう。栗山監督は日本ハム監督を10年間務めていて、ダルビッシュ有や大谷翔平との関係が深いことが知られています。栗山の監督としての手腕よりも、ダルビッシュ有や大谷翔平に出場してほしいから、彼らを説得するために栗山に監督要請があったのではないか、とも言われました。しかし、たとえそうだったとしても、結果として有力選手が多数集まり、我の強い一流選手の集まりに一体感を作り出した栗山の手腕は、最大限に評価されるべきです。
 ちなみに、栗山英樹は(私と同じ)東京学芸大学の出身。プロ野球にはドラフト外での入団でしたし、選手として一流の実績を残したとはいえませんでした。またサッカーと比較しますが、サッカー選手は引退後(引退前からの人もいますが)に講習を受けるなどして、サッカー指導者のライセンスを得ることが義務づけられています。ライセンスにはもちろん段階があり、Jリーグや日本代表の監督になるためには、最上級のライセンスを持っていることが条件になります。つまり、選手として一流だったとしても、指導者としての訓練を積んでいない人は監督にはなれない仕組みになっています。
 ところが野球にはそれがありません。しかも、大物選手が引退すると、講習を受けるどころか、コーチ指導経験もないまま、そのままプロ野球の監督になることも少なくありません。野球界では、現役時代の実績で監督になれるかどうかが大きく左右されるのが実体です。そういう野球界で、栗山英樹が日本代表監督を務めたことは異例の抜擢といえるでしょう。だからこそ、ダルビッシュ有や大谷翔平を呼び寄せるための抜擢という陰口もささやかれたわけです。しかし、繰り返しますが、たとえそうだとしても、結果がすべての勝負の世界です。WBCで優勝し、選手たちからも「また日本代表として集まりたい」という声が聞かれたことで、栗山の抜擢は大成功だったといえます。このことがきっかけとなり、野球の世界でも「現役時代の成績偏重」の指導者観が変わっていくことを願っています。

追記
 余談ですが、サッカーの方では、現役時代無名選手だった名監督が多くいます。たとえば、ヨーロッパの複数のビッグクラブで抜群の成績を残したジョゼ・モウリーニョは、選手としてはほぼ無名でした。大学でスポーツ科学を学び、体育教師となった後、通訳やアシスタントコートを経て、次第に頭角をあらわしていき、カリスマ性を持つ有名監督になりました。モウリーニョは、UEFA最優秀監督に4度も選出されています。

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 少しきっかけがあり、過去のテレビドラマ『天気予報の恋人』(2000年、フジテレビ系)を見直しました。
 私のもともと岡田惠和という脚本家の書く作品が好きなのですが、その中でもこの『天気予報の恋人』は一番の好みといってもいい作品です。岡田の作風を一言でいうなら「誰も悪い人が出てこない世界」「突出した主人公のいない普通の人たちの物語」といった作風です。この『天気予報の恋人』という作品の主要人物は3人。バツイチ40歳の気象予報官・矢野克彦(佐藤浩市)、アルバイトを掛け持ちする未婚の母・原田早知(稲森いずみ)、容姿に自信のない恋愛苦手なラジオDJ・金子祥子(深津絵里)の3人で、みな自分に自信を持てずに生きているところが、まさに岡田の作風通りです。早知と祥子は親友同士ですが、二人がふとしたことから矢野と知り合い、3人ともに成長していく物語になっています。その過程が見ていて微笑ましく、3人を応援したくなるのがこの作品の特徴であり、脚本の魅力です。
 私がこの作品を好きなもう一つの理由。それは、身も蓋もない話ですが、矢野に感情移入してしまいやすいことです。だって、「あなたは明日の天気のことはわかっても、女の心はわからない」なんて言われている野暮な男が、40歳になって急に二人の女性から恋心を告白される、いわゆるモテ期に突入する話。こりゃ男としてはたまらないです(すみません、ホントに身も蓋もない、正直で露骨な話です)。
 とはいえ、この作品に少しだけ不満があります。それは、金子祥子(深津絵里)が容貌コンプレックスに陥っているというところ。そして、矢野は最終的にに祥子ではなく、佐知にプロポーズします。しかし、だってどう見ても深津絵里さん、可愛いじゃないですか。ドラマだから仕方ないとしても、今で言うなら、伊藤沙莉か富田望生が演じる役ですよ(伊藤沙莉も富田望生も、よく見るとやはり女優さんだからキレイですが、強いていえば、です)。稲森いずみがキレイなのは当然なのですが、深津絵里の容姿がそれより断然劣っている…という設定がどうしても受け入れられません。また、外見だけではなく、努力家で思いやりのある金子祥子は、ドラマの中で実に魅力的な女性として描かれています。となると、私が矢野克彦だったら絶対に金子祥子(深津絵里)の方へ行っちゃうのに…。というのが私の不満です。これはもうテレビドラマ研究者としてではなく、一人の男としてのただの好みの話かもしれません。
 今回は個人的感情ダダ漏れの話で失礼しました。たまにはこういう回もいいんじゃないでしょうか。

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 昨日は3月11日。東日本大震災から12年が過ぎました。
 このブログで何度も書いたように、私自身はその時間に飛行機に乗っていたため、東日本大震災を体験していません。しかし、この大惨事を自分なりに受けとめ、たとえば「フィクション作品から考える時間/記憶/記録」(『学びの扉をひらく―時間・記憶・記録』)のような考察文を発表しています。また、各地で震災の記憶や資料をどのように残そうとしているか、継続的に調査をしています。たとえば、宮城県の石巻市や気仙沼市では、震災の被害にあった学校を保存したり、伝承館を建設したりして、震災資料を残そうとしています。ただし、そうした保存にはさまざまな気持ちが交錯することも周知の通りです。一方では「震災の被害の生々しい建物を見るのはつらい」という意見もあれば、また一方では「震災の被害や犠牲を忘れないように建物を残したい」という意見もあります。そんな中で、それぞれの自治体がどのように震災の記憶と記録を残していくのか、その経過をこれからも見続けていきたいと思っています。

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↑ 石巻市門脇小学校跡


↑ 石巻市・みやぎ東日本大震災津波伝承館


↑ 南三陸町・防災対策庁舎跡


↑ 気仙沼市復興祈念公園


↑ 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(気仙沼向洋高校跡)


↑ 陸前高田ユースホステル跡


↑ 陸前高田市・東日本大震災津波伝承館

※写真はいずれも私(宇佐美毅)が現地で撮影しました。




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 久しぶりにテレビドラマについて書きます。
 今クールのテレビドラマもそろそろ最終回が近づいています。そんな中で、幽霊が出てくる作品2つに注目しました。それが『100万回言えばよかった』と『6秒間の軌跡―花火師望月星太郎の憂鬱』です。そして、その2作品がまた対照的なのです。一言でいえば、『100万回言えばよかった』は「なんでもあります」、『6秒間の軌跡―花火師望月星太郎の憂鬱』は「これだけです」という感じです。
 『100万回言えばよかった』は放送時間もプライムタイム(金曜22時~)ですし、出演者(中心となる井上真央、佐藤健、松山ケンイチの他にも、香里奈、シム・ウンギョン、インパルス板倉、平岩紙、荒川良々、春風亭昇太ら)が多彩で豪華です。さらに内容的にも、恋人(佐藤健)が幽霊になってしまうというせつないストーリーと、彼の死をめぐる謎解きミステリーとが絡み合い、1作で複数の要素を併せ持つ内容になっています。
 一方の『6秒間の軌跡―花火師望月星太郎の憂鬱』は、『100万回言えばよかった』とは対照的です。放送時間は深夜時間帯(首都圏では土曜日23時30分~)、出演者は、高橋一生、橋爪功、本田翼のほぼ3人だけで話が進んでいきます。場面としても、花火師の家の中にほぼ限られていて、そこから外に出る場面はわずかしかありません。ドラマは3人の会話だけで進んでいくような、いたってシンプルな作品になっています。
 同じように幽霊が登場する作品が同一クールに2作ありながら、ここまで対照的なのがたいへん興味深いところでした。そこから先はもう好みの問題にもなりますが、近年の私は『6秒間の軌跡』のようなシンプルなものにひかれる気持ちが強くなってきました。芥川龍之介が、その晩年には自分の作風とは全く異なる志賀直哉『焚火』のようなシンプルな小説にひかれたことが思い起こされます。芥川は、『焚火』とはまったく正反対の、きわめて技巧的な小説作法を得意としていたのに、彼は自分を否定するかのような対照的な作品にひかれていきました。
 幸い私は研究者であり、創作者ではありませんから、芥川のような煩悶を抱え込むことはないと思いますが、それでも、自分が好みが変わっていったことには興味深く感じるものがあります。他にも、若い頃には軽んじていた定番的な映画・時代劇や歌謡曲などにも、心ひかれるものがあると感じるようになってきました。こうした「俗」とも思えるものの良さについては、また回をあらためて書いていきたいと思っています。

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