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フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



  
 先週に続いて私のゼミの行事の報告です。先週報告した同窓会は、これまでの全卒業生を対象とした同窓会、今週報告のお別れ懇親会は、今年度の4年生と3年生を対象とする会です。ですので、今週紹介するお別れ懇親会の方が規模は小さめです。ブログに書くのが遅れましたが、実施したのは1月中旬のことでした。
 ちなみに、お別れ懇親会に先だって、その日は朝から4年生の卒業論文口述試験をおこないました。4年生からすると、日中に口述試験を受けて、夕方からはお別れ懇親会に出席する、という流れになります。学生の方は1人20分以内の面談ですが、面談する私の方は丸一日がかりの大仕事です。その日程とそれぞれの卒業論文テーマをここに紹介しておきましょう。学生氏名はここでは省略します。

10:00 
『鋼の錬金術師』の中に余所者はいるのか
10:20 
湊かなえ「母性」論
10:40 
文学研究題材としてのRPG―物語享受の構造と文学研究の可能性
11:00 
富野由悠季『機動戦士ガンダム』―理想郷への言及―
12:00 
辻村深月『ツナグ』論
12:20 
「ひらいて」論
12:40 
竹久夢二の表現研究論
13:00 
『ちいかわ なんか小さくてかわいいやつ』論
14:00 
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』論
14:20 
住野よる『君の膵臓をたべたい』論
14:40 
『あしたのジョー』で描かれる反抗心
15:00 
伊藤計劃『ハーモニー』論
16:00 
映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』論 
16:20 
新海誠監督作品における「フィクション」と「災害」について
16:40 
鳥山明『ドラゴンボール』論

17:30~ お別れ懇親会

  
 これだけヴァラエティに富んだ論文が並んでいるので、それを査読する私の方もたいへんですし、ましてやそれらを一日で口述試験をするなど、もはや人間わざを超越しているのではないか(?)と、自分でも思うくらいです。
 というわけでこの日はへとへとではありましたが、一日かけての面談の後にお別れ懇親会をおこないました。4年生とは卒業式を残すだけで、これで実質的にはお別れです。その意味では寂しいものの、思いがけず花束や色紙をもらって、寂しいと同時に嬉しくもあったお別れ懇親会でした。卒業する皆さんの今後の活躍と幸運を祈ります!

  
※このブログはできるだけ週1回(なるべく土曜日)の更新を心がけています。



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 2月になりました。大学の授業は1月が学期末なので、試験・レポートや採点などもあり、その他に私のゼミの3年生4年生とのお別れ会があり、加えて、私のゼミの全卒業生向けの同窓会もありました。いろいろあってブログに書ききれないうちに月もかわってしまいましたので、今回は同窓会のことを書きます。このところ3週連続でテレビドラマ批評を書いていましたし、まだ書くべきドラマ作品もあるのですが、遅くなりすぎてしまうので、今回はイベントについて書きます。

 
 1月18日に私のゼミの同窓会がおこなわれました。特定の年度の同窓会ではなく、歴代の卒業生全体を対象とした同窓会です。もともと私のゼミ同窓会は4年に一度開催していたのですが、コロナ禍で中断していました。今回は復活初回で、7年ぶりの開催となりました。
 ただし、卒業生への連絡にはたいへん苦労しました。原則としてメールで連絡をしているのですが、7年という期間が空いたことで、多くの卒業生との連絡がつかなくなってしまいました。今回来てくれた卒業生の中にも、「直接連絡が来なかったけど、同級生からこの会のことを知らせてもらいました」という人が多くいました。今回新たにメールアドレスのリストを作り直しましたが、この7年で連絡がつかなくなってしまった多くの卒業生のことを思うと残念でなりません。もしこのブログを見てくれる卒業生の中で、今回の同窓会の連絡が届かなかった人がいたら、ぜひとも私に連絡をください。
 そういう連絡の苦労はあったものの、当日は30年以上前の卒業生から現役の4年生まで、70人以上の卒業生が中央大学多摩キャンパスに集まってくれました。また、私の教え子4人が、事前の連絡から当日の飾り付け、受付、司会まで手伝ってくれましたので、私だけではできないようなあたたかい同窓会にしてもらえました。

 70人以上の卒業生が来てくれたので、限られた時間の中で一人ひとりの卒業生とゆっくり話せませんでした。そのことは参加者には申し訳ないのですが、元気な顔を見せてくれた卒業生たちには心から感謝したいと思っています。次にいつ開催できるかはわかりませんが、次の機会にもぜひ多くの卒業生と再会できれば、私にとってそれ以上の喜びはありません。卒業生の皆さんも私自身も健康に気をつけて、次の機会にぜひまたお会いしましょう。


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 私が勤める中央大学の国文学専攻で、研究発表会がおこなわれました。会員なら誰でも発表できますが、大学院博士前期課程(修士課程)の大学院生が、修士論文の中間報告をするのが恒例になっています。以前の大学では、文学研究は「個人」でおこなうもの、あるいは研究者である教員から個々に伝授されるもの、という発想があったかもしれません。今は多くの教員や大学院生の観点を取り入れ、多様な立場からの助言を受けて、大学院生は自分の研究や論文を完成させていくようになりました。
 そこで思い出したのですが、以前NHKで『めざせ!2020年のオリンピアン~東京五輪の原石たち』というテレビ番組がありました。ジュニア世代の有望スポーツ選手に対して、レジェンドともいえるような有名選手がアドバイスするという趣旨の番組でした。今回の研究発表会というのは、これに近いのかもしれません。ふだんから教わっているコーチは大切な存在ですが、時には他の視点を取り入れ、異なる立場からの助言を受けることで、自分の研究(スポーツ技術)を見つめ直すという意義があるのだと思います。
 ただし、注意点もあります。以前にも書いたことがありますが、一人の学生(ジュニアスポーツ選手)を長く担当し指導し続ける立場と、その日短時間見ただけの立場はまったく異なります。短時間で素晴らしい助言を与えられることもあるとは思いますが、長く指導する立場からの助言とは異なる、いってみれば気楽な(無責任な)助言になる可能性もあります。10人からの違った意見を全部取り入れようとしたら、支離滅裂の研究(ばらばらなスポーツ技術)になってしまうでしょう。ですから、その場合に受け入れる意見もあれば捨てる意見もあるべきだと思います。大切なことは、多くの異なる意見をまずは受け取り、それをどうするか大学院生(ジュニアスポーツ選手)が自分で考えることだと思います。

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ゼミ合宿・みんなでゼミをしているようす
みんなでゼミ活動をしているようす

 私が勤める中央大学の後期授業は9月20日(金)開始ですが、それに先だって、私の担当する学部ゼミの合宿に行ってきました。毎年この時期に、2泊3日都内でおこなっている、私のゼミの恒例行事です。

 今年の私の学部ゼミは、4年生17人、3年生18人が一緒に学んでいますので、人数のかなり多いゼミになっています。その分、研究発表や討議にあてられる一人あたりの時間が毎年少なく、それを補う意味からゼミ合宿をおこなっています。さらに時間的な理由だけではなく、一緒に勉強し、一緒に飲食し、一緒に寝泊まりすることで、ゼミ生同士の関係が急激に近くなるという意味もあります。もしかしたら、そちらの方が合宿の主たる目的なのかもしれません。

恒例のバレーボール大会
宇佐美ゼミ恒例のバレーボール大会

 私は定年退職まで今年を入れてあと4年です。2泊3日の間学生たちと行動をともにするのは、年齢的にも、いささかしんどく感じるようになってきました。学生たちにとっても、宿泊行事というのはかなりの心理的・労力的負担があることでしょう。たしかにいろいろデメリットもあります。しかし、実施してみれば、「来てみたら楽しかった」「ふだん話さないようなことも話せた」「この機会にみんな仲良くなれた」といった声を学生から聞かせてもらいました。今年を入れてあと4回のゼミ合宿。しんどくはありますが、今のところ最終年までなんとか続けていこうかと思っています。

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 今年度は、私が中央大学に勤めてから35年目の年度となります。そして、35年目になって、初めて国語教育関係の科目を担当しています。そのことには多少の感慨があります。
 これまで機会がありませんでしたが、私が大学で国語教育関係の科目を担当してもおかしくはないと思います。私自身が教育学部(教員養成系学部)の卒業ですし、高校の非常勤講師の経験もあります。また、国語教育関係の論文を5本ほど書いていますし、検定国語教科書(明治書院)の編集委員を10数年務めていました。さらには勤務先の教職課程の責任者(運営委員長)も務めていたので、これまで国語教育科目を担当しなかったのが不思議なくらいかもしれません。特に避けていたわけではなく、中学や高校の教員実務経験のもっと豊富な方に担当していただく方がよいと思って、これまで自分では担当してきませんでした。
 今年度に学部と大学院の両方で国語教育関係の科目を担当することになったのは、科目と担当教員の配置の編成上の都合であり、何か特別な理由があったわけではありません。とはいえ、これまで国語教育に少しは関係してきた人間として、私の大学教員生活最後の数年にこうした巡り合わせになったことには多少の感慨があります。
 私が大学進学する際の話です。自分が高校教員になるというはっきりした将来設計があって、私は教育学部(教員養成系学部)を選びました。しかしながら、実際に教員の実態を見るようになり、子どもの頃から描いた、自分が教員になるという将来像に疑問を持つようになってしまいました。その疑問の詳細はここでは省きますが、教員の仕事に不満があったといったことではありません。むしろ自分は教員にふさわしくない、という思いを強く持つようになりました。18歳から20歳くらいのことです。そして、目標を失ってだらしのない生活をするようになりました。しかし、自分で言うのもなんですが、根は真面目な性格なので、そのうちに、だらしない生活をして怠けているのにも嫌気がさしてきました。それで目の前の勉強に真剣に取り組んでみようと思うようになった、というのが今の道に進んだ経緯でした。
 ですから、私にとって教員の仕事は、私の「原点」であると同時に、一度は背を向けた世界でもあります。大学教員としての最後が近づいた頃になって、そういう科目を担当することになったことには、何か特別な巡り合わせがあるように感じました。「多少の感慨」があると書いたのはそういう理由からです。ただし、そういう個人的な感慨は、履修してくれる学生たちには関係ないことですので、その気持ちは心の中にしまっておき、まずは履修してくれる学生たちのために有益な授業ができるよう、努めたいと思っています。

※このブログはできるだけ週1回の更新を心がけています。更新は日曜のことが多かったのですが、これから土曜を目標に更新したいとも思っています。実際にはできなくて、日曜になってしまうかもしれませんが。



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 「外食すると栄養が偏る」「外食は野菜不足になりがち」といわれます。しかし、中央大学学食にはサラダバーがありますので、その心配がありません(サラダバーは授業期間中の営業のため、7月下旬~9月中旬はやっていません)。

中央大学学食のサラダバー
(中央大学学食のサラダバー)

 中央大学といえば、各種資格試験に強いことと学食が充実していることで、かつては有名な大学でした。それが新型コロナウイルスの影響もあり、一時は学食の営業ができない状態になっていました。再開してから後も、コロナ以前と同じ営業形態には戻らないままでした。コロナ以前の中大学食で特に好きだったのが、ブッフェ形式の営業でした。取り放題ではなく、グラム1.4円という料金体系で、私はほぼ毎日のようにこのブッフェを利用していました。

 →過去の私のブログ記事 「学食のランチブッフェ」(2017年11月12日)

 大学の授業も生活もほぼコロナ前に戻り、食事についてもかなり以前に近いところまで戻ってきました。学食のランチブッフェは再開してはいませんが、今年4月からサラダバーという形で復活しました。これはありがたい! 小さめのサラダボウルなら150円、大きめのサラダ皿なら300円というお手頃価格です。サラダバーは昼しか営業していませんが、私はサラダボウルの方に山盛りサラダを乗せて、できるだけ野菜の多い食事をするようにしています。
 器に乗せられるだけ乗せていいらしいのですが、どのくらいでも山盛りにしてもいいのか、はじめは迷いがありました。大学の教員ともあろう者が器からこぼれるくらい乗せているのも恥ずかしいかと、はじめは遠慮していました。しかし、ある日一人の女子学生を見かけると、サラダボウルにびっくりするくらい「てんこ盛り」にして、堂々と歩いていきました。それを見て私も勇気をもらって、その後はかなりの「てんこ盛り」を日常としています。

 ちなみに、私のサラダボウルへの乗せ方は、まずは小さく刻まれた野菜やコーンや豆類から乗せていきます。そして、上半分にはトマト、オクラ、ブロッコリーなどの大きめの野菜を乗せます。逆だと崩れやすく、こぼれやすいからです。

  

 たった150円でこんなに野菜をたくさん乗せて、どうもすみません(ここの口調は林家三平ふう)。サラダバーを運営する中大生協の皆さん、今後もサラダバー営業をぜひ続けてください。どうぞよろしくお願いします。

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 2022年度に担当した卒業論文について書きます。中央大学文学部の国文学専攻では、3年生、4年生の2年続きゼミと卒業論文がセットになっているので、私が担当するゼミの学生たちの卒業論文題目が下記の通りです。

【文学作品】
笹原彩音 『銀河鉄道の夜』論 ―幻想第四次の住人はどこから来たのか―
廣瀬修大 吉本ばなな『TUGUMI』論
杉原紫  殊能将之「ハサミ男」論
川北香夏 梨木香歩『裏庭』論
越智和  「容疑者Xの献身」における献身
岸塚大地 米澤穂信『ボトルネック』論
河又礼 角田光代『八日目の蝉』論
色野託史 木下半太『悪夢のエレベーター』論
堀井愛恵 あさのあつこ『No.6』論
堀江航生 西尾維新『〈物語〉シリーズ』論
大河内雪乃 「蜜蜂と遠雷」論
佐々木統哉 三秋縋『恋する寄生虫』論
大池夏生 『ステイホームの密室殺人』論 ―〈密室〉から考えるコロナ禍―須賀葵 加奈子『夜が明ける』論
【漫画・アニメ】
小此木良太 高橋留美子『めぞん一刻』論
田中愛梨 テレビアニメ『美少女戦士セーラームーン』論  
花田麻愛 映画『千と千尋の神隠し』論
西内来留実 映画『パプリカ』論
宇佐美遥 『鋼の錬金術師』論
美浦礼太郎 諫山創『進撃の巨人』論
根井貴史 「進撃の巨人」論
【テレビドラマ】
西理々香 テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』論
川北莉子 テレビドラマ『最愛』論
【舞台】
半田真里奈 成井豊『ハックルベリーにさよならを』論
坂本颯平 舞台『夜は短し歩けよ乙女』論
【その他】
大山敬 松本人志『遺書』論

 毎年のことではありますが、今年度の宇佐美ゼミの卒業論文のテーマは多彩でした。四年生二六人のテーマは、大きく分ければ文学作品と現代文化(映画、ドラマ、漫画、アニメーションなど)となりますが、今年は例年以上に多様なジャンルの論文テーマが選ばれていました。例年は、漫画、アニメーション、映画、テレビドラマなど、文学作品以外のテーマを選ぶ場合、研究の積み重ねがないためか、なかなかレベルの高い論文にするのは難しいという印象がありました。しかし、今年の場合は、必ずしも文学作品研究の方が高いレベルになっているともいえません。これは、文学作品以外の研究が定着してきたためなのかどうか、その点は今後も継続して見ていきたいと思っています。
 卒業論文は、多くの学生にとって一生に一度きりの論文制作ですから、学生が本当に論じたい対象で書かせてあげたいと私は思っています。ただし、考察対象となる小説やマンガやテレビドラマ作品がただ「好きだから」というだけでは、論文としての考察をすることはできません。当然のことながら、作品を客観的に対象化することや相対化することが必要になります。小説などの文学作品の場合は中学・高校の国語の授業でもある程度読んできていて、大学でも多くの授業がありますから、多くの作品の中の対象作品の位置づけを一応は考えることができる面があるようです。それに比べてマンガ・アニメやテレビドラマなどの作品を考察対象として選ぶ場合、ただ単に「この作品は面白い」という狭い感想に終わってしまいやすい傾向があります。こうしたポップカルチャー作品を研究対象に選びたいという場合には、できるだけ広い視点を自分で意識的に持つ必要があり、今後もそのような点に注意して、論文指導をおこなっていきたいと考えています。

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 中央大学の学術講演会が杉並区でおこなわれ、その講師を務めさせていただきました。(ブログに書くのが遅れてしまったので、講演があったのは今月初旬のことです。)
 中央大学の学術講演会は、一定の条件を満たしていれば、どのような団体からのご要望であってもお受けするようになっています。ただ、実際には中央大学の学員会(卒業生の会)からのご要望が多くて、今回は、学員会杉並支部からのご要望で、NHK連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」についての講演をお引き受けしました。
 こうした講演会はかなり以前からおこなっていますが、私がお引き受けするようになった10年あまり前からだったように思います。私はもともと明治期のマイナーな小説を研究課題としていましたが、その後は村上春樹などの現代文学やテレビドラマなどの映像文化の研究を主としています。以前のような研究では、一般の皆さまへの講演依頼はなかっただろうと思いますが、近年の研究課題でお役にたつならお引き受けしようと考えるようになりました。
 当日は中央大学学員会の関係者だけではなく、多くの一般区民の皆さまに会場に来ていただきました。支部の皆さまの丁寧な準備と活発な広報活動のおかげと感謝しています。また、講演後には区民の皆さまから多くのご質問をいただき、私の話を熱心に聞いてくださったことがよくわかりました。
 私たちのように大学に所属する研究者にとって、研究内容を一般の方のためにお役にたてる機会はそう多くはないと思います。ですので、ご依頼はなるべくお受けするように心がけていますし、今回のように多くの皆さまに喜んでいただけるならさらに幸いなことと考えています。

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 都内の高校からの依頼で、高校2年生向けの特別授業をしました。
 私たち大学の教員は、高大連携や高校の進路選択の関係で、こうした高校生向け特別授業をすることがあります。また、近年は高校の探究学習が必修化されているため、そのときだけの単発授業ではなく、高校生が主体的に活動する一環としての特別授業をすることも増えてきました。今回もそうで、あらかじめ複数の大学の多くの教員が、それぞれの専門分野に沿った課題と説明動画を高校生に提示しておくというプログラムでした。高校生はその提示された課題と動画を受け取って課題について考えておき、その上でそれぞれの希望する大学教員の特別授業を受けに来るという流れになっていました。写真は、その最後の特別授業のようすです。
 この担当の依頼をいただいたので、私は「フィクションと呼ばれる作り話があることの意味を考えてください」という課題を提示しました。このコースを選んでくれた高校生たちから、それぞれが考えたことを事前に受け取っていましたし、当日の授業の中で、また授業の後の質問などで、高校生たちが熱心に考えてくれたことがよくわかりました。この特別授業の準備のために費やした時間や労力はけっして小さなものではなく、正直にいえばけっこうたいへんでした。しかしながら、高校生たちが私が出した、けっしてトレンディでもお金が儲かりそうでもない課題について、とても真剣に考えてくれたことを嬉しく感じました。
 私がこの課題を出した意図のひとつは、「世の中の課題のほとんどは唯一の正解があるわけではない」ということを知ってもらうためです。将来どのような進路に進んだとしても、自分の力で考えて対処することを大切にしてほしいので、そのような願いをこめてこの課題に取り組んでもらいました。労力はかかりましたが、高校生たちの熱心な姿勢に接することができて、労力をかけた甲斐があったと感じました。

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 このブログに何度か書いたこともあるテレビ深夜番組に、今週も出演します。文才のある芸人さんが文章を書いて競い、私がその判定をします。このシリーズも今回が最終回で、「第1回文才王決定戦」として、これまで高く評価された文章を書いた3人の芸人さんが、新たな文章を書きます。
 『お願い!ランキング そだてれび』(テレビ朝日)
  9月27日(火)24時45分~ ※日付は水曜日

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 私が勤めている中央大学文学部国文学専攻には国文学会という組織があり、その研究発表会がおこなわれました。今年は久しぶりに対面開催となりました。
 この発表会では、学会員なら誰でも発表できますが、通常はその年度に修士論文を提出する予定の大学院生が発表することになっています。今年度の発表者は修士論文提出予定者8名。プログラムは下記の通りです。

 研究は一人で黙々とおこなうという一面はあります。研究分野にもよりますが、「個」の力と努力が必要なことは言うまでもありません。しかし、その一方で、多くの人の知恵を借りることが大切な場合もあります。大学院生であれば、指導教員から指導を受けることはもちろん、他の教員から、大学院の先輩・後輩から、多くのアドバイスをもらうことも必要です。
 この国文学会研究発表会はそのような機会です。8人の大学院生たちがこの機会に多くの有益な助言を受け、各自の研究成果へと結び付けていってくれることを願っています。

 花散里論 ─橘とほととぎすの持つイメージについて─
  三浦 香乃 (博士前期課程)

 和泉式部の身体表現と四季詠について
  飯塚 瑞乃 (博士前期課程)

 「銀の匙」論 ―「東京朝日新聞」という媒体の作用をめぐって

  田井 康平 (博士前期課程)

 谷崎潤一郎「美食倶楽部」における幻想の根源

  四井 万緒 (博士前期課程)

 夢野久作の思想の流れ ―海外背景の作品群に基づいて―
  李 兆青 (博士前期課程)

 日本文学におけるピュグマリオン・コンプレックスの描写
  家村 文響 (博士前期課程)

 澁澤龍彦『唐草物語』における語りの構造
  阿部 菜々香 (博士前期課程)

 『1Q84』におけるシステムの危険性と対抗方法をめぐって

  趙 淳青 (博士前期課程)



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 今週、3年ぶりの対面ゼミ合宿に行ってきました。
 「3年ぶりの」は「対面」実施が3年ぶりという意味であって、「合宿」そのものは一昨年も昨年もおこないました。ただ、昨年までの2年間はオンラインゼミ合宿でしたので、対面で実施したのが3年ぶりだったということです。
 中央大学文学部宇佐美ゼミでは、この合宿行事をとても重視しています。所属する文学部国文学専攻では3年生と4年生の2年続きの合同ゼミが必修科目になっています。宇佐美ゼミは各学年20名以上の履修者がいることが多く、合計すると40~50名の大所帯となります。通常の授業時間だけでは研究発表や卒業論文に関する発表の時間がとれず、合宿で卒業論文中間発表をするというのが、合宿重視の第一の理由です。
 しかし、理由はそれだけではありません。宇佐美ゼミを卒業する学生の多くが「一番楽しかったのはゼミ合宿」「ゼミ合宿でみんなとの人間関係が深まった」という感想を述べていきます。そのような研究を通じたゼミ生同士の関係を深めることも、宇佐美ゼミで合宿を重視しているもう一つの理由です。



 実際に対面ゼミ合宿を実施してみて、研究面・親睦面の両方で大きな意義があったと実感できました。とりわけ、宇佐美ゼミ恒例のバレーボール大会の盛り上がり方はたいへんなものでした。はしゃぎまくっている、とでも呼びたいような学生たちの盛り上がり方を見ていると、この学生たちは「大学生らしい学生生活の時間を十分に持ててこなかったのはないか」という気持ちも湧いてきました。それは私の思い込みにすぎないのかもしれませんが、嬉しそうな学生たちのようすに接することができて、労力をかけて合宿を実施した教員としての私も報われたような気持ちになりました。



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国文学専攻の入学ガイダンスのようす

 4月になり、新年度が始まりました。2022年度は、私が中央大学に勤めて33年目の年度となります。

 近年の8年間は行政職(学部長などの役職)を兼ねながらの教員生活でした。行政職を兼ねているから教員として手を抜いていいわけではないので、することは変わらないとしても、物理的・時間的に、専攻の行事に出席できないとか、個人指導の時間がとれないとか、それ以前の教員生活と同じというわけにはいきませんでした。今年度からは、元通り教員に専念することになります。
 中央大学文系学部の入学式は4月2日ですが、4月1日からさっそく新入生ガイダンスがあり、そこに出席してきました。近年は別仕事のために出席できないことが多かったのですが、入学式と違って普段着の新入生たちを迎えて、まずはこの日から今年度が始めるという実感を持ちました。
 また、昨年度までの2年間は、コロナ禍のために通常の大学教育とは異なる面がありました。入学式や卒業式ができなかった年もありましたし、授業がオンライン授業中心になった時期もありました。今年度は一部の授業を除いて対面授業に戻りますので、その意味でも例年の大学教育に近いものになります。つまり、私個人としても、大学のあり方としても、それまで20数年間おこなってきた教育や教員生活に近い形に戻る年になります。
 定年退職までの6年間と、カウントダウンの時期に入ってきましたが、例年のように、普通の教員生活がおこなえることを幸いと考えて、この2022年度の仕事に心してあたりたいと思っています。

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 学生たちと一緒に企画・編集した本が出版されました。それがこの本です。

学びの扉をひらく(上)
学びの扉をひらく(下)

 といっても、これには説明が必要だと思います。以下に、私の挨拶文を添付させていただきます。大学の授業で学生と一緒に本を作るというのは、私にとっても初めて経験でした。この本が多くの場所で活用されることを心から願っています。


皆さま、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

文学部では、教育力向上推進事業の採択を受け、「特別教養(実践的教養演習)」という授業科目を2020年度から開設しました。2021年度は「時間・記憶・記録」という年間テーマのもとに、文学部学生だけではなく、他学部学生も加わって「出版」「イベントの実施」「動画の発信」の活動をおこないました。今回は「出版」部門の成果をお届けします。

今回出版した『学びの扉をひらく―時間・記憶・記録―』は、文学部専任教員3名と学生14名(文学部10名、他学部4名)が共同で企画・編集をおこなった本です。この本は、文学部が多様性の強い学部であることが背景となっています。文学部は、人文科学系・社会科学系の諸学問を包含していて、さらに一部は自然科学にも通じる学問分野を備えています。これは文学部の強みであるのと同時に、文学部がどのような学部なのかが外から見えにくいという弱点にもなりかねません。そこで、私たちは、年間統一テーマのもとに、文学部の諸学問分野の「知」を結集することで、いかに豊かな学びが可能なのかをこの本で示したいと考えました。そのために、文学部の14のセクションの学問分野から統一テーマにアプローチする文章を掲載し、さらに理工学部のお二人の先生にも寄稿いただくことによって、文学部のみならず、大学の学問の多様性と可能性を示す入門書にすることを目指しました。

本の構成や章立てから装丁まで、授業の中で学生たちと教員とが話し合って案を練りました。また、先生方からいただいた文章それぞれに学生たちの担当を決め、細かい校訂作業もおこないました。さらに、学生たちが先生方の文章ごとに一人ずつコラムを掲載し、先生方の専門研究者としての知見とこの本を読んでくださる一般読者の間をつなぐ役割を、このコラムが果たすように配慮しました。こうした試みによって、本書は、既に専門分野に進んでいる方には、その学問分野を見つめ直し相対化する機会になると考えています。また高校生の皆さんなど、これから進むべき道を決めようとする方にとっては、その進路選択の重要な契機になるものと考えています。

以上のように、この『学びの扉をひらく―時間・記憶・記録―』は、大学などにおける教科書や参考書、高等学校などにおける課題図書や進路選択のための資料を、主な活用方法として想定しています。皆さまそれぞれのお立場から、本書を採択、活用していただければ、本書を企画・編集した学生・教員一同にとってこの上ない幸せです。どうかご活用のほど、よろしくお願いいたします。


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 世間的に年末年始はお休み期間というのが通常ですが、多くの大学教員にとって、年末年始は卒業論文の査読期間になっています。卒業論文の締切が大学や学部によって違うので、一概にはいえませんが、私の場合はもう30年以上、年末年始に多くの卒業論文を読み込み、評価し、コメントをまとめています。今年度は24本の卒業論文の審査を担当しました。そのリストを掲載します。順番は、文学・小説系とサブカル・映像系に分けた上で、おおまかな時代順になっています。

【文学・小説系】
木村泰矢  芥川龍之介『杜子春』論
内藤夕衣  川端康成『女であること』論
田島圭悟  「加藤文太郎」論
串田美優  小松左京 『復活の日』論
三浦泰至  山田詠美『ひよこの眼』論
熊澤りさ  森絵都 家族論
生井瑞季  重松清 いじめ文学論
加藤颯悟  『蛇にピアス』論
廣野楓花  『勝手にふるえてろ』論
小林真生  朝井リョウ『何者』『何様』論
梶原舞佑子 『乳と卵』『夏物語』比較論
大山ひかり 湊かなえ『ブロードキャスト』論

【サブカル・映像系】
蒋雨瑄   小津安二郎・侯孝賢作品研究
湯淺里幸子 手塚治虫『どろろ』論
青木菜々子 漆原友紀『蟲師』論
鹿野颯太  『MAJOR』論
園田凜太郎 ドラマ『やまとなでしこ』論 
渡邊夏帆  長編アニメーション映画『ハウルの動く城』論
土居千夏  新川直司『四月は君の嘘』論
小久保亜美 『カゲロウプロジェクト』論
金島柚茉  僕のヒーローアカデミア論
武田直之  新海誠 映画『君の名は。』論
堀部心   『きみの鳥はうたえる』論
松山みずほ テレビドラマ『カルテット』論

 コロナ禍以前は、学生が印刷した論文を冊子にまとめていました。ですので、このブログにも写真を掲載できました。→「2018年度の卒業論文」 昨年度から紙提出がなくなり、データのみの提出になりましたので、それ以降は写真の掲載ができません。
 私は紙で文章を読む方が読みやすいし、冊子にまとめる(レイアウトや装丁を含めた)作業もひとつの教育だと思うので、冊子提出がないのは残念に思います。とはいえ、紙を使わずデータのみにするというのは時代の流れですので、やむを得ないことでしょう。
 私が勤める学部では、卒業論文や卒業研究を特に重視しています。他の科目にはない学生の皆さんの主体性と研究の密度の濃さのあるのが、この卒業論文制作です。一定のレベルにみんなが到達することも大切ですが、それ以上に、個々の学生の皆さんが、この卒業論文制作を通して成長することが重要です。
 多くの学生の皆さんにとって、卒業論文制作は、一生のうちでまとまった論文を書く唯一の機会でしょう。ゼミという卒業論文制作の学びの場が、学生の皆さんにとって、他では得られない貴重な学びの機会になっていたことを願っています。

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(学食の牡蠣フライカレーと塩ラーメン。いっぺんに2つ食べたわけではないです(^o^))

 先日、2年ぶり(正確には1年9か月ぶりくらいだと思います)に、中央大学の学食で食事しました。

 中央大学多摩キャンパスといえば、学食が充実していることで有名です。1階から4階まですべて異なる学食が入っていて、大学にいる時間の長い私は、朝食は2階、昼食は1階、夕食は4階…などといったアクセントをつけて、学食ごはんをおおいに活用していました。特に好きだったのが昼食時のブッフェスタイルでした。ブッフェといっても食べ放題ではなく、好きな料理を器に取って、グラムいくらで支払う方式でした。私の過去のブログにも取り上げています。
 →学食のランチブッフェ (2017.11.12)
 →学食のランチブッフェ・2 (2017.11.19)
しかし、昨年2月からの新型コロナウイルス流行のため、ブッフェどころか学食自体が休業となってしまいました。今年になってお弁当販売だけ再開したものの、私はお昼にお弁当を買いに行く時間の余裕すらなかったので、家からの持ち込みや早朝に近所のコンビニで買ってきたものを利用することで過ごしていました。

 その後お昼時間だけ学食が再開され(学食の場所で温かい食事がとれるようになり)、また、私が学部長の任期を終えて、昼休みに学食に行ける日もあるようになったので、2年近くぶりに学食で食事をとりました。

  
    (今の学食は席を離し、席ごとにアクリル板を立ててある)

 以前と違って、座席が個々に離してあり、アクリル板の仕切りが付き、一部の器は使い捨て容器になり、割り箸やスプーンは個々に包装されたものになりました。しかし、やはり温かい料理をその場で食べられるというのは、お弁当販売とは違う良さがありました。
 今コロナ感染は沈静化していますが、オミクロン株の流行といった新たな不安が出てきています。また、以前のような活気のある学食、活気のある大学キャンパスに戻ることを願っています。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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