メジャーリーグの野球チームであるニューヨーク・ヤンキースと契約した井川慶投手が、英語で入団挨拶をしました。そのスピーチの英語がカタカナで書かれたカンペの棒読みで、かなりひどいんじゃないかということがマスコミで取りあげられたりしています。しかし、私は、「よくやった。あれでいいじゃないか。」と思います。
考えてほしいのですが、日本にやってきた誰かが挨拶をするときに、それが日本語であればそれだけでその人に親近感を持つものです。日本語ができないといけない仕事の人ならともかく、そうでなければ日本語が上手である必要などなくて、むしろ下手なのに日本語で挨拶しようとしているところに好感を持つものです(デーブ・スペクターみたいに上手すぎるとかえって嫌われるかもしれないし)。
ボストン・レッドソックスに入団する松坂大輔は、対照的にまったく英語を使いませんでした。しかし、松坂はまだ入団するところですから、それはそれでいいでしょう。しかし、メジャーリーグにもう何年もいるのにまったく英語のインタビューを受けない選手もいて、それは私はどうかと思います。
ちなみに私は専門が日本文学なので、英語はたいして上手ではありません。しかし、外国に行く機会も滞在する機会も多いので、そこそこ英語は使います。その場合、さすがに井川慶投手と違ってカンペではなく自分で考えて喋りますが、まるでカタカナを読んでるような英語であることは井川投手とそれほど変わりありません。しかし、そういう英語を喋っていることで不自由を感じたことは一度もありません。つまり、語学力がそもそも不足していることでの不便はあっても、たどたどしいことで不便を感じたことはないということです。むしろ、なまじ上手なふりをして喋ろうとしたときの方が、何度も聞き返されたりして不愉快な思いをことすることがあります。
英語を専門にする人の場合は違うでしょうけれど、そうでない人の英語は流暢である必要などまったくないと思います。なまじ上手に喋ると、かえって向こうにも早口で喋られてしまって、聞き取れないことなども出てきます。むしろ、見栄をはらずに、「下手だけど頑張って喋ってるぞ」という感じで話す方が、うまくコミュニケーションがとれるというのが私の経験が言えることです。
「外国語は上手な方がよい。しかし、上手なふりをするのは一番いけない。」
これが私の結論です。