フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 今年度、私が指導を担当した卒業論文25本が提出されました。

 締切は12月11日(金)でしたので、実はそれからもう2週間が経っています。この2週間、授業や会議、加えて不定期に入る打ち合わせなどがたてこんで、卒業論文の審査には入れませんでした。今週で年内の授業も終わり、これからの年末年始を利用して、これらの論文を読む時間をとるつもりです。

 私の所属するのは中央大学文学部の国文学専攻ですので、文学(小説や詩以下など)を中心に扱っています。ただ、「文学」というのはもともと幅広い概念です。私自身も、小説を中心とした研究からテレビドラマなどを含めたフィクション学で範囲を広げていますので、学生の要望があれば、マンガ、アニメ、映画、テレビドラマなどの論文も受け入れています。
 大きなジャンル傾向としては、小説などが減り、上記のマンガ、アニメ、映画、テレビドラマなどが増えてきています。また時代的傾向としては、明治・大正期の作品は減り、現代作品が増えています。それが大きく偏る年度もありましたが、今年度はジャンル的にも時代的にも、比較的偏りが少ないように感じられます。

 それは卒業論文提出者の人数が25人とかなり多かったことも、理由の一つにあるのかもしれません。今年度はさまざまな関心を持つ学生が幅広く集まったという感じがします。ただ、それにしても25人はやや多過ぎました。
 来年度からは10数名という、常識に近い人数になる予定です。それでもゼミの人数としては多いと思いますが、その学生たちがどのような課題に取り組むのか、また来年度を楽しみにしたいと思います。

【2015年度卒業論文題目】

(小説など)
橋直也  「夢十夜」論 第九夜を中心に
本村奈央  「杜子春」論 ―「孤独という制裁」を結末解釈として―
北原直樹  動物から読む萩原朔太郎作品
杉永愛稀  宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 ―「黒帽子復活説」にみた希望―
押田祐汰郎 川端康成「禽獣」論
根津優美香 三島由紀夫『美しい星』論
加藤彩夏  山田詠美論 ―山田詠美の恋愛観―
春木祥吾  乙一『夏と花火と私の死体』論
高野美穂  綿矢りさ「蹴りたい背中」論 ―「蹴りたい」という感情の深層心理―
津端志保里 桜庭一樹『赤×ピンク』論
岩崎楓   坂木司「ひきこもり探偵」シリーズ論
西脇裕太  『凍りのくじら』における『ドラえもん』 作品の中の作品
鶴田智美  伊坂幸太郎 リンクする作品世界論
萩尾仁裕  伊坂幸太郎 メディアミックス論 ~伊坂幸太郎作品を通してみる中村義洋~

(思想など)
田邉絢子  『武士道』の根幹にあるもの

(国語教育など)
新田徹   教材としての『走れメロス』論 

(マンガ・アニメなど)
渡邊薫   宮崎駿『風の谷のナウシカ』論
石崎春日子 少女マンガ『花より男子』論 
田中未来  いくえみ男子論
依田明日香 『輪るピングドラム』論―幾原邦彦の作品世界―

(映画・テレビドラマなど)
小田切彩  『鈴木先生』論
薄井由実果 『アオイホノオ』論 -福田雄一と深夜ドラマ-
佐藤実咲  遊川和彦『女王の教室』『家政婦のミタ』論
葛原舞   宮藤官九郎『ごめんね青春!』論
田島夏美  『問題のあるレストラン』論


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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 私はテレビドラマ研究者なので、ドラマ以外のテレビ番組にはそれほど詳しくはありませんが、たまには違うジャンルの番組の感想も書いてみたいと思います。

 取り上げてみたいのはNHKのスポーツドキュメンタリー番組『めざせ!2020年のオリンピアン』です。
 番組の趣旨はこうです。2020年の東京オリンピックに向けて、日本の将来性豊かな若い競技者を取り上げ、オリンピックの出場経験のある有名選手がその若い競技者を訪ねて、その競技に関するアドバイスをするというものです。番組ホームページには次のように書かれています。

2020年に開催される、東京オリンピックとパラリンピック。そうした夢の大舞台をめざす、各地の中学・高校生など若手アスリートの逸材を紹介、その成長を応援する、新感覚のスポーツ番組!

 私はスポーツ好きで、自分でするのも見るのも大好きです。ですので、この番組を見ていて面白く思いますし、オリンピック選手の適切なアドバイスによって、若い競技者が新たな視点を持ってトレーニングし、短時間に上達していくのを見るのは楽しいものです。ただ、その一方で疑問も感じます。それは、「有名選手のアドバイスで若い選手が見違えるように上達する」という作りがあまりにドラマチックで、あまりにテレビ的すぎることです。

 オリンピック選手が見てすぐ若い競技者が上達するなら、その若い競技者をいつも指導しているコーチは、普段何をしていたのでしょうか。そのコーチの人たちは無能だから、オリンピック選手たちのような適切なアドバイスができていなかったのでしょうか。
 若い競技者と言っても、その人たちは2020年にオリンピックで活躍しそうな有望な一流競技者たちばかりです。ですから、その人たちが自己流でそこまでの技能を身につけたはずはありません。当然、普段のコーチがいて、指導しているはずです。その人たちの長い時間をかけた指導の積み重ねは何だったのでしょうか。

 そこで思い出す一つの話があります。ゴルフ競技で日本の賞金王にもなったことのある片山晋呉選手とそのコーチだった江連忠の話です。片山選手は、成績が芳しくなかった時代に江連忠というレッスンプロと契約し、指導を受けた結果として、その後は賞金王にもなりました(江連のスクールのコーチである谷将貴の指導も受けていたそうですが)。もちろん、お互いにプロですから、指導をする、指導を受けるからには、そこに契約と金銭のやりとりが発生します。その指導契約を結ぶときに江連が「片山のゴルフスイングには改善点が数十か所ある。それをひとつずつ改善するまでは必ず指導に従うこと」という約束をさせたという話をテレビで見たことがあります。
 私は、一流選手の指導というものは、そういうものだと思うのです。長い時間をかけ、大きな労力をかけ、それに見合った金銭を受け取る代わりに責任を持つ。それが一流選手の指導だと思います。

 一流の話でなくて恐縮ですが、私たちのような学校教育をおこなう者にも同様のことがあります。
 たとえば、私たちが学生や大学院生の研究発表や論文原稿を読んだとき、そこに欠点を数十か所でも数百か所でも見つけることができます。しかし、それを気がついただけ次々に指摘すればいいのでしょうか。それで指導になるのでしょうか。いや、それでは学生や大学院生がパニックを起こしてしまいます。その学生や大学院生の能力や性格を見て、できることとできないことを見きわめ、何からどれくらいアドバイスしたらよいかを考える必要があります。それができなければ、単なる欠点の指摘であって、それは指導ではありません。
 この違いが、論文審査の主査(通常の指導教員)と副査(論文だけを審査する教員)の差になることがあります。主査は長い時間をかけて指導し、副査は結果だけを見て審査することになります。もちろん、結果だけを見るからこそ気づくことということもあり、それが副査をつけることの意味でもあります。指導と審査は違いますから、それはそれでよいのだと思います。しかし、欠点を指摘することと適切なアドバイスを与えることは、根本的に違っています。

 『オリンピアン』に話を戻すと、一流競技者を指導するというのは、その選手を日頃から時間をかけて観察し、何から順にどれくらい指導すればもっとも効率的な向上につながるか。そういうことを考えることが本来の指導のありかただと思うのです。オリンピック経験のある有名競技者が若い競技者を数時間見てアドバイスし、それによって技能が短期間に向上する、というのはテレビ的にたいへん見栄えのよい構成ではあります。
 しかし、番組内で指導するのは、自身が一流のオリンピック選手であるとはいえ、指導者としてのプロフェッショナルではありません。ちょっと見ただけの元(あるいは現)有名選手が若い競技者のフォームをいじるのは、たまたまうまくいくことがあっても、多くの場合は通常の指導者の長い時間をかけた指導を壊してしまう危険さえあるのではないでしょうか。


 『オリンピアン』はテレビ番組ですから、私のような面倒なことは考えずに、オリンピック選手によるアドバイスで若い競技者が目をみはるように上達する、というテレビ的な構成を楽しめばよいのはわかっています。ただし、本来の指導というのは、もっともっと時間のかかる、地道な仕事のはずだという感想を持たずにはいられませんでした。



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 今週も校務多忙ではありますが、イベントがあったわけではありませんでしたので、今回はこの1か月ほどの間に見た映画のことを書きます。


 このところ、マスコミ試写会として、一般封切前に見ることのできた映画は、『ディーン 君がいた瞬間(とき)』、『MEMORIES 追憶の剣』、『ザ・ガンマン』 の3作品です。

 『ディーン、君がいた瞬間(とき)』 は、若くして亡くなった伝説の映画俳優ジェームス・ディーンの伝記映画です。伝記映画とは言っても、その生涯(出生から亡くなるまで)を追いかけるというものではありません。この映画は、公式サイトには次のように紹介されています。

1955年、アメリカ。マグナム・フォトに所属する、野心溢れる若手写真家デニス・ストックはもっと世界を驚嘆させる写真を撮らなければと焦っていた。無名の新人俳優ジェームズ・ディーンとパーティで出会ったストックは、彼がスターになることを確信し、LIFE誌に掲載するための密着撮影を持ち掛ける。ディーンを追いかけ、LA、NY、そして彼の故郷のインディアナまで旅するストック。初めは心が通じ合わなかった二人だが、次第に互いの才能に刺激されていく。そして彼らの運命だけでなく時代まで変える写真が、思わぬ形で誕生するのだが──。

 この映画の最大の特徴は、伝記映画でありながら、わずか数日間の出来事を中心に描いていることです。そして、写真家のデニス・ストックの視点からその数日間のジェームス・ディーンを描いていることです。デニスはまだ知名度の高くない俳優ディーンの可能性を信じて、その写真を撮り続けました。その残されたジェームス・ディーンの写真から、逆にその背景となったジェームス・ディーンの人生を読み解けるようになっているのがこの映画の特徴です。

 私は20歳前後の頃にジェームス・ディーンの映画『エデンの東』や『理由なき反抗』を見ましたが、実を言えば、私は主人公像にも、俳優ジェームス・ディーンにも、それほどひきつけられませんでした。しかし、それから長い年月が過ぎて、この映画を見たことで、もう一度『エデンの東』や『理由なき反抗』を見直してみたいと思いました。そういう気持ちにさせるのがこの映画の力なのだと思います。



『MEMORIES 追憶の剣』 は、イ・ビョンホン主演の韓国映画。公式サイトには次のように紹介されています。

常に可能性の限界に挑んできた彼が今回演じるユベクは、巧みな剣術と才知で権力者にのし上がった男。ワンシーンで感情が激変してしまう複雑なキャラクターでもあり、ひと突きで人を殺せる最強の男はこれまで数多くのアクション映画に出演してきたイ・ビョンホンにとっても難しい役だった。さらに本作ではスタント無しで本格ソード・アクションに挑戦し、ダイナミック且つ美しいワイヤー・アクションを披露している。 相手役には『シークレット・サンシャイン』でカンヌ国際映画祭主演女優賞に輝き、2014年にはカンヌ国際映画祭コンペティション部門で韓国女優初の審査員に選ばれ「カンヌの女王」と呼ばれてきたチョン・ドヨン。韓国でトップクラスの女優である彼女にとっても、アクションは初めてで更に目が不自由な役という、新たなチャレンジとなった。ジムで体を徹底的に絞り、最強の女剣士ウォルソへと自らを磨き上げた。


 この映画は高麗時代を舞台にした剣術アクションですが、単なるアクションではありません。主人公のドッキ(今はユベク)は仲間を裏切って権力を手に入れようとする人物であり、一般的なヒーロー(英雄)像にはあてはまりません。一方で、ダーティーヒーローと呼ばれる「悪」の主人公というわけでもありません。

 正義の味方でもなく、非常に徹した悪人でもない、そこにこの主人公像の特色があります。たしかに、この主人公は、王位すら得ようとする強烈な権力欲の持ち主であるのと同時に、過去に愛した女性を忘れず求め続けるロマンチストでもあります。その対照性を描くために、個々には首をかしげる部分もありますが、それは韓国映画・韓国ドラマのお約束と割り切ればよいでしょう。

 そして、そのような主人公の複雑さを演じるのに、最適だったのがイ・ビョンホンという俳優だったということでしょう。たしかに、非情さと繊細さ、アクションとラブストーリーという対照的な要素を演じられる俳優はそう多くはいません。その特異な主人公を、イ・ビョンホンが見事に演じていました。


『ザ・ガンマン』 は、ショーン・ペン主演(脚本、制作も)のアクション映画。「yahoo映画」サイトには次のように紹介されています。

解説
オスカー俳優ショーン・ペンが、『96時間』などのピエール・モレル監督と組んだアクション。ジャン=パトリック・マンシェットの「眠りなき狙撃者」を基に、過去を捨てた元特殊部隊の暗殺者が何者かに命を狙われたことを機に、再び過酷な戦いに身を投じていくさまを描く。アクションに備え肉体改造したショーンが演じる主人公の敵役を、『ノーカントリー』などのハビエル・バルデムが務めるほか、『マンデラ 自由への長い道』などのイドリス・エルバらが共演。

あらすじ
元特殊部隊のすご腕暗殺者ジム(ショーン・ペン)はアフリカ・コンゴ民主共和国で鉱山利権が絡む極秘の暗殺任務をやり遂げ、全てを捨て身を潜めるように生きていた。しかし数年後、突然何者かによってターゲットにされた彼は、暗殺作戦に関わった仲間たちが殺害されていることを知る。敵の正体を突き止めるため、再び銃を手にするジムだったが……。

 かつてアフリカのコンゴで政府要人を暗殺した過去を持つ主人公ジムは、8年後に命を狙われることになります。そこからジムのサバイバルのための闘いが続くというストーリーで、その意味ではアクションの連続、見せ場の連続です。以前に見て、このブログにも書いた『ジョン・ウィック』に似ている設定でもあります。引退した暗殺者が、ある理由からもう一度戦う…その点では、この二つの映画は共通しています。

 ただ、主演のショーン・ペンも55歳、すごい肉体美ではありますが、アクションを演じるには老けたなあ、という気もしました(私より年下ですから、自分に「老けたなあ」と言っているようなものですが、私はアクション俳優ではないので…)。しかも、屈強な元ガンマンでありながら、爆音の後遺症で脳にダメージがあり、ときどきめまいや吐き気に苦しんでいます。

 その意味では、『ジョン・ウィック』のキアヌ・リーブスは人間とは思えないような超人的ヒーロー像。『ザ・ガンマン』のショーン・ペンはきわめて人間的なヒーロー像と、設定は似ていても、主人公像は対照的です。いや、ショーン・ペン演じるジムの方は、ヒーローというにはあまりにも人間的すぎます。言ってみれば、
シワシワで、ヨレヨレなのに、ムキムキで、イケイケなのが、この『ザ・ガンマン』のショーン・ペンでした。



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         (文学研究科ガイダンスのようす)

 私が勤務する中央大学の大学院進学相談会がおこなわれました。簡単に言うと、よくおこなわれている大学の見学会「オープンキャンパス」の大学院版です。

 研究科委員長による各研究科の紹介ガイダンス、教職員・大学院生による個別相談、資料の配布などを毎回おこなっています。

 私が大学院の文学研究科委員長になって2年余り経ちますので、この年2回おこなわれる進学相談会への参加も5回目となりました。今回も文学研究科についてのプレゼンをしました。内容はこれまでとそれほど変えていませんが、近年は大学院を受験する留学生も増えていることから、留学生に関する記述も加えたプレゼンをしました。

     
           (個別相談のようす)

 近年、大学院(特に私立の文系大学院)の置かれている状況は、なかなか厳しいものがあります。
 国立有力大学の大学院重点化、大学の文系学部の縮小傾向、景気の動向、企業の需要など、さまざまな要因がからみあって、私立文系大学院への進学者が低減傾向にあると言えるでしょう。
 また、学部に比べて大学院教育は少人数の手間のかかる教育にならざるを得ないので、財政的に見れば大学の収益になるとは言い難いところがあります。大学にとって収益は目的ではありませんが、それでも大学は慈善団体ではないので、採算の問題は無視できません。

 その一方で、大学が採算だけで物事を判断することには問題もあります。
 私自身は学部と大学院とを別々の大学で学びましたが、どちらの大学にも当然のように大学院があり、多くの大学院生が学んでいました。学部生は大学院生から助言を受けたり、大学院生を手本にしたりして、学んていました。教員になってみると、学部生(学問の世界ではまだアマチュア)と教員(プロの研究者)の間に大学院生(セミプロ)という存在がいることによって、研究面でのパートナーになってもらう部分もあり、教育面でサポート役を担当してもらう部分もあります。
 一方で採算の問題も考える必要があるのと同時に、上記のような意味で、大学における研究と教育に大学院が必要であるということも強く感じます。


 私立文系大学の大学院はどのようにあるべきか、これからの重要な課題です。




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