フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 現在、テレビドラマ版『猟奇的な彼女』が放送されています。人気韓国映画の日本版リメイク、テレビドラマ初ヒロインの田中麗奈の出演など、話題も十分とは思うのですが、視聴率はいまひとつのようですし、私の周囲でもあまり評判はよくありません。それは何故なのでしょうか。
 そんな気持ちもあって、今回のテレビドラマのもとになった韓国映画版を見直して比較してみました。すると、暴力的な女性と彼女に振り回される男性という構図の他にも、テレビドラマ版がかなり細かいところでも映画版を踏襲していることがわかりました。
 たとえば、女性が男性の学校にやってきて「妊娠した」と嘘をつく場面、女性が靴ずれして男性に靴を交換させる場面、スカッシュをして男性の顔にボール(テレビドラマ版ではウニと栗ですが)がぶつかる場面などなど……。
          
 ついでに言えば、テレビドラマ版で初回に出てくる駅名は「tomihira」駅
。調べてみるとそんな駅は日本にはなく、これは映画版にしばしば登場する「富平(プピョン)駅」をもじったもののようです。普通の人は気付かないところですが、原作へのこだわりはこんなところにもありました。
 ただし、そうした映画版との共通点とは別に、かなり異なる部分もあらためて感じました。一番の違いは主人公カップルの関係です。
 映画版のキョヌは主人公の女性(名前はいっさい出てこない)が好きなのがはっきりしています。ですから、「彼女」からかなりひどいことをされても、「キョヌ本人が好きなんだからいいか」という気が見ていてします。一方、テレビドラマ版の三郎(草なぎ剛)はかなり真剣に凜子(田中麗奈)に怒っているので、映画版ほど気楽に見られないという面があります。そのあたりが、テレビドラマ版の視聴率もいまひとつ上がらないし、喜ばれていないところかもしれません。
          
 ただ、テレビドラマ版もなかなかいい作りになっているように私は思います。先日『北京ヴァイオリン』の映画とテレビドラマを比較したとき( 「『北京ヴァイオリン』(映画とテレビドラマ)を見る」 )にも書きましたが、2時間の映画に対してテレビドラマはその何倍にもなるので、どれだけエピソードを書き加えるかがテレビドラマ版オリジナルの工夫になります。
 その点で言うと、『猟奇的な彼女』テレビドラマ版はなかなか凝った工夫がされています。映画版では、「彼女」が恋人に死なれた後にキョヌと出会いますが、テレビドラマでは、凜子の恋人がまだ生きている間に三郎に出会います。そして、なぜその人が凜子に別れを告げたのかを三郎が先に知ることになり、それを凜子に告げようか悩むという展開になります。
 つまり、凜子と恋人の秘密を先に三郎が知ってしまったことにより、三郎は凜子のことで悩まなければならなくなり、それによって凜子のことを考え続けているうちに、次第に凜子にひかれていく(あるいは、凜子への気持ちに気づいていく)ことになるのです。このあたり、テレビドラマ独自の工夫した作りが成功しているところではないかと思います。
 そういうテレビドラマ独自の場面をどんなふうに加えて11回の物語につなげていくか、その点にも注目して後半のテレビドラマ版『猟奇的な彼女』を見ていきたいと思っています。
          



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 以前に学界動向に関する文章を書いたので、最近になってそれが発行されました。
          
 掲載誌は全国大学国語国文学会が出している『文学・語学』(190号)という学会誌で、今回担当したのは、「2005年と2006年に発表された明治文学(散文)」に関する研究の動向です。
 明治文学(散文)研究に限るとは言っても、この2年間に発行された関連書籍は数多く、学会誌や紀要類に発表された論文はその何十倍の数にもなります。また、単なる論文紹介の羅列にならないように、という編集部からの依頼もあります。したがって、多くの書籍や研究論文に目配りした上で、この2年間の動向をまとめなければならないわけで、かなり手のかかる仕事でした。
          
 今回は、前田愛(元立教大学教授、1931‐1987)という研究者の対談集がこの期間に発刊されたこともあり、明治文学研究者の世代論を入れて書いてみました。つまり、前田愛らの世代の研究・前田愛らから直接影響を受けた世代の研究(私もここに含まれます)・前田愛らの研究を本でしか知らない世代の研究、という分け方をして、それぞれの世代の明治文学研究がこの2年間にどのような成果をだしたか、という視点から文章をまとめてみました。
 やや専門的な文章ですが、関心のある方には読んでいただければ幸いです。


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 チェコ料理を作りました……というほどのたいしたものではありませんが、作ってみました。
          
 私がチェコ料理などに詳しいはずがありませんので、出どころはテレビです。前にも書いたことのある『あいのり』(→ 「『あいのり』はおもしろい」 )を
見ていたら、作ってみたい料理が出てきたので、それをもとに作ってみました。番組の方はチェコの後にスロバキアへ移動し、さらにアフリカに行っていますが、そのうち作ろうと思っているうちに今になってしまいました。
 と言っても、基本的にはくりぬいた丸い堅めのパンの中にクリームシチュー風のスープを入れて一緒に食べる、というだけのものです。シチューはグラーシュと言うようです。周囲のパンの内側を崩しながらシチューと一緒に食べると美味しいですし、最後に器になっている周りのパンをほぐしてそれもシチューと一緒に食べられます。
 パンと一緒に食べることもあってか、シチューには白ワインとガーリックを多めに入れるとのことです。少し入れすぎたかなと思っていましたが、実際にその通りにしてみると、たしかにワインとガーリックは多めにした方がパンにも合うのでよいようでした。
 簡単なわりに見栄えのよい料理を覚えてトクをした気分でした。
          



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 私の勤める中央大学のゼミ懇親会がありました。
 ゼミのことはこれまでに何度か書いたことがあります。(→
「ゼミのお別れ会」 ) 前にも書いたように大学や学部によってゼミといっても千差万別です。中央大学の国文学専攻のゼミは全員必修の2年連続科目で、3年生と4年生が一緒に勉強します。
 ということで、新しくゼミに入ってきた3年生と昨年からの継続となる4年生の顔合わせの意味も兼ねて、毎年のこの時期に懇親会をおこなっています。場所はすっかりおなじみとなった高幡不動の大浜寿司さんの2階座敷。
          
 今年は3年生が23人入ってきたので、みんなお互いに顔と名前を覚えるのがたいへんです。私も学生の集合写真を持って毎時間覚える努力をしています。ただ、授業だけではなかなかお互いに記憶に残りにくいこともあり、こうした機会を通じてお互いが仲良くなったり、覚えあったりしてくれたらいいと思っています。
 学生の人数のためもあって、なかなか多くの人と話ができなかったのですが、こういう機会を通じて私も学生たちと距離を縮めていきたいと思います。



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 アメリカ映画『あなたが寝てる間に』(While You Were Sleeping)を見ました。BSで放送していたので録画しておき、空いた時間に見てみたものです。
          
 独身女性ルーシー(サンドラ・ブロック)は、地下鉄の窓口の仕事をしている。恋人のいない彼女は、毎朝見かける男性に好意を持っていた。クリスマス・イヴの朝にその男性がおそわれてホームに落ちたため、ルーシーは彼を必死で助け出した。ルーシーは昏睡状態の彼・ピーター(ピーター・ギャラガー)の婚約者と誤解されてしまう。ピーターの家族に婚約者として扱われているうちに、彼女は次第に家族の一員のような気持ちになっていく……。というストーリーです。
 孤独で少し年齢のいった女性を幸せにするのは結局「恋愛」「男性」だ、というありきたりなメッセージの映画と感じられもしますが、それでも見終わってあたたかい気持ちになれる映画であることは確かです。ただ単に「孤独な女性の前ですてきな男性があらわれる」という作りではなく、男性よりも先にその家族に気に入られ、その家族に迎えられるというところが、この映画をほのぼのとしたものにしている最大の理由だと思います。
          
 ところで、小説を含めたドラマのストーリー作りという観点が言うと、この映画には少し面白いところがあります。それは、この作品の主人公ルーシーと恋をする男性が、最初から登場しているピーターではなく、後になってから登場してくるピーターの弟・ジャック(ビル・プルマン)だということです。
 これは、ドラマ的には大きな欠点になる可能性もあります。というのも、視聴者・読者というのは、ドラマにある期待を持って見進め(読み進め)ていくものだからです。つまり、映画ははじめルーシーとピーターをめぐって展開していくので、いずれピーターが目を覚ましてルーシーと結ばれると予想してしまうのです。
 それが後から登場してきたジャックを好きになるのですから、視聴者・読者はそれを快く受け入れるとは限りません。実際に、映画を見た人の感想ページを見てみたところ、この点で裏切られた印象を持った人もいたようでした。こういう反応が考えられるからこそ、このようなストーリー展開はあまり用いられないのです。
 視聴者・読者は、物語のはじめの方で、誰に感情移入して見る(読む)かを決めることが通常です。したがって、ラブストーリーでは、後から重要人物を登場させる方法は通常とりません(主人公が次々にいろいろな異性に会うけどなかなかいい人に会えなくて、最後にぴったりの人に出会う…といった展開ならあり得ますが)。
 その意味で、ドラマ作りの観点から言うと、なかなか興味深い点のあるこの映画『あなたが寝てる間に』でした。
          






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 連休中もいろいろと仕事はあったのですが、合間に料理も少ししました。今回作ったのは、サーモンソテー&クリームシチューです。
          
 サーモンをフライパンでバター焼きして、それにクリームシチューをソースのようにして食べます。別々に食べたらいいんじゃないか……という意見はないものとしましょう。
 サーモンやチキンをシチューに入れてもいいのですが、別にバター焼きすることによって、カリッとした食感を残しつつシチューと一緒に食べられるところがいいところです。実際にまずまずおいしく食べられました。
          
さあ、連休も明けたことだし、夏休みまで頑張ろう!





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 中国映画『北京バイオリン』とテレビドラマ『北京ヴァイオリン』を見ました。 作品としては映画版が先で2002年の制作、その後テレビドラマが制作されました。テレビドラマは日本でも2007年にBSで放送され、最近まで地上波でも放送されました。
 映画もテレビドラマも基本のストーリーは同じですが、2時間ほどの映画と24回にもなるテレビドラマとでは、かなり違うところがあります。それは当然のことなのですが、私はテレビドラマ版を見てから映画を見たので、テレビドラマ版の脚色が映画版にほとんどないことに驚きました。
          
《ここからネタバレあります》
 一番違うと感じたことは、出来事の見せる順序です。これは少し文学研究の用語になってしまいますが、ストーリーとプロットの違いとも言えるでしょう。基本の設定として「息子思いの人のいい父親・劉成」と「その息子であるヴァイオリンの天才少年・小春」の話です。映画の方は、この親子の秘密が後から明かされるのですが、テレビドラマの方は最初に出てきます。テレビドラマが時間の順序にしたがって出来事を見せているのに対して、映画は後から過去にさかのぼって秘密を明かしているのです。
 このこと自体はどちらがよいとも思わないのですが、テレビドラマ版では映画版にない出来事が多く出てきます。特に父親・劉成が駅で捨て子を拾う前に、悪い仲間にそそのかされて盗みに入り、それが見つかって刑務所に入っていたことなどが描かれます。また、恋人がいたにもかかわらず、すぐカッとなる性格でうまくいかないことも描かれていました。また、捨て子をいったん警察が引き取ったのに、劉成がその子を盗み出して北京から逃亡するところもテレビドラマ独自の場面として描かれていました。
 こうしたエピソードが多く描かれていることから、私はテレビドラマの劉成が捨て子を拾って育てることにかなり強い違和感を持ちました。それは、刑務所に入っていた人が子どもを育ててはいけないという意味ではけっしてありません。そうではなくて、自分の生活さえきちんとできない人が、子どもを警察から盗み出すという犯罪をさらに重ねてしまうというところが気になりました。いくら後から子どもを大切に育てたとしても、です。
 もちろん、劉成が捨て子を引き取り育てていくことで自分の人生にも目標ができ、立ち直っていったという意味もあったことでしょう。しかし、子どもを盗み出すというのは子どもの人生を奪ってしまうことでもあり、いくら大切に育てたと言っても子どもを盗み出すのはかなりたちの悪い犯罪ですから、私はこの行為を受け入れることができませんでした。
          
 さらに、北京で小春がヴァイオリンを習う先生が実は小春の祖父だったとか、親しくしてくれた人が実は小春の父親だったとか、テレビドラマ版には「やりすぎ」と思えるようなあり得ない展開がしばしば出てきます。そんなことも含めて考えると、テレビドラマ版の方はちょっとどうかな、と思う内容で、それを先に見てしまったためにかなり先入観を持ってしまったように思います。先に映画の方を見るべきだったかもしれません。

 映画版は、かなりベタな作りとも言えますが、テレビドラマ版の余分なものがないことがうまく作用しているように思えました。 小春が捨て子となった理由や劉成が拾って育てるまでの経緯などが映画版には描かれていません。そのあたりは視聴者の想像に委ねられるわけで、それだけ無用な限定をされずに済んでいるとも言えます。
 テレビドラマよりも映画そのものを、メディアとして優位に置く人が多いなかで、私はテレビドラマにより興味をひかれる少数派の人間だと思っています(→ 「テレビドラマのよいところ」 )。しかし、『北京ヴァイオリン』に関しては、映画版のシンプルさがテレビドラマ版の過剰な描き込みを上回ったのではないかと感じました。

          



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